学位論文要旨



No 121541
著者(漢字) 濱,弘太郎
著者(英字)
著者(カナ) ハマ,コウタロウ
標題(和) リゾホスファチジン酸受容体(LPA3)の受精卵着床における役割
標題(洋)
報告番号 121541
報告番号 甲21541
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1184号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 助教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

【序】

リゾホスファチジン酸 (LPA) は、細胞遊走亢進、細胞増殖亢進、抗アポトーシス効果を持つほか、アクチン骨格の再編成や、細胞内カルシウム濃度上昇などの様々な活性を持つ生理活性脂質として知られている。これらの作用は、主にG タンパク質共役型受容体(LPA1, LPA2, LPA3, LPA4) によって担われており、LPA が各受容体を介してどのような生理的・病理的機能を持つのか注目されている。これらの LPA 受容体の中でも特にLPA3 は、精巣、子宮などの生殖系臓器に高発現しており、生殖において何らかの機能を持つことが予想されている。私は、博士課程においてLPA3 欠損マウスの作成・解析を行い、雌ホモ欠損マウスの子宮において受精卵の着床異常を見出し LPA の全く新しい生理的機能を明らかにした。さらに、雌ホモ欠損マウスの子宮内で、正常な着床に必須と考えられているプロスタグランジン (PG) 類の産生系に異常が生じていることを示し、子宮におけるLPA シグナルとPG シグナルのクロストークを提唱した。

【方法と結果】

LPA3 ホモ欠損雌マウスに見られる産仔数の減少と着床異常

マウス LPA3 は3番染色体上に 3つのエキソンから構成されている。開始コドンが含まれる領域をネオマイシン耐性遺伝子で置換したターゲティングベクターを作成し、常法に従ってノックアウトマウスを作成した。生まれてきたホモ欠損マウスは外見上正常であり、また発育過程にも異常は見出されなかった。しかしながら繁殖の過程で、雌ホモ欠損マウスの産仔数が通常の半分以下に減少していることを見出した (Table.1)。そこで、各妊娠過程を調べたところ、LPA3 ホモ欠損雌マウスの排卵能, 受精能, 卵管輸送能については特に異常は見出されなかった。ところが、通常交尾後 4.5 日目に観察されるはずの受精卵の着床部位が、ホモ欠損マウスでは全く観察されないことを見出した (Fig.1)。また、ホモ欠損マウスでは交尾後 5.5 日目に着床部位は見られるものの、着床部位は非常に近接していた (Fig.1)。さらに、着床部位の異常が生じる過程を明らかにするため、交尾後 3.5日目、3.8 日目、4.5日目の子宮の連続切片を作成し、子宮内に存在する受精卵の位置を観察した。その結果、野生型では、交尾後3.5日目から3.8 日目にかけて、受精卵が子宮内で均等に配置されるのに対して、LPA3 ホモ欠損雌マウスでは、交尾後3.8日目および 4.5 日目でも受精卵どうしが非常に近接して存在していることがわかった (data not shown)。このことから、LPA3 を介したシグナルは、受精卵の適切な着床時期と、子宮内における均等な着床配置の両方を制御することが明らかになった。

LPA3 ホモ欠損マウス子宮内での胎仔の発生異常と胎盤共有

次に、LPA3 ホモ欠損マウスに見られる産仔数減少の過程を明らかにするため、着床期以降経時的に子宮内の胎仔数を計測した。着床期の子宮内に存在する受精卵数には、野生型とホモ欠損マウスの間に顕著な差は見られなかった。しかし、ホモ欠損マウスにおける生存胎仔数は妊娠の進行とともに徐々に減少した。特に、妊娠過程の進行に伴ってホモ欠損マウスの子宮では着床部位の形態異常が顕著となり(Fig.2)、複数の胎仔間での胎盤共有(Fig.3)、胎仔の発生遅延・停止が高頻度に観察された。このことから、ホモ欠損マウスの子宮内では、着床配置の異常に起因する発生環境の悪化のために、産仔数が野生型の半分程度まで減少するものと考えられた。

