学位論文要旨



No 121496
著者(漢字) 井村,真澄
著者(英字)
著者(カナ) イムラ,マスミ
標題(和) 合併症のない初産後の母親へのアロマセラピーおよびマッサージセラピーの心理的効果に関するランダム化臨床試験
標題(洋) A Randomized Clinical Trial on the Psychological Effects of Aromatherapy and Massage Therapy for Puerperal Women undergoing Uncomplicated First-time Delivery
報告番号 121496
報告番号 甲21496
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2744号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,知保
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 助教授 土屋,尚之
 東京大学 講師 神馬,征峰
内容要旨 要旨を表示する

緒言

厚生労働省は2000年に「健やか親子21」の4主要課題の一つに「子どもの心の安らかな発達の促進と育児不安の軽減」を掲げた。劇的な変化を伴う妊娠・出産・育児期は女性とその家族にとって危機的な時期であり、不安、緊張、疲労の強まる産褥期の母親はさまざまな精神的変動を体験する。

近年、周産期領域の現場には、アロマテラピーやマッサージによるケアが導入され始めている。同時に、エビデンスに基づいた医療・代替/補完療法への関心の高まりから、米国NIH(米国国立衛生研究所)・NCCAM(国立補完代替医療センター)をはじめ世界各国でアロマセラピーやマッサージセラピーの研究が進められている。妊産裾婦に対するマッサージ研究では、分娩所要時間の短縮化・疼痛・不安・抑うつ軽減効果が報告され、アロマセラピー研究としては芳香浴・足浴・陰部温浴・アロママッサージによる不安・緊張・疼痛緩和効果などの報告がある。

しかし、それぞれの介入効果は明確に特定されておらず、さらに本邦の産後の母親に対するアロママッサージ効果は未だ十分に検証されてはいない。産後の母親への具体的サポートと母子相互作用を促すにおい環境を考案していく上で、アロマ、マッサージぞれぞれの効果、およびそれらを複合させたアロママッサージ効果を検証する臨床研究は現場において急務とされている。

目的

本研究は、正常妊娠経過、経膣分娩を経験し、正常新生児を持つ合併症のない初産後の母親を対象に、安静臥床(対照群)・アロマ・マッサージ・アロママッサージを施行し、それら4群間の心理的効果を検証する目的で実施された。

方法

研究仮説

介入前後の短期効果(産後2日目、産後4週目)

各介入は、母親の不安を有意に改善させる。

各介入は、母親の諸気分や子どもに対する感情を有意に改善させる。

各介入は、母親の唾液中コルチゾールを有意に低下させる。

産後4週間介入の長期効果(4週間目、8週間目、12週目)

各介入を週2回ずつ4週間定期的に受けることは、母親の産後12週間の抑うつを有意に改善させる。

各介入は、母親の産後4週目までの唾液中コルチゾール値を有意に低下させる。

2003年9月から2004年4月に東京都内私立一般病院産科で正常分娩した正常産裾婦184名中、研究条件適格者93名中研究参加同意の得られた80名(平均年齢32.4歳、SD4.0)を対象とし、うち75名を産後12週目まで追跡調査した。研究参加者をランダム化割付し、安静臥床bed-rest (対照)群(以後B群)20名・アロマaroma群(以後A群)20名・マッサージmassage群(以後M群)20名・アロママッサージaroma-massage群(以後AM群)20名に振り分けた。

B群にはベッド上臥床30分、A群には芳香拡散下でのベッド上臥床30分、M群にはベッド上臥床にて全身マッサージ30分、AM群には芳香拡散下でのベッド上臥床にて全身マッサージ30分、をそれぞれ1週間に2回ずつ産後4週間に計8回実施した。退院後のマッサージはマッサージボランティアが家庭訪問にて実施し、芳香拡散トリートメントは参加者が各自行った。芳香(精油)は、産後の母親(N=102)香り嗜好性調査を元に選択したスイートオレンジを使用した。マッサージは本研究用に開発した一定手順マッサージを習得した助産師とマッサージセラピストが行った。

介入効果測定のために以下のデータ収集を行った。

介入前後の短期効果測定:産後2日目、産後4週目に当該施設内において介入前後の定刻唾液採取、自記式心理質問紙:日本版STAI;The State-Trait Anxiety Inventory -状態不安;The State-Anxiety、日本版POMS;The Profile of Mood States (POMS)、マタニティーブルーズ自己質問紙;The Maternity Blues Scale(MBS)、対児感情評定尺度;The Feelings toward Baby Scale (FTBS)によるデータ収集を行った。

