学位論文要旨



No 121549
著者(漢字) 高橋,宴子
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ヤスコ
標題(和) Alzheimer病Aβ産酵素γ-secretaseに対する新規阻害剤の探索と光親和性標識プローブを用いた阻害機構の解析
標題(洋)
報告番号 121549
報告番号 甲21549
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1192号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 関水,和久
内容要旨 要旨を表示する

Alzheimer病(AD)の患者脳に蓄積する老人斑の主要構成成分であるamyloid-β peptide(Aβ)は、β-amyloid precursor protein(APP)から、連続した2段階の切断を受けて切り出される。特にC末端側の切断を行うγ-secretaseは、Aβ40と凝集性の高いAβ42の切り分けを決定しており、Aβ産生機構を対象とするAD治療薬の開発において重要なターゲットと考えられる。γ-Secretaseはpresenilin N末端断片(PS NTF)、presenilin C末端断片(PS CTF)、nicastrin(NCT)、APH-1、PEN-2の4分子から構成される高分子量蛋白複合体からなる。γ-SecretaseはAPPのみならず、NotchなどさまざまなI型膜蛋白の膜内配列を切断することから、signal peptide peptidase(SPP)などとあわせてI-CLiPs(intramembrane cleaving proteases)と総称されている。γ-Secretaseの基質の多様性から、阻害剤をAD治療薬として用いる場合、APP以外の基質の切断阻害や、他のI-CLiPsの阻害による副作用が問題となる。したがって低分子化合物による阻害機構の理解は、γ-secretase阻害剤の開発にあたり重要である。そこで私は、in vitro γ-secretase活性測定系を用い、天然物合成化学教室と創薬理論科学教室により構築された種々の化合物の合成中間体を含む低分子化合物ライブラリー、ならびに市販の化合物ライブラリーを用いて、新規骨格を持つγ-secretase阻害剤のscreeningを行った。さらに、光親和性標識プローブ化したγ-secretase阻害剤を用いて、低分子化合物によるγ-secretase活性の阻害機構について解析を行った。

γ-Secretaseの基質となるAPPC末端に相当するリコンビナントC100蛋白質を基質とし、温和な界面活性剤であるCHAPSOで可溶化したHeLa細胞の膜画分を酵素源とするin vitro活性測定系を用いて、計707個の化合物の阻害活性を低濃度(5μM)と高濃度(200μM)の2点で評価した(first screening;図1)。低濃度でAβ産生を20%以上低下させた化合物を選択し、さらに広い濃度域で阻害活性を調べたところ(second screening)、強いγ-secretase活性阻害能を有する化合物が2個見出された(GS155、GS416)。これらの化合物は共にAβ40産生とAβ42産生を同程度に阻害し、IC50はそれぞれ0.5μM,1.5μMであった(図2)。これらの化合物はともに六員環enoneであり、隣接する2つの芳香環を有するという構造上の共通性がみられた。そこでこれらの化合物においてγ-secretase阻害能を発揮する構造を同定するため、誘導体を作出し、構造活性相関を検討したところ、阻害能を保持していた誘導体の大部分がenoneであり、GS155とGS416ではenoneがγ-secretase阻害能発揮に関与していると考えられた。

GS155、GS416は培養細胞に投与した場合には、阻害効果を示さなかった。そこでAPPを過剰発現したHEK293細胞の膜画分を37℃でインキュベートし、産生されたAβ量を測定するcell-freeassayにおいて効果を検討すると、反応液中にCHAPSOを含まない場合には阻害活性が見られなかったのに対し、0.25% CHAPSO存在下ではAβ産生は阻害された。したがってGS155および416のγ-secretase阻害活性には、CHAPSOの存在が必要と考えられた。さらにこれらの阻害剤の酵素反応全般に対する非特異的な効果を検討する中で、β-galactosidaseの活性は阻害されないが、luciferaseの活性は阻害されることを見出した。この結果から、γ-secretaseとluciferaseの酵素活性発現機構には何らかの共通性が存在し、これに対してGS155および416が阻害能を発揮する可能性が考えられた。

