学位論文要旨



No 121533
著者(漢字) 清水,奈穂
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,ナオ
標題(和) 転写因子Pax6アイソフォームの機能解析
標題(洋)
報告番号 121533
報告番号 甲21533
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1176号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 助教授 武田,弘資
 東京大学 講師 山田,麻紀
 東京大学 講師 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

【序】

発生過程において眼、脳、膵臓の分化に重要な寄与を果たしているPax6は、paired boxと呼ばれる高度に保存されたDNA結合モチーフを持つ転写因子である。Pax6には2種類のスプライシングバリアントPax6(WT)とPax6(5a)が存在し、両者はexon 5aを含まないか含むかで異なる(図1)。 Paired boxはPAIとREDのサブドメインにさらに分けられ、Pax6(WT)はPAI domainを介して、一方のPax6(5a)はRED domainを介して、DNAと結合すると考えられている。Pax6(WT)については、眼形成のマスターコントロール遺伝子に代表される機能に加えて、下流で働く遺伝子群についての報告が複数なされるなど解析が進んでいる。一方、Pax6(5a)については、exonSa部位やRED domain内での変異による先天性疾患が報告されているものの、研究は始まったばかりであり不明な点が多い。

マウス胚性幹(ES)細胞は多分化能を有しており、in vitroにおいて様々な細胞系列への分化誘導が可能であることが知られている。本論文では、このES細胞を利用してPax6(5a)に依存する分化誘導系を確立し、そのときの遺伝子発現の変化を解析することで分子レベルでのPax6(5a)の機能が解析されている。その結果、Pax6(5a)が特異的にbHLHb2、Pou5flへとつながる転写因子カスケードを介して、ES細胞から神経細胞へ分化誘導する可能性が見出されている。

【結果】

Pax6(5a)の発現制御が可能なES細胞株の樹立

Tet-off systemはtetracyclin(Tet)の除去/添加により目的遺伝子のon/off発現制御を可能にするシステムである。このTet-off systemをES細胞に導入し、TetによってFlag-tagを融合したPax6(WT)およびPax6(5a)の発現制御が可能なES細胞株の樹立を試みた。その結果、RT-PCRによリmRNAレベルで(図2a)、また、ウェスタンプロッティング法によりタンパク質レベルで(図2b)、Tet添加の場合にはそれぞれPax6の発現が抑制され、Tetの除去によりその発現が誘導されてくることを確認し、目的の細胞株の樹立に成功した。

Pax6(5a)依存的な神経細胞分化誘導系の確立

次に樹立したES細胞株を利用して、Pax6(5a)依存的な細胞分化誘導系の構築を試みた。未分化状態を維持するためにES細胞は、通常は白血病阻害因子(LIF)存在下で単層培養されている。そこで、まずES細胞を分化させるために、単層培養のままLIFを除去して、Tet存在の有無それぞれにおいて分化を促した。しかし、形態的な観察による両者の差を得ることはできなかった。次に、初期歴を模倣していると考えられる胚様体(embryoid body; EB)を形成させ浮遊培養することにした。EBを利用することで、様々な培養条件により三胚葉への分化誘導が可能であることが知られている。EB形成後、分化開始3日目に繊維芽細胞増殖因子(basic FGF)を添加し、さらに4日後、ゼラチンコート処理をしたディッシュに接着させた。その結果、分化開始10-11日目(DaylO-11)になると、Pax6(5a)依存的にEBから突起が伸長されていることを見出した(図3)。神経細胞の分化マーカーである抗β-III tubuline抗体を用いて細胞染色を行ったところ、Pax6(5a)依存的に誘導された突起が陽性像を示した。さらに、RT-PCRにより神経幹細胞のマーカーであるMusashiの発現が、Pax6(5a)を発現した細胞でより強いことを見出した。

