学位論文要旨



No 121509
著者(漢字) 上野,匡
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,タスク
標題(和) 光誘起電子移動を利用した機能性蛍光プローブの開発手法の確立とその応用
標題(洋)
報告番号 121509
報告番号 甲21509
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1152号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 講師 内山,真伸
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

蛍光プローブとは、標的分子との反応により蛍光強度等の蛍光特性が変化する機能化された蛍光色素である。これを用いたバイオイメージング法は、細胞内に存在する生理活性物質の時空間的な挙動とその生理的な役割の理解を深めるため、極めて有用な手段である。当研究室では、水中で高い蛍光量子収率(Φfl)を有する蛍光分子であるフルオレセインの分光学的特性を精査し、フルオレセインはその構造を蛍光団と、その蛍光を制御するbenzene moietyとに構造的にわけて考えることができ、その分光学的特性がbenzene moietyから励起蛍光団への光誘起電子移動(acceptor excited photoinduced electron transfer:a-PeT)により制御できることを明らかとした(図1-A)。BODIPYやローダミンにおいても同様の原理で蛍光特性の制御が可能であり、この知見を応用することでさまざまな標的に対する蛍光プローブを柔軟に開発していくことに成功している。

【本論】

Benzene moietyに電子吸引性基を有する化合物、例えばニトロフルオレセイン(図1-B)は前述の原理から考えれば高蛍光性であると予測されるが、実際にはこれらの誘導体は蛍光性を示さない。一般的に「ニトロ基は蛍光団にとって特殊な消光基であり、ニトロ基を構造中に有するものは蛍光性を持たない」とされているがその機構は明らかになっていない。本研究ではbenzene moietyに電子吸引性基を持つ低蛍光性の誘導体に着目し、この消光機構を解明していくことで、新たな蛍光特性の制御原理・蛍光プローブの設計手法を確立することを目標に研究を行った。本研究ではさらに、得られた知見を応用し、生体分子の酸化・ニトロ化を引き起こす高反応性活性窒素種であるperoxynitrite(ONOO-)を高選択的に検出することが可能な蛍光プローブを開発した。以下順に述べていく。

本研究ではまず、当研究室で合成中間体として得られてきた化合物のうち、benzene moietyに電子吸引性基を有するフルオレセイン誘導体に着目し分光学的特性の調査を行った。その結果、図-1Cに示す化合物でもΦflが低下することが判明した。ニトロ基以外の電子吸引性の官能基がbenzene moietyに導入された場合にもΦflの低下が起こるという事実から、この現象が励起蛍光団からの電子移動(donor excited PeT:d-PeT)によって説明できると考え、この作業仮説を証明する実験を行った。具体的には、電子吸引性の官能基をbenzene moietyに導入したフルオレセイン誘導体を種々合成し、benzene moietyの還元電位(Ered)とΦflの相関を検証した。図2に示すように、benzene moietyのEredが-1.9Vとなる前後でΦflが大きく変化することが明らかとなった。ニトロフルオレセインのbenzene moiety(ニトロベンゼン誘導体:NB)のEredはフルオレセイン蛍光が失われる領域に深く入り込んでおり、ニトロフルオレセインの消光機構が励起蛍光団からの電子移動であることが示唆された。

続いて電子受容性の高い化合物とBODIPYとの間の分子間消光定数(kq)の比較を行った。予想通りNBの消光能はそのEredに依存して変化し、さらにkqとEredの関係は、NBとそれ以外の電子受容性消光団との間で非常によい相関を示すことが分かった(図3-A)。これらの事実は、ニトロ基が蛍光団に対して特殊な消光基として機能しておらず、消光がd-PeTによってのみ起こっていることを端的に表している。さらにこの消光機構においてd-PeTが存在することを直接証明するため、PeTにより形成される電荷分離状態の観測を試みた。光照射下・低温下においてESR測定を行ったところ、nitroBODIPYは図3-Bに示すようなシグナルの混在したスペクトルを与えた。このスペクトルは、benzene moietyおよび蛍光団部の標品のESRとの比較を行うことで、NBのanion radicalに特徴的に観測される大きく広がった異方性超微細構造と、BODIPY cation radicalとg値の一致する強いシグナルに帰属された。さらに、flashphotolysis法による過渡吸収スペクトルの測定では電荷分離状態に由来する過渡吸収が数ピコ秒以内に立ち上がり、ナノ秒以内に消失していく様子も観測された。

