学位論文要旨



No 121484
著者(漢字) 三嶋,弘一
著者(英字)
著者(カナ) ミシマ,コウイチ
標題(和) 胚性幹(ES)細胞から血管系細胞への分化の分子機構の解析
標題(洋)
報告番号 121484
報告番号 甲21484
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2732号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 宮田,哲郎
 東京大学 助教授 天野,史郎
 東京大学 客員助教授 佐田,政隆
 東京大学 客員助教授 小山,博之
内容要旨 要旨を表示する

胚性幹(ES)細胞は多分化能を持つ全能性の幹細胞であり、ES細胞から様々な細胞・組織への分化誘導、およびその分子機構が精力的に研究されている。近年、マウスES細胞由来のFlk-1(血管内皮細胞増殖因子2型受容体(Vascular Endothelial Growth Factor Receptor 2; VEGFR2))陽性細胞が血管内皮細胞、血管壁細胞の両者に分化し、血管系の前駆細胞(vascular progenitor cell; VPC)として機能することが報告された。このES細胞のin vitro血管分化系では、血管系細胞の分化のみを解析できるため、主にこの系を用いて下記の研究を行った。

第一部:ES細胞由来血管前駆細胞に対するTransforming growth factor-β(TGF-β)シグナルの効果

血管発生、および血管新生は胎生期における循環器系の形成や、成熟個体における創傷治癒や性周期に応じた黄体形成などの生理的現象に関与しているだけでなく、固形腫蕩の増殖、転移や糖尿病網膜症などの病態形成においても重要な役割を果たしている。TGF-βシグナルは、そのシグナル伝達因子の欠損により血管発生の異常を引き起こすことから、血管形成において重要な役割を果たすことが知られているが、その分子メカニズムには未解明な部分が多い。そこで私は血管前駆細胞からの血管内皮・壁細胞の分化・増殖に対するTGF-βシグナルの役割を解析するため、ES細胞由来Flk-1陽性細胞からのin vitr。血管分化系を用いて検討した。

ES細胞由来の血管内皮細胞および壁細胞におけるTGF-βシグナル伝達因子の発現をRT-PCR法にて検討したところ、TGF-βのシグナル伝達に必要な分子をすべて発現していることを確認した。Flk-1陽性細胞をVEGF-A存在下にて培養するとシート状の血管内皮細胞と壁細胞へと分化する。そこにTGF-βを添加すると血管内皮細胞のシート形成が阻害され、血管内皮細胞と壁細胞の増殖が抑制された。また、内因性TGF-βシグナルを抑制するため、Activin receptor-like kinase (ALK)-4、5、7受容体の特異的阻害剤であるSB-431542を添加することで内皮細胞の増殖およびシート形成が促進された。

内皮細胞シート構造形成に対するTGF-βシグナルの効果における分子メカニズムを解析するため、細胞間接着分子の発現を解析したところ、血管内皮細胞特異的なタイトジャンクション構成因子であるclaudin-5の発現がTGF-βシグナルにより負に制御されることをRNAレベルおよび蛋白レベルで確認した。また、蛍光染色によりTGF-βにより内皮細胞間におけるclaudin-5の局在が認められなくなり、SB-431542により内皮細胞間でのclaudin-5の局在が増強した。他のタイトジャンクション関連分子の発現はTGF-βシグナルにより変化を認めなかったため、TGF-βはclaudin-5の発現調節を介して内皮シート形成を制御することが示唆された。

マウス個体における血管発生過程におけるTGF-βシグナルの影響を検討するため、胎生8.5日マウス胎仔由来Flk-1陽性細胞におけるTGF-βおよびSB-431542の効果を検討した。その結果、TGF-βにより内皮細胞の増殖およびシート形成が阻害され、SB-431542の添加により内皮シート形成が促進された。このことからマウス胎仔由来VPCにおいてもTGF-βシグナルは内皮細胞の増殖とシート形成を阻害することが示された。

