学位論文要旨



No 121507
著者(漢字)
著者(英字) Phan Thi Xinh
著者(カナ) ファン ティ シン
標題(和) 南ベトナム地方の慢性骨髄性白血病患者とt(1;3)(p36;q21)転座を持つ骨髄異形性症候群/急性骨髄性白血病(M4)患者の分子細胞遺伝学的研究
標題(洋) Cytogenetic and molecular study of chronic myeloid leukemia patients in southern Vietnam and MDS/AML(M4) patients with t(1;3)(p36;q21) translocation
報告番号 121507
報告番号 甲21507
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2755号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,知保
 東京大学 教授 黒川,峰夫
 東京大学 教授 東條,有伸
 東京大学 助教授 福岡,秀興
 東京大学 助教授 千葉,滋
内容要旨 要旨を表示する

クローン性の染色体異常、特に相互転座は特定の白血病病型と関連しており、このような相互転座を特定することは白血病の診断・分類、治療選択に有益である。最近、細胞遺伝学や分子生物学は益々進展しており、白血病を惹起する分子機序が明らかになってきている。白血病患者において付加的な染色体異常が発見されるということは病勢の増悪を伺わせるものである。例えば、慢性骨髄性白血病(CML)での付加的フィラデルフィア染色体・8トリソミー・17番染色体長腕の同腕染色体・19トリソミー・21トリソミーの出現、又は、t(1;3)(p36;q21)転座を持つ骨髄異形性症候群での5番染色体長腕欠失の出現は、これらの疾患が急性白血病への移行する際に、屡々、観察される。「ゲノム不安定性」により、DNAには突然変異・欠失・転座などが起こりがちであり、これはヒトの腫瘍において繰り返し論ぜられる主題である。

慢性骨髄性白血病の細胞遺伝学的特徴は相互転座であるt(9;22)転座を持つことである。この転座により、Ph染色体、そしてBCR/ABL遺伝子が生成され、最終的にはキロシンキナーゼ活性を持つBCR/ABL蛋白が生成されるのである。慢性期のCML患者はゲノム不安定性を示すことはないが、急性期患者ではPh転座以外の付加的染色体異常の出現が屡々観察される。このような「核型進化」はCMLの造血前駆細胞におけるゲノム不安定性を反映していると考えられている。ベトナム南部のCML患者では他に比べて生存期間が短い(13.1±11.6ヶ月)ことが観察されているが、その原因は不明であり、血液腫瘍一般においてもこれまで分子細胞遺伝学的解析は行われていない。

本論文の第一部では、ベトナム南部における47人のCML症例について、細胞遺伝学的・分子生物学的解析を行ったので、その結果を報告する。Ph染色体は44人(93.6%)に検出された。3症例はPh(-)CMLと診断されたが、その内、2症例ではRP-PCRでBC/ABL mRNAが検出されたにも拘わらず、FISHではBC/ABL 融合遺伝子は検出されず、2種類のクローン(BCR/ABL融合遺伝子を持つ少数クローンとBC/ABL融合遺伝子を持たない多数クローン)が存在している可能性が示唆された。残りの1症例はPh(-)BC/ABL(+)CMLであった。驚くべきことに、17症例(36.2%)(11症例は慢性期、2症例は移行期、4症例は診断時)では、Ph染色体以外に13トリソミー、13部分トリソミー、1p異常(特に1p36異常), 3p異常, 6p異常, 7p異常, 10p異常, 11p異常を含む特異的な染色体異常が認められた。これらの異常は急性期に認められる所謂“付加的染色体異常”とは全く異なるものであった。FISHの結果、「der(9)欠失」は11症例で検出された。その中の2症例では、2種類のクローン((1)der(9)欠失を伴うクローン、(2)der(9)欠失を持たないクローン)が認められた。このことから、これまで、「der(9)欠失はPh転座出現時に同時に生じる」と考えられていたが、一部の症例では病期の進行に伴って出現する場合もあることが示唆された。これらの所見より、ベトナム南部のCMLでは、そもそも「ゲノム不安定性」が存在し、その為にPh染色体以外の種々の染色体異常や複数のクローンが生じ、結果として病勢の急速な進行と生存期間の短縮がもたらされるのかもしれない。なぜ、「ゲノム不安定性」が存在するのかについては、今後、解明されなければならない。

