学位論文要旨



No 121497
著者(漢字) 石飛,裕美
著者(英字)
著者(カナ) イシトビ,ヒロミ
標題(和) 周生期低用量カドミウム曝露のマウス出生仔における発達毒性 : 組織中金属濃度、脳内遺伝子発現及び生殖機能に着目して
標題(洋) Developmental Toxicity of Perinatal Low-dose Exposure to Cadmium in Mice : with Special Reference to Tissue Metal Concentrations, Brain Gene Expressions and Reproduction
報告番号 121497
報告番号 甲21497
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2745号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 助教授 福岡,秀興
 東京大学 助教授 土屋,尚之
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

ヒト及び実験動物の周産期カドミウム(Cd)曝露は早期産、胎児(仔)死亡、低出生体重児(仔)などを引き起こし、動物実験では脳の発達にも影響することが報告されている。Cdが胎児・新生児に及ぼす発達毒性の機序は明らかにされていないが、Cdが亜鉛(Zn)や銅(Cu)など成長に必要な微量元素の組織中濃度の減少をもたらすことによって毒性を発揮する可能性が示唆されている。げっ歯類を用いた動物実験では、妊娠・授乳期における比較的高用量Cd曝露により仔の組織(肝、賢、脳など)中Zn、Cu濃度が減少することが観察されている。しかし、ヒトでの曝露に近い低用量Cd曝露については報告がほとんどない。

周生期Cd曝露は新生仔の甲状腺ホルモン環境機能にも影響を及ぼすことが少数ながら報告されている。また、実験動物における妊娠期の甲状腺機能低下症では、仔の組織中のZnやCu濃度の低下が見られている。このことから、周生期Cd曝露と甲状腺ホルモン環境の変動に相互作用が見られる可能性がある。

周生期Cd曝露による仔の行動の変化や学習障害などの脳機能への影響もわずかに報告されているが、その機構は明らかではない。脳に特異的に発現しているニューログラニン(RC3)は甲状腺ホルモン応答性のタンパク質として知られており、この遺伝子欠損動物は学習障害などの脳機能異常を示す。前述のようにCd曝露では血清中甲状腺ホルモン濃度の低下が報告されており、周生期Cd曝露の影響及び甲状腺機能低下との相互作用を調べる上で好適な材料と考えられる。

さらに、Cdのエストロゲン様作用についても複数の報告があり、Cdがエストロゲン受容体(ER)mRNA発現を抑制することや、胎仔期にCdに曝露されたラット仔の性成熟が早まることなどが報告されている。女性ホルモン(エストロゲン、プロゲステロン)による性成熟と機能の調節では脳内のこれらホルモン受容体が重要な役割を果たしていることから、Cd曝露によるこれらの遺伝子の新生仔期発現と、その後の性成熟/機能との関連を調べる必要がある。

本研究は、マウスを用い周生期低用量Cd曝露及び甲状腺ホルモン阻害剤メチマゾール(MMI)による甲状腺機能低下状態におけるCd曝露を行い、新生仔期の組織中Zn/Cu濃度に及ぼす影響を調べること、発達に重要と考えられる遺伝子の脳内発現を調べ、脳の発達に及ぼす影響を検討すること、Cdの生殖内分泌攪乱作用を性成熟と性機能の面から評価することによって、カドミウムの発達毒性機構の一端を明らかにすることを目的とした。

【方法】

Cd単独曝露実験:

妊娠マウスに妊娠(GD)0日目から授乳(PND)10日目まで、0、1、10μg/mlのCd飲料水をそれぞれ与え、親はPND21に、仔はPNDO及び10に解剖し、脳、肝及び腎を摘出した。親の脳はさらに大脳、小脳、脳幹に分け、各組織中のCd、Zn及びCu濃度をICP-MSを用いて定量した。離乳(PND21)以降毎日雌仔の膣開口の有無を調べた。また、PND50から連続15日間膣垢を採取し発情周期を調べた。

Cd及びメチマゾール(MMI)複合曝露実験:

