学位論文要旨



No 121478
著者(漢字) 矢野,文子
著者(英字)
著者(カナ) ヤノ,フミコ
標題(和) Wntシグナルの軟骨分化に対する作用解析
標題(洋)
報告番号 121478
報告番号 甲21478
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2726号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛田,多加志
 東京大学 助教授 取,吉雄
 東京大学 助教授 星,和人
 東京大学 助教授 山岨,達也
 東京大学 講師 森,良之
内容要旨 要旨を表示する

緒論

骨形成の様式は膜性骨化と軟骨内骨化の2つがある。膜性骨化は頭蓋冠、下顎骨の一部、鎖骨などで認められ、軟骨を経由することなく未分化間葉系細胞が直接骨芽細胞に分化して骨組織を形成する。軟骨内骨化は脊椎や四肢の長管骨など骨格の大部分で認められ、軟骨の型がまず形成され、次いで骨に置換される。軟骨内骨化には軟骨が重要な役割を果たしている。

軟骨細胞は骨芽細胞、筋芽細胞、脂肪細胞と共通の前駆細胞である未分化間葉系細胞から分化する。軟骨組織の発生は、まず未分化間葉系細胞が密に集団化する。やがてそれらの細胞が細胞質に富む軟骨細胞へと分化する。軟骨細胞は分化段階の初期においてアグリカンや2型コラーゲンを発現する。未分化間葉系細胞から軟骨細胞への初期分化にはSox5、6、9が特異的な転写因子として重要な役割を担っている。後期では軟骨細胞は肥大軟骨細胞となり10型コラーゲン、MMPs、VEGFを発現することにより軟骨内骨化過程における軟骨基質の分解や血管侵入の誘導を促す。軟骨細胞の肥大分化には骨芽細胞の分化に必須な転写因子であるRunx2が促進的に働いている。最近の報告では、Wntシグナルの下流の転写因子であるTCFが軟骨細胞の初期から肥大化にかけて発現しており、軟骨分化に関与すると示唆されている。

軟骨の初期分化・肥大化を制御するシグナルには様々なものが知られているが、軟骨細胞の分化から肥大化・アポトーシスまで一連のシグナル相互作用などについてはなお、解明すべき点が多く残されている。本論文において、軟骨分化誘導シグナルのひとつとして、古典的Wntシグナルの軟骨分化における役割を解析した。

Wntシグナルの軟骨分化に対する作用の解析

Wntファミリーは脊椎動物において2O種類以上のリガンドからなる分泌性糖蛋白であるWnt蛋白のレセプターは10種類の7回膜貫通型レセプターFrizzled(Fzd)があるが、Fzdとともにレセプター複合体を構成するもう一つの膜蛋白LRP-5/-6がWntシグナルの認識に必須である。 Wntシグナルの中心伝達経路はβ-cateninを介する古典的Wnt経路であり、その他にDvlからRhoAを介して、Jun N-terminal kinase(JNK)を活性化し、細胞骨格の再構築を促す経路(PCP経路)およびG蛋白質によるphospholipase C(PKC)の活性化および細胞内のCa2+濃度上昇を促進する経路(Ca2+経路)が存在する。

Wntファミリーは発生のさまざまな局面で時間的、位置的に特異的な発現を示し、形態形成の誘導因子、細胞の極性決定因子、増殖分化の調整因子として多様な機能をもっている。近年、Wntが軟骨形成に重要との報告がされているIn vitroの過剰発現系の実験では、 Wnt4とWnt8は軟骨分化を抑制するが、肥大化を促進し、Wnt1とWnt7aは軟骨分化を抑制、 Wnt9aは軟骨分化と肥大化のどちらともを抑制、 Wnt3、Wnt5aとWnt5bは軟骨分化を促進するが肥大化を抑制し、Wnt11は軟骨分化と肥大化のいずれにも影響しない。これらの報告は軟骨初期分化と肥大化におけるWnt蛋白の役割を示唆している。しかし約2O種類あるWntファミリーは古典的Wnt経路であるかそれ以外の経路であるかの分類がいまだに解明されておらず、いずれの経路が軟骨分化と肥大化を制御しているかは判っていない。

本論文において、軟骨分化における古典的Wnt経路の役割を明確にするためにTCF/LEF-1の構成的活性型変異体・抑制型変異体を発現するアデノウイルスを作成し、未分化開葉系細胞株や軟骨細胞に導入し、初期軟骨分化と肥大化マーカーを区別して解析した。古典的Wnt経路による軟骨分化シグナル機構については軟骨分化必須因子であるSox9との相互作用を解析した。その結果、古典的Wntシグナル経路は軟骨分化一連の過程の初期分化と肥大化を促進し、その作用機序はSox9依存性であることがわかった。永久軟骨の肥大化は変形性関節症などの病的な状態でしばしば観察されるが、その一部に古典的Wntシグナルが関与している可能性が示唆された。

結語

本研究では古典的Wntシグナルは軟骨内骨化においてSox9依存性に軟骨分化・肥大化を促進することを明らかにした。この知見は軟骨分化シグナルネットワークを解明する手がかりになり、さらに軟骨分化の異常が引き起こす変形性関節症などを含む様々な疾患の病態生理の理解と将来の治療法の開発に役立つことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は軟骨内骨化において重要な役割を演じていると考えられる古典的Wntシグナルの軟骨分化における作用を明らかにするため、TCP/LEF-1の構成的活性型変異体・抑制型変異体を発現するアデノウイルスを作成し、未分化間葉系細胞株や軟骨細胞に導入し、初期軟骨分化と肥大化マーカーを区別して解析した。さらに古典的Wnt経路による軟骨分化シグナル機構については軟骨分化必須因子であるSox9との相互作用を解析したものであり、下記の結果を得ている。