産後4週間介入の長期効果測定として、産後5日目の定刻唾液採取、産後1日目、4日目、4週目、8週目、12週目に自記式質問紙:CES-Dうつ病(抑うつ状態)自己評価尺度;Centers for Epidemiological Studies Depression Scale(CES-D)、エジンバラ産後うつ病質問票; Edinburgh Postnatal Depression Scale(EPDS)によるデータ収集を行った。8週目、12週目の自記式質問紙は郵送により回収した。

データ分析はSPSS.Version12を用い、4群比較にはANOVAとその後のTukey HSD多重比較検定、繰り返し測定によるANOVAおよびχ2検定を行った。本研究は、東京大学医学部および当該病院倫理委員会の承認を得て行った。

結果

介入前後の短期効果(産後2日目、産後4週目)

STAI-状態不安:産後2日目のSTAI-状態不安スコアは、B群に比べてM群(P=.005)とAM群(P=.0003)で有意に減少し、同年代女性の平均値36を区分点とする比較的高不安群においても、B群に比べてAM群(P=.0001)・M群(P=.0004)・A群(P=.033)と各介入によって不安スコアが有意に減少した。A群対AM群(P=.055)は減少傾向を示し、A群対M群(P=.178)、M群対AM群(P=.969)に有意差はなかった。4週目データおいてもほぼ同様の結果を得た。STAIの補助的解析結果:産後2日目の4群の介入前後スコアの増減率は、M群とAM群では全員20(100%)スコアが減少したが、B群では減少14例(70%)、増加6例(30%)、A群では減少19例(95%)、増加1例(5%)であった(P=.001)。さらに、M群とAM群では介入後の高不安者(状態不安スコア42以上)は皆無で(P=.048)、低不安者(状態不安スコア20以下)が有意に多かった(P=.044)。

POMS、MBS、FTBS:産後2日目POMS各スコアは、緊張-不安(P=.024):B群に比べてAM群(P=.025)が有意に減少、怒り-敵意(p=.033):B群に比べてAM群(P=.132)が比較的減少した。抑うつ(P=.078)、活気(P=.427)、疲労(P=.430)、混乱(P=.354)、マタニティブルーズ(P=.304)の各スコアに有意な群間差はなかった。4週目POMSスコアは、緊張-不安(P=.003):B群に比べてA群(P=.027)・AM群(P=.007)・M群(P=.005)、抑うつ(P=.024):B群に比べてM群(P=.036)とAM群(P=.040)、POMS怒り-敵意(P=.022):B群に比べてAM群(P=.017)で有意に減少した。POMS疲労(P=.043):B群に比べてM群(P=.063)、AM群(p=.108)が比較的減少した。POMS活気(P=.400)、POMS混乱(P=.201)マタニティブルーズ(P=.791)に有意差はなかった。対児感情の2日目のスコアでは、回避感情(P=0.646)、接近感情(P=.287)、拮抗指数(P=.560)に有意差は見られなかった。4週目のスコアでは、接近感情(P=.62)に有意差はなく、B群に比べてAM群で回避感情(P=.007)と拮抗指数(P=.031)が有意に減少した。

唾液中コルチゾール:2日目の介入前後のコルチゾール値(P=.572)、4週目介入前後のコルチゾール値(P=.507)に有意な群間差はなく、4群とも同様に漸減した。

産後4週間介入の長期効果、および介入終了後の8週目、12週目フォローアップ

CES-D、EPDSの4群各平均値は正常範囲内であった。CES-Dスコアは、4群とも産後1日目の高値から4日目に低下し4週目に再度上昇したあと12週目までに漸減し、4群間では有意な変化を示さなかった(P=.271)。EPDSスコアは、4群とも4週目に上昇したあと8週目、12週目に漸減し(P=.157)群間有意差は認められなかった。

産後2日目の介入前コルチゾール値、5日目、4週目の介入前コルチゾール値に有意な群間差はなく、4群とも4週目まで漸減した(P=.976)。

考察

アロママッサージ、マッサージ、アロマは安静臥床に比べてもなお、有意に不安と緊張を軽減させることが明示された。育児不安と負担が増加する産後4週目にはアロママッサージ。マッサージが抑うつを有意に軽減させ、さらにアロママッサージは怒り-敵意を有意に軽減させることが確認された。疲労・活気・混乱・対児感情に対する介入効果は確認されず、これらは安静臥床のみによっても改善されることも考えられた。他方、不安や緊張は安静臥床のみでは増加する可能性もあり、人との身体接触を伴うマッサージ介入の必要性が示唆された。コルチゾールに群間差はなかったが、これは本研究ではコルチゾール値に影響を与える動静・授乳条件を一致させ、ストレス負荷をかけないリラクセーション介入を行ったことによると考えられた。さらにコルチゾールをリラクセーション系の指標とすることの妥当性については、今後の検討課題となった。抑うつに対する介入長期的効果は確認されなかった。これは、育児負担、不安・緊張・疲労・抑うつなどが最も増大する産後4週間に特有な条件の影響や退院後の育児やライフイベントによる影響などにより、介入の短期効果が相殺された可能性も示唆された。産後の母親への長期介入効果については今後更なる検討が必要である。

