学位論文要旨



No 121488
著者(漢字) 武田,憲治
著者(英字)
著者(カナ) タケダ,ケンジ
標題(和) 神経因性疼痛の成立および維持と脊髄グリア細胞 : 抗炎症薬を用いた行動学的および免疫組織化学的研究
標題(洋)
報告番号 121488
報告番号 甲21488
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2736号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 教授 中村,耕三
 東京大学 助教授 林田,眞和
 東京大学 助教授 川原,信隆
 東京大学 講師 鎭西,美栄子
内容要旨 要旨を表示する

近年、術後痛などの急性痛は、オピオイド、消炎鎮痛薬、各種神経ブロックなどを駆使して良好な鎮痛が図られるようなってきた。慢性痛はそれ自体がひとつの疾病であり、基礎となる病態が除去されたにもかかわらず痛みが遷延するものを指すが、一般的にそのコントロールは急性痛のそれより難しい。特に神経の直接的損傷に起因し、創傷治癒後も侵害刺激が無くても異常な疼痛が持続する神経因性疼痛は、その発症および維持のメカニズムが複雑で未だ有効的な治療法が確立されていない。

抗炎症薬は、ステロイド性抗炎症薬(糖質コルチコイド;コルチコステロイド)と非ステロイド性抗炎症薬(non-steroidal anti-inflammatory drugs;NSAIDs)に分類される。内因性の糖質コルチコイドやステロイド性抗炎症薬は細胞の核内に入ってリポコルチン蛋白の生合成を高め、アラキドン酸カスケードで機能するホスホリパーゼA2の作用を阻害することによりアラキドン酸の遊離を抑制し、アラキドン酸カスケードによって生じ多彩な薬理作用を示す種々の炎症性ケミカルメディエータの生成を抑制することで抗炎症作用を発揮する。

NSAIDsの薬理作用は、鎮痛、消炎、解熱、抗血小板作用であるが、これらのうち鎮痛作用は臨床的にも最も有用である。アラキドン酸からプロスタグランジンH2(PGH2)への転換を律速する酵素はシクロオキシゲナ-ゼ(cyclooxygenase;COX)と呼ばれ、COX-1とCOX-2の2種類のアイソフォームがある。COX-1は生体内のほとんど全ての組織に存在し各種臓器の生理機能の維持に重要な役割をもつPGsを合成するのに対し、COX-2は刺激を受けていない正常な細胞にはほとんど存在せず、炎症や外傷によって組織細胞中で大量に誘導されて炎症部位局所のPGs産生を促進する。一般的に、NSAIDsによる消化管粘膜障害や腎障害などの副作用発現はCOX-1阻害作用に起因し、抗炎症作用はCOX-2の阻害作用に起因するものと考えられている。COX-2選択的阻害薬による鎮痛は理論的には消化管粘膜障害や血小板凝集抑制腎障害などのCOX-1阻害に起因するとされる副作用を引き起こすことがないため、新たな鎮痛薬として臨床でも注目されている。

これまで、グリア細胞の機能は神経細胞の単なる支持組織および栄養機能のみであり細胞間シグナル伝達機能を持たないと考えられてきたが、最近の研究では、慢性病的疼痛状態の成立と維持への関与、神経細胞との相互作用による神経細胞活動の制御などの新たな機能が指摘されている。グリア細胞はウイルスやバクテリアの感染、疼痛伝達ニューロンから放出されるNO、PGs、フラクタルカイン(fractalkine)、一次求心性ニューロンから放出されるサブスタンスP,輿奮性アミノ酸(EAAs),アデノシン5'-三リン酸(ATP)等により活性化され、活性化されたグリア細胞からはIL-1、IL-6、組織壊死因子(TNF)などの炎症性サイトカインやNO,PGs,EAAs等が分泌され、これらがさらに疼痛伝達ニューロンや一次求心性ニューロンの興奮性を高めてサブスタンスPやEAAsの放出を促す、という一連のサイクルが考えられている。種々の神経因性疼痛動物モデルにおいて脊髄後角グリア細胞が活性化されることから、急性末梢組織炎症から慢性神経損傷まで様々な病的疼痛状態の成立と維持への脊髄グリア細胞機能の関与が指摘されている。

