学位論文要旨



No 121464
著者(漢字) 中川,徹
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,トオル
標題(和) 尿路上皮の多段階発がん過程におけるDNAメチル化の変化
標題(洋)
報告番号 121464
報告番号 甲21464
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2712号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 助教授 平田,恭信
 東京大学 助教授 菊地,かなこ
 東京大学 助教授 冨田,京一
 東京大学 講師 神田,善伸
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

DNAメチル化は転写制御・クロマチンリモデリング・ゲノムの安定性に重要な役割を果たしており、DNAメチル化の変化は発がんに寄与する主要なエピジェネティクス機構のひとつである。ヒトがんに通常認められるDNAメチル化の変化は領域特異的な高メチル化と5メチルシトシン総量の減少である。

がんにおける領域特異的な異常高メチル化は、腫癌抑制遺伝子の発現消失を介して発がんに寄与する。しかし異常高メチル化の原因となる詳細な分子機構はいまだ充分には解明されていない。DNAメチルトランスフェラーゼ1(DNMT1)は体細胞中に最も豊富に存在するDNAメチル化酵素である。最近DNMT1はDNAメチル化の維持のみならずdenovoメチル化にも働く可能性が示唆されており、その発現の変化はがんにおけるDNAメチル化の異常を引き起こす原因となる可能性がある。一方異常低メチル化は、ES細胞やマウスモデルを用いた実験により、染色体不安定性を惹起して発がんを誘導することが知られている。

尿路上皮がんにおいてはp16やE-カドヘリンなどの遺伝子がプロモーター領域CpGアイランドの異常高メチル化により発現が消失すること、CpGアイランドのメチル化の頻度と予後の相関などが報告されている。しかしながら、尿路上皮がんの組織学的な多様性や前がん病変を十分考慮した上でのDNAメチル化の変化についての検討はいまだ十分になされていない。また、DNA異常高メチル化の原因のひとつである可能性があるDNMT1蛋白発現の変化についてもこれまで報告はない。さらに、尿路上皮がんにおける異常低メチル化の意義についても未だ十分に解明されていない。

本研究は、尿路上皮がんの多段階発生過程や多様な発生経路に対応するさまざまな組織検体を用いて、(1)DNMT1蛋白発現の変化ならびにその細胞増殖能との関係について検討すること、(2)領域特異的な異常高メチル化ならびにそのDNMT1蛋白発現の変化との関係について検討すること、(3)傍セントロメアサテライト領域の異常低メチル化ならびにその尿路上皮がんに特徴的な他の分子生物学的な変化との関係について検討することにより、尿路上皮がんの診断や治療にDNAメチル化の変化を利用することを将来的な視野に入れつつ、その基礎として尿路上皮の多段階発がん過程におけるDNAメチル化の変化の意義についての理解を深めることを目的とする。

【対象と方法】

膀胱移行上皮の多段階発がん過程におけるDNMT1蛋白発現の変化

膀胱全摘術を施行した膀胱がん症例103例のホルマリン固定パラフィン包埋標本から作成した、組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮89検体・異形成上皮78検体・移行上皮がん(乳頭状がん、上皮内がんならびに浸潤がん)174検体の組織切片、ならびに、正常対照として、非尿路上皮がん症例の手術あるいは剖検で得られた正常移行上皮61検体について検討した。抗ヒトDNMT1ポリクローナル抗体ならびに抗ヒトPCNAモノクローナル抗体を用いて免疫組織化学染色を行い、その結果について相互の関係ならびに臨床病理学的な諸因子との相関を検討した。

膀胱移行上皮の多段階発がん過程におけるCpGアイランドのメチル化の変化、ならびにそのDNMT1蛋白発現の変化との関係

膀胱がん症例55例のホルマリン固定パラフィン包埋標本から、組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮23検体、移行上皮がん(乳頭状がん、広汎進展上皮内がんならびに浸潤がん)70検体のDNAをマイクロダイセクション法にて回収した。正常対照として骨盤内臓全摘術を施行した直腸がん症例12例から得られた正常移行上皮12検体から抽出したDNAを検討に加えた。DNAをバイサルファイト変換に供した後、メチル化特異的PCR(MSP)あるいはバイサルファイト変換-制限酵素処理(COBRA)法によりp16、Death-associated protein kinase (DAPK)遺伝子ならびにMINT2、12、25、31クローンの各CpGアイランド(これらは消化器がんを対象とした研究において年齢依存性でなくがん特異的にメチル化が亢進することが知られている)のメチル化の状態を解析した。これらの結果について臨床病理学的な諸因子との相関を検討した。