子宮における LPA3 の発現とその制御

ホモ欠損マウスでは着床過程に異常が見られたので、着床前後の時期の子宮内の LPA3 発現量を定量 PCR 法を用いて解析した。その結果、着床開始期である交尾後 3.5 日目に LPA3 の発現は最大になることを見出した (data not shown)。さらに、同時期の子宮に対して in situ hybridization を行ったところ、子宮内膜上皮細胞に限局して LPA3 が発現していることがわかった (Fig.4)。このようにLPA3 は妊娠初期過程において大きく発現量が変動することから、LPA3 の発現変化における女性ホルモンの関与を予想した。そこで、卵巣を摘出したマウスに対してプロゲステロン(P4)、エストロゲン(E2)を投与し、子宮におけるLPA3 の発現量を解析したところ、P4による発現量の増大が観察された。また、この発現量変化はP4とE2の同時投与により見られなくなったことから、LPA3 の発現はP4とE2によって拮抗的に制御されているものと考えられた(Fig.5)。

LPA3 シグナリングにおける PG の関与

これまで、シクロオキシゲナーゼ (COX) 阻害剤で処理したマウスあるいはラット、および PG 産生の初発酵素である cPLA2aホモ欠損マウスは着床異常を示すことが報告されている。LPA3 ホモ欠損マウスの表現型は、これらの着床不全モデル動物と類似点が多い。そこで、LPA3 ホモ欠損マウス子宮内のPGになんらかの異常が生じている可能性を考え、ホモ欠損マウス子宮内のPG量を定量した。その結果、PGE2, PGI2 はホモ欠損マウスの子宮で有意に減少しており、PGF2a についても減少傾向が見られた(Fig.6)。さらに、PG 産生に重要な酵素である cPLA2a, COX-1, COX-2 の子宮内における発現量を検討したところ、COX-2 のみホモ欠損マウスで発現量が減少していた (Fig.7)。LPA3 シグナルが直接的に COX-2 の発現を亢進しうるかを確認するため、LPA3 発現細胞株に対して、有機合成化学教室との共同研究により開発した LPA3 選択的アゴニストT13 を添加したところ、有意に COX-2 の発現上昇が観察された (data not shown)。これらの結果より、LPA3 ホモ欠損雌マウスに見られる着床異常は、子宮でのCOX-2 発現低下、それに伴うPGの不足が原因と考えられた。そこでホモ欠損マウスへのPG投与による、着床異常の表現型の回復を試みた。LPA3ホモ欠損マウスにPGE2 とPGI2 の安定アナログであるcPGI を同時投与したところ、投与したすべてのマウスで交尾後 4.5 日目に着床部位が観察された。しかし受精卵どうしが非常に接近して着床しており、着床の配置の異常は回復されなかった (Fig.8)。

【まとめ、考察】

本研究において私は、LPA3 ホモ欠損雌マウスでは受精卵の着床時期と配置に異常が生じることを見出し、LPA が LPA3 を介して時間的、空間的に受精卵の着床を制御していることを初めて明らかにした。さらに、LPA3 を介したシグナルは、着床期の子宮において COX-2 の発現量を上昇させ、着床に重要なPG 類の産生を促進していることを示した。LPA3 の発現はプロゲステロン (P4) によって増大した。P4 は女性ホルモンの一種であり、着床を含めた妊娠初期過程に重要な役割を持つことは以前から知られていたが、今回の結果は、着床におけるP4の作用の一部が LPA3-PG シグナル系を介していることを示唆している。PG 類の投与により、ホモ欠損雌マウスの着床の遅延は回復された。しかし、着床の配置異常については回復されなかった。従って、着床の配置を制御するLPA3 を介したシグナルが PG シグナルとは全く別のシグナルを介している可能性がある。LPA3 を介したシグナルが着床の配置を制御する機構、さらには子宮におけるLPA の供給機構はともに今後の重要な課題である。近年、不妊症患者の増加に伴って、体外受精等の不妊治療が盛んに行われているが、体外受精の成功率は、未だ20~30 % と低水準である。その主な要因に着床不全があげられている。しかし、着床の分子機構に関する知見は極めて乏しく、着床不全に対する有効な治療法や創薬開発は行われていないのが現状である。今回、着床に重要な G タンパク質共役型受容体が初めて明らかになったことから、LPA3 に対するアゴニストが着床不全に対して効果的であるかという点についても、創薬開発の観点から非常に重要な今後の課題である。

