学位論文要旨



No 121550
著者(漢字) 柄本,昌子
著者(英字)
著者(カナ) ツカモト,マサコ
標題(和) 自発的膜電位振動による海馬シナプス伝達の自己修飾
標題(洋) Self-rewriting Cortical Microcircuitry : Complex and Fine Dynamics of Ongoing Synaptic Modifications
報告番号 121550
報告番号 甲21550
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1193号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 川原,茂敬
 東京大学 講師 山田,麻紀
内容要旨 要旨を表示する

序論

海馬は記憶形成において重要な役割を担う脳部位である。とりわけ海馬CA3野は、皮質からの直接的入力経路である皮質―アンモン角経路(temporoammonic pathway: TA)、錐体細胞同士の連絡経路である反回性経路(associational-commissural pathway:AC)、そして、皮質からの間接的入力経路である苔状繊維経路(mossy-fiber pathway:MF)の3種の独立した投射を受けており、複数の局所回路からの入力情報が連合される場として重要である。これら3種のシナプスでは、記憶・学習のモデルとされるシナプス可塑性が入力特異的に誘導され、またTAシナプスにおいては入力非特異的な可塑性も誘導されることが明らかとなっている2。

一方、生体脳内においては、神経細胞は自発的に活動電位を発生し、情報伝達を行っている。特に睡眠状態では、脳神経細胞は様々なリズムで周期的な活動を示すことが知られている。近年、徐波パターン活動(slow-wave state)に特徴付けられるノンレム睡眠が、覚醒時に獲得された記憶の固定に関与することが示唆されている。しかしながら、海馬CA3野におけるこのような周期的な活動がシナプス効率にどう影響を与えるかについては明らかになっていない。そこで本研究では、slow-wave oscillationを海馬CA3野に誘導し、本領域における可塑的変化について検討を行った。

方法と結果

膜電位振動とシナプス可塑性

人工脳脊髄液(normal ACSF:nACSF)中で400μmの急性海馬切片を作成し、90分間の回復期を経たのち研究に用いた。細胞の膜電位およびシナプス応答を記録するに当たっては、ホールセルパッチクランプ法を用いた。海馬CA3野細胞は、細胞外液としてnACSFを用いた場合、膜電位は静止膜電位付近で安定していたが(Fig.1A上段)、細胞外液組成を生体内脳脊髄液組成に近似(modified ACSF:mACSF)すると、1〜2秒おきに周期的な膜電位の振動を示した(Fig.1A中段)。急性海馬切片は海馬CA3野に投射する歯状回、嗅内野皮質を含んでいることから、CA3野で観察された膜電位振動の発生源がこれらの領域である可能性と、CA3野内で発生する可能性が考えられる。そこで、海馬CA3野を急性海馬切片から単離しmACSFを適用したところ同様の周期的な膜電位振動が誘導された(Fig.1A下段)。これらのことから、ここで観察されるCA3野細胞の膜電位振動は皮質からの入力に依存せず海馬CA3野内で独自に発生しうることがわかった。また、この膜電位振動の周期はslow-wave oscillationに分類される0.4〜1.0 Hzの範囲に分布していた(Fig.1C)。

次にこの膜電位振動がシナプス結合強度に影響を与えるのかについて検討した。3種それぞれのシナプス応答を誘起するべく、それぞれの入力が存在する部位に刺激電極を置いた。TA,AC入力は、網様分子層(stratum lacunosum moleculare:SLM)、放線層(stratum radiatum: SR)に、MF入力は歯状回顆粒細胞層(stratum granurosam:SG)に電気刺激を与えた。シナプス応答は、同シナプス種にも関わらず膜電位振動により増強と減弱の両方向性に調節を受けた(Fig.2B)。海馬CA3野に存在する3種の入力についてそれぞれ検討したところ、SLM、SR応答は長期増強(long-term potentiation:LTP)と長期抑圧(long-term depression:LTD)の両方向性の変化が観察されたが、SG応答は一例を除いた全ての例でLTDが誘導された(Fig.2C,D,E)。