さらに既知の酵素阻害剤ライブラリーからのスクリーニングにより、2種のPKC阻害剤と2種のATPase阻害剤をγ-secretase阻害能を有する新規化合物として同定し、ATPとγ-secretaseの結合が新たなγ-secretase阻害剤の標的となる可能性を指摘した。

代表的なdipeptide型γ-secretase阻害剤であるDAPT、Compound E及びLY411,575は、全てdifluorophenyl 基を有しており、類似した構造をもっている。にもかかわらず、酵素特異性の点で異なっており、DAPTはSPPを阻害しないが、Compound EとLY411,575はSPPを阻害する。またこれまでにDAPTを光親和性プローブに改変した誘導体の解析から、DAPTはPS CTFに直接結合することが知られていたが、Compound E、LY411,575についての詳細は不明であった。これら阻害剤間の阻害特性の差を生み出す分子機構について検討を加えるため、これら3種類の阻害剤に光感応基とビオチンを結合した10種類の光親和性プローブを、1% CHAPSOで可溶化したHeLa細胞膜画分に添加してUV照射を行い、ストレプトアビジンビーズで吸着された蛋白質を解析した(図3)。その結果、DAPT型プローブと異なり、Compound E型プローブ、LY411,575型プローブはPS1 NTFを特異的に標識し、さらにSPPをも標識した。この結果から、これらの阻害剤はγ-secretase複合体中でPS1に作用して阻害能を発揮すること、またPS1とSPP に共通する構造ないし酵素反応機構を標的としていることが示唆された。

また既知のγ-secretase阻害剤のうちsulfonamide型阻害剤はその阻害機構・標的分子ともに不明である。そこで代表的なsulfomanide型阻害剤であるBMS-299897を元に構造活性相関解析を行い、その結果に基づいて光親和性プローブを作出した。このsulfonamide型プローブは既知のγ-secretase複合体構成因子を標識しなかったことから、全く新しい分子機構を標的としている可能性が示唆された。

本研究において私は、本学において構築されたcompound libraryから、新規構造を有するγ-secretase阻害剤GS155とGS416を見出した。これらの化合物の誘導体に対する構造活性相関の検討から、enoneとγ-secretase阻害能との関連性が示唆された。Enoneのようなα,β-不飽和カルボニル基を有する化合物は、求核剤に対してマイケル付加をすることが知られており、この化学反応がγ-secretase阻害を担っている可能性がある。γ-Secretase阻害能をもつkinase阻害剤、ZM449829もenoneであり、そのγ-secretase阻害には、ATPなどのヌクレオシドのPSに対する結合阻害が関わる可能性が想定されていること、GS155およびGS416がATP要求性酵素であるluciferase活性を阻害したことから、これら一群の化合物は、ATP結合部位への不可逆的な結合を介してγ-secretase阻害活性を発揮している可能性がある。酵素阻害剤ライブラリーのスクリーニングからATP要求性酵素の阻害剤がγ-secretase阻害剤として同定されたことは、ATPとの結合がγ-secretase活性を調節することに符合する。今後、これらの化合物がγ-secretaseとATPの結合に及ぼす影響を検討し、これらの化合物の作用機序を明らかにしたい。さらに、これらの化合物の光親和性誘導体をプローブとして用いることにより、γ-secretase活性の阻害機序について酵素学的・分子生物学的側面からさらに検討を加えたい。

さらに私は代表的なγ-secretase阻害剤であるCompound EやLY411,575を基本骨格に含む光親和性プローブを用いた標識実験から、これらの阻害剤がPS1 NTF及びSPPと結合することを示した。一方、DAPTは、PS1 CTFのみに特異的に結合することが明らかにされている。今回の結果はこれらの阻害特性の相違が、各阻害剤の標的分子の違いに対応することを明らかにした。また、PS1NTFとSPPには共通する活性化機構が存在する可能性を示唆している。さらにsulfonamide型阻害剤は、未同定の分子を標的としている可能性も示唆された。今後、γ-secretase及びSPPに対する各種阻害剤の詳細な解析を通じ、ケミカルバイオロジーの手法を駆使して、γ-secretase活性の分子機構の全貌の解明を試みたい。

