学位論文要旨



No 121531
著者(漢字) 小山,宏史
著者(英字)
著者(カナ) コヤマ,ヒロシ
標題(和) 酸化的ストレス耐性における転写の忠実度の維持機構の役割
標題(洋)
報告番号 121531
報告番号 甲21531
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1174号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 一條,秀憲
内容要旨 要旨を表示する

序章

酸化的ストレスと転写の忠実度

活性酸素種は、好気呼吸など正常な生命活動を行う際のみならず、外界の環境的な要因によっても生じる。RNA合成の基質であるリボヌクレオシド3リン酸(NTPs)は酸化の標的となる。酸化型フォームのNTPsが誤ってRNA中に取り込まれると異常なRNAが生じ、さらにはアミノ酸置換を持つようなタンパクの産生を誘発する。変異タンパクが時として細胞に害を与えるような活性をもつことや、異常タンパクの蓄積が様々な疾患の原因となることから、転写段階において忠実度を維持することは細胞の恒常性を維持する上で重要であると私は考えている。しかしながら、酸化的ストレスによる転写エラーを防ぐ機構や、忠実度の低下が細胞の増殖/生存に及ぼす効果は明らかではない。そこで、これらの疑問点を解決するために以下に示す転写の忠実度の維持機構に着目した。

転写の忠実度の維持機構

RNA polymeraseII(RNAPII)は誤ったヌクレオチドを取り込むと、第一段階として、エラーを認識して転写の一時的な中断を起こす。第二段階として、RNAPII自身がもつribonuclease(cleavage)活性によって誤ったヌクレオチドが除去され、その結果、忠実度が維持されることが試験管内転写系を用いた解析から考えられている。本論文では、これら二つの過程からなる一連の忠実度の維持機構に働く因子群に着目して、酸化的ストレス下での役割の解明を試みた。

結果と考察

S-IIは酸化的ストレスによる転写の忠実度の低下を防ぐ

S-IIはRNAPIIのCleavage活性を促進することで転写の忠実度の維持に寄与することが試験管内転写系を用いた解析から明らかになっている。また、私は修士課程においてS-IIが酵母細胞の酸化的ストレス下での増殖に必須であることを見いだしていた。そこで、S-IIが酸化的ストレスによる転写の忠実度の低下を防ぐ機能を有しているのではないかと考えて検証した。

酵母細胞内での転写の忠実度の評価する系として、点変異を導入したlacZ遺伝子をレポーター遺伝子として用いた(図1)。点変異によって終止コドンが導入されているため、正しく転写されると活性をもったβ-galactosidaseは発現しない。しかし、変異部位で誤ってGTPや酸化型NTPである8-oxoGTPが取り込まれると、グルタミン酸として翻訳されて活性を持ったβ-galactosidaseが発現する。したがって、転写の忠実度が低下した細胞は、高いβ-galactosidase活性をしめすことが期待される。

S-II欠損株を用いて解析を行ったところ、酸化的ストレスを与える薬剤であるメナジオンの処理によって、β-galactosidase活性の上昇が見られた(図2A)。すなわち、エラーが増加(=忠実度が低下)したと考えられる。この条件において、lacZのmRNA量をNorthern hybridization法によって調べたところ、メナジオン添加によってむしろ減少した(図2B)。また、点変異lacZ遺伝子の代わりに野生型lacZ遺伝子を用いたときにはメナジオン添加によってβ-galactosidase活性は減少した(図2C)。したがって、点変異lacZ遺伝子を用いたときのメナジオン添加によるβ-galactosidase活性の上昇は、lacZ遺伝子の発現上昇によるものではなく転写の忠実度の低下によるものと考えられる。

忠実度を評価する指標として、野生型lacZ遺伝子を用いたときの活性に対する、点変異lacZ遺伝子を用いたときの活性の比を「Error rate」と定義し、用いることにした。S-II欠損株では、メナジオン添加によってError rateが上昇した(図2D)。すなわち、忠実度が低下することが明らかとなった。