Slow-wave oscillationとシナプス可塑性の方向性

膜電位振動誘発前後で両方向性のシナプス可塑性が誘導されていたことから、調節の方向性に関与する因子について検討した。mACSF適用時、細胞膜電位の振動は規則的振動を示す場合と、不規則的振動を示す場合の2パターンが観察された(Fig.1B)。不規則的振動を示した細胞では3種どのシナプスにおいてもシナプス応答の減弱が生じた。規則的な膜電位振動を示す細胞群においてはslow-wave oscillationに分類される振動周波数内でCA3野細胞ごとに様々であった。これらslow-wave oscillationに関する様々なパラメータとシナプス可塑性の方向性との関連性について検討した。このとき、SLM,SRシナプス応答は膜電位振動周波数ごとにシナプス可塑性の方向性が異なっており、シナプス入力を受けるCA3野細胞の膜電位振動周波数との関連性が示唆された(Fig.3A,B)

海馬CA3野錐体細胞のslow-wave oscillationの多様性

上に述べたように、膜電位振動周波数は記録細胞ごとに異なっていた。この理由として、以下の2点が考えられる。(1)海馬切片の状態の違い。(2)CA3野錐体細胞の多様性。この2点の検討を行うために、1つの海馬切片中の2つの異なるCA3野錐体細胞から同時に記録を行った(Fig.4A)。同時記録された2つの錐体細胞はmACSF中でそれぞれ異なるリズムで膜電位振動を示した(Fig.4B,C)。2細胞同時記録時の同種シナプス応答変化に着目すると、細胞ペアごとに、同方向に可塑性を生じる場合と、逆方向に可塑性を生じる場合があった。このとき、それぞれの細胞の膜電位振動周波数とシナプス可塑性の調節方向の関係性は、Figure 3のA, Bに示した振動周波数との関係に一致するものであった。また、同時記録した2細胞は互いのシナプス結合がなく、さらに、2細胞間の膜電位振動リズムの近似性は、2細胞間の距離とは独立であった。これらの検討より、CA3野錐体細胞はそれぞれに異なる周波数で膜電位振動しシナプス結合を調節していることがわかった。さらに、CA3野錐体細胞の膜電位振動は多様であることを確認するべく集合細胞レベルでの検討を行った。細胞が脱分極する際には活動電位の発生に伴って電位依存性カルシウムチャネルを介したカルシウム流入が起こる。そこで、カルシウムイメージング法を用いて本検討を行った。急性海馬切片にカルシウム指示薬を負荷し、指示薬が反応した際には細胞が活動電位を発生することをあらかじめ確認した。カルシウム指示薬を負荷した海馬切片にmACSFを適用したところ複数の細胞が異なるリズムで反応した。よって海馬CA3野錐体細胞が膜電位振動を示す性質は、同種細胞であるにも関わらず多様であることが示された。また、slow-wave oscillationは生体脳内において繰り返し発生することから、mACSFを繰り返し適用することでシナプス応答がどのような調節を受けるのか検討したところ、膜電位振動の周波数は1回目と2回目を比較して異なる周波数での振動を発生していた(Fig.4D)。また、シナプス応答もそれぞれの振動リズムに依存して、増強あるいは減弱を示した。1回目と2回目でシナプス応答が同方向に変化する場合にも、変化率が変化していた(Fig. 4D,E)。以上より、同じ細胞に着目した場合にも、膜電位振動を発生する度に修飾能が異なることがわかった。最後に、細胞自身の膜電位振動によって、その細胞のシナプス応答が変化するのか検討を行った。nACSF中で記録細胞に電流を与え膜電位振動を誘起することによりLTPあるいはLTDが誘導された。よって、自身の周期的な活動によってシナプス応答が両方向性に調節を受けることがわかった。

まとめ

本研究は、海馬CA3野錐体細胞が徐波振幅に分類される周波数で規則的に膜振動を発し、その周波数に依存してシナプス結合が強化あるいは減弱の方向に調節されることを明らかにした。同時に本実験系で観察された膜振動は、徐波振動として定義される範囲内で個々の細胞ごとに様々であり、それゆえにシナプス伝達効率の修飾も多様であることを示した。すなわち、海馬CA3野錐体細胞は、自身が発生した徐波振動に応じて、シナプス入力を柔軟に自己修飾している。こうした自発的な自己書換え能力は、神経ネットワークの情報処理機能が常に変化し続けることを示唆している点でも意義深い。