Fig.1 LPA3ホモ欠損雌マウスにみられる着床異常

Fig.2 交尾後 10.5 日目の子宮の形態

Fig.3 交尾後 10.5 日目の複数の胎仔による胎盤の共有(矢印は胎盤、矢頭は胎仔を示す)

Fig.4 交尾後 3.5 日目の子宮におけるLPA3 発現分布

Fig.5 卵巣摘出マウスへの女性ホルモン投与による LPA3の発現

Fig.6 交尾後3.5日目の子宮内プロスタグランジン量

Fig.7 交尾後3.5日目の子宮内のCOX-2 発現量

Fig.8 PG投与による着床の部分的回復

Hama K., Bandoh K., Kakehi Y., Aoki J. and Arai H. : FEBS Lett 523:187-192, 2002Hama K., Aoki J., Fukaya M., Kishi Y., Sakai T., Suzuki R., Ohta H., Yamori T., Watanabe M., Chun J. and Arai H. : J Biol Chem 279:17634-17639, 2004Ye X*, Hama K*., Contos JA., Anlinker B., Inoue A., Skinner MK., Suzuki H., Amano T., Kennedy G., Arai H., Aoki J. and Chun J. : Nature 435:104-108, 2005 (* co-first author)
審査要旨 要旨を表示する

リゾホスファチジン酸 (LPA) は、細胞遊走亢進、細胞増殖亢進、抗アポトーシス効果を持つほか、アクチン骨格の再編成や、細胞内カルシウム濃度上昇などの様々な活性を持つ生理活性脂質として知られている。これらの作用は、主にG タンパク質共役型受容体(LPA1, LPA2, LPA3, LPA4) によって担われており、LPA が各受容体を介してどのような生理的・病理的機能を持つのか注目されている。これらの LPA 受容体の中でも特にLPA3 は、精巣、子宮などの生殖系臓器に高発現しており、生殖において何らかの機能を持つことが予想された。このような背景のもとに濱は、共同研究により作製された LPA3 ノックアウトマウスを詳細に解析することにより以下の項目を発見した。

LPA3 ホモ欠損雌マウスに見られる産仔数の減少と着床異常

まず濱は、生まれてきたホモ欠損マウスは外見上正常であり、また発育過程にも異常は見出されなかった。しかしながら繁殖の過程で、雌ホモ欠損マウスの産仔数が通常の半分以下に減少していることを見出した。そこで、各妊娠過程を調べたところ、LPA3 ホモ欠損雌マウスの排卵能, 受精能, 卵管輸送能については特に異常は見出されなかった。ところが、通常交尾後 4.5 日目に観察されるはずの受精卵の着床部位が、ホモ欠損マウスでは全く観察されないことを見出した。また、ホモ欠損マウスでは交尾後 5.5 日目に着床部位は見られるものの、着床部位は非常に近接していた。さらに、着床部位の異常が生じる過程を明らかにするため、交尾後 3.5日目、3.8 日目、4.5日目の子宮の連続切片を作成し、子宮内に存在する受精卵の位置を観察した。その結果、野生型では、交尾後3.5日目から3.8 日目にかけて、受精卵が子宮内で均等に配置されるのに対して、LPA3 ホモ欠損雌マウスでは、交尾後3.8日目および 4.5 日目でも受精卵どうしが非常に近接して存在していることがわかった。このことから、LPA3 を介したシグナルは、受精卵の適切な着床時期と、子宮内における均等な着床配置の両方を制御することが明らかになった。