次に、S-IIが酸化的ストレスによる忠実度の低下を防ぐ機能を有するかを検証した。S-II欠損株と野生株との間でのError rateを比較したところ、通常条件(好気条件)ではS-II欠損株が野生株の約4倍高いError rateを示したのに対して、メナジオン添加時には両株の差が約70倍にまで増幅された(図3)。したがって、S-IIが酸化的ストレス下での忠実度の維持に寄与していることが明らかとなった。

S-IIのCleavage促進活性の寄与

次に、S-IIによる酵母細胞内における忠実度の維持が、Cleavage促進活性で説明されるかを検証した。試験管内転写系において、Cleavage促進活性を欠失することが示されている変異体S-II(Mt3)を発現する株では、S-II欠損株と同様に低忠実度とメナジオン感受性を示した。したがって、S-IIのCleavage促進活性が酵母細胞内での忠実度の維持と酸化的ストレス耐性に必要であると考えられる。

S-IIのCleavage促進活性の寄与

S-IIのCleavage促進活性が忠実度の維持と酸化的ストレス耐性に機能するという考えが正しいのであれば、S-IIのCleavaege促進活性に影響する因子もS-IIと同様にこれら二つの細胞機能に寄与することが予想される。Rpb9は、試験管内転写系でS-IIのCleavage促進活性を増強する活性を有するが、転写の忠実度の維持における寄与は明らかではない。

RPB9欠損株を用いた解析を行ったところ、野生株と比べて忠実度が低下し、なおかつメナジオン感受性を示した。そこで次に、これらの表現型に対してCleavage増強活性が寄与しているかを検証した(図4)。試験管内転写系を用いた解析から、Cleavage増強活性に異常をもつ変異Rpb9が知られていた。Cleavage増強活性を保持する変異Rpb9を導入した株では忠実度の顕著な回復が見られたのに対して(カラム5,6,7)、Cleavage増強活性を失った変異Rpb9を導入した株においては、忠実度が全く回復しないか(カラム3)、もしくは回復は部分的であった(カラム4)。メナジオン感受性についても同様であった。

したがって、S-IIのCleavage促進活性を増強するRpb9の活性が、酵母細胞における忠実度の維持と酸化的ストレス耐性に寄与していると考えられる。

一方で、Δ65-70変異体はCleavage増強活性を欠失しているにもかかわらず、その導入によってメナジオン感受性及び忠実度が部分的に回復した。この結果から、Rpb9は、S-IIによるCleavage促進を増強する活性のみならず、S-IIとの相互作用を必要としない別の機構によってもメナジオン耐性並びに忠実度の維持に寄与している可能性を私は考えた。

Rpb9のS-IIを必要としない機能の寄与

Rpb9が、S-IIを必要とする活性であるCleavage増強活性以外で忠実度の維持に寄与しているのであれば、S-II遺伝子を欠損した遺伝的背景においても、Rpb9は忠実度の維持に働くことができるのではないかと私は考えた。Rpb9は転写中断を誘導する活性を有することが知られているが、この活性の発揮にはS-IIを必要としない。また、序章で述べたように中断誘導は転写エラーの認識と密接な関係にあると考えられている。そこで、Rpb9の中断誘導活性が忠実度の維持に寄与している可能性を私は考えた。

S-II遺伝子を欠損した遺伝的背景においてさらにRPB9を欠損させたところ、忠実度とメナジオン感受性がより増悪した。したがって、Rpb9がS-IIを必要としない機構によってもこれらの細胞機能に寄与しているがわかった。次に、Rpb9の忠実度の維持機構がメナジオン耐性に寄与しているのではないかと私は考えた。3.で用いた変異Rpb9をS-IIとRPB9の二重欠損株に導入して解析したところ、忠実度の回復の程度とメナジオン感受性の回復の程度との間に相関が見られた(図5)。したがって、Rpb9の忠実度を回復させる機能と酸化的ストレス耐性を導く機能が一致していると考えられる。

転写中断の誘導の寄与

4.の結果から、転写中断の誘導が忠実度を上昇させることが示唆された。この点を確証するために、Rpb9とは異なる方法によって中断誘導したときの忠実度に与える効果を検証した。6-azauracilは中断を誘導する薬剤である。また、転写因子Spt4またはElonginの欠損も中断を誘導する。これらの薬剤ならびに遺伝子変異を酵母細胞に与えたところ、いずれの場合にも忠実度の回復が見られた(図6)。したがって、転写中断を誘導することが忠実度の上昇に寄与すると考えられる。