尿路上皮がんにおける異常低メチル化の意義

膀胱がん13例・尿管がん5例・腎孟がん9例、計27例の尿路上皮がん症例の手術摘出標本から採取したがんならびに非がん組織の新鮮凍結組織から高分子量DNAを抽出した。MspIあるいはHpallにて処理したDNAに対してサテライト2・3の各々に対するオリゴヌクレオチドプローベを用いてサザンブロッティングを行った。9番染色体上の6部位のマイクロサテライトマーカー(D9S775、D9S925、D9S304、D9S303、D9S283、D9S747)におけるヘテロ接合性喪失(LOH)の有無を、蛍光ラベルしたプライマーを用いたPCRを利用して解析した。これらの結果について相互の関係ならびに臨床病理学的な諸因子との相関を検討した。

【結果】

膀胱移行上皮の多段階発がん過程におけるDNMT1蛋白発現の変化

正常移行上皮・勝脱がん症例から採取した組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮・異形成上皮・移行上皮がんと進展するに伴いDNMT1蛋白発現は有意に亢進した(p<0.0001)。特に、前がん段階にある可能性のある膀胱がん症例の組織学的に特記すべき所見のない上皮において既に正常移行上皮に比べてDNMT1の発現の有意な亢進が見られた(p<0.0001)。膀胱がん症例から採取した組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮ではDNMT1の発現とPCNA標識率の間に有意な相関は見られなかった。非乳頭状がんは乳頭状がんに比べてDNMT1を有意に高発現しており(p=0.0001)、非乳頭状がんの中でも特にDNMT1を高発現していたのは悪性度の高い結節性浸潤がんの前駆病変である広汎進展上皮内がんであった。

膀胱移行上皮の多段階発がん過程におけるCpGアイランドのDNAメチル化の変化、ならびにそのDNMT1蛋白発現の変化との関係

正常移行上皮、膀胱がん症例から採取した組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮、移行上皮がんにおける各CpGアイランドのDNAメチル化の頻度はそれぞれp16(0%、17%、21%)、DAPK(13%、33%、29%)、MINT2(56%、60%、76%)、MINT12(0%、6%、30%)、MINT25(25%、27%、35%)、MINT31(45%、56%、79%)であり、概ね正常移行上皮から前がん状態にある組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮、移行上皮がんへと進展するにつれて各CpGアイランドのDNAメチル化の頻度は亢進していた。

3箇所以上のCpGアイランドが同時にメチル化される事象の頻度は、正常移行上皮から、膀胱がん症例から採取した組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮、移行上皮がんへと進展するにつれて有意に亢進し(P=0.0043)、特に膀胱がん症例から採取した組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮の段階で既に正常移行上皮と比較して有意に亢進していた(P=0.0455)。CpGアイランドメチル化形質(CIMP;がんにおいて同時に3箇所以上のCpGアイランドがメチル化されるときCIMP陽性と定義)は乳頭状がんに比べて非乳頭状がんにおいて有意に高頻度に見られた(P=0.0143)。全検体を用いて検討したとき、同時に3箇所以上のCpGアイランドがメチル化される事象はDNMT1蛋白発現の亢進と有意に相関していた(P=0.0167)。

尿路上皮がんにおける低メチル化の意義

サテライト2・3の低メチル化はそれぞれ非がん組織の7%・0%、尿路上皮がんの41%・44%に見られ、がんの組織学的異型度(P=0.0012、0.0043)、深達度(P=0.0055、0.0228)、組織構築(乳頭状がん対結節性浸潤がん、P=0.0161、0.0297)と有意に相関していた。少なくとも1箇所以上のマイクロサテライトマーカーにおけるLOHは移行上皮がんの52%に認められ、サテライト2・3の低メチル化との間に有意な相関が見られた(P=0.0098、0.0034)。

【結論】

DNMT1蛋白発現の亢進は単に細胞増殖能の亢進に伴う二次的なものではなく、膀胱尿路上皮の多段階発がん過程において細胞増殖能の亢進に先行し、多数のCpGアイランドのメチル化の亢進を惹起する可能性がある。DNMT1蛋白発現ならびにCpGアイランドにおけるDNAメチル化はともに、尿路上皮における多段階発がん過程早期の前がん段階から既に亢進し、特に乳頭状がんが発生する過程よりも広汎進展上皮内がんを経て悪性度の高い結節性浸潤がんが発生する過程に寄与する可能性がある。尿路上皮がんにおいて傍セントロメアサテライト領域の低メチル化は、尿路上皮がんに高頻度に見られる9番染色体のLOHの原因となっている可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、尿路上皮がんの多段階発生過程や多様な発生経路に対応するさまざまな組織検体を用いて、(1)DNMT1蛋白発現の変化ならびにその細胞増殖能との関係について検討すること、(2)領域特異的な異常高メチル化ならびにそのDNMT1蛋白発現の変化との関係について検討すること、(3)傍セントロメアサテライト領域の異常低メチル化ならびにその尿路上皮がんに特徴的な他の分子生物学的な変化との関係について検討することにより、尿路上皮がんの診断や治療にDNAメチル化の変化を利用することを将来的な視野に入れつつ、その基礎として尿路上皮の多段階発がん過程におけるDNAメチル化の変化の意義についての理解を深めることを目的としたものであり、下記の結果を得ている。