LPA3 ホモ欠損マウス子宮内での胎仔の発生異常と胎盤共有

次に濱は、LPA3 ホモ欠損マウスに見られる産仔数減少の過程を明らかにするため、着床期以降経時的に子宮内の胎仔数を計測した。着床期の子宮内に存在する受精卵数には、野生型とホモ欠損マウスの間に顕著な差は見られなかった。しかし、ホモ欠損マウスにおける生存胎仔数は妊娠の進行とともに徐々に減少した。特に、妊娠過程の進行に伴ってホモ欠損マウスの子宮では着床部位の形態異常が顕著となり、複数の胎仔間での胎盤共有、胎仔の発生遅延・停止が高頻度に観察された。このことから、ホモ欠損マウスの子宮内では、着床配置の異常に起因する発生環境の悪化のために、産仔数が野生型の半分程度まで減少するものと考えられた。

子宮における LPA3 の発現とその制御

ホモ欠損マウスでは着床過程に異常が見られたので、着床前後の時期の子宮内の LPA3 発現量を定量 PCR 法を用いて解析した。その結果、着床開始期である交尾後 3.5 日目に LPA3 の発現は最大になることを見出した。さらに、同時期の子宮に対して in situ hybridization を行ったところ、子宮内膜上皮細胞に限局して LPA3 が発現していることがわかった。このようにLPA3 は妊娠初期過程において大きく発現量が変動することから、LPA3 の発現変化における女性ホルモンの関与を予想した。そこで、卵巣を摘出したマウスに対してプロゲステロン(P4)、エストロゲン(E2)を投与し、子宮におけるLPA3 の発現量を解析したところ、P4による発現量の増大が観察された。また、この発現量変化はP4とE2の同時投与により見られなくなったことから、LPA3 の発現はP4とE2によって拮抗的に制御されているものと考えられた。

LPA3 シグナリングにおける PG の関与

これまで、シクロオキシゲナーゼ (COX) 阻害剤で処理したマウスあるいはラット、および PG 産生の初発酵素である cPLA2aホモ欠損マウスは着床異常を示すことが報告されている。LPA3 ホモ欠損マウスの表現型は、これらの着床不全モデル動物と類似点が多い。そこで、LPA3 ホモ欠損マウス子宮内のPGになんらかの異常が生じている可能性を考え、ホモ欠損マウス子宮内のPG量を定量した。その結果、PGE2, PGI2 はホモ欠損マウスの子宮で有意に減少しており、PGF2a についても減少傾向が見られた。さらに、PG 産生に重要な酵素である cPLA2a, COX-1, COX-2 の子宮内における発現量を検討したところ、COX-2 のみホモ欠損マウスで発現量が減少していた。LPA3 シグナルが直接的に COX-2 の発現を亢進しうるかを確認するため、LPA3 発現細胞株に対して、有機合成化学教室との共同研究により開発した LPA3 選択的アゴニストT13 を添加したところ、有意に COX-2 の発現上昇が観察された。これらの結果より、LPA3 ホモ欠損雌マウスに見られる着床異常は、子宮でのCOX-2 発現低下、それに伴うPGの不足が原因と考えられた。そこでホモ欠損マウスへのPG投与による、着床異常の表現型の回復を試みた。LPA3ホモ欠損マウスにPGE2 とPGI2 の安定アナログであるcPGI を同時投与したところ、投与したすべてのマウスで交尾後 4.5 日目に着床部位が観察された。しかし受精卵どうしが非常に接近して着床しており、着床の配置の異常は回復されなかった。

以上のように、濱は、LPA3 ホモ欠損雌マウスでは受精卵の着床時期と配置に異常が生じることを見出し、LPA が LPA3 を介して時間的、空間的に受精卵の着床を制御していることを初めて明らかにした。さらに、LPA3 を介したシグナルは、着床期の子宮において COX-2 の発現量を上昇させ、着床に重要なPG 類の産生を促進していることを示した。本研究は、LPA の全く新しい生理的作用を世界で初めて見出し、LPA シグナルが近年問題となっている不妊治療の創薬対象となる可能性を提唱するものであり、薬学(博士)に充分値するものと判断した。

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