結論

私は、生体内において、酸化的ストレスによる転写エラーの防御に、転写中断の誘導(Rpb9)とCleavage(S-IIならびにRpb9)という一連の過程が機能することを明らかにした。また、これらの過程が酸化的ストレス下での正常な細胞の増殖に寄与することを示唆する証拠を示した。転写エラーが引き起こす細胞増殖の停止を防ぐ機構の存在を初めて明らかにしたものである。今後、異常タンパクの蓄積が原因とされる疾患に対して、転写の忠実度の低下が及ぼす影響を明らかにすることが課題として挙げられる。

図1.in vivoでの転写の忠実度のアッセイ系

図2.S-II欠損株における、酸化的ストレス下での転写の忠実度

図3.S-IIは酸化的ストレスによる転写の忠実度の低下を防ぐ

図4.種々のRpb9変異体

図5.種々のRpb9変異体発現酵母株の転写の忠実度(A)とメナジオン耐性度(B)

図6.転写中断の誘導が忠実度に与える効果

審査要旨 要旨を表示する

申請者小山宏史の論文は、酵母細胞の増殖に対する、酸化的ストレス耐性における転写の忠実度の維持機構の役割について述べたものである。この論文は以下の各章から成っている。

序章において申請者は、研究の目的・意義について論じている。様々な生体内分子は酸化によってその機能に異常を来す。したがって、酸化的ストレスに対する防御機構の解明は、生体の恒常性を理解する上で不可欠である。転写の基質であるヌクレオシド3リン酸は酸化され、RNA中に誤って取り込まれることから、転写段階も酸化のターゲットとなると考えられる。しかしながら、転写の忠実度の低下が細胞に及ぼす影響や、転写エラーを防ぐ機構に関する理解は不十分である。本研究では、転写の忠実度の維持において重要な役割を果たしていると考えられる、転写エラーの認識過程とそれに引き続いて起きる校正に着目し、その酸化的ストレス下での役割を検証した。

第1章及び第2章において申請者は、転写校正促進因子S-IIが酸化的ストレスによる忠実度の低下を防ぐことについて論じている。S-IIは試験管内転写系において、RNA polymerase IIによる転写校正を促進する活性を有することが報告されている。申請者は修士過程において、S-II遺伝子欠損酵母細胞が酸化的ストレス下で細胞増殖に異常を来すことを見い出している。本章では、酸化的ストレス下においてS-II欠損株は忠実度の顕著な低下を起こすことを明らかにした。さらにS-IIの校正促進活性が忠実度の維持ならびに酸化的ストレス下での正常な細胞増殖を行う上で必須であることを明らかにした。したがって、S-IIは転写校正を促進することで酸化的ストレスによる忠実度の低下を防いでいると考えられる。

第3章及び第4章おいて申請者は、S-IIの校正促進活性を増強するRpb9は忠実度の維持に働くことを述べている。申請者は、S-IIの転写校正促進活性をさらに増強する活性を有するRpb9に関する解析を行った。その結果、Rpb9がS-IIと同様に生体内での忠実度の維持と酸化的ストレス耐性に寄与していることが明らかになった。さらに申請者は、S-IIの校正促進活性を増強するRpb9の活性が、忠実度の維持と酸化的ストレス耐性に一定の寄与をしていることを明らかにした。

第5章及び第6章において申請者は、Rpb9がS-IIの校正促進活性の増強と転写エラーの認識に働くことで忠実度を維持することを述べている。申請者は、Rpb9による忠実度の維持と酸化的ストレス耐性の誘導において、S-IIを必要とする機構である転写校正の促進と必要としない機構の二つの寄与があることを明らかにした。さらに、S-IIを必要としない機構が転写エラーを認識する過程であることを示唆した。

本論文は、転写エラーの認識から校正に至る一連の機構が、生体内で転写の忠実度の維持に働くことで、酸化的ストレス下での正常な細胞増殖を可能にしていることを初めて提案する点で、分子生物学並びに細胞生物学に対する貢献が認められる。よって申請者は、博士(薬学)の学位を受けるにふさわしいと認めた。

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