Pax6(5a)の細胞分化に寄与する時期の検討

細胞分化開始(DayO)から突起伸張が観察されるDayllまでの過程において、Pax6(5a)が細胞分化に寄与する時期を検討した。まずTetを除去して細胞分化を開始させ、次に一日ごとに日数を追ってTetを添加し、その影響をDay11のEBからの突起伸張の割合を指標に検討した(図4a)。その結果、Day3以降までTetを除去すると、分化に大きな影響を与えることを見出した(図4b)。このことからPax6(5a)が分化に強い影響を及ぼすのは、Day2以降であると考えられた。

DMAマイクロアレイよるPax6(5a)下流で働く遺伝子の網羅的解析

次に神経細胞への分化過程において、Pax6(5a)の下流で変動している遺伝子を網羅的に調べる目的で、DNAマイクロアレイを行ったTetを常に除去あるいは、最初の2日間のみTetを除去した二つの条件下において分化を誘導し、分化開始から3日目(Day3)およびDay5における遺伝子の発現変化を比較した(図50印)。Pax6(5a)の下流で機能している候補遺伝子は、Pax6(5a)の発現を抑制後、両条件における発現量の差が拡大していくものと考えられる。そこでまず、Day3とDay5における遺伝子の発現量を比較し、上記の条件に適し、さらに外胚葉・神経分化に関与が知られているものを選出した。

ES細胞から神経細胞までの分化過程は、ES細胞から外胚葉・神経幹細胞への初期分化、神経幹細胞の維持、神経幹細胞から神経細胞への分化成熟の段階に分けられると考えられる。そこで、先ほど選び出した遺伝子が、どの段階で関与しているか過去の知見を元に分類を試みた結果、以下の三つのグループに大別できた(図6)。1)初期分化や神経幹細胞の維持に寄与することが示唆されているPou5flやSox2など、2)初期外胚葉や神経幹細胞のマーカーとして利用されるFgf5やInaなど、3)神経幹細胞からの成熟分化に関与していることが示唆されているAmigoやNr-CAMなど。これらのうち最も初期段階にはたらくPou5fl、bHLHb2などの遺伝子群1)がPax6(5a)の影響を受けていると考えられる。

Pax6(5a)により発現制御をうける遺伝子の検討

過去の知見から、bHLHb2とPou5flがPax6(5a)の下流で最も初期に機能する可能性を考えた。そこで、まずマウスゲノムよりbHLHb2とPou5flの上流をそれぞれクローニングし、それらに対するPax6(5a)の影響を、HEK293T細胞、Neuro2A細胞、NTERA2細胞を利用してレポーターアッセイにより検討した。その結果、Neuro2A細胞とNTERA2細胞において、bHLHb2の発現をPax5(5a)が制御、Pou5flの発現をbHLHb2が制御している可能性を見出した。このとき、Pax6(WT)によるbHLHb2の制御の可能性について同様に検討した。その結果、bHLHb2はPax6(WT)による影響を受けなかった。以上より、bHLHb2の発現制御はPax6(5a)に特異的であることが示唆された。

【まとめ】

本研究において私は、Pax6遺伝子に存在するスプライシングバリアントPax6(5a)に特異的な機能解析を、ES細胞を用いて行った。まずtetracyclineによりPax6(WT)およびPax6(5a)の発現制御が可能なES細胞株を樹立した。次に、これらの細胞株を利用してPax6(5a)依存的な分化系の構築を試み、EBを利用することでPax6(5a)依存的に神経細胞へ分化する系の構築に成功した。さらにPax6(5a)の下流で働く遺伝子を調べるために、ES細胞から神経の分化過程においてPax6(5a)が必要である時期を検討し、その時期における遺伝子発現の差をDNAマイクロアレイにより網羅的に解析した。その結果、未分化な細胞から神経細胞への分化を促進したり、神経幹細胞の維持に寄与したりすることが知られているbHLHb2やPou5flの発現を、Pax6(5a)が制御している可能性が示唆された。次に、bHLHb2とPou5flの発現をPax6(5a)が制御しているのか、レポーターアッセイにより検討したところ、bHLHb2の発現をPax6(5a)が、Pou5flの発現をbHLHb2が制御している可能性を見出した。このときbHLHb2の発現はPax6(WT)には影響を受けず、Pax6(5a)特異的であった。また、bHLHb2のPax6(5a)による発現制御はNeuro2A細胞や、NTERA2細胞では観察されたが、HEK293T細胞では観察されなかった。先に、単層で分化させた場合には神経細胞への分化誘導が観察されなかった結果とあわせて考え、Pax6(5a)が機能するためには、ある「場」が提供されることが必要であると考えられる。

