学位論文要旨



No 121525
著者(漢字) 鈴木,輝彦
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,テルヒコ
標題(和) 肝細胞索形成・肝発生における低分子量GTP結合タンパク質ADP-ribosylation factor 6 (ARF6)の機能
標題(洋)
報告番号 121525
報告番号 甲21525
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1168号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 講師 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

低分子量GTP結合タンパク質(Small Gタンパク質)スーパーファミリーに属するタンパク質はこれまでに100種以上発見されており、配列の相同性からRas、Rho、Rab、Ran、ADP-rbosylation factor(ARF)の5つのファミリーに分類されている。ARFには6つのアイソフォーム(ARF1-6)が存在し、それらは配列の相同性からクラスI(ARF1-3)、クラスII(ARF4、5)、クラスIII(ARF6)の3つのクラスに分類されている。ARF6はクラスIIIに分類される唯一のARFアイソフォームであることから、他のARFアイソフォームとは異なる特異的な生理機能を有していると考えられている。実際、クラスI、クラスIIに分類されるARFl-5は主にゴルジ嚢間またはゴルジ体-小胞体間の小胞輸送に関与していることが報告されているのに対して、ARF6は細胞膜における小胞輸送やアクチン細胞骨格の制御において極めて重要な役割を果たしていることが明らかとなっている。しかし、これまでに得られている知見は培養細胞などを用いた実験から得られたものであり、個体内で起きる様々な生命現象にARF6がどのように関与するのかについては全く明らかになっていない。そこで本研究ではARF6ホモ欠損マウスを作製し、個体におけるARF6の生理機能について解析を行った。

[結果と考察]

ARF6-/-胎児マウスでは肝形成異常が観察される

ARF6-/-胎児マウスは発生中期から出生前後でほとんどの個体が致死となることが分かった。そこでARF6の欠損によって引き起こされる胎児期の異常について解析したところ、胎生13.5日令(E13.5)ARF6-/-胎児の肝臓はARF6+/+またはARF6+/-胎児の肝臓と比較して顕著に小さく、形態的にも異常であることが明らかとなった(図1a-c)。またInsitu hybridization法によりARF6の発現を確認したところ、ARF6は肝臓において高い発現を示すことが明らかとなった(図1d)。さらにARF6-/-胎児の肝臓をヘマトキシリン-エオシン染色したところ、ARF6-/-胎児の肝臓では組織がスポンジ様の構造を呈し細胞密度が減少しており、特に肝臓辺縁部でその傾向が顕著であった。これらの結果からARF6は肝臓の発生・形成に重要な役割を果たしている可能性が考えられた。

ARF6-/-胎児マウス肝臓ではアポトーシスが亢進している

E13.5ARF6-/-胎児でこのように肝臓が小さくなり細胞密度が低下する原因として以下の3つの可能性が考えられる。すなわち、(1)増殖能力の低下、(2)造血器官として機能する胎児期の肝臓への造血系細胞の定着異常、(3)アポトーシスの亢進である。解析の結果、(1)、(2)についてはARF6-/-胎児肝臓において異常が見られなかったが、TUNEL染色によりアポトーシスの亢進について解析したところ、ARF6-/-胎児肝臓ではTUNEL陽性細胞が顕著に増加しており、アポトーシスが亢進していることが明らかとなった。そこで、肝臓を構成するどの細胞種がARF6-/-胎児の肝臓でアポトーシスを起こしているのかを解析したところ、アポトーシスは胎児肝細胞、赤芽球系細胞のいずれでも起きており、細胞種に特異性はないことが明らかとなった。これらの結果からARF6-/-胎児の肝臓が小さくなり細胞密度が減少したのは肝臓の細胞が細胞種非特異的にアポトーシスを起こしたためであると考えられる。しかしながら、このようなin vivoの解析結果に反して、in vitroで培養したARF6-/-胎児肝細胞および造血系細胞ではアポトーシスの亢進は観察されなかった。また、肝発生初期のE10.0 ARF6-/-胎児ではin vivoにおいても肝臓でアポトーシスの亢進は見られなかった。これらの結果から、肝臓におけるアポトーシスの亢進はARF6の欠損による一次的な異常ではなく、アポトーシスに先行してARF6-/-胎児肝臓内の微小環境に異常が生じた結果、誘起された二次的な異常であると考えられる。

