学位論文要旨



No 121461
著者(漢字) 齋藤,綾
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,アヤ
標題(和) 凍結保存同種心臓弁・血管組織の抗原性と抗感染性に関する臨床的および基礎的検討
標題(洋)
報告番号 121461
報告番号 甲21461
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2709号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 教授 光嶋,勲
 東京大学 教授 高橋,孝喜
 東京大学 教授 佐田,政隆
 東京大学 講師 別宮,好文
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

同種心臓弁・血管組織(以降ホモグラフト)とは、心臓死・脳死ドナーより摘出され特殊な方法にて凍結保存された組織を指し、代用弁・血管として組織移植に用いられる。生体材料であるホモグラフトは、長期の抗凝固療法が不要・良好な血行動態が得られる・感染性心疾患に対する手術成績我良好であることから、機械弁や異種生体弁と並んで代用弁としての位置付けが確立した。

日本におけるホモグラフトの歴史はまだ浅く、臨床成績の報告は少ない。本論文では、東大組織バンクより提供されたホモグラフトの臨床成績、品質管理、ホモグラフトの特性(抗感染性、抗原性)について検討することを目的とした。

第一章:感染性心内膜炎に対するホモグラフト使用経験―当科における成績および諸外国報告との比較

背景:感染性心内膜炎、特に人工弁感染は未だに難治`性心疾患であり、外科治療に際する周術期死亡例は2-3割、中期生存率は5割前後といわれる。本章では当施設でのる感染性心内膜炎に対するホモグラフト使用おける早期・中期成績について検討した。

対象:対象は1998年12月-2005年5月の間に自己弁感染性心内膜炎(NVE)、人工弁感染症(PVE)に対し大動脈基部置換術を施行した30例。男性25例、女性5例、年齢16〜73歳(平均51.3歳)。殆どがNYHAII度以上の心不全症状を呈し、抗生剤治療に抵抗性を示した。26例にて術前から原因菌が同定されStapkylococcus spp.が最多であった。30例中29例に弁輪部膿瘍を認め、PVE症例22例のうち17例では中等度一高度な弁輪破壊を伴った。

結果:周術期死亡は5例、在院死亡1例。遠隔期死亡は2例(癌死、心不全死各1例)。感染再燃例は6例、再手術例は6例であった。周術期死亡を含めた術後の1年、5年、82ヶ月の生存率は80、79、70%、再感染回避率は87.2、76.3、76.3%、遠隔期生存例における再手術回避率は85.7、68.5、68.5%であった。

結論:多くの症例は弁輪膿瘍を伴う重症例であったがホモグラフト使用による術後成績は良好であり、本疾患群に対するホモグラフトの有効性・抗感染性が示唆された。

第二章:微生物学的観点からみたホモグラフトの安全性

背景:ホモグラフトを介したレシピエントへの細菌伝播の予防や細菌汚染削減による摘出組織の有効利用は、組織移植運営の上で重要な点と考えられる。本章では、当組織バンクにて扱ったホモグラフトの細菌汚染状況・品質管理状況からみた安全`性について検討した。

対象および方法:1998-2004年の間に当組織バンクにて68人より提供を受けた565組織を対象とし、摘出時('procurement')、抗生剤処理後('trimming')、臨床使用('thawing')時に微生物培養検査を行い汚染状況の詳細を検討した。

結果:摘出組織は心臓弁124、大血管組織257、末梢血管組織184組織。'Procurement'での細菌陽性率は26.7%(151/565)、'Trimming'では7.3%(41/565)。抗生剤処理による検出細菌の陰転化率は、86.1%(130/151)であった。検出細菌の多くはStaphylococcus spp.、Enterobacterium spp.およびPropionibacterium acnesであった。207組織が臨床使用され、8例にて解凍時に細菌が検出された。8例のうち2例は周術期に死亡したが、検出細菌と死因との間に明らかな因果関係は認めなかった。

結語:東京大学組織バンクにおける細菌汚染率からみたグラフトの安全性は維持できていると考えられた。グラフトの安全性向上の為に、摘出・保存方法管理の更なる努力を続けることが大切であると考えられた。

第三章:ホモグラフト抗感染性における動物実験モデルを用いた検討

背景:ホモグラフトの生物学的な性質、特に抗感染性を有する可能性やその機構、および凍結保存操作による組織抗原性の修飾については未だに結論が得られていない。本章ではホモグラフトの抗感染性、組織抗原性・移植後の炎症性変化・免疫反応誘導について、動物実験モデルを用い実験的に検討することを目的とした。

