学位論文要旨



No 121534
著者(漢字) 白井,健一
著者(英字)
著者(カナ) シライ,ケンイチ
標題(和) セイヨウミツバチの脳においてカースト選択的に発現する遺伝子群の網羅的同定と解析
標題(洋)
報告番号 121534
報告番号 甲21534
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1177号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 助教授 東,伸昭
 東京大学 講師 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

[序]

社会性昆虫であるセイヨウミツバチのコロニーは、生殖行動に専念する一匹の女王蜂(生殖カースト)とコロニー維持のための様々な仕事に携わる数万匹の働き蜂(労働カースト)、雄蜂から構成されている。女王蜂と働き蜂は、同じ遺伝的背景をもつ雌が示す表現型多型(polyphenism)であり、異なる生理状態や行動様式を有しているが、その制御に関わる分子的基盤は不明である。ミツバチの脳には感覚情報を統合・処理するキノコ体や、様々なホルモンを分泌する神経分泌細胞が存在する。私は修士課程において、ミツバチ脳においてカースト間で発現量の異なる遺伝子をDifferential Display法により検索し、女王蜂の脳に選択的に発現する遺伝子QBp-1(queen brain-selective protein-1)を同定した。QBp-1は哺乳類のInsulin-like Growth Factor-Binding Protein(IGFBP)と相同性を示し、in vitroでヒトインスリンとの結合活性を有していた。他の昆虫のIGFBPについては卵巣発達促進活性が報告されていることから、QBp-1は女王蜂特異的な卵巣発達に関わる可能性が考えられた。本研究ではQBp-1遺伝子の発現解析をさらに進めるとともに、大規模なDifferential Display法とcDNA microarrayと組み合わせることで、カースト選択的な遺伝子を網羅的に同定したので以下に報告する

QBp-1遺伝子の発現解析

これまでにQBp-1のORF領域をプローブとしたin situhybridization法により、QBp-1遺伝子が神経分泌細胞に発現することを示している。しかしながら3'非翻訳領域に対応するプローブを用いたin situ hybridization法を行うと、シグナルはキノコ体選択的に検出された(図2 A、B)。ミツバチゲノム中にQBp-1遺伝子は単一コピー存在する。そのためORF領域と3'非翻訳領域が異なるスプライスバリアントとして存在する可能性を考えて、両者にまたがるRT-PCRと、ORF領域から3'-RACE法を、3'非翻訳領域から5'-RACE法をそれぞれ行なったが、得られたRT-PCR産物と、RACE産物は全てORF領域と3'非翻訳領域が続いた形になっていた。またQBp-1のORF領域に対応するプローブを用いて女王蜂、働き蜂の脳由来RNAに対してノザンブロット法を行ったところ、3'非翻訳領域をプローブとしたときと同様に約1。5kbの位置にシグナルが女王蜂選択的に検出された(図2C)。これらの結果は、女王蜂の脳で発現しているQBp-1転写産物は単一であることを示唆しており、ORFと3'非翻訳領域でのin situ hybridizationの結果の違いはそれぞれ、神経分泌細胞とキノコ体におけるQBp-1転写産物の存在様式の違いを反映する可能性が考えられた。

Differential Display法とcDNAマイクロアレイを用いたカースト選択的に発現する遺伝子の網羅的同定と発現解析

これまでの研究からQBp-1は卵巣発達を制御するホルモンであると予想されたが、脳機能に関わる候補因子は未だ同定されていない。そこでDifferential Display法による大規模スクリーニングを行った。216通りのプライマー対を用いて約10000本のバンドを比較したところ、カースト選択的なバンドが531本を得られた。Differential Display法の結果には偽陽性が含まれるため、バンドに含まれる候補遺伝子断片全てをスポットしたcDNAマイクロアレイを作製し、カースト選択的な発現を確認することにした。まず候補バンドをゲルから切り出し、目的遺伝子断片のクローニングを行った結果、約73%にあたる391種類の候補バンドについてクローニングに成功した。続いて、一つのバンドから6つのサブクローンを選択し、それら全てをスライドグラスにスポットした。作製したcDNAマイクロアレイに対して女王蜂と働き蜂の脳から抽出したtotalRNAを用いて4回、独立にハイブリダイゼーションを行った。その結果、110個のクローンがカースト選択的に検出された(図3)。シークエンス解析の結果、QBp-1遺伝子を含めて女王蜂選択的に発現する遺伝子が4種類、働き蜂選択的に発現する遺伝子2種類が同定された(表1)。

このうち、後の解析により、神経組織以外の組織で強く発現することが示されたVitellogenin(卵黄タンパク質)と、働き蜂選択的な発現が再現されなかった18SrRNAは候補から外した。その結果、最終的に女王蜂選択的に発現する遺伝子としてGB10339とGB16101を同定した。データベース解析の結果、GB10339は哺乳類のα-crystallinとアミノ酸配列上約40%の相同性を有していた。α-crystallinはもともと哺乳類のレンズの構成タンパク質として同定された遺伝子であるが、その後低分子量熱ショックタンパク質(sHsp)としてシャペロン活性を持つことが知られている。一方、GB16101については推定上の遺伝子としてショウジョウバエホモログ遺伝子が同定されているが、いずれも機能不明で構造上の特徴も見つからなかった。