以上より、次の様なモデルが考えられる。まず、未分化なES細胞からLIFを除去し、EBを形成させることで分化を促すシグナルが生じる。さらにTetを除去し、Pax6(5a)の発現を誘導すると、Pax6(5a)がbHLHb2の発現を誘導する。bHLHb2はES細胞から外胚葉への分化を促進する。次いで、bHLHb2はPou5flの発現を誘導する。Pou5flは外胚葉から神経幹細胞への分化を促進したり、神経幹細胞への維持に寄与したりする。そして最終的に神経細胞へと成熟分化していく、というものである(図7)。

Pax6(5a)に関して、神経細胞への運命付けが生じるよりも早い時期における機能や、神経細胞への分化過程におけるPax6(5a)の下流因子についての知見はこれまでに例がなく、今回が初めての報告となる。

図1 Pax6遺伝子のスプライシングバリアント

図2 Tetにより発現制御可能なES細胞株の樹立

図4 Pax6(5a)の神経分化に及ぼす時期の検討

図5 DNAマイクロアレイによる解析

図6 神経分化において推測されるPax6(5a)の機能

図7 Pax6(5a)による神経細胞誘導のモデル

審査要旨 要旨を表示する

発生過程において眼、脳、膵臓の分化に重要な寄与を果たしている転写因子Pax6は、paired boxと呼ばれる高度に保存されたDNA結合モチーフを有する。Pax6には2種類のスプライシングバリアントPax6(WT)とPax6(5a)が存在し、両者はexon 5aを含まないか含むかで異なる。Paired boxはさらにPAIとREDのサブドメインに分けられ、Pax6(WT)はPAI domainを介して、一方のPax6(5a)はRED domainを介して、DNAと結合すると考えられている。Pax6(WT)については、眼形成のマスターコントロール遺伝子に代表される機能に加え、下流で働く遺伝子群について多くの報告があり、解析が進んでいる。一方、Pax6(5a)については、exon 5a部位やRED domain内での変異による先天性疾患が報告されているものの、研究は始まったばかりであり不明な点が多い。「転写因子Pax6アイソフォームの機能解析」と題する本論文においては、Pax6の発現制御が可能なES細胞株を樹立し、それを利用することでPax6(5a)が特異的にES細胞から神経細胞への分化誘導を促進することを見出している。さらに、神経細胞への分化誘導に際して、Pax6(5a)がbHLHb2、Pou5f1に続く転写因子カスケードを制御している可能性を提示している。

Pax6(5a)の発現制御が可能なES細胞株の樹立

Tet-off systemはtetracyclin(Tet)の除去/添加により目的遺伝子のon/off発現制御を可能にするシステムである。このTet-off systemをES細胞に導入し、TetによってPax6(WT)およびPax6(5a)の発現制御が可能なES細胞株を樹立した。RT-PCRによりmRNAレベルで、さらにウェスタンブロッティング法によりタンパク質レベルで、Tetによる発現制御を確認している。

