学位論文要旨



No 121489
著者(漢字) 李,篪
著者(英字)
著者(カナ) リ,チ
標題(和) 各種疼痛モデルにおけるクロニジン軟膏末梢投与による鎮痛効果の検討
標題(洋) Analgesic Effects of Topical Application of Clonidine Creamin Different Pain Models of Rats
報告番号 121489
報告番号 甲21489
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2737号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,耕三
 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 助教授 林田,眞和
 東京大学 助教授 郭,伸
 東京大学 講師 鎭西,美栄子
内容要旨 要旨を表示する

【背景】 α2アドレナリン受容体作動薬は心血管系、内分泌系、運動行動系、疼痛受容系など、さまざまな生体の生理的機能に影響を及ぼす。クロニジンを代表とするα2アドレナリン受容体作動薬の鎮痛効果に関して、多数の研究報告がなされている。それによれば、α2アドレナリン受容体作動薬は、神経因性疼痛、炎症性疼痛、術後痛を含めた種々の疼痛に対して全身投与、あるいは脊髄投与によって強力な鎮痛効果を発揮する。しかし、その際、鎮静や血圧低下などの副作用がしばしば生じるためその有用性は限られている。一方、クロにジンの軟膏製剤の鎮痛特性についてはまだ検討されていない。軟膏製剤は、疼痛部位に薬物を高濃度に投与でき、しかも全身的副作用を軽減できる利点が考えられる。そこで今回、ラットの神経因性疼痛モデル、炎症性疼痛モデル、術後痛モデルにおいてクロニジン軟膏単回投与による抗痛覚過敏効果を行動科学的、及び免疫組織化学的に検討した。また、術後痛モデルにおいてはクロニジン軟膏反復投与による抗痛覚過敏効果の行動科学的検討も行った。

【方法】試験薬物として3種類の濃度のクロニジン軟膏(30, 100, 300μg/g)を作成した。雄性SD系ラットを用い、以下の三つのモデルを作成した。

神経因性疼痛モデル(Chungモデル:spinal nerve ligation[SNL]モデル)片側のL5、L6脊髄神経を結紮することにより作成する末梢神経損傷モデルであるSNL術後7日目に、クロニジン各軟膏0.1g(クロニジンの投与量として3, 10, 30μg)または基剤0.1gを患側または健側の後肢足底に塗布した(各群n=6)。Hargreaves boxによる熱刺激に対する逃避潜時、及びvon Frey filamentsによる機械的触刺激に対する逃避閾値を、グロニジン投与前、および投与1時間、2時間、4時間、6時間、24時間、72時間、120時間後に、患側及び健側足底にて測定した。別のラットにおいてクロニジン軟膏(30μg)または基剤0.1gの投与の4時間後に脊髄還流固定後に腰髄のスライス標本を作製し、抗Fos蛋白抗体を用いた免疫染色を行い、神経細胞活動の指標である脊髄後角Fos陽性細胞数を数えた。炎症性疼痛モデル(カラゲニンモデル)2%のカラゲニンをラット後肢の足底に皮下注入することにより作成する炎症性疼痛モデルである。カラゲニン皮下注入3時間後にクロニジン各軟膏0.1g(クロニジンの投与量として3、10、30μg)または基剤0.1gを患側後肢足底に塗布した(各群n=6)。Hargreaves boxによる熱刺激に対する逃避潜時、及びvon Frey filamentsによる機械的触刺激に対する逃避閾値を、クロニジン投与前、および投与1時間、2時間、4時間、6時間、24時間、72時間後に、患側及び健側足底にて測定した。別のラットにおいてクロニジン軟膏(30μg)または基剤0.1g投与の4時間後に脊髄還流固定後に腰髄のスライス標本を作製し、抗Fos蛋白抗体を用いた免疫染色を行い、脊髄後角Fos陽性細胞数を数えた。

術後痛モデル(Brennan皮膚切開モデル)ラット後肢の足底に筋層まで達する皮膚切開を加え、すぐにその部位を縫合して作成する術後痛モデルである。皮膚切開手術の2時間後に、クロニジン各軟膏0.1g(クロニジンの投与量として3, 10, 30μg)または基剤0.1gを患側後肢に塗布した(各群n=6)。Hargreaves boxによる熱刺激に対する逃避潜時、及びvon Frey filamentsによる機械的触刺激に対する逃避閥値を、クロニジン投与前、および投与1時間、2時間、4時間、6時間、24時間、72時間後に、患側及び健側足底にて測定した。別のラットにおいてクロニジン軟膏(30μg)または基剤0.1gの投与4時間後に脊髄還流固定後に腰髄のスライス標本を作製し、抗Fos蛋白抗体を用いた免疫染色を行い、脊髄後角Fos陽性細胞数を数えた。

