学位論文要旨



No 121513
著者(漢字) 小林,順
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ジュン
標題(和) 炭素-炭素結合生成を基軸とするアミノ酸誘導体の効率的合成法の開発
標題(洋)
報告番号 121513
報告番号 甲21513
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1156号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 柴,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 助教授 金井,求
 東京大学 助教授 徳山,英利
内容要旨 要旨を表示する

天然には、タンパク質を構成するα-アミノ酸に加えてそれらとは異なる骨格や官能基を有するアミノ酸が多く存在する。生理活性、薬理活性を有する多くの化合物中にもその骨格あるいは構成成分としてそれら異常アミノ酸が含まれていることがわかっており、それらを効率的に化学合成する手法の開発は極めて重要な研究課題である。また、特殊なアミノ酸骨格は新しい医薬品やその候補化合物を合成するためのビルディングブロックとしての活用も期待される。筆者は、最も単純なアミノ酸であるグリシンを基盤とした触媒的炭素−炭素結合生成反応に着目し、各種アミノ酸誘導体の効率的な新規合成法の開発研究を行った。

β-ヒドロキシ-α-アミノ酸誘導体の触媒的不斉合成

光学活性β-ヒドロキシ-α-アミノ酸の合成に関してはこれまでに様々な方法が確立されているが、アルデヒドに対するグリシン誘導体のアルドール反応は、最も効率的な手法の一つと考えられる。一方、既に当研究室では、Zr(OtBu)4と各種3,3'-I2BINOL誘導体およびPrOHとH2Oから調製されるキラルジルコニウム錯体が不斉向山アルドール反応において有効な触媒となることを見出している1)。本触媒系ではケイ素エノラートが有効に機能するため、求核剤としてグリシン由来のケイ素エノラートを用いることで、β-ヒドロキシ-α-アミノ酸骨格を効率的に構築できるのではないかと考え、検討を行った。種々のグリシン由来のケイ素エノラートとアルデヒドとの反応を検討した結果、N-トリフルオロアセチルグリシンメチルエステル由来のケイ素エノラート1がジルコニウム触媒系において最も有効であることがわかった。詳細な条件検討の結果、触媒系へのH2Oの添加量とエノラート1の滴下速度を厳密に制御することが効果的な反応の進行に必須であることが明らかとなった。BINOL誘導体として2を用いる最適条件下、各種芳香族アルデヒド、α,β-不飽和アルデヒドにおいて良好なアンチ選択性、高いエナンチオ選択性をもって目的物であるβ-ヒドロキシ-α-アミノエステルが得られた(Scheme1)。

次に本手法を用いるスフィンゴ脂質関連物質の不斉合成を計画し、鍵中間体としてアルドール体4を設定した。近年、スフィンゴ脂質の分子レベルでの機能解明に向けて活発な研究がなされており、脂質関連化合物の有機化学的手法に基づく効率的な合成手法の開発が望まれている。官能基が集約された構造を有する4は、種々のスフィンゴ脂質関連化合物の有用な鍵中間体になることが期待される。対応するアルデヒド3との反応を行ったところ、目的物4を高い収率と選択性をもって得ることができた(Scheme2)。さらに4を用いて、スフィンゴ脂質の基本物質であるL-erythro-sphingosineの効率的な不斉合成を達成した。本反応で得られる生成物のトリフルオロアセチル基は後の変換の際、そのまま脱保護容易なアミノ基の保護基としても有用である。グリシン由来のケイ素エノラートを用いる本手法は、さらに当研究室のグループによって改良が加えられ、vancomycinのユニットの一つとして知られているβ-アリールセリン誘導体の100gスケールでの供給およびケイ素源の定量的な回収も実現されている。筆者の行った検討は本手法の実用的なレベルでの活用に指針を示したものである。

