学位論文要旨



No 121530
著者(漢字) 岸,安宏
著者(英字)
著者(カナ) キシ,ヤスヒロ
標題(和) リゾホスファチジン酸産生酵素リゾホスホリパーゼDの基質供給経路
標題(洋)
報告番号 121530
報告番号 甲21530
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1173号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 助教授 楠原,洋之
内容要旨 要旨を表示する

【序】

リゾホスファチジン酸(LPA)は、in vitroで細胞増殖、細胞運動性の亢進など多彩な機能を発揮するユニークな生理活性脂質である。LPAの作用は、G蛋白質共役型受容体を介することが知られており、近年、LPA受容体ノックアウトマウスを用いた解析から、LPAが脳神経系の発達や生殖系の発育に必須であることが明らかになってきた。LPAは血清中に多く含まれていることが知られているが、当教室ではこれまで血清中のLPA産生経路を解析し、血清LPAは様々な経路で産生されることを明らかにした(参考1)。また、血清中の主要なLPA産生酵素リゾホスホリパーゼD(lysoPLD)の同定を行った(参考2)。lysoPLDは血中に数百μMと高濃度で存在するリゾホスファチジルコリン(LPC)をLPAに変換する酵素であり、本酵素を精製した結果、lysoPLDは癌細胞運動性促進因子であるautotaxinと同一であることがわかった。最近、当教室では、lysoPLDノックアウト(KO)マウスの解析が行われ、KOマウスが胚致死であること、lysoPLDヘテロマウスはlysoPLD活性やLPAレベルが野生型の半分になるにもかかわらずほとんど表現型を示さないことがわかった。私は、lysoPLDの機能を考える上で、本酵素の基質であるLPCの産生機構を理解することも重要であると考えた。本研究で、私は、生体内におけるLPCの産生経路を解析し、LPCは複数の経路で産生されることを明らかにした。さらに、このうち特定の経路で産生されたLPCだけがlysoPLDの基質となることを見出した。

【方法と結果】

血中には複数のLPC産生経路が存在する

血中には数百μMのLPCが存在するがその産生経路の詳細は不明である。HDLなどのリポタンパク質にはホスファチジルコリン(PC)が大量に含まれ、血中にはPCが数mMの濃度で存在することが知られており、血中LPCはおそらくこのPCが血中に存在するホスホリパーゼA(PLA)の作用により産生されると考えられる。当研究室では、これまでリポタンパク質代謝に関わり、in vitroでPLA2活性を持つことが知られているレシチンコレステロールアシルトランスフェラーゼ(LCAT)が血中LPC産生に関与することをヒトLCAT欠損者から単離した血漿を用い示している(参考1)。そこで、LCATノックアウト(KO)マウスを用い血漿中のLPC及びLPA産生を解析することにした。野生型、LCAT KOマウスの血漿LPCはそれぞれ約500μM、約200μMであった。次に、LPA濃度、LPA産生能を調べたところ、予想に反して、LCAT KOマウス血漿LPA濃度、及び、加温血漿中でのLPAの産生能は野生型と比較してほとんど低下していないことが明らかとなった(Fig. 1)。また、LCAT KOマウスではLPC産生量が野生型に比べ著しく低下していたものの少量のLPCが有意に産生されていることがわかった(Fig. 2)。従って、LCAT非依存的なLPC産生経路が血中LPA産生に重要であるものと考えられた。

LCAT非依存的な血中LPC産生経路では不飽和LPCが主に産生される

LCAT非依存的なLPC産生経路を知る手がかりとして、electrospray ionization mass spectrometry(ESI/MS)を用いて単離血漿中、あるいは血漿加温後のLPC、LPAの脂肪酸組成を解析した。単離血漿中のLPCは、野生型マウスでは、16:0 LPCや18:0 LPCなどの飽和LPCが主要なLPC分子種であったのに対し、LCAT KOマウスでは、16:0や18:0といった飽和LPCが大きく低下していた(Fig. 3)。一方、加温血漿後のLPCにおいては、野生型マウスでは、飽和・不飽和どちらのLPCも産生され、LCAT KOマウスでは、不飽和LPCのみが増加した(Fig. 3)。一方、産生されるLPAは、野生型、LCAT KOマウスともに、ほとんどが18:2, 20:4を含む不飽和 LPAであった(Fig. 4)。このことから、lysoPLDはLCAT非依存的な経路によって産生される不飽和LPCを基質とし、不飽和LPAを主に産生することがわかった。