次に、女王蜂選択的に発現する遺伝子について、カースト選択的な発現をノザンブロット法によって確認した。その結果α-crystallin遺伝子(GB10339)とGB16101はそれぞれ女王蜂選択的に発現することが確認された(図4)。また、in situ hybridization法により女王蜂の脳内での発現部位を解析した。その結果、α-crystallin遺伝子、GB16101とも脳の皮質全体で発現することが分かった(図5)。

α-crystallinのシャペロン活性の検討

先に同定したミツバチα-crystallinはcrystallinドメインと呼ばれるsHspによく保存された領域を持っている。そこでGB10339遺伝子産物が実際に分子シャペロンとして機能するか確かめる目的で、in vitroにおいてインスリンを基質にした系でシャペロン活性を測定した。N末端にHis-tagを融合させたリコンビナントミツバチα-crystallinを作製し、ニッケルカラムで精製した。活性測定の結果、このリコンビナントα-crystallinは、ウシα-crystallinと同様に、インスリンをDTT添加による還元により変性させることで生じる濁度の上昇を濃度依存的に防ぐことが示された(図6)。一方、negativecontrolであるウシhistone H1を添加した場合には、このような効果は認められなかった。このことはミツバチα-crystallinがシャペロン活性を有することを示唆している。昆虫のα-crystallinが実際にシャペロン活性を持つのを示したのはこれが初めての例である。

[まとめと考察]

本研究で私は、女王蜂の脳では単一のQBp-1転写産物が存在すると考えられるにも関わらず、in situhybridization法ではORF領域については神経分泌細胞に、3'非翻訳領域についてはキノコ体にシグナルが検出されることを見いだした。これについては神経分泌細胞とキノコ体における3'非翻訳領域とORF領域へのプローブの結合を妨げるようなQBp-1転写産物の存在様式の違いを反映している可能性を考えている。例えば神経分泌細胞では3'非翻訳領域、キノコ体ではORF領域がアンチセンスRNAによってマスクされるといった転写後制御機構が存在するのかもしれない。

また今回、DifferentialDisplay法とcDNAマイクロアレイを組み合わせた方法を用いて、新たに女王蜂選択的に発現する遺伝子としてGB10339とGB16101を同定した。GB10339はα-crystallinのミツバチホモログであり、その遺伝子産物はin vitroでシャペロン活性を持つことを示した。哺乳類においてα-crystallinなどの分子シャペロンは神経細胞内でストレスや老化で生じた不溶性タンパク質の除去に働き、ポリグルタミン病などの神経疾患に関わることが示唆されている。働き蜂の寿命は通常約2ヶ月であるのに対し、女王蜂は数年の間生き続け、産卵する。女王蜂でα-crystallinが強く発現することで脳内のタンパク質が安定化され、脳機能が維持されるのかもしれない。また、GB16101は、カースト選択的な脳機能に関わる新規遺伝子と期待される。以上、本研究はミツバチの脳でカースト選択的に発現する遺伝子を網羅的に解析した初めての例であり、今回同定した遺伝子群の解析を通じて、動物の表現型多型の分子基盤の解明につながることが期待される。

図1 ミツバチの女王蜂(中央)とそれを取り囲む働き蜂(周囲)

図2 (A)3'非翻訳領域に対応するプローブを用いたin situ hybridization。矢印は発現部位を示す。(B)ミツバチ脳の模式図。枠は(A)に示す領域を表す。MB:キノコ体、OL:視葉、AL:触角葉(C)ORF領域に対応するプローブを用いたノザンブロット解析

図3 cDNA microarray法の結果。縦軸は女王蜂での発現強度、横軸は働き蜂での発現強度を示す。対角線は上から、働き蜂より女王蜂で1.5、1、1/1.5倍、発現が強いことを示す。

表1 cDNA microarray法によりカースト選択的に発現が検出された遺伝子。

図4 ノザンブロット法による女王蜂、働き蜂の脳における発現量の比較

図5 In situ hybridizationによる女王蜂脳内の(A)α-crystallin遺伝子、(B)GB16101の発現部位の同定。MB:キノコ体、OL:視葉、AL:触覚葉