前述のように、1p36異常はベトナム南部のCMLで高頻度に見られる染色体異常の一つであり、血液腫癌や固形腫瘍を含む色々な腫瘍に関与していることが知られている。その中でもt(1;3)(p36;q21)転座は最もよく認められる転座である。第二部では、t(1;3)(p36;q21)転座をもつ5例のMDS/AML/症例について分子学的解析を行ったので報告する。

t(1;3)転座白血病では、「RPN1遺伝子プロモーター(位置:3q21バンド)により、MEL1遺伝子(位置:1p36バンド)の異所性発現が起こっていることが重要であり、病態と密接に関連している」と報告されている。さらに、MEL1蛋白にはMEL1全長遺伝子の産物である170kDのMEL1蛋白とPRドメインを欠く短いMEL1遺伝子産物である150kDのMEL1S蛋白があるが、IL3依存性のマウス骨髄性白血病株L-G3細胞に170kDMEL1蛋白と150kDMEL1S蛋白を過剰発現させたところ、170kDMEL1蛋白では起こらなかったが、150kD MEL1S蛋白の過剰発現の系では顆粒球への分化が抑制された。このことから150kD MEL1S蛋白の発現がt(1;3)転座白血病の病態と密接に関連していると報告されている。

しかし、ゲノムレベルでの1p36や3q21切断点は正確には同定されておらず、150kDMEL1S蛋白や170kDMEL1蛋白の性状も十分には理解されていない。そこで、私はBAC/PACクローンを用いたFISHにより、t(1;3)転座を持つ5症例で両転座切断点の同定を行ない、2症例ではMEL1遺伝子産物の性状解析も行った。

その結果、1p36切断点は200 kbに及ぶ3箇所の切断点集中部位(breakpoint ciusterregion:BR)に集積していた。即ち、(1)BR-1(RP1-163G9に含まれるMEL1遺伝子の第一イントロン内で70kbの範囲)、(2)BR-2(MEL1遺伝子の5側でRP5-907A6に含まれる29kbの範囲)と(3)BR-3(BR-1とBR-2の間で68.5kbの範囲)である。一方、3q21切断点は1箇所に集中していた。即ち、RPN1遺伝子のセントロメア側でRP11-475N22に含まれる108.9kbの範囲である。この中にはGR6遺伝子とGATA2遺伝子のプロモーターが含まれている。5症例のうち、2症例(患者1と患者2)の1p36切断点はMEL1遺伝子の第一イントロン内であった。

患者1と患者3ではRT-PCRとシークエンス解析を行った結果、MEL1全長mRNAの他に、数種類の「短いMEL1mRNA」が見つかった。これらの短いMEL1mRNAでは、スプライシングによる数個のエクソン欠失、PRドメインの欠失、MEL1遺伝子の3'部分にある数個のジンクフィンガードメインの欠失などが認められた。以前に発表された論文では、「MEL1遺伝子の異所性発現や150kD MEL1S蛋白の発現が本転座型白血病の病態と密接に関連している」とされていたが、私は「MEL1遺伝子は正常人骨髄細胞やCD34陽性細胞、末梢血でも発現している」ことを見出した(他の研究者からも同様の報告有り)。さらに、調べた2症例(患者1と患者3)ではMEL1mRNAとMEL1SmRNAの両方が発現していたが、正常人の骨髄細胞との比較では、MEL1SmRNAではなく、MEL1mRNAの方が、より多く発現していることを見出した。

興味深いことに、3'RACEと5'RACEを用いて検索したところ、初めて、MEL1遺伝子のパートナー遺伝子を発見した。即ち、4症例で合計10個のパートナー遺伝子を釣り上げた。これらのパートナー遺伝子はMEL1遺伝子第一イントロン内に1p36切断点を持つ(つまり、MEL1融合遺伝子の存在が予想される)2症例{患者1と患者5:患者1ではCKS2遺伝子(9q22)とC21orf70遺伝子(21q22.3)、患者5ではNKTR遺伝子(3p23-21)とBANP遺伝子(16q24)}ばかりではなく、MEL1遺伝子の5'側に1p36切断点を持つ(つまり、MEL1融合遺伝子は形成されないことが予想される)2症例{患者3と患者4:患者3では新規遺伝子(1p36)、PTMA遺伝子(2q35),HOXA9遺伝子(7p15)とKIAAO711(8p23.3)、患者4ではHMGB1遺伝子(13q12)とSERF2遺伝子(15q15.3)}でも検出された。さらに驚くべきことには、これらのパートナー遺伝子のゲノム上の位置は、全て、転座先のバンド:3q21ではなかった。これらの所見から、ここに観察されたMEL1融合遺伝子形成の機序は従来の染色体転座によるものはなく、別の機序であることが示唆される。

