学位論文要旨



No 121540
著者(漢字) 中村,俊行
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,トシユキ
標題(和) HDL受容体SR-BI結合蛋白質PDZK1によるSR-BIの発現制御
標題(洋)
報告番号 121540
報告番号 甲21540
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1183号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 助教授 紺谷,圏二
内容要旨 要旨を表示する

序論

生体内において、コレステロールはVLDL, LDLというリポ蛋白質を介して肝臓から末梢組織へ供給される。一方、末梢組織の過剰なコレステロールは、HDLというリポ蛋白質へ受け渡され、さらに肝臓へ輸送され、処理、排泄される。動物細胞は、コレステロールを分解する能力がないため、HDLを介するコレステロールの末梢組織からの排出系は、生体の過剰なコレステロールを処理するための重要な経路であり、「コレステロール逆転送系」と呼ばれている。SR-BI (Scavenger Receptor Class B Type I) は、肝臓において HDL からコレステロールを受け取る主要な受容体として同定された膜蛋白質である。SR-BIを介してHDLから肝臓に取り込まれたコレステロールは、VLDL合成系に再利用されることはなく選択的に胆汁酸排泄されることが示されている。このように肝臓SR-BIはコレステロールの生体からの排出に重要な役割を担っている受容体であり、肝臓SR-BIの発現制御機構を解明することは非常に重要である。これまでにSR-BIのC末端細胞質領域と結合する蛋白質としてPDZK1が同定されている。PDZK1は4つのPDZドメインを持ち、最もN末端側のPDZドメインを介してSR-BIと結合する。また、PDZK1はSR-BIの肝細胞膜での発現を蛋白質レベルで増加させ、SR-BI蛋白質の発現量およびHDLコレステロールの選択的取り込みを増加させることが培養細胞およびin vivoレベルで明らかになっている。しかし、PDZK1およびSR-BIの肝臓における発現制御機構、ならびにPDZK1によるSR-BIの発現制御機構に関してはあまり解明されていなかった。本研究において、中村はPDZK1によるSR-BIの発現制御機構についてさらに詳細に解析し、SR-BIの発現量の増加にはPDZK1のC末端領域のリン酸化が関与していることを見出した。

PDZK1をリン酸化させるキナーゼの同定

SR-BIの発現量の増加にはPDZK1のC末端領域も必要であることが示され、また、ラットPDZK1のC末端領域の509番目のSerが肝臓内でリン酸化されていることが明らかになっている。これらのことから、中村はC末端領域のPDZK1のリン酸化がPDZK1によるSR-BIの発現量の増加に関与している可能性が考え、C末端領域のPDZK1のリン酸化について、さらに詳細に解析した。まず、中村はPDZK1のC末端領域をリン酸化するキナーゼの同定を試みた。データベースを用いてPDZK1のSer509をリン酸化するキナーゼを検索したところ、PDZK1のSer509はPKAおよびp70S6Kによりリン酸化されることが予測された。そこで、まずリコンビナントPDZK1およびリン酸化部位変異型PDZK1を用いてPKA in vitroキナーゼアッセイを行った。その結果、PKAによりPDZK1はリン酸化されたが、リン酸化部位変異型PDZK1ではリン酸化されなかった。このことからPDZK1のSer509はin vitroにおいてPKAによりリン酸化されることが明らかになった。

また、中村はPDZK1のリン酸化は細胞レベルにおいてもPKAにより制御されるのか検討した。CHO-PDZK1定常発現細胞株にPKA活性化剤フォルスコリンおよびPKA阻害剤H-89を添加し、PDZK1のSer509のリン酸化抗体にてPDZK1のリン酸化の変化を見た。その結果、フォルスコリンを添加したことにより、PDZK1のリン酸化が亢進し、H-89添加ではPDZK1のリン酸化が抑制された。

同様にp70S6KによってもPDZK1のSer509がリン酸化されるのか検討したところ、p70S6KもPDZK1のSer509をリン酸化させることがin vitroおよび培養細胞レベルで明らかになった。これらの結果から、PDZK1のSer509のリン酸化は細胞内においてPKAおよびp70S6Kにより制御されることが示された。