ARF6-/-胎児マウスでは肝細胞索の形成異常が観察される

肝臓におけるアポトーシスに先行する一次的な異常を特定するため、私は発生の各段階のARF6-/-胎児肝臓について解析を行った。ARF6-/-胎児の肝臓を肝細胞マーカーであるアルブミンまたは早期胎児肝細胞マーカーであるLiv2に対する抗体で免疫組織染色したところ、興味深いことにARF6-/-胎児では肝細胞索の形成に異常がみられることが明らかとなった(図2)。野生型胎児では肝細胞索が分岐・吻合しながら遠部までよく伸長していたのに対し、ARF6-/-胎児では肝細胞索の分岐・吻合や伸長が不全で、肝細胞が塊状に存在するものが多く観察された。このような肝細胞索の形態異常は肝臓におけるアポトーシスの亢進がまだ観察されない発生段階(E10.0)でも観察された。しかし、E9.0のARF6-/-胎児では野生型胎児と同様に肝憩室において肝細胞が分化してきていたことから、肝細胞の分化は正常に起きていると考えられる。これらの結果から、ARF6の欠損によって引き起こされる最初の異常は肝細胞索形成の異常である可能性が考えられる。

ARF6はHGF依存的肝細胞索様構造の形成に重要な役割を果たしている

上述のようなARF6-/-胎児マウスでみられる肝形成異常は、HGFノックアウトマウスで認められる肝臓の矮小化、構造異常、胎児肝細胞の形態異常といった表現型とよく一致する。またこれまでの報告からMDCK細胞においてARF6はHGF刺激により活性化され、HGF刺激依存的な細胞分散を制御していることが知られていることから、ARF6-/-胎児でみられる肝臓形成異常はARF6が欠損することでHGFシグナル伝達に破綻をきたしたことに起因する可能性が考えられる。そこでまず胎児肝細胞におけるHGF依存的なARF6の活性化について検討したところ、ARF6は胎児肝細胞においてもHGF依存的に活性化されることがわかった。次に、コラーゲンゲル中で培養した胎児肝細胞のHGF依存的な肝細胞索様構造形成能について解析を行った(図3a)。これまでに報告されているように、野生型胎児肝細胞のコロニーはHGF依存的に伸長した形態を呈し、肝細胞索様構造を形成したが、ARF6-/-胎児肝細胞のコロニーではHGF依存的な肝細胞索様構造の形成能が低下していた。胎児肝細胞によるHGF依存的な肝細胞索様構造の形成には、HGF依存的なコロニー形態の伸長が寄与していると考えられる。そこで私はHGF刺激によって伸長した形態を示した肝細胞コロニーの割合について解析した(図3b)。その結果、HGF存在下で伸長した形態を示すコロニーの割合は野生型胎児肝細胞に対して、ARF6-/-胎児肝細胞では有意に減少していた。また、ARF6-/-胎児肝細胞にARF6を強制発現させると、HGF存在下で伸長した形態を示すコロニーの割合が回復した。これらの結果から、ARF6はHGFシグナルの下流因子として肝細胞索様構造の形成を制御していると考えられる。

[まとめ]

ARF6-/-胎児では肝発生の異常が観察され、肝臓が矮小化し細胞密度が低下していた。ARF6-/-胎児の肝臓ではアポトーシスが亢進していたことから、これが肝臓の矮小や細胞密度の低下を惹起したと考えられるが、in vitro培養実験の結果などからアポトーシスの亢進はARF6の欠損による一次的な異常ではないと考えられる。ARF6-/-胎児肝臓ではアポトーシスが亢進するよりも早期から肝細胞索の形成が不全となっており、またコラーゲンゲル内培養したARF6-/-胎児肝細胞ではHGF依存的な肝細胞索様構造の形成能が低下していたことから、ARF6-/-胎児の肝発生異常は肝細胞索の形成異常に起因すると考えられる。ARF6-/-胎児肝臓で観察されたアポトーシスの亢進は、肝細胞索の形成異常により肝臓内に適切な微小環境が形成されないために誘起された二次的な異常である可能性が考えられる。

図1 a-c、ARF6-/-胎児では野生型と比較して肝臓のサイズが小さく(b,白矢印)、形態が異常になっていることが明らかとなった(c,白矢頭)。Scalebars, 1mm.d, in situ hybridizationによりARF6の発現を調べたところ、ARF6は肝臓において高い発現が認められた。L,liver; G, gut. Scale bars, 100μm.