反復投与群においてはクロニジン各軟膏0.1g (クロニジンの投与量として3, 10, 30μg)または基剤0.1gをを患側足底に塗布した(各n=6)。術当日は塗布後2、4時間時、第1病日から5病日までは毎日のクロニジン塗布の2時間後にHargreaves boxにて熱刺激に対する逃避潜時及びvon Freyテストでの機械的触刺激に対する逃避閾値を患側及び健側足底にて測定した。

以上の疼痛モデルにおいてクロニジン軟膏投与の鎮痛効果が認められた場合は、α2アドレナリン受容体拮抗薬のヨヒンビンによる拮抗試験を施行した。統計処理はANOVA及びBonferroni/Dunn検定を使用し、P<0.05を有意とした。

【結果】各モデル作成後には、患側足底における逃避潜時と逃避閾値が著明に減少し、熱性刺激および機械的刺激に対する痛覚過敏の発生が示された。

神経因性モデルの患側足底においては、クロニジン軟膏単回投与後、用量依存性に逃避潜時及び逃避閾値が上昇し、クロニジン軟膏の、投与4-6時間をピークとする用量依存性の抗痛覚過敏効果が示された。健側足底においてはクロニジンの鎮痛効果は認められなかった。健側足底-のクロニジン軟膏単回投与後には、患側での有意な抗痛覚過敏効果は認められなかった。ヨヒンビン前処置によって、患側投与によるクロニジン軟膏の抗痛覚過敏効果は拮抗された。神経因性疼痛モデルにおいては、対象群に比してクロニジン群で脊髄後角Fos陽性細胞数が有意に減少した。層別検討では脊髄後角V-VI層でのFos陽性細胞数の減少が顕著だった。

炎症性疼痛モデル、および術後痛モデルの患側足底においてはクロニジン軟膏単回投与による有意な抗痛覚過敏効果、Fos陽性細胞数の減少効果とも認められなかった。しかし、術後痛モデルでのクロニジン軟膏反復投与においては、手術の翌日から熱刺激テストにおいて用量依存性の有意な逃避潜時延長を認めた。ヨヒンビン前処置でその効果は拮抗された。機械的触刺激に対する逃避閾値の有意な上昇は認められなかった。

【考察】炎症性疼痛および術後痛モデルの患側足底においてはクロニジン軟膏の単回投与による有意な抗痛覚過敏効果および脊髄後角Fos陽性細胞数の減少効果は認められなかったが、神経因性疼痛モデルにおいてはクロニジン軟膏の患側単回投与により有意な抗痛覚過敏効果が認められ、それに一致する形で脊髄後角Fos陽性細胞数の有意な減少が認められた。

この神経因性疼痛モデルにおける鎮痛効果は、軟膏塗布局所においてのみ認められ、また、患部以外への軟膏投与では有意な抗痛覚過敏効果が認められなかったことから、血中への軟膏吸収による全身的効果でなく、局所的な効果と考えられた。また、α2アドレナリン受容体拮抗薬のヨヒンビンによって拮抗されたことから、α2アドレナリン受容体を介した効果であると考えられた。以上を総合すると、神経困性疼痛モデルにおいてクロニジン軟膏の患側単回投与によって認められた抗痛覚過敏効果は、末梢神経のα2アドレナリン受容体を介した局所的鎮痛効果であると考えられた。

神経因性疼痛においてのみクロニジン軟膏単回投与の鎮痛効果が発揮されたことは、神経因性疼痛においてα2アドレナリン受容体作動薬の鎮痛効果が増強されるという過去の報告に合致するかもしれない。すなわち、神経損傷後の神経の変化によってクロニジンの効果が増したために、神経因性疼痛においてのみクロニジン軟膏単回投与の鎮痛効果が発揮された可能性が考えられた。ただし、痛覚過敏の程度や脊髄Fos細胞数から判断すると、クロニジン単回投与時の疼痛は、炎症性疼痛や術後痛の方が神経因性神経因性疼痛よりも強かった可能性が考えられ、そのために炎症性疼痛や術後痛においてクロニジン軟膏単回投与が無効であった可能性も考えられる。実際、術後痛に対する反復投与において、術後痛の自然軽快とともに部分的ながらクロニジン軟膏の抗痛覚過敏効果が出現し始めた。

神経因性神経因性疼痛は、オピオイドや非ステロイド性消炎鎮痛薬など通常の鎮痛薬が効果を発揮しがたい難治性疼痛であることはよく知られている。今回の研究から、そのような難治性疼痛に対しクロニジンの軟膏の塗布が副作用無く有意な鎮痛効果を発揮する可能性が示唆され、今後の臨床使用において高い有用性が期待できると考えられた。

【結論】ラットの神経因性疼痛モデルにおいて、クロニジン軟膏の患側足底への単回投与により、有意な抗痛覚過敏効果が認められた。この効果は末梢神経のα2アドレナリン受容体を介した局所的鎮痛効果であると考えられた。今回の実験結果から、クロニジン軟膏の神経因性神経因性疼痛への臨床応用が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、α2アドレナリン受容体作動薬のクロニジンの軟膏製剤を作成し、それを3種類のラット病的疼痛モデル(神経因性疼痛モデル、炎症性疼痛モデル、術後痛モデル)の疼痛部位(患側後肢足底)、あるいは場合によって非疼痛部位(健側後肢足底)に塗布することによって、以下の知見を得ている。

