学位論文要旨



No 121483
著者(漢字) 井上,裕治
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ユウジ
標題(和) 網膜変性症に対する組織幹細胞移植療法の基礎的検討
標題(洋)
報告番号 121483
報告番号 甲21483
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2731号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 戸,毅
 東京大学 教授 黒川,峰夫
 東京大学 助教授 河崎,洋志
 東京大学 助教授 天野,史郎
 東京大学 講師 相原,一
内容要旨 要旨を表示する

網膜色素変性症は、視細胞あるいは網膜色素上皮の機能が障害され、視細胞の変性に至る疾患である。遺伝性の疾患であるが、原因遺伝子は多様であり、本邦での発症率は3000人に1人といわれている。厚生労働省の疫学調査においても失明原因の4位を占めており、未だ効果的な治療法は存在していない。しかし、光を受容する視細胞は障害されるが、視細胞から信号が伝達される2次ニューロンである双極細胞以下の神経回路網はある程度保たれているので、視細胞に代わる光受容器により適切な光応答シグナルを発生し、そのシグナルを双極細胞に伝達することが出来れば、視機能が回復する可能性がある。また視細胞が残存する病期では、現存する視細胞の変性を抑制することで、視機能を維持できる可能性がある。本研究では、網膜変性症に対する組織幹細胞移植療法を基礎的に検討した。

幹細胞とは、自己複製能を有し、多分化能がある細胞と定義される。また、それに加え障害された組織を修復する組織修復能を有すると定義されることもある。幹細胞には大きく分けて、胚性幹細胞(ES細胞)と組織幹細胞の2種類が存在し、組織幹細胞の中には多能性組織幹細胞という特殊な幹細胞が含まれる。本研究では、網膜の組織幹細胞として報告された成体毛様体上皮由来網膜幹/前駆細胞(本研究では、厳密には幹細胞と前駆細胞との区別が不可能である場合には幹/前駆細胞と記載する)および多能性組織幹細胞である骨髄間葉系幹細胞を含有する骨髄間質細胞を用いた。

組織幹細胞とは、少なくともその組織由来の細胞系譜に分化できる多分化能を持つ細胞である。近年成体組織において多くの組織に存在することが明らかとなり、臨床応用が期待されている。網膜においても成体マウス、ラットより、毛様体上皮由来の網膜幹/前駆細胞が同定された。しかし、その他の種においては網膜幹/前駆細胞の同定の報告はない。そこでまず、本研究では大きな眼球を持ち、解析が容易であるウサギおよびサルより網膜幹/前駆細胞の取得をスフェア法によって試みた。また、改良したスフェア法を用いて、ウサギ網膜幹/前駆細胞を同定し単一クローンレベルで性状を解析した。

また、ウサギ毛様体上皮より取得した網膜幹/前駆細胞を用いて、網膜変性症モデルラット網膜下に細胞移植を行い、細胞移植療法による網膜変性に対する変性抑制効果を検討した。幹細胞を用いた細胞移植療法により以下の2つのメカニズムで、網膜変性を抑制する可能性がある。一つは移植された細胞が直接損傷された細胞に分化し、その機能を代償するメカニズムである。もう一つは移植された幹細胞が各種因子を分泌し、周囲の細胞を保護する効果を発揮するメカニズムである。実際には、2つの効果を厳密に分離する事は不可能であり、両者のメカニズムがともに関与する可能性がある。

本研究で用いた骨髄間質細胞は、骨髄から簡単に取得でき、神経系の細胞への分化能を持ち、神経保護作用を持つことも報告されている。本研究では、骨髄間質細胞の視細胞への保護効果を検討し、また、網膜変性モデルラットの網膜下に細胞移植を行い、網膜変性に対する変性抑止効果を検討した。

網膜幹/前駆細胞の同定にはスフェア法を用いた。スフェア法では、無血清培地に細胞増殖因子を添加した培地で、浮遊培養系で培養を行い、増殖能を持った細胞が存在すると細胞が球状に増殖し、スフェアと呼ばれる細胞塊を形成する。形成されたスフェアを単一細胞に分離し、再度浮遊培養すると同様に一部の細胞が再増殖し、スフェアを形成する。また、分化誘導培地で培養を行うと、多様な細胞系譜に分化する。このように増殖能、分化能を持つ未分化な細胞を選択的に取得する方法である。