α,β-ジアミノ酸誘導体の効率的新規合成法の開発

α,β-ジアミノ酸は天然物中にその骨格あるいは構成成分として多く含まれる非天然型アミノ酸であり、また、キラルビシナルジアミン骨格としての有用性も高く、効率的な合成法の開発が望まれている。イミンに対するグリシン誘導体のMannich型反応は、α,β-ジアミノ酸の効率的な合成法となることが期待される。これまでに当研究室でもグリシン由来のケイ素エノラートを用いるMannich型反応が検討されているが、選択性、基質一般性に課題を残していた。一方、グリシンエステル由来のイミン誘導体5はグリシンαアニオン等価体として極めて有用であり、様々な不斉反応に適用されている。しかしながら、5のイミンに対するMannich型反応は近年になってようやく数例が報告されたばかりであり、未だ開発途上である。また、通常は塩基存在下、相間移動触媒やルイス酸によって触媒的に5のエノラートを生成し、C=N求電子剤と反応させる。これに対し筆者は、塩基としてもC=N求電子剤としても機能し得るエナミンを基質として用いることで、目的とする反応がルイス酸触媒存在下促進されることを見出した(Scheme3)。

この反応はエナミンをイミン等価体として用いる新しいタイプのMannich型反応であり、外部塩基の添加を必要としない点とエナミンが通常単離困難で扱いにくいとされる脂肪族イミン等価体として機能している点が大きな特徴である。ルイス酸としては亜鉛や銅、銀のトリフラートがが良好な結果を与え、Zn(OTf)2を用いて反応条件の検討を行ったところ、脱水剤としてモレキュラーシーブス(MS)4Aを添加すると収率が向上することがわかり、ジアステレオ選択性は低くとどまるものの、目的とするα,β-ジアミノエステル誘導体が高収率で得られた。次にエナミンの構造に関して検討を行った(Table1)。その結果、窒素上の置換基の立体的、電子的効果のわずかな差異が反応の進行に大きく影響することが明らかとなった。また、他の直鎖型のエナミンやγ位あるいはβ位分岐型のエナミンを用いた場合にも高収率をもって目的物が得られた3)。

次に本反応を触媒的不斉反応へと展開した。Zn(OTf)2をはじめとする種々の金属トリフラートおよび不斉配位子の検討を行った。その結果、CuOTfおよびホスフィン配位子Me-DUPHOSを用いた場合に最も良好な収率とエナンチオ選択性が得られることがわかった(Table2)。また、反応性に大きく影響することが知られているグリシン誘導体のイミン部位のパラ位置換基として電子求引基を導入する検討を行ったところ、より強い電子求引基を導入するほど反応性がより向上することがわかった。さらに反応温度を下げることによって、両ジアステレオマーともに高いエナンチオ選択性をもって目的物が得られることを見出した。

本反応の反応機構を考察するにあたり、α位を重水素化したグリシン誘導体を用いて反応を行ったところ、生成物のγ位に高い重水素化率が観測された(Scheme4)。この結果から、グリシン誘導体のαプロトンがエナミンのβ炭素へ移動していることが示され、本反応が極めて効率的な触媒サイクルに則って進行していることが示唆された(Scheme5)。また、触媒サイクルにおける各段階の可逆性、非可逆生などについても検討し、基質の構造や反応条件が反応経路に与える影響などについても詳しく考察した。

三成分Mannich反応によるα,β-ジアミノ酸誘導体合成法の開発

古典的なMannich反応は、アルデヒドとアミンおよびα位活性カルボニル化合物の直接的な三成分縮合反応によってβ-アミノカルボニル化合物を与える有用な反応であるが、実際には使用できる基質に極端な制限があり、反応の制御が困難であるといった問題点があった。筆者は、ルイス酸触媒存在下、アルデヒドとジアリルアミンおよびグリシン誘導体と反応を試みたところ、穏和な条件下、目的とする三成分縮合反応が円滑に進行しすることを見出した。種々の芳香族アルデヒドに適用可能であり、対応するα,β-ジアミノ酸誘導体が高収率かつ高ジアステレオ選択的に得られることを明らかとした(Table3)。