図2 各胎児期における肝領域を抗Liv2(肝芽細胞マーカー)(a,b,e,f)、または抗albumin(肝細胞マーカー)(c,d,g,h)抗体で染色した。a,e,E9.0では野生型、ARF6-/-胎児と共に前腸腹壁において肝芽細胞への分化が起きていた。b-d,f-h発生が進むに従って野性型胎児では細かい網目状に肝細胞索が伸長するのに対してARF6-/-胎児では肝細胞索の伸長が減弱していた。LD,liver diverticulum; G,gut. Scale bars, 50μm

図3 a, 図10と同様の方法で野生化したARF6-/-胎児から調整した肝細胞をHGF存在下、非存在下で培養した。野生型と比較してARF6-/-肝細胞は索様構造の形成が減弱していた。Scale bar, 100μm b, ARF6-/-肝細胞にARF6を強制発現するとHGF依存的な肝細胞索様構造形成が回復した。**P<0.005, *P<0.05.

審査要旨 要旨を表示する

低分子量GTP結合タンパク質のADP-ribosylation factor (ARF)ファミリーには6つのアイソフォーム(ARF1〜6)が存在し、それらはアミノ酸配列の相同性からクラスI (ARF1〜3)II (ARF4、5)、II(ARF6)の3つに分類される。ARF6はクラスIIIに分類される唯一のメンバーであることから、他のアイソフォームとは異なる特異的な生理機能を有すると考えられる。実際、クラスIIIに分類されるARF1-5は、主にゴルジ嚢間またはゴルジ体へ小胞体間の小胞輸送に関与するがARF6はエンドサイトーシスやアクチン細胞骨格の再編成において極めて重要な役割を果たしていることが細胞レベルで明らかにされつつある。しかしながらARF6が個体内での様々な生命現象にどのように関与するのかについては全く明らかにされていない。 「肝細胞索形成・肝発生における低分子量GTP結合タンパク質ADP-ribosylation factor 6(ARF6)の機能」と題する本論文ではARF6ホモ欠損マウスを作出しARF6が肝細胞索の形成を制御していることを示すと共に、肝臓の発生におけるARF6の重要性を明らかにしている。

ARF6-/-胎児マウスでは肝形成異常が観察される

ARF6-/-胎児マウスは発生中期から出生前後でほとんどの個体が致死となる。そこでARF6の欠損によって引き起こされる胎児期の異常について解析し、胎生13.5日令(E13.5)ARF6-/-胎児の肝臓はARF6+/+またはARF6+/-と比較して顕著に小さく、形態的にも異常であることを明らかにした。またin situ hybridization法により個体におけるARF6の発現を解析し、ARF6は肝臓において高い発現を示すことを見出した。ARF6-/-胎児の肝臓では、組織がスポンジ様の構造を呈し、さらに細胞密度が減少しており、特に肝臓辺縁部でその傾向が顕著であった。これらの結果からARF6は肝臓の発生・形成に重要な役割を果たしている可能性が考えられた。

ARF6-/-胎児マウス肝臓ではアポトーシスが亢進している

E13.5のARF6-/-胎児で肝形成が異常となる原因として1)増殖能力の低下2)造血器官として機能する胎児期の肝臓への造血系細胞の定着異常3)アポトーシスの亢進、という3つの可能性が考えられた。1)、2)については、諸種の解析からARF6-/-胎児肝臓において異常を認めなかったが3)についてTUNEL染色した結果、ARF6-/-胎児肝臓ではアポトーシスが亢進していることを見出した。そこで、肝臓を構成するどの細胞種がARF6-/-胎児の肝臓でアポトーシスを起こしているのかを解析した。アポトーシスは胎児肝細胞、赤芽球系細胞のいずれでも起きており、細胞種に特異性はないことが明らかとなった。これらの結果からARF6-/-胎児の肝臓は細胞種非特異的にアポトーシスが亢進していると考えられた。しかしながら、このようなin vivoの解析結果に反してin vitroで培養したARF6-/-胎児肝細胞および造血系細胞では、アポトーシスの亢進は観察されなかった。また、肝発生初期にあたるE1O.0のARF6-/-胎児ではin vivoにおいても肝臓でアポトーシスの亢進は見られなかった。これらの結果から、肝臓におけるアポトーシスの亢進はARF6の欠損による一次的な異常ではなく、アポトーシスに先行してARF6-/-胎児肝臓内の微小環境に異常が生じた結果、誘起された二次的な異常であると考えられた。