図6 ミツバチのα-crystallinのシャペロン活性

審査要旨 要旨を表示する

社会性昆虫であるセイヨウミツバチ(Apis mellifera L.)の雌は、生殖行動を行う女王蜂(生殖カースト)とコロニー維持のための仕事に携わる働き蜂(労働カースト)にカースト分化する。社会性昆虫におけるカースト分化は、同じ遺伝的背景を持つ動物が不連続な二相性の生理状態や行動様式を示すポリフェニズム(polyphenism)の典型であるが、その分子的基盤には不明な点が多い。申請者は修士課程において、ミツバチの脳でカーストにより発現量が異なる遺伝子をdifferential display法により検索し、女王蜂の脳に選択的に発現する遺伝子、QBp-1(queen brain-selective protein-1)を同定している。QBp-1は哺乳類のInsulin-like growth factor-binding protein (IGFBP)と相同性を示し、in vitroでヒトインスリンとの結合活性をもつことが示された。蚊やバッタではインスリンやIGFBPが卵巣発達促進活性をもつことから、 QBp-1はインスリンと協調的に女王蜂における卵巣発達に関わる可能性が考えられた。本研究では QBp-1の発現解析をさらに進めるとともに、differential display法とcDNA microarrayを組み合わせることにより、カースト選択的に脳で発現する遺伝子を網羅的に検索した結果を報告している。

QBp-1については、ORF領域をプローブとしたin situ hybridization法により、女王蜂の脳の神経分泌細胞に限局して発現することが示されている。しかしながら今回、3'非翻訳領域に対応するプローブを用いたin situ hybridization法を行うと、シグナルはキノコ体選択的に検出されることが分かった。この原因を探るべく、女王蜂の脳由来のRNAを用いてORF領域と 3'非翻訳領域にまたがるRT-PCR法や3'-、および5'-RACE 法を行ったが、全て両者がつながった形の配列が得られた。またQBp-1のORF領域と3'非翻訳領域に対応するプローブを用いてノザンブロット法を行ったところ、ともに約 1.5kb のバンドが女王蜂の脳に選択的に検出された。これらの結果は、女王蜂の脳で発現しているQBp-1転写産物は単一であることを強く示唆しており、ORFと3'非翻訳領域でのin situ hybridizationの結果の違いは、それぞれ神経分泌細胞とキノコ体におけるQBp-1転写産物の存在様式の違いを反映する可能性が考えられた。例えば神経分泌細胞では3'非翻訳領域、キノコ体ではORF領域がアンチセンスRNAやRNA結合タンパク質によりマスクされるといった、新しいRNA発現制御機構が存在する可能性が指摘されている。

続いて、differential display法とcDNA microarrayを組み合わせることで、女王蜂の脳に選択的に発現する遺伝子を網羅的に検索している。まず、differential display法の結果得られた391種類の候補バンドについて、一つのバンドから6つのサブクローンを選択し、それら全てをスライドグラスにスポットすることでcDNAマイクロアレイを作成した。女王蜂と働き蜂の脳から抽出したtotal RNAを用いてハイブリダイゼーションを行った結果、最終的にQBp-1遺伝子を含めて女王蜂選択的に発現する遺伝子を4つ、働き蜂選択的に発現する遺伝子を2つ同定し、このうち、女王蜂選択的に発現するGB10339とGB16101について解析が進められた。データベース解析の結果、GB10339は哺乳類のa-crystallinとアミノ酸配列上で約40%の相同性を有していた。a-crystallinは哺乳類のレンズの構成タンパク質として同定されたが、その後低分子量熱ショックタンパク質としてシャペロン活性を持つことが知られている。一方、GB16101についてはショウジョウバエでホモログ遺伝子が推定されていたが、機能不明で構造上の特徴も見つからなかった。ノザンブロット法の結果、a-crystallin遺伝子(GB10339)と GB16101はともに女王蜂選択的に発現すること、またin situ hybridization法の結果、両者はともに脳の皮質全体で発現することが示された。

先に同定したミツバチa-crystallinはcrystallinドメインと呼ばれる低分子熱ショックタンパク質によく保存された領域を持っていたが、昆虫のa-crystallinがシャペロン活性を持つかは分かっていなかった。そこでGB10339遺伝子産物が実際に分子シャペロンとして機能するか確かめる目的で、リコンビナントミツバチa-crystallinを作成し、in vitroにおいてインスリンを基質にした系でシャペロン活性を測定した。その結果ミツバチa-crystallin は、ウシa-crystallinと同様に、インスリンをDTTにより還元、変性させることで生じる溶液の濁度上昇を防ぐことが示された。一方、negative controlとしてウシhistone H1を添加した場合には、このような効果は認められなかった。このことはミツバチa-crystallinが実際にシャペロン活性を有することを示している。哺乳類においてa-crystallinなどの分子シャペロンは神経細胞内でストレスや老化で生じた不溶性タンパク質の除去に働き、ポリグルタミン病などの神経疾患に関わることが示唆されている。働き蜂の寿命は通常約2ヶ月であるのに対し、女王蜂は数年の間生き続け、産卵する。女王蜂でa-crystallinが強く発現することで脳内のタンパク質が安定化され、脳機能が維持されるのかもしれない。一方、GB16101はカースト選択的な脳機能に関わる新規遺伝子であると考えられた。

以上、本研究ではポリフェニズムを示す動物としては初めて、ミツバチにおいて脳でカースト選択的に発現する遺伝子の網羅的な検索が行われ、2遺伝子の同定と解析がなされている。本研究は動物生理学、神経分子生物学の分野に寄与する点があり、博士(薬学)の授与に値すると認めた。

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