学位論文要旨



No 121539
著者(漢字) 中野,亜希子
著者(英字)
著者(カナ) ナカノ,アキコ
標題(和) ホスファチジルイノシトール4-リン酸5-キナーゼγによるシナプス小胞回収制御機構
標題(洋)
報告番号 121539
報告番号 甲21539
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1182号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 東,伸昭
 東京大学 助教授 楠原,洋之
 東京大学 講師 山田,麻紀
内容要旨 要旨を表示する

シナプス伝達は神経終末端のシナプス小胞から開口放出される神経伝達物質によって媒介される。伝達物質を放出後、空になった小胞の一部はクラスリンを介したエンドサイトーシスにより回収され再利用される。これによって、シナプス伝達が恒常的に維持される。クラスリン依存性エンドサイトーシスには細胞膜を構成する微量なリン脂質の一つであるホスファチジルイノシトール4,5-二リン酸(PIP2)が重要な役割を果たしている。PIP2は、クラスリン被覆小胞を形成するAP-2(Adaptor protein complex-2)複合体などのエンドサイトーシス関連分子と直接結合し、エンドサイトーシス部位にこれらの分子をリクルートすることでクラスリン依存性エンドサイトーシスを正に制御する。したがってシナプス小胞の回収において、刺激に応じた局所的PIP2産生が重要であることが示唆されるが、その詳細なメカニズムは不明である。PIP2は主にホスファチジルイノシトール4-リン酸5-キナーゼ(PIP5K)によりホスファチジルイノシトール4-リン酸(PIP)のイノシトール環5位がリン酸化されて産生される。PIP5Kにはα,β,γの3種類のアイソザイムが存在する。本研究において、脳に高い発現が認められるPIP5Kγアイソザイムの相互作用分子として、エンドサイトーシスにおける重要な分子AP-2複合体を同定し、この相互作用がシナプス小胞の回収に重要な役割を果たすことが見出されている。

[結果]

PIP5KγはそのC末端領域を介してAP-2複合体と相互作用する

PIP5Kとシナプス小胞回収に関与するエンドサイトーシス関連分子との相互作用を検討するため、特に脳に高発現しているPIP5KのアイソザイムであるPIP5Kγに特異的な抗体を用いてマウス脳抽出画分から免疫沈降を行った。その結果、PIP5Kγ共沈画分にAP-2複合体を見出した。AP-2複合体はα,β2,μ2,σ2アダプチンからなるヘテロ四量体である。PIP5Kγと結合するサブユニットを同定するため、各アダプチンサブユニットのリコンビナントタンパク質を用いてプルダウンアッセイを行った結果、β2アダプチンがPIP5Kγと直接結合することが確認された。また、β2アダプチンはAP-2複合体の核を構成するN末端領域、他のエンドサイトーシス分子とも結合するEar領域、二つの領域をつなぐHinge領域からなるが、β2アダプチンはEar領域を介してPIP5Kγと結合することを見出した。さらに、β2アダプチンとの相互作用はPIP5Kの3種類のアイソザイムのうちPIP5Kγ特異的であること、PIP5Kγのβ2アダプチンとの結合領域はPIP5Kアイソザイム間で保存性のないPIP5KγのC末端領域であることを同定した。以上の結果と、PIP5Kγは脳特異的アイソザイムであることから、神経細胞においてPIP5KγがAP-2複合体と結合することが示された。

β2アダプチンはPIP5Kγをin vitroで活性化する

PIP5KγとAP-2複合体の結合がPIP5Kγの酵素活性に与える影響を検討した。PIP5Kγをリコンビナントβ2アダプチンとインキュベートすると、PIP2産生が約10倍上昇した(Fig.1)。さらに、PIP5Kγとの結合領域であるβ2アダプチンのEar領域もPIP5Kγの活性を上昇させた。一方、コントロールGST、PIP5Kγとは結合しないβ2アダプチンのN末端領域およびHinge領域はPIP5Kγの酵素活性に影響を与えなかった。以上の結果から、AP-2複合体との結合によりPIP5Kγの酵素活性が上昇することが示された。