以上の結果から、benzene moietyに電子吸引性基を有する化合物は、励起蛍光団からの電子移動過程(d-PeT)により消光していることが証明された。さらに、ニトロ基と蛍光団の位置を固定したまま電子移動過程がエネルギー的に不利となるように誘導体化を施す事で、ニトロ基を分子内に有しつつ、かつ高蛍光性となるnitroBODIPYの開発に成功した(図3-C)。以上から、ニトロ基の消光過程には特殊な機構は存在せず、ニトロ基がbenzene moietyの電子受容性を高めた結果引き起こされる励起蛍光団からの電子移動であることを示した。本研究では、蛍光団のΦflはd-PeTによって制御可能であることを明らかとし、その機構の詳細な検討を行った。励起蛍光団からの電子移動を蛍光制御原理とする蛍光プローブの開発は世界的にもほとんど例がなく、これらの結果は今後蛍光プローブを開発していく上で強力な指針となる。

続いてこれまでの知見を応用し、ONOO-を高選択的に検出可能な蛍光プローブの開発を行った。ONOO-は生体内においてSuperoxide(O2-)とNitric oxide(NO)との反応によって形成され、酸化ストレス増悪、DNAの損傷、膜障害、タンパク質の損傷を引き起こす活性種である。炎症性疾患部位においては、NOとO2-が共誘導されることが知られており、これらは拡散律速でONOO-へ変化し、生体成分の酸化・ニトロ化をもたらす。ONOO-は様々な病理的な生体環境においてその働きが注目されており、ONOO-等の分子を高選択的に検出する手法の開発はONOO-の生体内における発生・消失のメカニズムやその役割を解明する上で極めて重要な課題である。本研究ではONOO-を高選択的に検出するための蛍光プローブの開発を行った。ONOO-が活性種の中でも分子のニトロ化をもたらすという希な性質を有していることに着目し、ニトロ化されることで高蛍光性となる分子は、ONOO-を高選択的に検出可能であると考え、このような分子の設計を行った。ニトロ化されることで高蛍光性となる分子を開発するにあたり、本研究ではニトロ基の強い電子吸引性を利用し、benzene moietyがニトロ化されることで、これからの電子移動(a-PeT)を解除するプローブの設計を行った。

通常ニトロ基が導入された分子は蛍光性が著しく失われるが、これを避けニトロ化により高蛍光性となる蛍光プローブを開発するためには、図4に示す4つの条件を同時に満たすことが分子設計上必須であると考えた。この条件を満たす分子を開発するため、BODIPYを母核として選択し、反応部位(benzene moiety)と蛍光団の各部位の電気化学的性質を最適化した図5に示す分子を設計・合成した。開発したプローブはMeCN中においてほぼ無形光であり、ニトロ化試薬(NO2BF4)と速やかに反応して、benzene moietyがニトロ化され高蛍光性となることが示された(図5)。しかしながらこのプローブは、水溶性やONOO-に対する反応性の低さから、水溶液中でONOO-を検出することはできなかった。次に生理的条件下で機能するプローブを開発するために、プローブの反応性および水溶性を高める構造の最適化を行い、最終的に図5-Aに示すプローブを開発した。本プローブは中性リン酸緩衝液中において蛍光を有さず、ONOO-の添加により蛍光強度が劇的に増大した(図6-B)。また本プローブは、他の活性種の添加では蛍光強度が増加せず、ニトロ化を引き起こすONOO-を高選択的に検出できることも示された(図5-C)。

HPLCによる反応物解析の結果、プローブはONOO-との反応によりbenzene moiety5位のニトロ化体を主生成物として与えることが示され、以上の実験からプローブが設計通りONOO-プローブとして機能することが示された。ONOO-を高選択的に区別し、蛍光の増大によって検出できる蛍光プローブはこれまで開発されておらず、本プローブは生体内におけるONOO-の挙動・役割をより深く理解する上で有用なツールとなる。

図1光誘起電子移動による蛍光特性の制御

図2 Eredの異なるbenzene moietyを有するフルオレセイン誘導体のΦfl

図3 (A)Ered vs kqの比較

(B)nitroBODIPYのESRスペクトル(C)高蛍光性nitroBODIPYの設計

図4 ONOO-との反応によりΦflの増大するプローブの設計

(1)ONOO-との反応以前、a-PeTにより、蛍光が消光される

(2)ニトロ化により、a-PeTが解除される

(3)反応後、ニトロ化されたbenzene moietyに対しd-PeTが起こらない

(4)蛍光団が直接ニトロ化されない

図6(A)プローブの構造

(B)ONOO-添加によるプローブ蛍光の増大(C)プローブの活性種選択性

審査要旨 要旨を表示する

蛍光プローブとは、標的分子との反応により蛍光強度等の蛍光特性が変化する機能化された蛍光色素である。これを用いたバイオイメージング法は、細胞内に存在する生理活性物質の時空間的な挙動とその生理的な役割の理解を深めるため、極めて有用な手段である。