ARF6-/-胎児マウスでは肝細胞索の形成異常が観察される

肝臓におけるアポトーシスに先行する一次的な異常を特定するために、発生の各段階のARF6-/-胎児肝臓について解析を進めARF6-/-胎児では肝細胞索の形成に異常があることを見出した。野生型胎児では肝細胞索が分岐・吻合しながら遠部までよく伸長していたのに対しARF6-/-胎児では肝細胞索の分岐・吻合や伸長が不全で、肝細胞が塊状に存在するものが多く観察された。このような肝細胞索の形態異常は、肝臓におけるアポトーシスの亢進がまだ観察されない発生の早い段階(E1O.0)でも観察された。しかしながらE9.0のARF6-/-胎児では野生型胎児と同様に肝憩室において肝細胞の分化が認められたことから、肝細胞の分化は正常に起きていると考えられる。これらの結果からARF6の欠損によって引き起こされる最初の異常は、肝細胞索の形成異常にあると考えられた。

ARF6はHGF依存的肝細胞索様構造の形成に重要な役割を果たしている

ARF6-/-胎児マウスで見られる肝形成異常は、HGFノックアウトマウスで認められる肝臓の構造異常や細胞の形態異常といった表現型とよく一致する。またMDCK細胞においてARF6はHGF刺激により活性化されHGF刺激依存的な細胞分散を制御するというこれまでの報告からARF6-/-胎児の肝形成異常はARF6が欠損することでHGFシグナル伝達に破綻をきたしたことに起因する可能性が考えられた。そこで、まず胎児肝細胞においてHGFによるARF6の活性化について検討した結果ARF6は胎児肝細胞においてもHGFにより活性化された。次に、コラーゲンゲル中で培養した胎児肝細胞のHGFによる肝細胞索様構造形成能について解析を行った。野生型胎児肝細胞のコロニーはHGF依存的に伸長した形態を呈し、肝細胞索様構造を形成したがARF6-/-胎児肝細胞のコロニーでは索様構造の形成能が低下していた。またHGF刺激によって伸長する肝細胞コロニーの割合もARF6-/-胎児肝細胞では野生型胎児肝細胞に比べて有意に減少していた。さらにARF6-/-胎児肝細胞にARF6を強制発現させるとHGF存在下で伸長した形態を示すコロニーの割合が回復した。これらの結果からARF6はHGFシグナルの下流因子として肝細胞索様構造の形成を制御していると考えられた。

本研究はARF6が肝細胞索の形成制御を介して肝臓の発生に関与することを明らかにしている。ARF6-/-胎児の肝臓ではアポトーシスが亢進していたことから、これがARF6-/-胎児肝臓の矮小化や細胞密度の低下を惹起したと考えられるがin vitro培養実験の結果などから、アポトーシスの亢進はARF6の欠損による一次的な異常ではないと考えられる。ARF6-/-胎児肝臓ではアポトーシスの亢進以前に肝細胞索の形成が不全となっており、また培養ARF6-/-胎児肝細胞ではHGF依存的な肝細胞索様構造の形成能が低下していたことから、ARF6-/-胎児の肝発生異常は肝細胞索の形成異常に起因すると考えられる。ARF6-/-胎児肝臓で観察されたアポトーシスの亢進は、肝細胞索の形成異常により肝臓内に適切な微小環境が形成されないために誘起されたと考えられる。これらの研究成果は個体におけるARF6の機能を初めて明らかにしたものでありARF6が肝細胞索形成を制御するという知見は、ガンの浸潤や転移など細胞運動を伴う類似した現象へのARF6の関与を示唆し、今後の研究の進展にも有用な知見を提供している。以上を要するに、本論文は博士(薬学)の学位として十分な価値があるものと認められる。

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