研究の限界

本研究は、合併症のない初産婦以外の特性を持つ集団に対する介入効果、不安、抑うつなどの感情側面以外の心身への効果には言及していない。また、今回使用した精油の香り以外の効果、およびブレンドオイルを用いたアロママッサージ効果には言及していない。

結論と臨床への提言

安静臥床との比較におけるアロママッサージ、マッサージ、アロマの産後の母親の不安、緊張軽減効果、アロママッサージ・マッサージの抑うつ軽減効果、アロママッサージの敵意-怒り、対児回避感情軽減効果が確認された。臨床における時間的、物理的、人的資源のコストベネフィットの点から、対象者の不安や緊張をはじめとする精神状態を的確に査定し、個別ニーズに合ったトリートメントを選択的に提供することが望まれる。アロママッサージとマッサージとの比較において不安・諸気分改善効果に有意な差がないことが確認されたので、新生児早期の喚覚的母子相互作用を促す見地からは、香り無しマッサージを選択的に提供したり、強い香りの乱用を避けたケアの提供が望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では合併症のない初産後の母親へのアロマセラピーおよびマッサージセラピーの心理的効果を明らかにするため、80名の適格者を各20名ずつ1)安静(対照)群、2)アロマ群、3)マッサージ群、4)アロママッサージ群にランダムに割付け、1回30分間の介入を1週間に2回ずつ4週間、合計8回実施した。介入に使用した芳香(精油)は産後の母親(N=102)の香り嗜好性調査結果を元に選択し、マッサージは本研究用に開発した一定手順を用いた。介入前後の短期効果測定を産後2日目と4週間目に行い、さらに4週間継続介入後の長期効果を産後12週まで追跡調査して以下の結果を得ている。

介入前後の短期効果

アロママッサージとマッサージは安静対照群に比べてSTAI状態不安スコアを有意に低下させ、アロママッサージ・マッサージ・アロマはより不安レベルの高い参加者(状態不安スコア36以上)の状態不安スコアを有意に低下させた。アロマvs.アロママッサージにわずかな有意差が検出されたが、介入3群間の不安軽減効果には有意差がないことが示された。さらに産後2日目では安静とアロマ介入後に不安が増加した参加者が確認されたのに対し、アロママッサージ・マッサージ介入では参加者全員の不安が低下し、高不安者(状態不安スコア42以上)は皆無で低不安者(状態不安スコア20以下)が有意に多いことが示された。

産後2日目では、アロママッサージは安静と比較してPOMS:緊張-不安スコアを有意に低下させた。産後4週間目では、アロママッサージ・マッサージ・アロマは安静と比較してPOMS:緊張一不安スコアを、アロママッサージ・マッサージは抑うつスコアを、さらにアロママッサージはPOSM:敵意-怒り・FTBS回避感情スコアおよびFTBS桔抗指数を、それぞれ有意に低下させることが示された。

産後2日目、産後4週間目の介入前後唾液中コルチゾール値に群間有意差はなく、4群とも同様に漸減することが示された。

産後4週間介入の長期効果

産後1日目、4日目、4週間目、8週間目、12週間目のCES-D、EPDS抑うつスコアは、4群とも4週間目にかけて上昇したあと12週目にかけて漸減し、4週間の介入に有意な抑うつ軽減効果が認められないことが示された。

産後2日目、産後5日目、産後4週間目の介入前唾液中コルチゾール値に群間有意差はなく、4群とも同様に漸減することが示された。

以上、本論文はよく調整された一定の介入条件と適切な手順を踏んだランダム化臨床試験によって、これまで検証されていなかった合併症のない初産後の母親に対する、安静臥床との比較におけるアロママッサージ・マッサージ・アロマの不安緊張軽減効果、アロママッサージ・マッサージの抑うつ軽減効果、アロママッサージの敵意一怒り・対児回避感情軽減効果を明らかにした。これは、産後の母親の心理状態に応じた個別的なケア提供と母子関係の促進にとって良質なエビデンスを提供すると考えられる。

さらにアロママッサージとマッサージとの比較において、不安その他の諸気分改善効果に有意差がないことを明示した。これは、アロマテラピーの臨床導入が進みつつある現在、新生児早期の母子相互作用を保護、促進するためのより適切な喚覚環境を提供する上で極めて重要な貢献をなすと考えられ、以上の点から学位の授与に値するものと判断される。

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