図1. in vitro screening(first screening)の結果阻害剤の非存在下で産生されたAβ量を100%、強力なγ-secretase阻害剤であるL-685,458を過剰量加えた状態で産生されたAβ量を0%として、Aβ産生量を補正した。ドットは各化合物のAβ産生に対する影響を表す。

図2. 2種類の新規γ-secretase阻害剤によるin vitro γ-secretase活性の阻害曲線

図3. Compound E型及びLY411,575型プローブを用いたγ-secretaseの標識実験DAPT型プローブを用いた場合にはPS1 CTFのみが特異的に標識されたのに対し、Compound EまたはLY411,575型プローブを用いた場合にはPS1 NTF及びSPPが標識された。(左は抗PSもくしは抗SPP抗体、右は抗ビオチン抗体を用いたウエスタンブロット。左図の蛋白質に対応するバンドを右図の囲みで示す。*はビーズに対する非特異的結合。)

審査要旨 要旨を表示する

Alzheimer病(AD)の患者脳に蓄積する老人斑の主要構成成分であるamyloid-β peptide(Aβ)は、β-amyloidprecursorprotein (APP)から、連続した2段階の切断を受けて切り出される。特にC末端側の切断を行うγ-secretaseは、Aβ40と凝集性の高いAβ42の切り分けを決定しており、Aβ産生機構を対象とするAD治療薬の開発において重要なターゲットである。γ-Secretaseはpresenilin N末端断片(PS NTF)、presenilin C末端断片(PS CTF)、nicastrin(NCT)、APH-1、PEN-2の4分子から構成される高分子量蛋白複合体からなる。γ-SecretaseはAPPのみならず、NotchなどさまざまなI型膜蛋白の膜内配列を切断することから、signal peptide peptidase(SPP)などとあわせてl-CLiPs(intramembrane cleaving proteases)と総称されている。γ-Secretaseの基質の多様性から、阻害剤をAD治療薬として用いる場合、APP以外の基質の切断阻害や、他のI-CLiPsの阻害による副作用が問題となる。したがって低分子化合物による阻害機構の理解は、γ-secretase阻害剤の開発にあたり重要である。そこで申請者は、in vitro γ-secretase活性測定系を用い、有機化学系研究室により構築された種々の化合物の合成中間体を含む低分子化合物ライブラリー、ならびに市販の化合物ライブラリーを用いて、新規骨格を持つγ-secretase阻害剤のscreeningを行った。さらに、光親和性標識プローブ化したγ-secretase阻害剤を用いて、低分子化合物によるγ-secretase活性の阻害機構について解析を行った。

γ-Secretaseの基質となるAPPC末端に相当するリコンビナントC100蛋白質を基質とし、温和な界面活性剤であるCHAPSOで可溶化したHeLa細胞の膜画分を酵素源とするin vitro活性測定系を用いて、計707個の化合物の阻害活性を低濃度(5μM)と高濃度(200μM)の2点で評価した。低濃度でAβ産生を20%以上低下させた化合物を選択し、さらに広い濃度域で阻害活性を調べたところ、強いγ-secretase活性阻害能を有する化合物が2個見出された(GS155、GS416)。これらの化合物は共にAβ40産生とAβ42産生を同程度に阻害し、IC50はそれぞれ0.5μM,1.5μMであった。これらの化合物はともに六員環enoneであり、隣接する2つの芳香環を有するという構造上の共通性がみられた。そこでこれらの化合物においてγ-secretase阻害能を発揮する構造を同定するため、誘導体を作出し、構造活性相関を検討したところ、阻害能を保持していた誘導体の大部分がenoneであり、GS155とGS416ではenoneがγ-secretase阻害能発揮に関与していると考えられた。

GS155、GS416は培養細胞に投与した場合には、阻害効果を示さなかった。そこでAPPを過剰発現したHEK293細胞の膜画分を37℃でインキュベートし、産生されたAβ量を測定するcell-free assayにおいて効果を検討すると、反応液中にCHAPSOを含まない場合には阻害活性が見られなかったのに対し、0.25%CHAPSO存在下ではAβ産生は阻害された。したがってGS155および416のγ-secretase阻害活性には、CHAPSOの存在が必要と考えられた。さらにこれらの阻害剤の酵素反応全般に対する非特異的な効果を検討する中で、β-galactosidaseの活性は阻害されないが、luciferaseの活性は阻害されることを見出した。この結果から、γ-secretaseとluciferaseの酵素活性発現機構には何らかの共通性が存在し、これに対してGS155および416が阻害能を発揮する可能性が考えられた。