PDZK1のC末端領域のリン酸化によるSR-BIの発現制御

次に、中村はPDZK1のSer509のリン酸化がSR-BIの発現制御に関与するのか検討した。ほとんどの肝癌細胞は内在性のSR-BIおよびPDZK1を発現していなかったが、ラット肝癌細胞株Fao細胞は、その中で唯一SR-BIを内在性に発現していた。そこで、正常型PDZK1またはSer509をAlaに変異させた変異型PDZK1を、Fao細胞にアデノウイルスを用いて発現させ、SR-BIの蛋白質発現量を比較した。まず、正常型PDZK1をFao細胞に発現させるとSR-BI蛋白質の発現量が増加し、これまでCHO細胞で得られていた結果と同様の結果が得られた。一方、変異型PDZK1では、正常型PDZK1のようなSR-BI蛋白質発現の増加は見られなかった。このことから、PDZK1によるSR-BI蛋白質の発現の安定化作用はPDZK1のリン酸化が関与していることが示唆された。

血中グルカゴン量の変動によるPDZK1、SR-BI蛋白質の変動

グルカゴンは生体内で最も強力な血糖上昇作用ホルモンで、血糖維持に重要な働きをしており、グルカゴンレセプターを介して細胞内のPKAを活性化することが知られている。これまでに、グルカゴン投与時には血中HDLコレステロール量が減少することが報告されていたが、そのメカニズムは不明のままであった。本研究のこれまでの結果から、中村はグルカゴンによる血中HDLコレステロールの低下作用は、PKA活性化を介したPDZK1のリン酸化の亢進によるSR-BI蛋白質発現レベルの増加に伴う、HDLコレステロールの肝臓への取り込みの促進による可能性を考えた。そこで、中村はグルカゴンを投与したラット、血中グルカゴン濃度が低下している肥満ラットのZuckerラットを用いて検討を行った。まず、ラットにグルカゴンを投与し、肝臓のSR-BI, PDZK1蛋白質発現量、リン酸化PDZK1量について western blottingにより検討した。その結果、グルカゴン投与時のラットでは肝臓のSR-BI, PDZK1蛋白質発現量がコントロールと比較して増加することが示された。一方、リン酸化PDZK1量はPDZK1の蛋白質発現量の増加よりも大きく増加することが示された。このことから、グルカゴン投与によるSR-BIの発現量の増加はPKA活性化を介したリン酸化PDZK1量の増加が関与することが考えられた。また、グルカゴン投与時の肝臓SR-BI, PDZK1のmRNA量について定量RT-PCRを用いて検討した。その結果、SR-BI, PDZK1ともにグルカゴン投与による変化は見られなかった。このことから、グルカゴン投与によるSR-BI, PDZK1の変化は翻訳後の制御であることが示された。次にZuckerラットの肝臓におけるSR-BI, PDZK1蛋白質、PDZK1リン酸化について調べた。その結果、グルカゴン投与の場合とは逆に、Zuckerラットの肝臓においては、SR-BIの発現量の低下とともに、PDZK1蛋白質およびリン酸化PDZK1のレベルも大きく減少していることが示された。また、Zucker ラットの肝臓中のSR-BI, PDZK1のmRNA量は、コントロールラットと比較して有意な差は見られなかった。このことから、ZuckerラットにおけるSR-BI, PDZK1レベルの低下は翻訳後の制御であることが示唆された。

まとめ

本研究において、中村はSR-BIの発現安定化にはPDZK1のC末端領域の509番目のSerのリン酸化が関与すること、PDZK1のSer509がPKA、およびp70S6Kによりリン酸化されること、PKAを活性化するグルカゴンの変動に応じて、PDZK1のリン酸化およびSR-BIの発現量が変動することを示した。このことから、グルカゴン投与ラットやZuckerラットにおいては血中HDLコレステロール量が変動するメカニズムは、グルカゴンによるPKAを介した肝臓PDZK1のリン酸化の制御、および肝臓SR-BI蛋白質の発現変動による、肝臓へのHDLコレステロールの取り込み量の変化であることが強く示唆された。グルカゴンをラットに投与すると、血中HDLコレステロールが減少するだけではなく、コレステロールの胆汁酸による排泄も促進することが報告されている。一方、Zuckerラットにおいて、胆汁酸へのコレステロールの排泄は低下していることが知られている。 SR-BIは選択的にHDLコレステロールを胆汁酸により排泄することが知られており、これらを併せて考えると、血中のグルカゴンが上昇すると、HDLコレステロールは積極的に胆汁酸により排泄されるが、その働きにはPDZK1のリン酸化によるSR-BI蛋白質の発現安定化が関与することが考えられた。