古典的Wntシグナルを調節するためにcaLEF-1、dnLEF-1、siRNAβ-cateninを発現するアデノウイルス:Ad-caLEF-1、Ad-dnLEF-1、Ad-siβ-cateninを作成した。作成したAd-caLEF-1、Ad-dnLEF-1、Ad-siβ-cateninの蛋白発現と機能を確認した。作成したアデノウイルス変異体の蛋白発現に関してはウエスタンプロット解析により、正常に蛋白を発現していることを確認した。また、アデノウイルス変異体の機能に関してはルシフェラーゼアッセイを行い、古典的Wntシグナル経路の下流の転写因子TCF/LEF-1を調節していることを確認した。

古典的wntシグナルの軟骨初期分化に対する作用を解析するために、アデノウイルスベクターAd-caLEF-1、Ad-dnLEF-1、Ad-siβ-cateninを未分化間葉系細胞株C3H10T1/2細胞に7日間、感染させた。軟骨分化解析のために軟骨初期分化マーカーである2型コラーゲン、アグリカン、およびコンドロモジュリン-1のmRNA発現を分析するためにリアルタイムRT-PCRによる検討を行ったAd-caLEF-1を導入したものとLiCl処理はこれらの軟骨初期分化マーカー発現を増加させた。これに対して、Ad-dnLEF-1とAd-siβ-cateninを導入したものはLiCl処理にも関わらず、これらマーカー発現を抑制した。これらのデータより、古典的Wntシグナルは未分化間葉系細胞に対して軟骨分化を促進していることが示唆された。

古典的Wntシグナルの軟骨肥大分化に対する作用を解析するために単層培養の未分化間葉系細胞C3H10Tl/2細胞、すでに軟骨細胞であるATDC5細胞とプライマリーのマウス肋軟骨細胞のアルジネートビーズ培養を用いて解析した。軟骨肥大分化の最も特異的な分化マーカーである10型コラーゲンのmRNA発現を分析するためにリアルタイムRT-PCRによる検討を行った。 Ad-caLEF-1を導入したものとLiCl処理は10型コラーゲン発現を増加させた。これに対して、Ad-dnLEF-1とAd-siβ-cateninを導入したものはLiCl処理にも関わらず、10型コラーゲン発現を抑制した。これらのデータより、古典的Wntシグナル、は軟骨肥大分化を促進していることが示唆された。

軟骨細胞の肥大化を形態学的に解析するためにATDC5細胞とプライマリーのマウス肋軟骨細胞を包埋したアルジネートピーズをHE染色し、組織学的に評価した。Ad-caLEF-1を導入したものとLiCl処理は明らかな細胞の肥大化がみられたのに対して、Ad-dnLEF-1とAd-si・-cateninを導入したものはLiCl処理にも関わらず、細胞の肥大化が抑制された。これらのデータより、古典的Wntシグナルは軟骨細胞の形態的な変化(肥大化)に影響を与えていることが示唆された。さらにこれらのアルジネートピーズを免疫組織学的に解析すると、10型コラーゲンのmRNA発現に合致して、 1O型コラーゲンの蛋白発現がみられた。これらのデータより、古典的Wntシグナルが少なくとも一部は、直接的に軟骨細胞の肥大化を促進していることが示唆された。

Sox9は軟骨分化と肥大化の調節に必須の因子であることから、古典的Wntシグナルによる軟骨分化と肥大化の促進はSox9依存的であるかどうかを詳細に検討するためにSox9ノックアウトES細胞を用いた解析を行った。野生型のES細胞に対して、Ad-caLEF-1を導入したり、LiClを加えたりした場合、7日間で2型コラーゲン、10型コラーゲン発現が増加し、Ad-dnLEF-1とAd-si・-cateninを導入したものはLiCl処理にも関わらず、2型コラーゲン、10型コラーゲンの発現が抑制された。これに対してSox9ノックアウトES細胞に対してAd-caLEF-1を導入したり、LiClを加えたりしたものはいずれのマーカーの発現も誘導されなかったSox9ノックアウトES細胞をSox9発現アデノウイルスで救済すると2型コラーゲンと10型コラーゲンのmRNA発現が共に誘導された。これらのSox9ノックアウトES細胞を用いた実験結果より古典的Wntシグナルによる軟骨分化促進作用はSox9依存性であることが示唆された。

なお、論文題目提出時には、『軟骨形成誘導シグナルの解析-Wntシグナルの軟骨分化に対する作用と軟骨分化誘導薬の探索および作用機序の解析-』であったが、第2章における軟骨分化誘導薬の探索および作用機序の解析の公表の時期や特許の問題より、審査会において話し合いの結果、本論文より削除することになった。そのため、題目の変更を行い、『Wntシグナルの軟骨分化に対する作用解析』とした。

以上、本論文は、古典的Wntシグナルは軟骨内骨化においてSox9依存性に軟骨分化・肥大化を促進することを明らかにした。この知見は軟骨分化シグナルネットワークを解明する手がかりになり、さらに軟骨分化の異常が引き起こす変形性関節症などを含む様々な疾患の病態生理の理解と将来の治療法の開発に役立つことが期待され、学位の授与に値するものと考えられる。

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