PIP5KγとAP-2複合体の結合はCdk5によるPIP5KγのSer645のリン酸化により阻害される

クラスリン依存性エンドサイトーシスはエンドサイトーシス関連分子のリン酸化により制御されていることがすでに報告されている。特に、神経細胞においてはアンフィファイシン、ダイナミン、AP-180など多くのエンドサイトーシス関連分子は神経特異的キナーゼであるCdk5(Cyclin dependent kinase5)によりリン酸化され機能が抑制されている。神経細胞が興奮して脱分極すると神経伝達物質が放出されると同時に、これらの分子が脱リン酸化されることによりクラスリン被覆小胞を形成し、クラスリン依存性エンドサイトーシスによりシナプス小胞が回収される。そこで私はPIP5KγとAP-2複合体の結合がリン酸化/脱リン酸化の制御を受けている可能性を検討した。PIP5KγはSDS-PAGE上でリン酸化によるものと思われるダブレットバンドとして検出された(Fig.2a)。実際、脱リン酸化酵素を用いた実験からSDS-PAGE上で移動度の遅いPIP5KγのバンドはPIP5KγのSer/Thrリン酸化によるものであることが示された。さらに、プルダウンアッセイによる結合実験の結果、PAGE上で移動度の速い非リン酸化型のPIP5Kγのバンドのみがβ2アダプチンと結合することを見出した(Fig.2a)。PIP5KγのAP-2複合体との結合領域にはCdk5によってリン酸化されるSer645残基が存在する。そこで、HEK293T細胞においてPIP5KγとAP-2複合体の結合に対するCdk5によるPIP5Kγのリン酸化の影響を検討した。その結果、Cdk5共発現により非リン酸化型PIP5Kγのバンドが減少し、PIP5KγとAP-2複合体との結合は抑制された(Fig.2b)。さらにリン酸化擬似変異体PIP5KγS645Eを用いて結合実験を行った結果、PIP5KγS645E変異体とβ2アダプチンとの結合が顕著に阻害されることを見出した。以上の結果より、PIP5KγはCdk5によりSer645残基がリン酸化されAP-2複合体との結合が抑制されることが示された。

海馬神経細胞において脱分極刺激によりPIP5Kγは脱リン酸化されAP-2複合体と結合する

神経細胞内におけるPIP5KγとAP-2複合体の結合制御を検討するため、内在性PIP5Kγが高発現している初代培養海馬神経細胞を用いて解析を行った。その結果、通常リン酸化型で存在するPIP5Kγが脱分極刺激により一部脱リン酸化されPIP5KγとAP-2複合体との結合量が増大した(Fig.3a)。またカルシウム依存的ホスファターゼであるカルシニューリンの選択的阻害剤シクロスポリンAで処理したところ、脱分極刺激によるPIP5Kγの脱リン酸化が抑制されたことから、PIP5Kγ661はカルシニューリンにより脱リン酸化されることが示された。さらに間接抗体蛍光法によりPIP5KγとAP-2の細胞内局在の解析を行ったところ、未刺激時には細胞全体に分散して局在するPIP5KγとAP-2複合体が刺激依存的にシナプスに集積して共局在することが示された(Fig.3b)。これらの結果から、神経細胞において脱分極刺激依存的にPIP5Kγは脱リン酸化されてAP-2複合体とシナプス上で結合することが示された。

PIP5KγはAP-2複合体との結合を介してシナプス小胞回収に関与する

神経細胞におけるシナプス小胞回収にPIP5KγがAP-2複合体との結合を介して関与する可能性を蛍光陽イオン性スチリル色素FM4-64を用いて検討した。FM4-64は膜環境下で蛍光を発する脂質プローブであり、神経細胞の脱分極後伝達物質を放出して回収されたシナプス小胞に取り込まれ、蛍光を発する。そこで、PIP5Kγのβ2アダプチンとの結合領域であるC末端領域をシンドビスウィルスを用いて海馬神経細胞に過剰発現させ、内在性のPIP5KγとAP-2複合体との相互作用を阻害したときのシナプス小胞の回収を、取り込まれたFM4-64の蛍光量を定量することにより検討した。その結果、AP-2複合体と結合するGFP-PIP5KγC末端WT、S645Aを過剰発現させたシナプスにおいてFM4-64の取り込みが低下した。一方、GFPコントロールおよびAP-2複合体と結合しないGFP-PIP5KγC末端S645Eを過剰発現させた場合は、シナプス小胞の回収にほとんど影響は見られなかった(Fig.4)。以上の結果から、神経細胞におけるシナプス小胞の回収にPIP5KγとAP-2複合体の結合が必要であることが示された。

[まとめ]