Fig.1 コレステロール輸送機構

Fig.2 PDZK1はHDL受容体SR-BIに結合する

Fig.3 PDZK1はPKAによりリン酸化される

Fig.4 PDZK1はp70S6Kによってもリン酸化される

Fig.5 PDZK1リン酸化はSR-BIの発現安定化に関与する

Fig.6 グルカゴンにより肝臓SR-BI, PDZK1蛋白質 発現量、PDZK1リン酸化量が増加する

Fig.7 Zuckerラットの肝臓ではSR-BI, PDZK1蛋白質 発現量、PDZK1リン酸化量が低下している

Fig.8 グルカゴン変動によるSR-BI, PDZK1を介した 血中HDLコレステロールの変動

審査要旨 要旨を表示する

生体内において、コレステロールはVLDL, LDLというリポ蛋白質を介して肝臓から末梢組織へ供給される。一方、末梢組織の過剰なコレステロールは、HDLというリポ蛋白質へ受け渡され、さらに肝臓へ輸送され、処理、排泄される。動物細胞は、コレステロールを分解する能力がないため、HDLを介するコレステロールの末梢組織からの排出系は、生体の過剰なコレステロールを処理するための重要な経路であり、「コレステロール逆転送系」と呼ばれている。SR-BI (Scavenger Receptor Class B Type I) は、肝臓において HDL からコレステロールを受け取る主要な受容体として同定された膜蛋白質である。SR-BIを介してHDLから肝臓に取り込まれたコレステロールは、VLDL合成系に再利用されることはなく選択的に胆汁酸排泄されることが示されている。このように肝臓SR-BIはコレステロールの生体からの排出に重要な役割を担っている受容体であり、肝臓SR-BIの発現制御機構を解明することは非常に重要である。これまでにSR-BIのC末端細胞質領域と結合する蛋白質としてPDZK1が同定されている。PDZK1は4つのPDZドメインを持ち、最もN末端側のPDZドメインを介してSR-BIと結合する。また、PDZK1はSR-BIの肝細胞膜での発現を蛋白質レベルで増加させ、SR-BI蛋白質の発現量およびHDLコレステロールの選択的取り込みを増加させることが培養細胞およびin vivoレベルで明らかになっている。しかし、PDZK1およびSR-BIの肝臓における発現制御機構、ならびにPDZK1によるSR-BIの発現制御機構に関してはあまり解明されていなかった。本研究において、中村はPDZK1によるSR-BIの発現制御機構についてさらに詳細に解析し、SR-BIの発現量の増加にはPDZK1のC末端領域のリン酸化が関与していることを見出した。

SR-BIの発現量の増加にはPDZK1のC末端領域も必要であることが示され、また、ラットPDZK1のC末端領域の509番目のSerが肝臓内でリン酸化されていることが明らかになっている。これらのことから、中村はC末端領域のPDZK1のリン酸化がPDZK1によるSR-BIの発現量の増加に関与している可能性が考え、C末端領域のPDZK1のリン酸化について、さらに詳細に解析した。まず、中村はPDZK1のC末端領域をリン酸化するキナーゼの同定を試みた。データベースを用いてPDZK1のSer509をリン酸化するキナーゼを検索したところ、PDZK1のSer509はPKAおよびp70S6Kによりリン酸化されることが予測された。そこで、まずリコンビナントPDZK1およびリン酸化部位変異型PDZK1を用いてPKA in vitroキナーゼアッセイを行った。その結果、PKAによりPDZK1はリン酸化されたが、リン酸化部位変異型PDZK1ではリン酸化されなかった。このことからPDZK1のSer509はin vitroにおいてPKAによりリン酸化されることが明らかになった。

また、中村はPDZK1のリン酸化は細胞レベルにおいてもPKAにより制御されるのか検討した。CHO-PDZK1定常発現細胞株にPKA活性化剤フォルスコリンおよびPKA阻害剤H-89を添加し、PDZK1のSer509のリン酸化抗体にてPDZK1のリン酸化の変化を見た。その結果、フォルスコリンを添加したことにより、PDZK1のリン酸化が亢進し、H-89添加ではPDZK1のリン酸化が抑制された。

同様にp70S6KによってもPDZK1のSer509がリン酸化されるのか検討したところ、p70S6KもPDZK1のSer509をリン酸化させることがin vitroおよび培養細胞レベルで明らかになった。これらの結果から、PDZK1のSer509のリン酸化は細胞内においてPKAおよびp70S6Kにより制御されることが示された。

次に、中村はPDZK1のSer509のリン酸化がSR-BIの発現制御に関与するのか検討した。ほとんどの肝癌細胞は内在性のSR-BIおよびPDZK1を発現していなかったが、ラット肝癌細胞株Fao細胞は、その中で唯一SR-BIを内在性に発現していた。そこで、正常型PDZK1またはSer509をAlaに変異させた変異型PDZK1を、Fao細胞にアデノウイルスを用いて発現させ、SR-BIの蛋白質発現量を比較した。まず、正常型PDZK1をFao細胞に発現させるとSR-BI蛋白質の発現量が増加し、これまでCHO細胞で得られていた結果と同様の結果が得られた。一方、変異型PDZK1では、正常型PDZK1のようなSR-BI蛋白質発現の増加は見られなかった。このことから、PDZK1によるSR-BI蛋白質の発現の安定化作用はPDZK1のリン酸化が関与していることが示唆された。