3-1:移植後組織の抗感染性に関する評価

方法:ラット大血管組織の皮下同種移植を行った。移植片(以降post-transplant group)はPOD28に摘出、最小培地MRSA(N315)と混合培養しcfu/mlを計測した。対照群は移植前組織(no-transplant group)とした。

結果:Post-transplant groupにおけるMRSA増殖はno-transplant groupに比べ明らかに少なく、培養開始12時間後でのMRSA増殖は約20分の1に留まった(Figure下)。

結語:同種移植の刺激を受けた組織にはMRSAの増殖速度を抑える何らかの性質が獲得されていることが予想された。

3-2:移植後のレシピエントにおける全身および移植片局所の免疫応答に関する検討

方法:ラット血管移植モデルを用いた。Lew胸部下行大動脈を新鮮(F)または凍結(CP)グラフトとし、Syngeneic transplantation群(Lew-Lew:S)およびAllogeneic transplantation群(Lew-BN:A)にそれぞれ用いた(SF、SCP、AF、ACPgroup)。凍結保存方法はヒト心臓弁・血管組織の処理と同様の方法にて行った。グラフトと牌臓はPOD7、POD28に摘出し、移植片は組織病理学検査とrea-time PCRによるTNFα、IFNγ遺伝子発現の検討に、牌臓はリンパ球混合培養(MLR)に用いた。

結果:MLRの結果から、AF、ACPでは移植を受けないBNの牌臓細胞に比べ反応性が1.5倍に増加した。移植片におけるTNFα、IFNγの発現は、SF、SCPで殆んど認めず、AF,ACPでの発現は著明であった。尚、F、CPグラフト間においてMLR、TNFα、IFNγの結果に差を認めなかった。

結語:同種移植後では、レシピエントの全身性および移植片局所のTNFα、IFNγを介した炎症反応が生じていた。また、炎症反応の程度は凍結保存操作によって修飾されなかった。

3-3:移植後血管の抗感染性のメカニズムに関する検討

これまでに、ホモグラフトは臨床的、実験的に抗感染性を有することが提示された。また、ホモグラフトの抗原性は凍結保存処理後も保持されていることが示された。

移植免疫応答では、IFNγに反応してIndoleamine-2、3-deoygenase (IDO)と呼ばれるTryptophan代謝酵素が免疫寛容に関わる因子が誘導されることが知られているが、IDOは一方で抗菌活性を持つことで最近注目されている。本章では、同種移植後の血管組織におけるIDOの誘導の有無を調べ、移植後組織の抗感染性作用とIDOの関連性について検討することを目的とした。

移植後組織におけるIDOの発現に関する検討

方法:3-2と同様のラット血管移植モデルおよびreal-timePCR法を用い、POD7、POD28に摘出した移植片におけるIDOの遺伝子・蛋白発現を調べた。組織内の酵素活性は、移植片を培養液に浸透させ、TrpおよびIDO阻害剤である1-Methyl-L tryptophan添加後の上澄み液中に漏出する血管内成分を、HPLC法にて測定した。

結果:PCRの結果、AF、ACP groupにてIDO遺伝子の発現を認め、免疫組織化学染色により血管の外膜側の炎症細胞浸潤が高度な部分に一致して染色された。また、HPLCの結果より、IDOの酵素活性は維持され、1-MTによる阻害が可能であった。

まとめ:同種移植後組織では、抗感染性関与因子と考えられるIDOの遺伝子レベル、組織レベルでの発現および酵素活性の維持が確認された。

IDO阻害実験

一般的にIDOの抗菌作用はTrp枯渇およびTrp代謝産物の関与が考えられている。本章では同種移植後の組織内に発現するIDOのMRSA増殖への関与について、上記2点につき検討した。

方法:3-1と同様のMRSA増殖実験を行った。Trp枯渇の系として、培地のTrp含有量に濃度勾配をつけ検討し、Trp代謝産物の系では1-MTを用いた。同時に、Trpおよび代謝産物(Trptophan、Kynurenine、3-Hydroxy-kynurenine、 Anthoranilic acid、Quinolinic acid、1-methyle-Ltryptophan)のMICを計測した。

結果:Trp枯渇の系では、Trp(-)の培地でMRSA増殖能が最も抑制され、Trp添加により増殖能は回復した。IDO阻害剤の系では、1-MTの添加によりMRSA増殖抑制効果が部分的に解除された。MICの結果から、3-Hydroxy-kynurenineにMRSAに対する抗菌活性を認めた。