本研究において私は1)PIP5KγはAP-2複合体と結合すること、2)β2アダプチンがPIP5Kγをinvitroで活性化すること、3)PIP5KγとAP-2複合体の結合はCdk5によるPIP5KγSer645のリン酸化により阻害されること、4)海馬神経細胞において脱分極刺激時にPIP5Kγはカルシニューリンにより脱リン酸化されAP-2複合体と結合し、シナプスへ集積すること、5)PIP5KγC末端領域の過剰発現によりPIP5KγとAP-2複合体の結合を阻害すると、シナプス小胞の回収が阻害されることを見出した。これらの結果から、Fig.5に示すモデルを提示した。すなわち、神経細胞において定常状態ではPIP5KγはCdk5によりリン酸化されAP-2複合体との結合が抑制されている。神経細胞が興奮し脱分極刺激が入るとPIP5Kγはカルシニューリンにより脱リン酸化されAP-2複合体と結合する。この相互作用はPIP5Kγを活性化しプレシナプス膜上でPIP2産生を上昇させ、シナプス小胞回収を正に制御する。本研究で明らかにされたPIP5KγとAP-2複合体の相互作用は、刺激依存的に局所的PIP2産生を増大させ、シナプス小胞放出部位において速やかにエンドサイトーシスが遂行されるために必須の機構であると考えられる。

Fig.1 β2アダプチンはin vitroでPIP5Kγを活性化する

Fig.2 PIP5KγはCdk5によりリン酸化されAP-2複合体との結合が阻害される

Fig.3 海馬神経細胞において脱分極刺激によりPIP5KγはAP-2複合体と結合しシナプスに共局在する

Fig.4 海馬神経細胞においてPIP5KγC末端領域の過剰発現によりシナプス小胞回収が阻害される

Fig.5 本研究により提示されるシナプス小胞回収機構モデル

審査要旨 要旨を表示する

シナプス伝達は、神経終末のシナプス小胞から開口放出される神経伝達物質によって媒介されるが、伝達物質を放出して空になった小胞の一部は、クラスリンを介したエンドサイトーシスによって回収され、再利用される。これによって、シナプス伝達が恒常的に維持される。クラスリン依存性エンドサイトーシスには、細胞膜を構成する微量なリン脂質の一つであるホスファチジルイノシトール4、5-ニリン酸(PIP、が重要な役割を果たしている。PIP、は、クラスリン被覆小胞を形成するAP-2(adaptorproteincomplex-2)複合体などのエンドサイトーシス関連分子と直接結合し、エンドサイトーシス部位にこれらの分子をリクルートすることでクラスリン依存性エンドサイトーシスを正に制御する。したがって、シナプス小胞の回収において、刺激に応じた局所的pIP、産生が重要であることが示唆されるが、その詳細なメカニズムは不明である。PIP、は主にホスファチジルイノシトール4-リン酸5-キナーゼ(pIP5K)によりホスファチジルイノシトール4-リン酸(PIP)のイノシトール環5位がリン酸化されて産生される。「ホスファチジルイノシトール4-リン酸5-キナーゼγによるシナプス小胞回収制御機構」と題する本論文において、脳に高い発現が認められるPIP5Kγアイソザイムの相互作用分子としてエンドサイトーシスにおける重要な分子AP-2複合体を同定し、この相互作用がシナプス小胞回収に重要な役割を果たしている知見を得ている。

PIP5KγはそのC末端領域を介してAP-2複合体と相互作用する

特に脳に高発現しているPIP5KのアイソザイムであるPIP5Kγに特異的な抗体を用いてマウス脳抽出画分から免疫沈降を行い、PIP5Kγ共沈降画分にAP-2複合体を見出した。AP-2複合体はα、β2、p2、u2アダプチンからなるヘテロ四量体である。PIP5Kγと結合するサブユニットを同定するため、各アダプチンサブユニットのリコンビナントタンパク質を用いて解析した結果、β2アダプチンがpIP5Kγと直接結合することが確認された。以上の結果より、PIP5KγがAP-2複合体と結合することが示された。

β2アダブテンはPIP5Kγをinvitroで活性化する

PIP5KγとAP-2複合体の結合がpIP5Kγの酵素活性に与える影響を検討した。PIP5Kγをリコンビナントβ2アダプチンとインキエペトトすると、PIP、産生が上昇した。さらに、PIP5Kγとの結合領域であるβ2アダプチンのEar領域もPIP5Kγの活性を上昇させた。一方、コントロールGST、PIP5Kγとは結合しないβ2アダプチンのN末端領域およびHinge領域はPIP5Kγの酵素活性に影響を与えなかった。以上の結果から、AP-2複合体との結合によりPIP5Kγの酵素活性が上昇することが示された。