これらの所見を総合すると、MEL1遺伝子の異所性発現や150kD MEL1S蛋白の発現はt(1;3)転座白血病の病態に関与している主要因ではなく、むしろ、MEL1融合遺伝子産物や短いMEL1蛋白の方が密接に関連していると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

ベトナム戦争禍により高度のダイオキシン汚染に見舞われたベトナム南部の慢性骨髄性白血病(CML)患者では、ベトナム北部や諸外国の患者に比べ、生存期間が極端に短いこと(13.1±11.6ヶ月vs.31-56ヶ月)が報告されている。本研究は、その原因を究明すべく、47人のCML症例について細胞遺伝学的・分子生物学的解析を行ったものである。また、本症例中に特徴的な付加的染色体異常の一つとして1p36異常が見つかった為、t(1;3)(p36;q21)持つ5例のMDS/AML/症例について病態に関する分子学的解析も行なった。結果は以下の通りである。

Philadelphia(Ph)染色体は44人(93.6%)に検出された。17症例(36.2%)(11症例は慢性期、2症例は移行期. 4症例は診断時)では、Pb染色体以外に13トリソミー, 13部分トリソミー, 1p異常(特に1p36異常), 3p異常, 6p異常, 7p異常, 10p異常, 11p異常を含む特異的な染色体異常が認められた。これらの異常は急性期に認められる「付加的染色体異常」とは全く異なるものであり、これまで報告されたことがない。

3症例はPh(-)CMLであった。その内、2症例では2種類のクローン(BCR/ABL融合遺伝子を持つ少数クローンとBCR/ABL融合遺伝子を持たない多数クローン)が存在している可能性が示唆された。残りの1症例はPh(-)BCR/ABL(+)CMLであった。

「der(9)欠失」が11症例(23.4%--諸外国に比べ有意に高頻度)で検出された。その中の2症例では、2種類のクローン((1)der(9)欠失を伴うクローン、(2)der(9)欠失を持たないクローン)が認められた。このことから、これまで、「der(9)欠失はPh転座出現時に同時に生じる」と考えられていたが、一部の症例では病期の進行に伴って出現することが示唆された。

これらの所見より、ベトナム南部のCMLでは、そもそも「ゲノム不安定性」が存在し、その為にPh染色体以外の種々の染色体異常や複数のクローンが生じ、結果として病勢の急速な進行と生存期間の短縮がもたらされている可能性が示唆された。この「ゲノム不安定性」の誘因としてダイオキシン汚染が関連していると考えられる。

t(1;3)(p36;q21)転座の1p36切断点は200kbに及ぶ3箇所の切断点集中部位(BR)に分散していたが、3q21切断点は1箇所に集中していた。2症例の1p36切断点はMEL1遺伝子の第一イントロン内であった。

初めて、MEL1遺伝子のパートナー遺伝子(4症例で合計10個)を発見した。これらのパートナー遺伝子はMEL1遺伝子第一イントロン内に1p36切断点を持つ2症例ばかりではなく、MEL1遺伝子の5'側に1p36切断点を持つ2症例でも発見され、ゲノム上の位置は全て、転座先のバンド:3q21以外であった。これらの所見から、MEL1融合遺伝子の形成機序は従来の染色体転座ではないことが示唆された。

既報とは異なり、MEL1遺伝子は正常人骨髄細胞・CD34陽性細胞・末梢血でも発現していた。2症例ではMEL1mRNAとMEL1SmRNAの両方が発現していたが、正常人骨髄細胞と比較すると、 MEL1SmRNAではなく、MEL1mRNAの方が、より多く発現していた。

2症例ではMEL1全長mRNAの他に、スプライシングによる数個のエクソン欠失、PRドメインの欠失、MEL1遺伝子の3'部分にある数個のジンクフィンガードメインの欠失などを含む数種類の「MEL1mRNA」が見つかった。

上記の所見から.これまでは「t(1;3)転座白血病の病態における主要因はMEL1遺伝子の異所性発現や150kD MEL1S蛋白の発現」とされてきたが、むしろ、MEL1融合遺伝子産物や前述の「短い姐ELl蛋白」の方が密接に関連していると考えられる。

以上、本論文はt(1;3)(p36;q21)転座型白血病について新しい病態機序の可能性を示した他、ベトナム南部のCMLについては「ゲノム不安定性」の存在を示し、ダイオキシン汚染との関連を示唆する具体的データを提供している。これらは白血病の病態や誘因の解明に重要な貢献をなすものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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