ところで、グルカゴンは生体内で最も強力な血糖上昇作用ホルモンで、血糖維持に重要な働きをしており、グルカゴンレセプターを介して細胞内のPKAを活性化することが知られている。これまでに、グルカゴン投与時には血中HDLコレステロール量が減少することが報告されていたが、そのメカニズムは不明のままであった。本研究のこれまでの結果から、中村はグルカゴンによる血中HDLコレステロールの低下作用は、PKA活性化を介したPDZK1のリン酸化の亢進によるSR-BI蛋白質発現レベルの増加に伴う、HDLコレステロールの肝臓への取り込みの促進による可能性を考えた。そこで、中村はグルカゴンを投与したラット、血中グルカゴン濃度が低下している肥満ラットのZuckerラットを用いて検討を行った。まず、ラットにグルカゴンを投与し、肝臓のSR-BI, PDZK1蛋白質発現量、リン酸化PDZK1量について western blottingにより検討した。その結果、グルカゴン投与時のラットでは肝臓のSR-BI, PDZK1蛋白質発現量がコントロールと比較して増加することが示された。一方、リン酸化PDZK1量はPDZK1の蛋白質発現量の増加よりも大きく増加することが示された。このことから、グルカゴン投与によるSR-BIの発現量の増加はPKA活性化を介したリン酸化PDZK1量の増加が関与することが考えられた。また、グルカゴン投与時の肝臓SR-BI, PDZK1のmRNA量について定量RT-PCRを用いて検討した。その結果、SR-BI, PDZK1ともにグルカゴン投与による変化は見られなかった。このことから、グルカゴン投与によるSR-BI, PDZK1の変化は翻訳後の制御であることが示された。次にZuckerラットの肝臓におけるSR-BI, PDZK1蛋白質、PDZK1リン酸化について調べた。その結果、グルカゴン投与の場合とは逆に、Zuckerラットの肝臓においては、SR-BIの発現量の低下とともに、PDZK1蛋白質およびリン酸化PDZK1のレベルも大きく減少していることが示された。また、Zucker ラットの肝臓中のSR-BI, PDZK1のmRNA量は、コントロールラットと比較して有意な差は見られなかった。このことから、ZuckerラットにおけるSR-BI, PDZK1レベルの低下は翻訳後の制御であることが示唆された。

本研究において、中村はSR-BIの発現安定化にはPDZK1のC末端領域の509番目のSerのリン酸化が関与すること、PDZK1のSer509がPKA、およびp70S6Kによりリン酸化されること、PKAを活性化するグルカゴンの変動に応じて、PDZK1のリン酸化およびSR-BIの発現量が変動することを示した。このことから、グルカゴン投与ラットやZuckerラットにおいては血中HDLコレステロール量が変動するメカニズムは、グルカゴンによるPKAを介した肝臓PDZK1のリン酸化の制御、および肝臓SR-BI蛋白質の発現変動による、肝臓へのHDLコレステロールの取り込み量の変化であることが強く示唆された。グルカゴンをラットに投与すると、血中HDLコレステロールが減少するだけではなく、コレステロールの胆汁酸による排泄も促進することが報告されている。一方、Zuckerラットにおいて、胆汁酸へのコレステロールの排泄は低下していることが知られている。 SR-BIは選択的にHDLコレステロールを胆汁酸により排泄することが知られており、これらを併せて考えると、血中のグルカゴンが上昇すると、HDLコレステロールは積極的に胆汁酸により排泄されるが、その働きにはPDZK1のリン酸化によるSR-BI蛋白質の発現安定化が関与することが考えられた。

本研究は、PDZK1によるSR-BIの発現制御機構の一端を明らかにしたものであり、また本研究において提唱したグルカゴンによる肝臓PDZK1の制御を介した肝臓SR-BIの発現制御は、糖代謝、エネルギー代謝を制御するホルモンであるグルカゴンとコレステロール代謝とのクロストークの新たなメカニズムを提唱するものであり、現在注目されている生活習慣病の一つであるメタボリックシンドロームの発症機序に新たな情報を提示しているものと考えられ、薬学(博士)に充分値するものと判断した。

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