結語:同種移植後組織ではIFNγを介した免疫応答を認め、IFNγに反応してIDOが誘導された。IDOの作用によるTrpの枯渇およびTrp代謝産物が組織の抗感染性に部分的に関与する可能性が示唆された。またTrp代謝産物3-Hydroxy-kynurenineに抗菌作用が認められた。第4章まとめ

今回の検討より、同種移植後の血管組織では抗感染性が獲得され、その機構に IDOが部分的に関与することが示された。この結果は心臓血管外科領域において重症度の高い疾患である感染性心疾患に対するホモグラフトの有効性を科学的に解明する手がかりになると考えられた。今後の更なる抗感染性の詳細なメカニズムの究明や、様々な分野と連携の上での臨床応用の道が開かれることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は組織移植において同種心臓弁・血管組織(ホモグラフト)を用いることの優位性について臨床的・基礎的に検証したものであり、下記の結果を得ている。

東京大学組織バンクにおけるホモグラフト(大動脈弁)の感染性心内膜炎に対する実際の臨床成績が第一章にて示された。通常治療困難な重症疾患といわれる感染性心内膜炎(自己弁感染(Native valve endocarditis : NVE) 、人工弁感染症(Prosthetic valve endocarditis:PVE)に対しホモグラフトを用いた外科治療は術後の良好な成績をもたらした。結果は、周術期死亡を含めた術後の1年、5年および82ヶ月の生存率は各々80、79、70%(NVE症例:87.5,87.5,87.5%、PVE症例:77.3,61.8,61.8%)であった。この成績は、過去の機械弁使用における外科治療成績(5年生存率29-76.6%)と比べ良好な成績と考えられ、ホモグラフトの抗菌作用・抗感染性といった特性が期待できることが臨床成績より示唆された。

第2章では、ドナーからの組織摘出から手術におけるレシピエントへのグラフト提供に至まで数々の工程を経て管理されるホモグラフトの、グラフト自体の細菌汚染における品質管理・対処方法および効果について示された。ドナー摘出後の抗生剤処理、および各処理工程における厳密なチェックの結果、細菌汚染の観点から見て十分に安全なグラフトであることが確認された。

ホモグラフトの移植後に生じている炎症性変化についてLewis、BrownNorwayラットを用いた胸部下行大動脈一腹部大動脈移植実験により検証された(第3章前半)。リンパ球混合培養によりallogeneic transplantation(同種移植)後における全身性炎症反応の惹起がBrdU colorimetric法にて確認できた。また、同種移植後の移植片自体ではTNFα IFNγなどの、syngeneic transplantation(自家移植)後では確認されない炎症性因子の遺伝子発現が認められることがrealtime PCRにて定量的に示された。この結果に基づき、抗感染性因子の可能性が示唆されるinducibleNOS (iNOS)、IDO(Indoleamine-2、3-dehydroxylase)(いずれもIFNγの刺激を受けて誘導される因子)がホモグラフトの抗感染性に関与しうる土壌が成り立つことが提示された。

第3章後半では、ラットの血管移植モデルによって得られた移植片とMRSAの混合培養により、同種移植後組織がMRSAに対し増殖抑制作用を有することが実験的に証明された。ホモグラフトが付帯する抗感染性おいてIDO関与の可能性について着目したところ、同種移植後の移植片における組織レベル・遺伝子レベルでのIDO発現が確認され酵素活性が維持されることが示された。更に、MRSAと移植片の混合培養において、培地内のTrp含有量に勾配をつけたところ同種移植後組織と混合培養されたMRSAの増殖はTrp含有量が増加するにつれMRSA増殖抑制効果が減弱した。また、IDOを介したTrp代謝産物、3-Hydroxy-kynurenineが細菌の増殖抑制効果を有することがMICの測定により証明された。以上より、同種移植後組織片に発現されるIDOのTrp枯渇、Trp代謝産物の作用によりMRSA増殖抑制効果が現れることが予想された。

以上、本論文はホモグラフト移植後に生じるIFNγを介した特異的炎症反応の結果誘導されるTrp代謝酵素IDOが、Trp枯渇3-Hydroxy-kynurenineが有する抗菌活性を介してホモグラフト抗感染性を発揮する可能性が動物実験レベルで示唆された。本研究は、臨床経験的に経験されるホモグラフト抗感染性を科学的に裏付けた総括的研究と考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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