Fig.1 海馬CA3野におけるslow-wave oscillationの誘導

Fig.2 slow-wave oscillationによるシナプス可塑性

Fig.3 シナプス応答調節の膜電位振動周波数依存性

Fig.4 CA3野錐体細胞の多様性とシナプス応答自己修飾

Ueno, S.,Tsukamoto,M. et. al., J. Cell Biol., 2002. 158:215-220Tsukamoto M. et. al., J. Physiol., 2003. 546: 665-675Yasui, T., Fujisawa, S., Tsukamoto, M. et. al., J. Physiol., 2005. 566:143-160
審査要旨 要旨を表示する

海馬は記憶形成において重要な役割を担う脳部位である。とりわけCA3野は、大脳皮質からの直接的入力経路である皮質―アンモン角経路(temporoammonic pathway:TA)、錐体細胞同士の連絡経路である反回性経路(associational-commissural pathway:AC)、そして、皮質からの間接的入力経路である苔状繊維経路(mossy-fiber pathway:MF)の3種の独立した投射を受けており、複数の局所回路からの入力情報が連合される場として重要である。これら3 種のシナプスでは、記憶・学習のモデルとされるシナプス可塑性が入力特異的に誘導され、またTAシナプスにおいては入力非特異的な可塑性も誘導されることが明らかとなっている。

一方、生体脳内においては、神経細胞は自発的に活動電位を発生し、情報伝達を行っている。特に睡眠状態では、脳神経細胞は様々なリズムで周期的な活動を示すことが知られている。近年、徐波パターン活動(slow-wave state)に特徴付けられるノンレム睡眠が、覚醒時に獲得された記憶の固定に関与することが示唆されている。しかしながら、海馬CA3野におけるこのような周期的な活動がシナプス効率にどう影響を与えるかについては明らかになっていない。そこで本研究では、slow-wave oscillationを海馬CA3野に誘導し、本領域における可塑的変化について検討を行った。

膜電位振動とシナプス可塑性

ラット海馬切片を作成し、人工脳脊髄液(normal ACSF:nACSF)中でホールセルパッチクランプ法によりCA3野錐体細胞から膜電位または膜電流を記録した。nACSF中では膜電位は静止膜電位付近で安定していたが、細胞外液組成を生体内脳脊髄液組成に近似(modified ACSF:mACSF)すると、1〜2秒おきに周期的な膜電位の振動を示した。切片から歯状回および嗅内野皮質を切り離しても膜電位振動は影響されないことから、大脳新皮質からの入力に依存せず海馬CA3野内で独自に発生しうることが明らかになった。また、この膜電位振動の周期はslow-waveoscillationに分類される0.4〜1.0 Hzの範囲に分布していた。

次にこの膜電位振動がシナプス結合強度に与える影響について検討した。3種それぞれのシナプス応答を誘起するべく、それぞれの入力が存在する部位に刺激電極を置いた。TA,AC入力は、網様分子層(stratum lacunosum moleculare:SLM)、放線層(stratum radiatum:SR)に、MF入力は歯状回顆粒細胞層(stratum granurosam:SG)に電気刺激を与えた。シナプス応答は、同シナプス種にも関わらず膜電位振動により増強と減弱の両方向性に調節を受けた。海馬CA3野に存在する3種の入力についてそれぞれ検討したところ、SLM、SR応答は長期増強(long-termpotentiation:LTP)と長期抑圧(long-term depression:LTD)の両方向性の変化が観察されたが、SG応答は一例を除いた全ての例でLTDが誘導された。