次にTGF-βによるclaudin-5発現調節機構を解析するために、マウスclaudin-5プロモーターの解析を行った。マウスclaudin-5プロモーターのdeletion constructを作製し、ES細胞由来血管内皮細胞を用いたluciferase assayにて検討した結果、転写開始点より上流933bpの遺伝子領域を含む-933cld5/Lucでは内皮細胞での高い活性が認められ、かつTGF-βによる抑制効果も認められたのに対し、転写開始点より上流848bpの遺伝子領域を含む-848cld5/Lucでは活性が認められなかった。-933から-759までの領域(以下、-933/-759領域と表す)をSV40プロモーターに結合したレポーター遺伝子を作製し、解析を行った結果、-933/-759領域は内皮細胞において高いプロモーター活性を示し、かつTGF-βによる抑制効果も認められた。また、-933/-759領域はヒトとマウスの間で93.8%と高い相同性を持つことが示された。

以上よりマウスES細胞およびマウス胎仔由来血管前駆細胞においてTGF-βは内皮細胞の増殖とシート形成を阻害することが示され、その分子機構のひとつとしてclaudin-5の転写レベルでの発現調節が示唆された。また、マウスclaudin-5プロモーターの-933/-759領域は血管内皮細胞特異的エンハンサーとして働く可能性が考えられ、またTGF-β応答領域を含むことが示唆された。

第二部:ES細胞由来血管前駆細胞およびヒト臍帯静脈内皮細胞(human unbilical vein endothelial cell;HUVEC)における転写因子Proxlの機能解析

リンパ管は血管とともに生体内の恒常性の維持、代謝、免疫応答など生理的に重要な役割を担っているだけでなく、悪性腫瘍の転移などの病的状態にも関与していることが示唆されている。しかし、リンパ管の発生・新生を調節する分子機構には未解明な部分が多い。ホメオボックス転写因子Proxlは脈管系においてはリンパ管内皮細胞に特異的に発現し、そのノックアウトマウスにおいて静脈からのリンパ管の発芽が停止することから、リンパ管の発生に必須の転写因子であることが知られているが、その分子機構には不明な点が多い。そこで、Proxlがリンパ管内皮分化において果たす細胞生物学的機能およびその分子メカニズムの解明を目的とし、ES細胞由来血管分化系およびHUVECを用いて検討した。

テトラサイクリン(Tc)発現誘導システムを用いて、Tc非存在下にてのみProxlを発現するES細胞株(Tc-Proxl)を樹立した。この細胞から抽出したFlk-1陽性細胞をTc存在、非存在下にて4日間培養し、蛍光免疫染色にて解析した結果、Proxlを発現させることにより、ES細胞由来内皮細胞においてリンパ管マーカーであるVEGFR3およびPodoplaninの発現が増強することが確認された。HUVECにおいてもアデノウィルスを用いてProxlを発現させることにより、VEGFRF3およびPodoplaninの発現が増強することが認められた。VEGF-AおよびVEGF-Cに対する走化性をHUVECにて検討した結果、Proxlを発現させた細胞ではVEGF-Cに対する走化性が亢進していた。リンパ管発生過程において、静脈からProxl陽性内皮細胞がVEGF-Cに対して遊走することで原始リンパ嚢が形成されることが知られているが、ProxlによるVEGFR3の発現増強がその分子機構であることが示唆された。近年、成熟個体においてPlatelet-derived growth factor (PDGF)シグナルによりリンパ管新生を起こし得ることが報告された。ES細胞由来血管細胞およびHUVECにおいてPDGFRの発現を検討したところ、HUVECにおいてProxlによりPDGFRβの発現亢進が認められたが、ES細胞由来血管細胞では発現に変化は見られなかった。