lysoPLDへの基質供給としてのLPC産生経路ではheparin結合性のPLA1が関与している

不飽和LPCはホスホリパーゼA1 (PLA1)の作用によりPCより産生される。血中のPLA1活性を有する分子として、肝性リパーゼ(HL)や内皮細胞リパーゼ(EL)が知られている。どちらの分子もトリアシルグリセロールを分解する活性の他、in vitroでPLA1活性を持つことが報告され、また、血管内皮細胞の細胞壁にヘパラン硫酸糖鎖を介し結合した状態で存在し、heparinを投与することにより血中へ遊離されることが知られている。そこで、heparin投与ラットから調製した血漿中のLPC、LPA産生を検討した。LPC及びLPAの産生能は、heparin投与により顕著に上昇し(data not shown)、主に18:2, 20:4, 22:6を含むLPCやLPAが産生されることがわかった(Fig. 5)。次に不飽和LPCが、実際に、HLやELなどのリパーゼによって産生されているかどうか確認するために、リパーゼ阻害剤xenicalの効果を検討した。xenicalは、HL、ELを含めたリパーゼを広く阻害するリパーゼ阻害剤である。加温血漿中にxencalを添加するとLPC(Fig. 5)だけでなくLPAの産生も顕著に抑制された。以上のことから、血中のlysoPLDへの基質供給にはHLやELなどのheparin結合性のPLA1が重要であることが明らかとなった。

HLの血中LPA産生への寄与

EL、HL各KOマウスを用いてこれら分子の血中のLPA産生への関与を検討した。EL、HL各KOマウスから血漿を単離して、37℃で加温したところ、HL KOマウスではLPA産生量が著しく低下することがわかった(Fig. 5)。また、同時に、不飽和LPCの産生量も減少していた(Fig. 6)。このことから、HLが個体レベルで、血中のlysoPLDへの基質供給に寄与していることが明らかとなった。一方、EL KOマウスでは予想に反してLPA産生の低下は認められなかった(data not shown)。EL KOマウスにおいてはLPC量が増加しており、これはリン脂質(PC)量が約1.5倍に上昇しているため、LCATやHLの作用によるLPC産生の増加分が、ELの欠損によるLPC産生の低下分を上回ったためと考えている。

【まとめ】

HL, ELなどの血中リパーゼがin vitroでPLA1活性を持つことはよく知られていたが、その意義については不明な点が多く残されていた。私は、本研究により、HL、ELがLPCを産生することにより血中lysoPLDを介するLPA産生に大きく寄与することを明らかにした。lysoPLDは不飽和LPCをより良い基質とすることがin vitroの解析からわかっていたが、この基質特異性は vivoレベルでも保たれていることが分かった。これまでに、ELやHL、lysoPLDが発生胚、妊娠マウスの卵巣黄体、動脈硬化巣などにおいて高発現していることを見出している。これらの部位においてリパーゼとlysoPLDが協調的に機能している可能性があり、今後、ELとHLのダブルKOマウスとlysoPLD KOマウスを交配することにより不飽和LPC産生酵素とLPA産生酵素の機能を個体レベルで示したいと考えている。

Fig.1 LCAT KOマウス血漿ではLPA産性能は低下していない

Fig.3 LCAT非依存的な経路では不飽和LPCが産生される

Fig.2 血中にはLCAT非依存的なLPC産生経路が存在する

Fig.4 野生型、LCAT KOマウスともに不飽和LPCが産生される

Fig.5 LPC産生に対するheparinとxenicalの効果

Fig.6 血中LPC産生経路とlysoPLDへの気質供給

Fig.7 HLの血中LPA産生への寄与

Fig.8 HL KOマウスの血中LPC脂肪酸組成

Aoki J, Taira A, Takanezawa Y, Kishi Y, Hama K, Kishimoto T, Mizuno K, Saku K, Taguchi R, Arai H. J Biol Chem. (2002)、参考2)Umezu-Goto M, Kishi Y, Taira A, Hama K, Dohmae N, Takio K, Yamori T, Mills GB, Inoue K, Aoki J, Arai H. J Cell Biol. (2002)
審査要旨 要旨を表示する

リゾホスファチジン酸(LPA)は、in vitroで細胞増殖、細胞運動性の亢進など多彩な機能を発揮するユニークな生理活性脂質である。LPAの作用は、G蛋白質共役型受容体を介することが知られており、近年、LPA受容体ノックアウトマウスを用いた解析から、LPAが脳神経系の発達や生殖系の発育に必須であることが明らかになってきた。LPAは血清中に多く含まれていることが知られているが、当教室ではこれまで血清中のLPA産生経路を解析し、血清LPAは様々な経路で産生されることを明らかにした。また、血清中の主要なLPA産生酵素リゾホスホリパーゼD(lysoPLD)の同定を行った。lysoPLDは血中に数百μMと高濃度で存在するリゾホスファチジルコリン(LPC)をLPAに変換する酵素であり、本酵素を精製した結果、lysoPLDは癌細胞運動性促進因子であるautotaxinと同一であることがわかった。最近、当教室では、lysoPLDノックアウト(KO)マウスの解析が行われ、KOマウスが胚致死であること、lysoPLDヘテロマウスはlysoPLD活性やLPAレベルが野生型の半分になるにもかかわらずほとんど表現型を示さないことがわかった。本研究で、岸は、生体内におけるLPCの産生経路を解析し、LPCは複数の経路で産生されることを明らかにした。さらに、このうち特定の経路で産生されたLPCだけがlysoPLDの基質となることを見出した。