PIP5KγとAP-2複合体の結合はCdk5によるPIP5Kγのリン酸化により阻害される

神経細胞においては、アンプイファイシン、ダイナミン、AP-180など多くのエンドサイトーシス関連分子は神経特異的キナーゼであるCdk5(cyclin-dependentkinase5)によりリン酸化されており、機能が抑制されている。神経細胞が興奮して脱分極すると、神経伝達物質が放出されると同時に、これらの分子が脱リン酸化されることによりクラスリン被覆小胞を形成し、クラスリン依存性エンドサイトーシスによりシナプス小胞が回収される。そこで、PIP5KγとAP-2複合体の結合がリン酸化/脱リン酸化の制御を受けている可能性を検討した結果、PIP5KγはSer/Thrリン酸化されており、脱リン酸化体のみがAP-2複合体と結合することが示された。また、Cdk5の共発現により非リン酸化型PIP5Kγが減少し、PIP5KγとAP-2複合体との結合は抑制された。さらに、リン酸化擬似変異体pIP5KγS645Eを用いて結合実験を行った結果、pIP5KγS645E変異体とβ2アダプチンとの結合が顕著に阻害されることを見出した。以上の結果より、PIP5KγはCdk5によりそのSer645残基がリン酸化され、AP-2複合体との結合が抑制されることが示された。

海馬神経細胞の脱分極刺激によりPIP5Kγは脱リン酸化されAP-2複合体と結合する

神経細胞内におけるPIP5KγとAP-2複合体の結合制御を検討するため、内在性PIP5Kγが高発現している初代培養海馬神経細胞を用いて解析を行った。通常リン酸化型で存在するPIP5Kγは脱分極刺激により一部脱リン酸化され、PIP5KγとAP-2複合体との結合量が増大した。さらに間接抗体蛍光法によりPIP5KγとAP-2の細胞内局在の解析をした結果、未刺激時には細胞全体に分散して局在するPIP5KγとAP-2複合体が刺激依存的にシナプスに集積して共局在することが示された。これらの結果から、神経細胞において脱分極刺激依存的にPIP5Kγは脱リン酸化され、AP-2複合体とシナプス上で結合することが示唆された。

PIP5KγはAP-2複合体との結合を介してシナプス小胞回収に関与する

PIP5KγがAP-2複合体との結合を介してシナプス小胞の回収に関与する可能性を、蛍光陽イオン性スチリル色素FM4-64を用いて検討した。PIP5Kγのβ2アダプチンとの結合領域であるc末端領域を、シンドビスウイルスを用いて海馬神経細胞に過剰発現させ、内在性のPIP5KγとAP-2複合体との相互作用を阻害したときのシナプス小胞の回収を、取り込まれたFM4-64の蛍光量を定量することにより検討した。その結果、AP-2複合体と結合するGFP-PIP5KγC末端wT、S645Aを過剰発現させたシナプスにおいてFM4-64の取り込みが低下した。一方、GFPコントロールおよびAP-2複合体と結合しないGFP-PIP5KγC末端S645Eを過剰発現させた場合は、シナプス小胞の回収にほとんど影響は見られなかった。以上の結果から、神経細胞におけるシナプス小胞の回収にPIP5KγとAP-2複合体の結合が必要であることが示唆された。

本論文から、神経細胞におけるシナプス小胞の回収機構について、以下のモデルが提示される。1)定常状態ではPIP5KγはCdk5によりリン酸化されAP-2複合体との結合が抑制されている。2)神経細胞が興奮し脱分極刺激が入ると、pIP5Kγは脱リン酸化されてAP-2複合体と結合する。3)この相互作用はPIP5Kγを活性化し、プレシナプス膜上でPIP、産生を上昇させてシナプス小胞回収を正に制御する。PIP5KγとAP-2複合体の相互作用は、刺激依存的に局所でPIP、産生を増大させ、シナプス小胞放出部位のエンドサイトーシスを速やかに遂行するために必須の機構であると考えられる。本論文はシナプス小胞の回収機構の理解に有用な知見を提供しており、博士(薬学)の学位として十分な価値があるものと認められる。

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