膀胱移行上皮の多段階発がん過程におけるDNMT1蛋白発現の変化

正常移行上皮・膀胱がん症例から採取した組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮・異形成上皮・移行上皮がんと進展するに伴いDNMT1蛋白発現は有意に克進した(p<0.0001)。特に、前がん段階にある可能性のある膀胱がん症例の組織学的に特記すべき所見のない上皮において既に正常移行上皮に比べてDNMT1の発現の有意な亢進が見られた(p<0.0001)。膀胱がん症例から採取した組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮ではDNMT1の発現とPCNA標識率の間に有意な相関は見られなかった。非乳頭状がんは乳頭状がんに比べてDNMT1を有意に高発現しており(p=0.0001)、非乳頭状がんの中でも特にDNMT1を高発現していたのは悪性度の高い結節性浸潤がんの前駆病変である広汎進展上皮内がんであった。

膀胱移行上皮の多段階発がん過程におけるCpGアイランドのDNAメチル化の変化、ならびにそのDNMT1蛋白発現の変化との関係

正常移行上皮、膀胱がん症例から採取した組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮、移行上皮がんにおける各CpGアイランドのDNAメチル化の頻度はそれぞれp16(0%、17%、21%)、DAPK(13%、33%、29%)、MINT2(56%、60%、76%)、MINT12(0%、6%、30%)、MINT25(25%、27%、35%)、MINT31(45%、56%、79%)であり、概ね正常移行上皮から前がん状態にある組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮、移行上皮がんへと進展するにつれて各CpGアイランドのDNAメチル化の頻度は亢進していた。

3箇所以上のCpGアイランドが同時にメチル化される事象の頻度は、正常移行上皮から、膀胱がん症例から採取した組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮、移行上皮がんへと進展するにつれて有意に亢進し(P=0.0043)、特に膀胱がん症例から採取した組織学的に特記すべき所見を示さない移行上皮の段階で既に正常移行上皮と比較して有意に亢進していた(P=0.0455)。CpG アイランドメチル化形質(CIMP;がんにおいて同時に3箇所以上のCpGアイランドがメチル化されるときCIMP陽性と定義)は乳頭状がんに比べて非乳頭状がんにおいて有意に高頻度に見られた(P=0.0143)。全検体を用いて検討したとき、同時に3箇所以上のCpGアイランドがメチル化される事象はDNMT1蛋白発現の亢進と有意に相関していた(P=0.0167)。

尿路上皮がんにおける低メチル化の意義

サテライト2.3の低メチル化はそれぞれ非がん組織の7%・0%、尿路上皮がんの41%・44%に見られ、がんの組織学的異型度(P=0.0012、0.0043)、深達度(P=0.0055、0.0228)、組織構築(乳頭状がん対結節性浸潤がん、P=0.0161、0.0297)と有意に相関していた。少なくとも1箇所以上のマイクロサテライトマーカーにおけるLOHは移行上皮がんの52%に認められ、サテライト2・3の低メチル化との間に有意な相関が見られた(P=0.0098、0.0034)。

以上、本論文は、DNMT1蛋白発現の亢進は単に細胞増殖能の亢進に伴う二次的なものではなく、膀胱尿路上皮の多段階発がん過程において細胞増殖能の亢進に先行し、多数のCpGアイランドのメチル化の亢進を惹起する可能性があること、DNMT1蛋白発現ならびにCpGアイランドにおけるDNAメチル化はともに、尿路上皮における多段階発がん過程早期の前がん段階から既に亢進し、特に乳頭状がんが発生する過程よりも広汎進展上皮内がんを経て悪性度の高い結節性浸潤がんが発生する過程に寄与する可能性があること、尿路上皮がんにおいて傍セントロメアサテライト領域の低メチル化は、尿路上皮がんに高頻度に見られる9番染色体のLOHの原因となっている可能性があることを明らかにした。本研究は、これまで知見の乏しかった尿路上皮の発がん過程におけるDNAメチル化の変化の解明に重要な貢献をなし、将来のDNAメチル化のがん診断・治療への応用の基礎となるものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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