ウサギ網膜周辺部組織から単離した細胞をスフェア法で培養すると、マウスやラット同様に毛様体上皮からのみスフェアが形成された。また、通常のスフェア法では、スフェアを形成する段階で細胞凝集が起こる可能性があるので、メチルセルロースを培地に添加し、ゲル状にした培地を使用し、細胞凝集によらずにスフェアを形成する系を確立した。形成されたスフェアでは、BrdUの取り込みにより細胞の増殖が確認され、ChxlOの発現により網膜前駆細胞の存在が確認された。

また、得られた1次スフェアの形成率はマウスより低く、増殖能も低かった。スフェアを分化条件下で培養すると、各種網膜細胞に特異的なマーカー、GRK1a/b(視細胞)、PKC(双極細胞)およびvimentin(ミューラー細胞)を発現した。また、RT-PCR法により網膜細胞特異的なマーカーの発現を検討した。網膜細胞および分化させたスフェアではすべてのマーカーが発現していたが、1次スフェアではすべてのマーカーに発現が認められなかった。スフェアは網膜細胞に比べて未分化な細胞の集まりであり、その未分化な細胞は各種網膜細胞に分化可能であると考えられた。

次にクロノジェニックに増殖したスフェア一つ一つの分化能を検討した。神経系およびグリア系への分化能を検討すると、7割以上のスフェアがどちらかのマーカーしか発現せず、2割強だけが神経およびグリア両方のマーカーを発現していた。スフェア法で取得されるスフェア形成細胞は雑多であり、1種類の細胞への分化能しか持たない細胞は、増殖能も低く、多分化能を持つ細胞は増殖能も旺盛で、経代可能と報告されている。本研究においても、一つの1次スフェアから2次スフェアが形成されたのは13.6%であり、2分化能を持つスフェアが2割ということと合わせると、2割程度の細胞がより未分化な幹/前駆細胞であり、残りは分化の運命が既に決定されており、増殖能も限られている前駆細胞である可能性が高い。

サルにおいても同様に、毛様体上皮からスフェアが形成されたが、色素細胞を含んだスフェアのみ2次スフェアを形成した。2次スフェアも色素細胞を含んでおり、スフェア形成細胞は毛様体色素上皮細胞由来の細胞と考えられた。得られた1次スフェアを分化条件下で培養し、分化させると、2種類の形態を持った細胞が出現した。神経様の細胞はMAP2(神経細胞)、GFAP(グリア)およびopsin(視細胞)の発現が認められ、上皮様の細胞は、pancytokeratin(上皮)が認められた。サルでは、毛様体上皮由来網膜幹/前駆細胞が網膜色素上皮細胞への分化能を持つことが示唆された。このように動物種により毛様体上皮由来網膜幹/前駆細胞の性質は違いがあると考えられた。

次に、得られた成体ウサギ毛様体上皮由来スフェアを用いて細胞移植実験を施行した。正常の成体網膜には移植細胞が生着しないと報告されているので、網膜変性症モデルラットの一つであるRCSラットをレシピエントとして用いた。成体ウサギ毛様体上皮より取得した1次スフェアを酵素処理により単一にし、4週齢のRCSラット網膜下に移植した。移植2、4、8週後に、視細胞の核から形成される外顆粒層の細胞数により、網膜変性の進行を組織学的に評価したが、sham手術眼に比較して外頼粒層の細胞数には有意差は認められず、効果は限定的であった。

そして、骨髄間質細胞の網膜変性に対する変性抑止効果を検討した。

まず、マウス大腿骨および頚骨より骨髄間質細胞をDexter法により取得した。得られた細胞を分化条件下で培養し、脂肪細胞、骨芽細胞、神経細胞への分化能を有することを確認し、既報と同様の骨髄間質細胞が取得されることを確認した。

骨髄間質細胞の網膜細胞への神経保護効果を調べるために、骨髄間質細胞の培養上清を用いて、視細胞あるいは視細胞前駆細胞特異的にβgalが発現するマウス新生仔網膜を培養した。培養上清を加えた群は、培養上清を加えない群に比べて、網膜細胞の生存率が有意に高く、またβgalの発現量が有意に高く、骨髄間葉系幹細胞培養の培養上清には網膜細胞に対して、またその中でも少なくとも視細胞あるいは視細胞前駆細胞に対しては増殖促進作用あるいは細胞死抑制作用があると考えられた。