血中には複数のLPC産生経路が存在する

当研究室では、これまでリポタンパク質代謝に関わり、in vitroでPLA2活性を持つことが知られているレシチンコレステロールアシルトランスフェラーゼ(LCAT)が血中LPC産生に関与することをヒトLCAT欠損者から単離した血漿を用い示している。そこで、岸は、まずLCATノックアウト(KO)マウスを用い血漿中のLPC及びLPA産生を解析することにした。その結果、野生型、LCAT KOマウスの血漿LPCはそれぞれ約500μM、約200μMであった。次に、岸は、LPA濃度、LPA産生能を調べたところ、LCAT KOマウス血漿中LPA濃度、及び、加温血漿中でのLPAの産生能は野生型と比較してほとんど低下していないことを明らかとした。また、LCAT KOマウスではLPC産生量が野生型に比べ著しく低下していたものの少量のLPCが有意に産生されていることがわかった。従って、LCAT非依存的なLPC産生経路が血中LPA産生に重要であるものと考えられた。

LCAT非依存的な血中LPC産生経路では不飽和LPCが主に産生される

岸は、LCAT非依存的なLPC産生経路を知る手がかりとして、electrospray ionization mass spectrometry(ESI/MS)を用いて単離血漿中、あるいは血漿加温後のLPC、LPAの脂肪酸組成を解析した。その結果、単離血漿中のLPCは、野生型マウスでは、16:0 LPCや18:0 LPCなどの飽和LPCが主要なLPC分子種であったのに対し、LCAT KOマウスでは、16:0や18:0といった飽和LPCが大きく低下していた。一方、加温血漿後のLPCにおいては、野生型マウスでは、飽和・不飽和どちらのLPCも産生され、LCAT KOマウスでは、不飽和LPCのみが増加した。さらに、産生されるLPAは、野生型、LCAT KOマウスともに、ほとんどが18:2, 20:4を含む不飽和 LPAであった。このことから、lysoPLDはLCAT非依存的な経路によって産生される不飽和LPCを基質とし、不飽和LPAを主に産生することがわかった。

lysoPLDへの基質供給としてのLPC産生経路ではheparin結合性のPLA1が関与している

不飽和LPCはホスホリパーゼA1 (PLA1)の作用によりPCより産生される。血中のPLA1活性を有する分子として、肝性リパーゼ(HL)や内皮細胞リパーゼ(EL)が知られている。どちらの分子もトリアシルグリセロールを分解する活性の他、in vitroでPLA1活性を持つことが報告され、また、血管内皮細胞の細胞壁にヘパラン硫酸糖鎖を介し結合した状態で存在し、heparinを投与することにより血中へ遊離されることが知られている。そこで、岸は、heparin投与ラットから調製した血漿中のLPC、LPA産生を検討した。その結果、LPC及びLPAの産生能は、heparin投与により顕著に上昇し、主に18:2, 20:4, 22:6を含むLPCやLPAが産生されることがわかった。次に、岸は、不飽和LPCが、実際に、HLやELなどのリパーゼによって産生されているかどうか確認するために、リパーゼ阻害剤xenicalの効果を検討した。xenicalは、HL、ELを含めたリパーゼを広く阻害するリパーゼ阻害剤である。その結果、加温血漿中にxencalを添加するとLPCだけでなくLPAの産生も顕著に抑制された。以上のことから、血中のlysoPLDへの基質供給にはHLやELなどのheparin結合性のPLA1が重要であることが明らかとなった。

HLの血中LPA産生への寄与

岸は、EL、HL各KOマウスを用いてこれら分子の血中のLPA産生への関与を検討した。岸は、まず、EL、HL各KOマウスから血漿を単離して、37℃で加温したところ、HL KOマウスではLPA産生量が著しく低下することがわかった。また、同時に、不飽和LPCの産生量も減少していた。このことから、HLが個体レベルで、血中のlysoPLDへの基質供給に寄与していることが明らかとなった。一方、EL KOマウスでは予想に反してLPA産生の低下は認められなかった。

以上のように、岸は、HL、ELがLPCを産生することにより血中lysoPLDを介するLPA産生に大きく寄与することを明らかにした。lysoPLDは不飽和LPCをより良い基質とすることがin vitroの解析からわかっていたが、この基質特異性は vivoレベルでも保たれていることが分かった。さらに、岸は、これまでに、ELやHL、lysoPLDが発生胚、妊娠マウスの卵巣黄体、動脈硬化巣などにおいて高発現していることを見出している。これらの部位においてリパーゼとlysoPLDが協調的に機能している可能性があり、今後、ELとHLのダブルKOマウスとlysoPLD KOマウスを交配することにより不飽和LPC産生酵素とLPA産生酵素の機能を個体レベルで示すことができる。

本研究は、生体内におけるLPCの産生経路を解析し、このうち特定の経路で産生されたLPCだけがlysoPLDの基質となるという非常に新しい概念を提供したことから、薬学(博士)に充分値するものと判断した。

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