Slow-wave oscillationとシナプス可塑性の方向性

膜電位振動誘発前後で両方向性のシナプス可塑性が誘導されていたことから、調節の方向性に関与する因子について検討した。mACSF適用時、細胞膜電位の振動は規則的振動を示す場合と、不規則的振動を示す場合の2パターンが観察された。不規則的振動を示した細胞では3種どのシナプスにおいてもシナプス応答の減弱が生じた。規則的な膜電位振動を示す細胞群においてはslow-wave oscillationに分類される振動周波数内でCA3野細胞ごとに多様であった。これらslow-wave oscillationに関する様々なパラメータとシナプス可塑性の方向性との関連性について検討した。SLM, SRシナプス応答は膜電位振動周波数ごとにシナプス可塑性の方向性が異なっており、シナプス入力を受けるCA3野細胞の膜電位振動周波数との関連性が示唆された。

海馬CA3野錐体細胞のslow-wave oscillationの多様性

上に述べたように、膜電位振動周波数は記録細胞ごとに異なっていた。この理由として、以下の2点が考えられる。(1)作成した海馬切片の状態に依存した多様性、(2)CA3野錐体細胞の固有性質としての多様性。この2点の検討を行うために、1つの海馬切片において2つの異なるCA3野錐体細胞から同時記録を行った結果、2つの錐体細胞はmACSF中でそれぞれ異なるリズムで膜電位振動を示した。2細胞同時記録時の同種シナプス応答変化に着目すると、細胞ペアごとに、同方向に可塑性を生じる場合と、逆方向に可塑性を生じる場合があった。このとき、それぞれの細胞の膜電位振動周波数とシナプス可塑性の調節方向の関係性は、U字型の相関を示した。また、同時記録した2細胞は互いのシナプス結合がなく、さらに、2細胞間の膜電位振動リズムの近似性は、2細胞間の距離とは独立であった。これらの結果より、CA3野錐体細胞はそれぞれに異なる周波数で膜電位振動しシナプス結合を調節していることがわかった。さらに、CA3野錐体細胞の膜電位振動は多様であることを確認するべく集合細胞レベルでの検討を行った。細胞が脱分極する際には活動電位の発生に伴って電位依存性カルシウムチャネルを介したカルシウム流入が起こる。そこで、カルシウムイメージング法を用いて本検討を行った。急性海馬切片にカルシウム指示薬を負荷し、指示薬が反応した際には細胞が活動電位を発生することをあらかじめ確認した。カルシウム指示薬を負荷した海馬切片にmACSFを適用したところ複数の細胞が異なるリズムで反応した。よって海馬CA3野錐体細胞が膜電位振動を示す性質は、同種細胞であるにも関わらず多様であることが示された。また、slow-wave oscillationは生体脳内において繰り返し発生することから、mACSFを繰り返し適用することでシナプス応答がどのような調節を受けるのか検討したところ、膜電位振動の周波数は1回目と2回目を比較して異なる周波数での振動を発生していた。また、シナプス応答もそれぞれの振動リズムに依存して、増強あるいは減弱を示した。1回目と2回目でシナプス応答が同方向に変化する場合にも、変化率が変化していた。以上より、同じ細胞に着目した場合にも、膜電位振動を発生する度に修飾能が異なることがわかった。

最後に、細胞自身の膜電位振動によって、その細胞のシナプス応答が変化するのか検討を行った。nACSF中で記録細胞に電流を与え膜電位振動を誘起することによりLTPあるいはLTDが誘導された。よって、自身の周期的な活動によってシナプス応答が両方向性に調節を受けることがわかった。

本研究は、海馬CA3野錐体細胞が徐波振幅に分類される周波数で規則的に膜振動を発し、その周波数に依存してシナプス結合が強化あるいは減弱の方向に調節されることを明らかにした。同時に本実験系で観察された膜振動は、徐波振動として定義される範囲内で個々の細胞ごとに様々であり、それゆえにシナプス伝達効率の修飾も多様であることを示した。すなわち、海馬CA3野錐体細胞は、自身が発生した徐波振動に応じて、シナプス入力を柔軟に自己修飾している。こうした自発的な自己書換え能力は、神経ネットワークの情報処理機能が常に変化し続けることを示唆している点でも意義深い。このように本研究は神経科学分野の進展に貢献するものであり、博士(薬学)の学位に値すると結論された。

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