本研究は、神経因性疼痛の成立と維持の機序について検討するとともに臨床的な治療戦略の基礎データを得ることを目的とした。

まず始めに、脊髄神経結紮による神経因性疼痛モデルラットを用いて、メチルプレドニゾロンが神経因性疼痛の成立および維持を抑制するかどうか、また、GFAP免疫染色により示される脊髄アストロサイトの活性化を抑制するかどうかについてその効果を検討した。脊髄神経結紮直後から7日間のメチルプレドニゾロン持続全身投与および持続髄腔内投与では、ともに神経因性疼痛(アロディニア、熱性痛覚過敏)に起因する病的疼痛行動と脊髄アストロサイトの活性化が有意に抑制された。脊髄神経結紮直後からのメチルプレドニゾロン全身投与および髄腔内投与により神経因性疼痛の成立が抑制されることが分かった。次に、脊髄神経結紮後7日目(すでに神経因性疼痛が成立した状態)から3日間メチルプレドニゾロンを持続髄腔内投与し、その後21日間の経過を追った。脊髄神経結紮後7日目にみられた神経因性疼痛および脊髄アストロサイトの活性化は、3日間のメチルプレドニゾロン髄腔内投与により有意に抑制され、その効果は少なくともその後21日間持続した。神経因性疼痛成立後からの3日間のメチルプレドニゾロン髄腔内投与により神経因性疼痛の維持が抑制されることが分かった。メチルプレドニゾロン全身投与は神経結紮部位局所に作用している可能性もあるが、ごく少量のメチルプレドニゾロンの持続髄腔内投与によっても神経因性疼痛が抑制されたことから、主要な作用部位は脊髄であると考えられた。脊髄におけるメチルプレドニゾロンは神経因性疼痛の成立およびすでに存在する神経因性疼痛の維持に関与している可能性があり、脊髄でのPGsや炎症性サイトカイン類の産生を抑制し脊髄アストロサイトの活性化を弱め、最終的に神経因性疼痛状態の成立と維持が抑制されたものと考えられる。神経因性疼痛が抑制されたことによりアストロサイトの活性化が抑制されたという可能性も否定はできないが、脊髄神経結紮直後からのステロイド持続全身および髄腔内投与、また神経因性疼痛成立後からのステロイド持続髄腔内投与により、病的疼痛行動の軽快と脊髄の活性化アストロサイトの抑制が同時に見られることを明らかにし、それらの間に密接な、因果関係も含めた関連性が存在することを強く示唆した点において、本実験の結果は極めて意義深いものと考えられる。髄腔内投与は全身投与に比べ極めて少ない投与量で鎮痛効果が期待できるため全身性の副作用を惹起しにくく、その有用性は高いと思われた。薬物効果が持続する点において、間欠投与より持続投与のほうが有利なのかもしれない。

次に、同様な方法を用いてCOX-2選択的阻害薬(メロキシカム)が神経因性疼痛の成立および維持を抑制するかどうか、また脊髄アストロサイトの活性化を抑制するかどうかについてその効果を検討した。脊髄神経結紮直後から7日間のメロキシカム持続髄腔内投与では病的疼痛行動と脊髄アストロサイトの活性化が有意に抑制された。神経因性疼痛状態の成立においては、COX-2による脊髄PGs産生が中心的な役割を担っている可能性があり、また、直接的もしくは間接的に脊髄グリア細胞を活性化することで中枢性の痛覚過敏に関与するのではないかと推測される。脊髄神経結紮直後からのCOX-2阻害薬の持続髄腔内投与により、病的疼痛行動の軽快と脊髄の活性化アストロサイトの抑制が同時に見られることを明らかにした点において、本実験の結果は極めて興味深いものである。脊髄神経結紮後7日目から7日間のメロキシカム髄腔内投与では病的疼痛行動も脊髄アストロサイトの活性化も抑制されなかった。脊髄COX-2は成立した神経因性疼痛の維持には関与しないようである。中枢性の感受性増大はステロイドによって抑制されるが脊髄COX-2では抑制されない要素、例えば炎症性サイトカイン類,COX-1を介して産生されるPGsなどによって維持されている可能性がある。脊髄神経結紮後7日目から7日間のメロキシカム持続全身投与では、病的疼痛行動は部分的に抑制されたが脊髄アストロサイトの活性化は抑制されなかった。COX-2により産生されるPGsは、病的疼痛状態を維持するために末梢において何らかの役割を担っているものと考えられる。病的疼痛状態の成立過程でCOX-2阻害薬の持続髄腔内投与を開始するとその成立を抑制し、この段階でのCOX-2の関与を示唆した一方で、すでに病的疼痛状態が存在する状態下でCOX-2阻害薬の持続髄腔内投与を開始しても無効であり、脊髄におけるCOX-2は神経因性疼痛の維持には関与していないことを示したのは本研究が最初であり、本実験で得られた結果は非常に有意義である。さらに、神経因性疼痛成立後からのCOX-2阻害薬の全身投与は、神経因性疼痛に起因する疼痛行動を抑制したが脊髄アストロサイトの活性化を抑制ないという所見を同時に観察し、すでに成立した神経因性疼痛の維持に、脊髄のCOX-2は関与しないが末梢のCOX-2が部分的に関与する可能性を明確に提示した本実験の意義は大きい。COX-2阻害薬も、薬物効果が持続する点において間欠投与より持続投与のほうが有利なのかもしれない。