本反応では、エナミンの反応において原理的に用いることのできない芳香族アルデヒドが適用可能であり、相補的な反応が実現できたといえる。また、この場合には高いジアステレオ選択性の発現がみられ、本手法の新たな有用性が示された。近年、イミンや金属エノラートを用いる間接的な触媒的不斉Mannich型反応の進歩が著しく、優れた触媒系が多数報告されている一方、本来のより直接的な三成分Mannich反応においては、効果的な触媒反応を実現した例は極めて少ない。筆者の開発した手法はエステルを求核剤として用いる初めての例であり、α,β-ジアミノ酸の効率的な新規合成法として期待されるだけでなく、学術的にも興味が持たれる。

Scheme 1. Aldol Reactions Using Glycine-Derived Silicon Enolate 1

Scheme 2. Efficient Asymmetric Synthesis of L- erythro-Sphingosine

Scheme 3. Direct Additon of Glycine Derivatives to Enamines

Table 1. Effect of Enamine Structures

Table 2. Catalytic Asymmetric Direct Addition of Glycine Derivatives to Enamines

Scheme 4. Deuteration StudyScheme 5. Assumed Catalytic Cycle

Scheme 5. Assumed Catalytic Cycle

Table 3. Direct Catalytic Three-Component Mannich Reactions

Yamashita, Y.; Ishitani, H.; Shimizu, H.; Kobayashi, S. J. Am. Chem. Soc. 2002, 124, 3292.Kobayashi, J.; Nakamura, M.; Mori, Y.; Yamashita, Y.; Kobayashi, S. J. Am. Chem. Soc. 2004, 126, 9192.Kobayashi, J.; Yamashita, Y.; Kobayashi, S. Chem. Lett. 2005, 34, 268.
審査要旨 要旨を表示する

自然界には、タンパク質を構成するα-アミノ酸に加えて、それらとは異なる骨格や官能基を有する異常アミノ酸が数多く存在する。一方、薬理活性を有する化合物中にも、特殊なα-アミノ酸骨格が含まれていることがしばしばあり、それらを効率的に化学合成する手法の開発は極めて重要な研究課題である。本論文は、最も単純なアミノ酸であるグリシンを基盤とした触媒的炭素−炭素結合生成反応に着目し、各種アミノ酸誘導体の効率的な新規合成法の開発研究を行った結果について述べたものである。

まず第一章では、β-ヒドロキシ-α-アミノ酸の触媒的不斉合成について述べている。同アミノ酸の光学活性体の合成に関してはこれまでに様々な方法が報告されているが、アルデヒドとグリシン誘導体のアルドール反応が最も効率的な手法の一つと考えられる。既に当研究室では、Zr(OtBu)4と各種3,3'-I2BINOL誘導体およびPrOHとH2Oから調製されるキラルジルコニウム錯体が、不斉アルドール反応において有効な触媒となることを見出しているが、本論文では、グリシン由来のケイ素エノラートに着目し、キラルジルコニウム錯体を用いたアルドール反応の検討を行っている。触媒の調製条件、反応条件などを詳細に検討し、最適条件下では大スケールでの合成も可能であり、各種芳香族アルデヒド、α,β-不飽和アルデヒドにおいて良好なアンチ選択性、高いエナンチオ選択性をもって目的物であるβ-ヒドロキシ-α-アミノエステルが得られることを明らかにしている。さらに本論文は、近年、分子レベルでの機能解明に向けて活発な研究が行われているスフィンゴ脂質関連物質に注目し、一連の化合物群調達のための鍵中間体の不斉合成、さらにそれを用いるLerythro-sphingosineの効率的な不斉合成を達成している。ここで本論文が開発した反応で得られる生成物のトリフルオロアセチル基は、後の化学変換の際、そのまま脱保護容易なアミノ基の保護基としても有用である。グリシン由来のケイ素エノラートを用いる本手法は、当研究室のグループによってvancomycinのユニットとして知られるβ-アリールセリン誘導体の100gスケールでの供給およびケイ素源の定量的な回収へと展開されている。