Proxlを発現させることでES細胞由来内皮細胞およびHUVEC両者において内皮シート形成が阻害され、細胞運動性が亢進することが観察された。VEGFR3特異的阻害剤などによるVEGFR3シグナル阻害下においてもこれらの現象が認められたことから、VEGFR3シグナルの関与はないものと考えられた。Angiopoietin(Ang)/Tie-2シグナルに着目し、発現を検討したところ、ES細胞由来内皮細胞およびHUVEC両者においてProxlによりAng-2の発現が亢進することが確認された。Proxlによる内皮シート形成阻害効果への関与を検討するため、外因性Ang-2リガンドの効果を検討したが、ES由来内皮細胞において内皮シート形成は阻害されなかったため、Ang-2の関与は否定的であると考えられた。一方、integrinの発現を検討した結果、Proxlによりintegrin α9の発現が亢進し、integrin α5の発現が抑制されることがわかった。さらに、抗integrin α9中和抗体によりProxlによるHUVECの運動性亢進が抑制されたため、integrin α9の発現亢進がProxlによる内皮シート形成阻害および運動性亢進のメカニズムのひとつであると考えられた。ヒトリンパ管内皮細胞においてProxlノックダウンにより、VEGFR3、PDGFRβ、integrin α9の発現が抑制されたことから、内在性Proxlによりこれらの分子の発現が維持されていることが確認された。以上より、Proxlは血管内皮細胞において、VEGFR3、PDGFRβ、integrin α9などの発現を調節することで、内皮細胞の運動性や走化性を調節し、リンパ管発生・新生において重要な役割を果たしていることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は再生医療における様々な組織・細胞の供給源として注目されている胚性幹(ES)細胞を用いたinvitro血管分化系においてTGF-βシグナルの役割、および転写因子Proxlの効果について解析を試みたものであり、以下の結果を得ている。

TGF-βにより、ES細胞由来の血管内皮細胞の増殖が抑制され、シート形成が阻害された。また、TGF-βI型受容体特異的なキナーゼ阻害剤であるSB-431542により内因性のTGF-βシグナルを阻害することにより、ES細胞由来の血管内皮細胞の増殖とシート形成が促進された。

ES血管分化系における細胞間接着分子の発現解析から、TGF-βシグナルによりタイトジャンクション接着分子であるclaudin-5の発現が抑制されることが確認され、TGF-βによる内皮シート形成阻害の分子メカニズムの一つであることが示唆された。

マウスclaudin-5のプロモーター解析を行った結果、マウスclaudin-5プロモーター内の転写開始点より上流933塩基から759塩基までの領域(-933/-759領域)がES細胞由来血管内皮細胞におけるプロモーター活性に必要かつ十分であることが示された。また、上記領域においてTGF-β応答性が認められた。

複数の異なる細胞種を用いた検討より、マウスclaudin-5プロモーター内の-933/-759領域は内皮細胞特異的なプロモーター活性を持つことが示唆された。

ホメオボックス転写因子ProxlをES細胞由来血管前駆細胞に発現させ、invitroにおいて分化させたところ、Proxlにより、ES細胞由来血管内皮細胞においてリンパ管内皮マーカーであるVEGFR3、Podoplaninの発現が亢進することが確認された。

ヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)にProxlを発現させることで、血管内皮マーカーであるVEGFR2、VE-cadherinの発現が減弱し、リンパ管内皮マーカーであるVEGFR3、Podoplaninの発現が亢進した。

HUVECにおいてリガンドに対する走化性を検討した結果、Proxl発現によりVEGF-Aに対する走化性が減少し、VEGF-Cに対する走化性が亢進することが示された。

HUVECにおいてProxlによりPDGFRβの発現が亢進し、PDGF-BBに対する走化性が亢進したが、ES由来血管細胞においてProxlはPDGFRβの発現を誘導しないことが示された。

ES由来血管細胞およびHUVECにおいてProxlを発現させることにより内皮シート形成が阻害され、運動性が亢進した。中和抗体を用いた検討より、その分子メカニズムの一つとしてProxlにより発現増強が認められたintegrin α9の関与が考えられた。

1ヒト皮膚由来リンパ管内皮細胞におけるProxlノックダウンによる検討から、内在性のProxlにより、VEGFR3、PDGFRβ、integrin α9の発現が維持されていることが確認された。

以上、本論文は(1)ES細胞からの血管分化においてSB-431542により内因性TGF-βシグナルを阻害することによりclaudin-5の発現増強を介して内皮細胞シート形成が促進されること、(2)転写因子ProxlによりES細胞由来血管内皮細胞のリンパ管内皮への分化が誘導されること、(3)ProxlはVEGFRやintegrinの発現を制御することで細胞の運動性や走化性を調節すること、の三点を明らかにした。本研究はTGF-βシグナルの血管再生医療への応用や、リンパ管再生医療、抗リンパ管新生療法の確立に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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