ステロイド性抗炎症薬およびCOX-2選択的阻害薬ともに、投与開始時期、投与経路および投与方法によっては全身投与より格段に少ない用量で鎮痛効果を発揮でき、胃腸障害や腎障害、血液凝固能障害などの用量依存性副作用発現を抑制できる点においても有用であり、今後さらなる研究が期待される。

慢性病的疼痛の成立と維持に関与するであろう脊髄グリア細胞の機能に着目することで、例えば脊髄における炎症性サイトカインや活性化グリア細胞を標的とした新薬の開発など、神経因性疼痛を始めとするこれまで治療に困難を極めている慢性痛に対する非ニューロン的な新たな治療法や予防法が確立される可能性が考えられ、また、これまで機序不明であった各種治療法の作用メカニズムのさらなる解明などが大きく期待される。

本研究により得られた結果は、現在も治療に難渋を極めている神経因性疼痛に対する臨床的な治療戦略の開発の一助となる基礎データとして、非常に有意義であると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、極めて難治性である神経因性疼痛の成立および維持の機序と脊髄グリア細胞機能の関与を検討するため、神経因性疼痛(脊髄神経結紮)モデルラットを作成し、抗炎症薬の持続全身投与および持続髄腔内投与を試みたものであり、下記の結果を得ている。

脊髄神経結紮直後から7日間のメチルプレドニゾロン持続全身投与および持続髄腔内投与により、ともに神経因性疼痛(アロデイニア、熱性痛覚過敏)に起因する病的疼痛行動と脊髄アストロサイトの活性化が有意に抑制された。脊髄神経結紮直後からのメチルプレドニゾロン全身投与および髄腔内投与により神経因性疼痛の成立が抑制されることが分かった。次に、脊髄神経結紮後7日目(すでに神経因性疼痛が成立した状態)から3日間メチルプレドニゾロンを持続髄腔内投与し、その後21日間の経過を追った。脊髄神経結紮後7日目にみられた神経因性疼痛および脊髄アストロサイトの活性化は、3日間のメチルプレドニゾロン髄腔内投与により有意に抑制され、その効果は少なくともその後21日間持続した。神経因性疼痛成立後からの3日間のメチルプレドニゾロン髄腔内投与により神経因性疼痛の維持が抑制されることが分かった。

脊髄神経結紮直後からのステロイド持続全身および髄腔内投与、また神経因性疼痛成立後からのステロイド持続髄腔内投与により、病的疼痛行動の軽快と脊髄の活性化アストロサイトの抑制が同時に見られることを明らかにし、それらの間に密接な.因果関係も含めた関連性が存在することを強く示唆した点において、本実験の結果は極めて意義深いものと考えられる。

脊髄神経結紮直後から7日間のメロキシカム(COX-2選択的阻害薬)持続髄腔内投与により、病的疼痛行動と脊髄アストロサイトの活性化が有意に抑制された。次に、脊髄神経結紮後7日目から7日間のメロキシカム髄腔内投与では病的疼痛行動も脊髄アストロサイトの活性化も抑制されなかった。また、脊髄神経結紮後7日目から7日間のメロキシカム持続全身投与では、病的疼痛行動は部分的に抑制されたが脊髄アストロサイトの活性化は抑制されなかった。

病的疼痛状態の成立過程でCOX-2阻害薬の持続髄腔内投与を開始するとその成立を抑制し、この段階でのCOX-2の関与を示唆した一方で、すでに病的疼痛状態が存在する状態下でCOX-2阻害薬の持続髄腔内投与を開始しても無効であり、脊髄におけるCOX-2は神経因性疼痛の維持には関与していないことを示したのは本研究が最初であり、本実験で得られた結果は非常に有意義である。さらに、神経因性疼痛成立後からのCOX-2阻害薬の全身投与は、神経因性疼痛に起因する疼痛行動を抑制したが脊髄アストロサイトの活性化を抑制ないという所見を同時に観察し、すでに成立した神経因性疼痛の維持に、脊髄のCOX-2は関与しないが末梢のCOX-2が部分的に関与する可能性を明確に提示した本実験の意義は大きい。

以上、本論文は難治性である神経因性疼痛の成立および維持に関する機序の一部と脊髄グリア細胞機能の関与を明らかにした。本研究は.これまで未知であった神経因性疼痛の成立および維持機序のさらなる解明と神経因性疼痛に対する臨床的な治療戦略の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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