続いて第二章では、α,β-ジアミノ酸誘導体の効率的新規合成法の開発を行った結果について述べている。α,β-ジアミノ酸は天然物中にその骨格あるいは構成成分として多く含まれる異常アミノ酸であり、また、キラルビシナルジアミン骨格としての有用性も高く、効率的な合成法の開発が強く望まれている。しかしながら、この分野の研究は近年ようやく端緒に付いたばかりであり、イミンとグリシン誘導体のMannich型反応がα,β-ジアミノ酸の効率的な合成法となるものと期待され、活発に研究が行われている。これに対して本論文は、塩基としてもC=N求電子剤としても機能し得るエナミンを基質として用いることで、目的とする反応がルイス酸触媒存在下促進されることを見出している。本反応はエナミンをイミン等価体として用いるMannich型反応の初めての例であり、通常求核剤として用いられることの多いエナミンを求電子剤として用いている点、外部塩基の添加を必要としない点、エナミンが通常単離困難で扱いにくいとされる脂肪族イミン等価体として機能している点などで特筆に値する。ジアリルアミン由来のエナミンとグリシン由来のイミン誘導体を基質として各種ルイス酸を検討し、いくつかの金属トリフラートが本反応を円滑に触媒することを明らかにしている。特に銀や銅、亜鉛が良好な収率を与え、Zn(OTf)2を用いて反応条件の検討を行った結果、脱水剤としてモレキュラーシーブス(MS)4Aを添加すると収率が有意に向上し、目的とするα,β-ジアミノエステル誘導体が高収率で得られることを見出している。さらに、触媒量は1mol%まで低減化することが可能であるが、現段階では生成物のジアステレオ選択性はいずれの場合も低くとどまっている。さらに本論文は、エナミンの構造に関して詳細に検討を行い、ジベンジルアミンやモルホリン由来のエナミンでは全く反応が進行しないことから、窒素上の置換基の立体的、電子的効果のわずかな差異が反応の進行に大きく影響を及ぼすことを明らかにしている。また、他の直鎖型のエナミンやγ位あるいはβ位分岐型のエナミンを用いた場合にも、高収率をもって目的物が得られることを示している。さらに、触媒的不斉反応への展開を計り、Zn(OTf)2をはじめとする種々の金属トリフラートおよび不斉配位子の検討を行った結果、CuOTfおよびホスフィン配位子Me-DUPHOSを用いた場合に最も良好な収率とエナンチオ選択性が得られることを明らかにしている。さらに本論文では、重水素化実験などにより触媒サイクルを含む反応機構の解明も行い、グリシン誘導体のαプロトンのエナミンのβ炭素への移動など、反応進行のための鍵段階の詳細を明らかにしている。

第三章では、第二章で開発した反応系が直接的三成分Mannich反応へと展開可能であることを明らかにしている。すなわち、ルイス酸としてZn(OTf)2およびMS4A存在下、アルデヒド、ジアリルアミンおよびグリシン誘導体を反応させたところ、目的とするMannich反応が円滑に進行し、α,β-ジアミノエステル誘導体が高収率をもって得られることを見出している。エノール化し得るアルデヒドを基質とし、かつエステルを求核剤とするMannich反応が温和な条件下進行した点は極めて興味深い。また、エナミンの反応では原理的に用いることができなかった芳香族アルデヒドも本反応には適用可能であることを明らかにし、反応の一般性が拡張できることも示している。

以上、本論文は、グリシンを基盤とした触媒的炭素−炭素結合生成反応に着目し、新反応の開発を通じて各種アミノ酸誘導体の効率的な新規合成法の開発において顕著な成果を挙げており、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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