一般的に「ニトロ基は蛍光団にとって特殊な消光基であり、ニトロ基を構造中に有するものは蛍光性を持たない」とされているがその機構は明らかになっていない。本研究では電子吸引性基を持つ低蛍光性の誘導体に着目し、この消光機構を解明していくことで、新たな蛍光特性の制御原理・蛍光プローブの設計手法を確立することを目標に研究を行った。本研究ではさらに、得られた知見を応用し、生体分子の酸化・ニトロ化を引き起こす高反応性活性窒素種であるperoxynitrite(ONOO-)を高選択的に検出することが可能な蛍光プローブを開発した。

本研究ではまず、当研究室で合成中間体として得られてきた化合物のうち、benzene moietyに電子吸引性基を有するフルオレセイン誘導体に着目し分光学的特性の検討を行った。その結果、ニトロ基以外の電子吸引性の官能基がbenzene moietyに導入された場合にもΦflの低下が起こるという事実から、この現象が励起蛍光団からの電子移動(donor excited PeT:d-PeT)によって説明できると考え、この作業仮説を証明する実験を行った。具体的には、電子吸引性の官能基をbenzene moietyに導入したフルオレセイン誘導体を種々合成し、benzene moietyの還元電位(Ered)とΦflの相関を検証した。その結果、ニトロフルオレセインの消光機構が励起蛍光団からの電子移動であることが示唆された。

続いて電子受容性の高い化合物とBODIPYとの間の分子間消光定数(kq)の比較を行った結果、ニトロ基は蛍光団に対して特殊な消光基として機能しておらず、消光がd-PeTによってのみ起こっていることが示された。さらにこの消光機構においてd-PeTが存在することを直接証明するため、PeTにより形成される電荷分離状態の観測をESRおよびflash photolysis法を用いて試みた。その結果、電荷分離状態が観測され、benzene moietyに電子吸引性基を有する化合物は、励起蛍光団からの電子移動過程(d-PeT)により消光していることが証明された。

さらに、精緻な分子設計により、ニトロ基を分子内に有しつつ、かつ高蛍光性となるnitroBODIPYの開発に成功した。以上から、ニトロ基の消光過程には特殊な機構は存在せず、ニトロ基がbenzene moietyの電子受容性を高めた結果引き起こされる励起蛍光団からの電子移動であることを実証した。

続いてこれまでの知見を応用し、ONOO-を高選択的に検出可能な蛍光プローブの開発を行った。ONOO-は生体内においてSuperoxide(O2-)とNitric Oxide(NO)との反応によって形成され、酸化ストレス増悪、DNAの損傷、膜障害、タンパク質の損傷を引き起こす活性種である。炎症性疾患部位においては、NOとO2-が共誘導されることが知られており、これらは拡散律速でONOO-へ変化し、生体成分の酸化・ニトロ化をもたらす。ONOO-は様々な病理的な生体環境においてその働きが注目されており、ONOO-等の分子を高選択的に検出する手法の開発はONOO-の生体内における発生・消失のメカニズムやその役割を解明する上で極めて重要な課題である。本研究ではONOO-を高選択的に検出するための蛍光プローブの開発を行った。ONOO-が活性種の中でも分子のニトロ化をもたらすという希な性質を有していることに着目し、ニトロ化されることで高蛍光性となる分子は、ONOO-を高選択的に検出可能であると考え、このような分子の設計を行った。ニトロ化されることで高蛍光性となる分子を開発するにあたり、本研究ではニトロ基の強い電子吸引性を利用し、benzenemoietyがニトロ化されることで、これからの電子移動(a-PeT)を解除するプローブの設計を行った。

種々検討の結果、他の活性種の添加では全く蛍光強度が増加せず、ONOO-を高選択的に検出できるプローブの開発に成功した。ONOO-を高選択的に区別し、蛍光の増大によって検出できる蛍光プローブはこれまで開発されておらず、本プローブは生体内におけるONOO-の挙動・役割をより深く理解する上で有用なツールとなる。

以上の結果は、薬学研究において大きな学問的寄与があり、博士(薬学)の学位に値するものと認めた。

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