また、得られた骨髄間質細胞を同様にRCSラットに移植した。移植による網膜変性に対する抑制効果は、組織学的および電気生理学的に検討した。

組織学的には、移植4、8週後には移植した眼球における移植側網膜の周辺部外顆粒層が、sham手術眼に比較して有意に残存していた。また、網膜電図による電気生理学的検討においても、記録した全個体で、網膜電図により計測される網膜機能は、移植した左眼がsham眼よりも残存していた。また、RCSラットの網膜変性の病期をERGの波形によって分類し評価した。移植後5週および8週後において、移植眼ではsham眼に比較して有意に網膜変性の進行が機能的に抑制されていた。ただし、移植後5週と8週の病期を比較すると、8週齢の方が病期が進行しており、骨髄移植により網膜の変性の進行は抑制はされるが、停止するわけではないと考えられた。組織学的および電気生理学的にも、骨髄間葉系幹細胞の網膜下移植眼において、移植4、5週および8週の時点でsham手術眼に比較し視細胞の変性が抑制されていると考えられた。

幹細胞の細胞移植療法によって、RCSラットの視細胞変性を抑制した報告は、本研究が最初の報告である。In vitroで培養上清を添加するのみで視細胞数の増加が認められ、移植眼においては移植部位のみならずその周辺部まで視細胞保護効果を認める事等から、invivoでの網膜変性抑制作用は、移植細胞から放出される因子の残存している視細胞に対する変性抑止作用によるものではないかと推察された。しかし移植眼においても視細胞の変性は経時性の進行が認められ、細胞移植の効果は現時点では未だに限定的であると思われた。今後は、骨髄間質細胞の放出する変性抑制作用を有する因子の同定、および変性抑制の機序の解明が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、本邦での失明原因の4位を占めている網膜色素変性症における新しい治療法を開発するため、網膜幹/前駆細胞をウサギおよびサルより同定し性状解析を行い、その細胞および骨髄間質細胞を用いて細胞移植療法を試みたものであり、下記の結果を得ている。

ウサギ網膜周辺部組織から単離した細胞をスフェア法で培養すると、毛様体上皮からのみスフェアが形成された。また、メチルセルロースを培地に添加したゲル状の培地を使用し、細胞凝集によらずにスフェアを形成する系、すなわち網膜幹/前駆細胞をクロノジェニックに増殖させる系を確立した。

得られたスフェアは増殖能を持ち継代可能であり、分化させると各種網膜細胞に特異的なマーカーを発現した。また、クロノジェニックに増殖したスフェア一つ一つの分化能を検討した。神経系およびグリア系へ両方に分化可能であったスフェアは2割強だけであり、加えて、一つの1次スフェアから2次スフェアが形成されたのは13.6%であるので、2割程度の細胞がより未分化な幹/前駆細胞であり、残りは分化の運命が既に決定されており、増殖能も限られている前駆細胞である可能性が高いと考えられた。

サルにおいても同様に、毛様体上皮からスフェアが形成されたが、色素細胞を含んだ毛様体色素上皮細胞由来と考えられるスフェアのみ2次スフェアを形成した。得られた1次スフェアを分化させると、神経細胞や視細胞のマーカーの発現が認められる神経様の細胞と、上皮細胞のマーカーの発現が認められる上皮様の細胞が認められた。サルにおいても、毛様体上皮に網膜幹/前駆細胞が存在し、感覚網膜細胞だけではなく網膜色素上皮細胞への分化能を持つことが示唆された。

成体ウサギ毛様体上皮由来スフェアを網膜変性症モデルラットの一つであるRCSラット網膜下に細胞移植したが、網膜変性抑止効果は限定的であった。

マウス骨髄間質細胞のマウス新生仔網膜細胞への神経保護効果を、骨髄間質細胞の培養上清を用いて検討すると、骨髄間質細胞の培養上清に新生仔網膜細胞やその一部である視細胞あるいは視細胞前駆細胞に対して、増殖促進作用あるいは細胞死抑制作用があると示唆された。

骨髄間質細胞をRCSラット網膜下に移植し、網膜変性に対する変性抑止効果を検討した。組織学的および網膜電図による電気生理学的に検討すると、移植後5週および8週後において、sham眼に比較して移植眼では網膜変性が抑制されていると示唆された。

以上、本論文はウサギ網膜幹/前駆細胞を毛様体上皮細胞より同定し、クロノジェニックに解析を行い、その性状を明らかとした。サルにおいても網膜幹/前駆細胞を同定し、その性状を明らかとした。また、骨髄間質細胞の網膜下細胞移植療法により、網膜変性モデル動物に対し、網膜変性抑制効果が認められた。本研究では、未だに治療法のない網膜変性症の新しい治療法開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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