さらに既知の酵素阻害剤ライブラリーからのスクリーニングにより、2種のPKC阻害剤と2種のATPase阻害剤をγ-secretase阻害能を有する新規化合物として同定し、ATPとγ-secretaseの結合が新たなγ-secretase阻害剤の標的となる可能性を指摘した。

代表的なdipeptide型γ-secretase阻害剤であるDAPT、Compound E及びLY411,575は、全てdifluorophenyl基を有しており、類似した構造をもっている。にもかかわらず、酵素特異性の点で異なっており、DAPTはSPPを阻害しないが、Compound EとLY411,575はSPPを阻害する。またこれまでにDAPTを光親和性プローブに改変した誘導体の解析から、DAPTはPSCTFに直接結合することが知られていたが、CompoundE、LY411,575についての詳細は不明であった。これら阻害剤間の阻害特性の差を生み出す分子機構について検討を加えるため、申請者はこれら3種類の阻害剤に光感応基とビオチンを結合した10種類の光親和性プローブを、1% CHAPSOで可溶化したHeLa細胞膜画分に添加してUV照射を行い、ストレプトアビジンビーズで吸着された蛋白質を解析した。その結果、DAPT型プローブと異なり、CompoundE型プローブ、LY411,575型プローブはPS1 NTFを特異的に標識し、さらにSPPをも標識した。この結果から、これらの阻害剤はγ-secretase複合体中でPS1に作用して阻害能を発揮すること、またPS1とSPPに共通する構造ないし酵素反応機構を標的としていることが示唆された。

また既知のγ-secretase阻害剤のうちsulfonamide型阻害剤はその阻害機構・標的分子ともに不明である。そこで代表的なsulfomanide型阻害剤であるBMS-299897を元に構造活性相関解析を行い、その結果に基づいて光親和性プローブを作出した。このsulfonamide型プローブは既知のγ-secretase複合体構成因子を標識しなかったことから、全く新しい分子機構を標的としている可能性が示唆された。

以上のごとく申請者は、有機化学研究者の手により構築されたcompound libraryから、新規構造を有するγ-secretase阻害剤GS155とGS416を見出した。これらの化合物の誘導体に対する構造活性相関の検討から、enoneとγ-secretase阻害能との関連性を示唆した。Enoneのようなα,β-不飽和カルボニル基を有する化合物は、求核剤に対してマイケル付加をすることが知られており、この化学反応がγ-secretase阻害を担っている可能性がある。γ-Secretase阻害能をもつkinase阻害剤、ZM449829もenoneであり、そのγ-secretase阻害には、ATPなどのヌクレオシドのPSに対する結合阻害が関わる可能性が想定されていること、GS155およびGS416がATP要求性酵素であるluciferase活性を阻害したことから、これら一群の化合物は、ATP結合部位への不可逆的な結合を介してγ-secretase阻害活性を発揮している可能性がある。酵素阻害剤ライブラリーのスクリーニングからATP要求性酵素の阻害剤がγ-secretase阻害剤として同定されたことは、ATPとの結合がγ-secretase活性を調節することに符合する。さらに申請者は代表的なγ-secretase阻害剤であるCompound EやLY411,575を基本骨格に含む光親和性プローブを用いた標識実験から、これらの阻害剤がPS1 NTF及びSPPと結合することを示した。一方、DAPTは、PS1 CTFのみに特異的に結合することが明らかにされている。今回の結果はこれらの阻害特性の相違が、各阻害剤の標的分子の違いに対応することを示す。また、PS1 NTFとSPPには共通する活性化機構が存在する可能性が示唆される。以上のごとく本研究はアルツハイマー病と膜内蛋白質分解の鍵分子γ-secretaseに対する新規阻害剤同定の方法論を示し、化学生物学的手法を駆使してγ-secretaseの作動機構を明らかにしたものであり、博士(薬学)の学位に相応しいものと判定した。

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