妊娠マウスをCd群(10μg/ml Cd水、投与期間GDO〜PND10)、MMI群(0.025% MMI水、GD12〜PNDIO)、Cd+MMI群(投与量、投与期間はそれぞれの単独投与に準じる)、high MMI群(0.1% MMI水、GD12〜PND10)、対照群(milliQ水)の5群に分け、それぞれを含む飲用水で飼育し、通常通り出産させた。MMIには胎盤通過性かつ乳汁分泌性があることが知られており、本研究の目的に適していると考えられる。PND10に仔を解剖し、血液、脳、肝及び腎を摘出した。血液は血清分離し、thyroxine(T4)をEIA法にて測定した。組織中Cd、Zn及びCu濃度を同様に測定した。脳内RC3、甲状腺ホルモン応答性でRC3プロモーター領域に応答因子がある甲状腺ホルモン受容体(TR)-β、レチノイン酸受容体(RAR)-β、RC3と同様に甲状腺ホルモン応答性で脳に特異的発現のあるmyelin basic protein (MBP)、女性ホルモン受容体のER-α、ER-β及びプロゲステロン受容体(PgR) (PgRはRC3プロモーター領域に応答因子あり)の各mRNA発現をRT-PCRにて測定した。生後8週目にオープンフィールド試験を行い、行動量を測定した。

【結果と考察】

Cd、MMI曝露とも産仔数、出生時体重、性比など再生産への影響は見られなかった。

甲状腺ホルモン応答遺伝子としてのRC3発現への影響:

Cd単独曝露によるRC3 mRNA発現の変化はなかった。一方、雌のCd+MMI群ではRC3mRNA発現の低下がみられた。このことはCdの単独投与曝露ではなくMMIとの複合曝露においてRC3発現への影響が発揮された点で重要である。T4の減少、TR-βやRAR-β mRNA発現の減少はなかったが、PgR mRNAの発現が減少していた。RC3遺伝子のプロモーター領域にはプロゲステロンの応答配列が確認されている。RC3 mRNA発現の減少におけるPgRの関与は現時点では明確ではないが、これらの関連は検討に値すると思われる。また、CdとMMIのRC3またはPgRのmRNA発現に与える相互作用は未解明であるが、RC3は脳機能の発達に重要であり、本研究でRC3発現と行動試験における行動量との間に負の相関が見られたことは、Cd曝露による脳機能の異常には、RC3が関与している可能性を示唆している。

組織中Cd及び必須元素(Zn、Cu)濃度:

PND0においてCd曝露群の仔脳内Cd濃度が対照群より高く、1μg/mlのCd水を飲用させた場合でも仔の脳に有意に蓄積が起こることが明らかになった。これまで胎盤はCdの通過をある程度阻止すると考えられていたが、これまでの先行研究では測定感度が低いなどの問題点が指摘されており、今回用いた程度の用量でもCdは胎盤を通過しうることが示されたことは注目すべき点である。胎仔期は血液脳関門が未熟なため、胎仔に移行したCdは容易に脳に到達し、その後の脳内Cd蓄積がなくても脳機能や行動に影響を与える可能性が示唆された。

腎及び肝へのCd蓄積はPND10で顕著であった。Cd曝露群のCu濃度は肝で低く、低用量Cdでも高用量のCdを用いた先行研究の結果と同様の影響を及ぼすことが示された。CdはCuの腸管吸収を阻害することが知られており、新生仔期肝中Cu濃度の減少の少なくとも一部を説明すると推察される。周生期のCu欠乏は出生後の非可逆的影響を残すことが知られている。本研究では、Cd曝露による生後の体重、行動への影響はなかったが、CdによるCuの減少は、Cd毒性を考える上で重要であることが示唆された。

Cd、MMIの単独曝露でCu濃度の低下が見られたが、これらのCu濃度の低下に対する相互作用はなく、その仕組みについては明らかにされなかった。

Cd曝露群においては、PNDOで肝・腎中Zn濃度の増加がみられた。比較的高用量Cdを親に投与した多くの先行研究では、仔の腎・肝中Zn濃度についてもCu濃度同様減少するという報告が多く、上昇するという報告はほとんどない。低用量Cd曝露では、Zn濃度に対して高用量曝露とは逆の影響を与えることが示された。

性成熟ならびに女性ホルモン受容体の遺伝子発現:

周生期Cd曝露では雌仔の膣開口が遅れる傾向がみられ、さらに発情周期の乱れが有意に高頻度に観察された。また、Cdを投与した雌仔(Cd単独投与及びCd+MMI投与)ではER-α及びPgR mRNA発現が有意に減少あるいはその傾向にあった。膣開口や発情周期の調節を司る視床下部GnRHや下垂体LH、FSHはERやPgRを介して分泌が調節される。周生期Cd曝露による新生仔脳内ERおよびPgR遺伝子発現の低下と膣開口の遅れや発情周期の乱れの関連は明らかではないが、今後の検討に値すると考えられる。膣開口の遅延、PgRの低下はエストロゲンの作用とは相反するものであり、生殖内分泌の攪乱がCdのエストロゲン様作用によるものであるとは説明されにくいことが示唆された。しかし、周生期の低用量Cd曝露が生殖内分泌を攪乱することが観察され、Cdの発達毒性の一つが示された点で注目に値する。