Pax6(5a)の発現に依存した神経細胞分化誘導系の確立

次に樹立したES細胞株を利用して、Pax6(5a)の発現に依存する細胞分化誘導系の構築を試みた。ES細胞からのin vitro分化誘導系に、初期胚を模倣していると考えられる胚様体(embryoid body;EB)を形成させる三次元培養法がある。EBを利用することで、様々な培養条件により三胚葉への分化誘導が可能であることが知られている。Pax6(5a)を発現させた結果、分化開始10-11日目(Day 10-11)になると、Pax6(5a)に依存してEBから突起が伸長されていることを見出した。神経細胞の分化マーカーである抗βIIIチューブリン抗体を用いて細胞染色を行ったところ、Pax6(5a)依存的に誘導された突起が陽性像を示した。さらに、RT-PCRにより神経幹細胞のマーカーであるMusashiの発現が、Pax6(5a)を発現した細胞でより強いことを見出した。この結果から、Pax6(5a)がES細胞から神経細胞への分化を促進していると考えられる。

DNAマイクロアレイよるPax6(5a)の下流で働く遺伝子の網羅的解析

次にES細胞から神経細胞までの分化過程において、Pax6(5a)が細胞分化に強く寄与する時期を検討した。まずTetを除去して細胞分化を開始させ、次に一日ごとに日数を追ってTetを添加し、その影響を分化開始からDay11のEBからの突起伸張の割合を指標に検討した結果、Pax6(5a)が分化に強い影響を与える時期は、Day2以降であると考えられた。次に、上記の時期においてPax6(5a)に依存して変動する遺伝子を、DNAマイクロアレイを用いて網羅的に解析した。ES細胞から神経細胞までの分化過程は、ES細胞から外胚葉・神経幹細胞への初期分化、神経幹細胞の維持、神経幹細胞から神経細胞への分化成熟の段階に分類が可能と考えられる。そこで、変動を示した因子の中から外胚葉・神経分化に関与が知られているものを選出し、どの段階で関与しているかを過去の知見を元に分類を試みた。その結果、A)初期分化や神経幹細胞の維持に寄与することが示唆されているPou5f1やSox2など、B)初期外胚葉や神経幹細胞のマーカーとして利用されるFgf5やInaなど、C)神経幹細胞からの成熟分化に関与していることが示唆されているAmigoやNr-CAMなどに分類された。これらのうち、Pax6(5a)は最も初期段階にはたらくPou5f1、bHLHb2などの遺伝子群Aに対して影響を与えると考えられた。

Pax6(5a)により発現制御をうける遺伝子の解析

DNAマイクロアレイの解析結果から、Pax6(5a)はbHLHb2とPou5f1の発現を制御している可能性を考えた。マウスゲノムよりbHLHb2とPou5f1の上流域をそれぞれクローニングし、それらに対するPax6(5a)の影響を、レポーターアッセイにより検討した。その結果、Pax5(5a)はbHLHb2の発現を、さらにbHLHb2はPou5f1の発現を制御している可能性を見出した。このとき、Pax6(WT)によるbHLHb2の発現制御の可能性について同様に検討したが、bHLHb2はPax6(WT)による影響を受けなかった。以上より、bHLHb2の発現制御はPax6(5a)に特異的であることが示された。

本論文から、ES細胞から神経細胞までの分化過程において、次の様なモデルが提示される。1)未分化なES細胞からLIFを除去し、EBを形成させることで分化を促すシグナルが生じる。2)ここへPax6(5a)の発現を誘導すると、Pax6(5a)がbHLHb2の発現を誘導する。3)bHLHb2はES細胞から外胚葉への分化を促進する。4)次いで、bHLHb2はPou5f1の発現を誘導する。5)Pou5f1は外胚葉から神経幹細胞への分化を促進したり、神経幹細胞への維持に寄与したりする。6)そして最終的に神経細胞へと成熟分化を促す。これらの転写因子群は、マウス胎児脳に存在する神経幹細胞に共通して発現しており、今回示した転写のカスケードは発生過程においても機能していると考えられる。

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