神経因性疼痛モデルにおいては、クロニジンの疼痛部位への一回塗布によって少なくとも6時間以上持続する、用量依存性の鎮痛効果が認められた。また、免疫組織学的検討でも、クロニジンの疼痛部位への一回塗布による、脊髄後角細胞の神経活動状態の指標であるFos蛋白陽性細胞の有意な抑制効果が認められた。以上により行動学的に、かつ免疫組織学的に、クロニジン軟膏の疼痛部位への一回塗布による有意な鎮痛効果が示された。クロニジンの疼痛部位への一回塗布による鎮痛効果は、軟膏塗布部以外では認められず、また、軟膏を疼痛部位以外へ塗布した場合には、疼痛部位、非疼痛部位とも鎮痛効果が認められなかった。以上より、クロニジンの疼痛部位局所塗布による局所的鎮痛効果は、クロニジンの血中吸収などに基づく全身的作用でなく、局所的作用によるものと思われた。また、クロニジンの疼痛部位への一回塗布による局所鎮痛効果は、α2アドレナリン受容体拮抗薬のヨヒンビンの前投与によって拮抗された。これにより、α2アドレナリン受容体を介した鎮痛効果であることが示された。以上を総合すると、神経因性疼痛モデルにおいてクロニジン軟膏の疼痛部位への単回投与によって認められた鎮痛効果は、末梢神経のα2アドレナリン受容体を介した局所的鎮痛効果であると考えられた。

一方、ラットの炎症性疼痛モデルにおいては、クロニジン軟膏の患側足底への単回投与によって行動学的な鎮痛効果、脊髄Fos蛋白発現抑制効果とも認められなかった。

同様に、術後痛モデルにおいても、クロニジン軟膏の患側足底への単回投与による有意な行動学的鎮痛効果や脊髄Fos蛋白発現抑制効果は認められなかった。しかし、術後痛モデルでクロニジン軟膏を1日1回6日間にわたって反復投与した場合、手術の翌日から用量依存性の、熱刺激に対する鎮痛効果が認められた。神経因性疼痛と同様ヨヒンビン前処置でその効果は拮抗された。ただし機械的触刺激に対する鎮痛効果は経過中認められなかった。

以上、本研究は、ラットの神経因性疼痛モデルにおいて、クロニジン軟膏の疼痛部位局所塗布が長時間持続する有意な鎮痛効果を発揮することを、行動学的検討のみならず免疫組織学的検討も駆使して、始めて明らかにすることに成功した。また、その鎮痛効果が、末梢神経のα2アドレナリン受容体を介した局所的鎮痛効果である可能性も明らかにすることができた。また、クロニジン軟膏単回投与による鎮痛効果は、神経因性疼痛モデルのみで認められる一方、炎症性疼痛モデルや術後痛モデルでは認めらず、繰り返し投与によって術後痛モデルでは部分的な鎮痛効果が認められることなど、クロニジン軟膏の極めて興味深い薬物特性を明らかにすることにも成功した。

炎症性疼痛や術後痛においては、クロニジン軟膏の良好な鎮痛効果が認められなかった。しかしこれらの疼痛は、非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)やオピオイドなど一般的な鎮痛薬によく反応する。一方、神経因性疼痛は、これらに対する反応が極めて乏しく、加えて他の薬物、治療法に対しても反応しにくい難治性の疼痛である。その中で、クロニジンを始めとするα2アドレナリン受容体作動薬は、他の疼痛に比べ神経因性疼痛に対する鎮痛効果がむしろ増強する可能性がいくつかの研究で指摘されていた。しかし、実際の臨床において、鎮痛目的でクロニジンを始めとするα2アドレナリン受容体作動薬の全身投与あるいは脊髄投与を行った場合、鎮静、血圧低下、徐脈、反跳性高血圧などの問題となる副作用がしばしば生じる。このために、これらの製剤はすでに他の目的(降圧、人工呼吸時の鎮静など)で市販されているにもかかわらず、鎮痛薬として一般的に使用されるには至っていない。その点、軟膏製剤は、疼痛部位に薬物を高濃度に投与でき、しかも全身的副作用を軽減できる利点が考えられることに着目して、今回ラットの神経因性疼痛モデルでの試験を行ったが、予想通り、神経因性疼痛における副作用のない鎮痛効果を示すことに成功した。

本研究は、種々の手法や疼痛モデルを駆使して広範な実験を展開している。またその研究結果は、難治性疼痛である神経因性神経因性疼痛に対する有効な治療法を提供する基礎を提供するものとして極めて価値の高いものと考えられる。これらの点から、本研究は学位の授与に十分値するものと考えられる。

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