本研究では周産期マウスに、多くの先行研究における曝露量と比較して低用量のCdを経口投与した。これは従来の動物実験より5-200倍低い量であると考えられる。これまでヒトにおける母親のCd曝露と子の発達に関する研究はないため、この曝露条件下で組織中Cu濃度の減少、RC3遺伝子の減少、また性成熟の遅れと発情周期の乱れが認められたことは、周産期の女性のCd曝露による子への影響を考える上で重要であると考えられる。

【結論】

Cd(10μg/ml飲料水、GDO〜PND10)とMMI(0.025 %)の複合曝露は脳内RC3 mRNA発現を低下させた。Cdの脳機能への影響はRC3発現の低下により説明される可能性が示唆された。

本研究で用いた低用量のCdでも胎盤を通過し、脳へ蓄積することが示された。Cd曝露は仔の肝中Cu濃度を減少させた。先行研究より、この減少は成長・発達の阻害へとつながる可能性があると考えられた。

周生期Cd曝露は生殖内分泌攪乱作用、すなわち、雌仔の脳内ER及びPgR遺伝子発現の低下、性成熟の遅延、発情周期の攪乱作用を持つことが示唆された。これらの影響の全てをエストロゲン様作用として説明することは難しい。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は周生期低用量カドミウム曝露がマウス出生仔の胎児・発達に及ぼす影響を検討するため、周生期に低用量(飲料水中10ppm)のカドミウムに曝露させた親から生まれた仔マウスの組織中金属濃度(生後0及び10日目)、甲状腺ホルモン関連遺伝子の脳内発現(生後10日目)、及び性成熟(生後30-35日)と発情周期(生後50日目から15日間)について調べたものであり、以下の結果を得ている。

生期に低用量のカドミウムに曝露させた結果、出生時において仔の脳中カドミウム濃度は対照群と比較し高値を示した。これまで、比較的高用量のカドミウム(飲料水中180ppm)でも、妊娠期の曝露では仔の脳にカドミウムは蓄積されないと報告されてきた。これは、胎盤にはカドミウムの通過を阻止する役割があると考えられてきたためであるが、本研究の結果から、胎盤はカドミウムの通過を阻止するのに十分ではなく、本研究で用いた低用量のカドミウムでも胎盤を通過することが示された。

仔の肝中銅濃度はカドミウム曝露により減少し、本研究で用いたよりも高用量の結果と同じであった。銅は胎仔・新生仔期の成長・発達に必須であるため、肝中銅濃度の減少は、これまで報告されてきたカドミウム曝露による成長遅延や発達異常の一つの機序である可能性が示唆された。仔の腎及び肝中亜鉛濃度は対照群と比較し増加した。この結果は、これまでの先行研究(本研究よりも高用量のカドミウムを曝露)の多くが報告されてきた結果(組織中亜鉛濃度は減少)とは異なるものであり、組織中亜鉛濃度に及ぼす影響は曝露量によって異なる可能性が示唆された。

脳内のニューログラニン(RC3)mRNA発現は、カドミウム単独曝露及びメチマゾール(甲状腺ホルモン合成阻害剤)単独曝露では影響はなかったが、これらの複合曝露により、雌の仔でその発現が低下した。また、雌の仔ではRC3発現量とオープンフィールド試験で評価した行動量には負の相関があり、周生期カドミウム曝露による脳機能の異常には、RC3が関与している可能性が示唆された。

周生期カドミウム曝露では雌仔の腔開口が遅れる傾向、不定期な発情周期を示す個体の有意な増加が観察された。また、雌雄仔とも脳内のエストロゲン受容体α及びβ、プロゲステロン受容体のmRNA発現が減少した。従って、周生期のカドミウム曝露は仔の生殖内分泌を撹乱する作用があること、この作用の全てをエストロゲン様作用として説明するのは難しいことが示された。

以上、本論文は周生期の低用量カドミウム曝露が、仔の組織中銅及び亜鉛濃度に影響を与えること、雌の生殖内分泌を攪乱すること、またメチマゾールとの複合曝露では脳内の甲状腺ホルモン依存性のRC3mRNA発現が低下することを示した。本研究では、これまでの先行研究で用いられてきたよりも低用量のカドミウム曝露、すなわちヒトの曝露に近い条件下で以上の影響をみとめた点で、ヒト、とりわけ妊娠・授乳婦のリスク評価において重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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