学位論文要旨



No 121574
著者(漢字) 新井,浩一
著者(英字)
著者(カナ) アライ,コウイチ
標題(和) 核磁気共鳴/核四重極共鳴によるベータ・パイロクロア型酸化物超伝導体の物性研究
標題(洋)
報告番号 121574
報告番号 甲21574
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第156号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 助教授 野原,実
 東京大学 教授 岡本,博
 東京大学 助教授 百生,敦
内容要旨 要旨を表示する

研究背景

近年、様々な興味深い超伝導体が発見されている。金属間化合物では、磁気秩序と密接な関係があるとされているUGe2、UPd2Al3、有機物では磁場によって超伝導転移が誘起されるλ-(BETS)2FeCl4などが挙げられる。遷移金属酸化物では磁気フラストレーションを生じ得る構造を含んだ超伝導体として三角格子を持つNaxCoO2・yH2Oやパイロクロア格子を持つCd2Re2O7で超伝導が確認されており、非常に高い関心を持たれ盛んに研究されている。

パイロクロア格子を持つ新規Os酸化物AOs2O6(A=K,Rb,Cs)はそのすべてが超伝導転移を起こすことで注目されている。この物質群はOs原子が正四面体の頂点を共有して三次元的に繋がったパイロクロア格子を組むことから、その幾何学的な構造に起因した特異な超伝導状態が実現する可能性がある。またパイロクロア酸化物であるCd2Re2O7はRe5+で2つの5d電子を持ち超伝導、Cd2Os2O7はOs5+で3つの5d電子を持ち金属-絶縁体転移を示すが、電子相関・幾何学的格子の効果によりこのような多彩な現象が観測されているのではないかと考えられている。AOs2O6はOs5.5+で5d電子を2.5個持ちCd2Re2O7とCd2Os2O7の中間に位置しており、この観点から非常に興味深い系である。また、AOs2O6はアルカリイオンが動くことのできる空間を有しており、周囲に依存しない格子振動(ラットリング)が物性に効いている可能性がある。このラットリングが超伝導とどのように関係しているかも興味が持たれる。

この物質群はKOs2O6(Tc〜9.6K)←RbOs2O6(Tc〜6.3K)←CsOs2O6(Tc〜3.2K)(←Cd2Re2O7(Tc〜1K))と超伝導転移温度(Tc)が系統的に変化する。これはアルカリ金属原子のイオン半径が小さくなる、つまり格子定数が小さくなりOs原子がより近接した状態になるとTcが上昇,超伝導が安定化することを示している。実際、AOs2O6(A=K,Rb,Cs)に物理的に圧力を印加することでTcの上昇が報告されている(図1)。しかしTcの圧力依存性は単調増加ではなくそれぞれある圧力でピークをもつ。これは単純に格子定数だけでTcが決まらない事を示している。このことからAOs2O6(A=K,Rb,Cs)に圧力を印加することで電子状態にどのような変化が生じるのかは非常に興味深く、この系の超伝導を理解する上で重要であると考えられる。

このAOs2O6(A=K,Rb,Cs)の物性を核磁気共鳴(NMR)/核四重極共鳴(NQR)測定によりそれぞれ調べ、この系でどのような超伝導状態や発現機構が実現しているかを明らかにする事が本研究の目的である。そして、Cd2Re2O7を含めパイロクロア格子を持つ超伝導体についての理解・発展につなげていきたい。

実験

NMR/NQR測定は核磁気回転比や核磁気モーメント、核四重極モーメントが原子ごとに異なる事から、観測したい原子のみに注目する事ができる。そのため、物質中の様々な原子サイトごとに異なった微視的情報を得る事が可能である。

本研究ではKOs2O6、RbOs2O6の粉末試料を用いて、アルカリ(85Rb,87Rb,39K-NMR)、オスミウム(189Os-NQR)、酸素サイト(17O-NMR)で測定を行った。圧力下の測定はアルカリサイトでのみ行った。圧力印加にはピストンシリンダーセルを使用し、RbOs2O6のTcが最大値を持つ圧力の2GPaとさらに高圧の3GPa、KOs2O6ではTcが明確に減少する領域の3GPaで測定を行った。

結果・考察

(常圧下)アルカリサイトにおけるNMRの共鳴周波数から見積もられるシフトはKOs2O6とRbOs2O6で絶対値は異なるものの、温度依存性は同様な緩やかな変化を示す。シフトに明確な異常が見られないことから、300K以下の常伝導相において相転移はないと考えられる。

87Rb核、85Rb核は共にRb化合物中の同じサイトに存在するにも関わらず、これらの同位体元素における緩和率は異なる温度変化を示す。それぞれの緩和率にどの程度の磁気的緩和と格子的緩和が含まれるかを見積もると、87Rbではほとんどが磁気的な揺らぎに起因しており、85Rbでは電場勾配の揺らぎによる緩和が支配的なっていることが分かった。87-Rb核における1/(T1T)とシフトの関係は自由電子ガスを仮定した場合に成り立つコリンガ則をほぼ満たしている。そのため、RbOs2O6ではスピン相関の発達はないと考えられる。一方、39K核における緩和率はRb核に比べ大きな温度変化を示す。この緩和がスピンの揺らぎに起因しているならば、KOs2O6において反強磁揺らぎが発達していることが結論づけられる。しかし、以下に述べるように、K核の緩和はスピン揺らぎではなく、電場勾配の揺らぎに起因している可能性が強い。

バンド計算の結果からAOs2O6の伝導バンドはOsの5d軌道とOの2p軌道から成ることがわかっている。それゆえ、オスミウムと酸素の原子核はアルカリ原子よりも伝導電子と強く結合している。189Os、17O核での緩和率においてAサイトで見られるような差異は観測されていない。これは伝導電子の状態が物質間であまり変化していないことを示唆している。

各原子核での測定結果から39K核の緩和率のみが特異な振る舞いとなっていることが分かる。K核には容易にNMR測定を行うことができる他の同位体元素が存在しないため、39Kでの緩和率に含まれる磁気的な成分と格子的な成分の割合は不明確である。KOs2O6はラットリングが強く効いている化合物であることから、39Kでの緩和率に電場勾配の揺らぎが効いている可能性も十分に考えられる。これらのことを考慮すると、K核における緩和率がRb核よりかなり増大しているのはKイオンの振動を反映した結果であると解釈される。

超伝導相においてもK化合物とRb化合物で緩和率に違いが見られた。KOs2O6ではTc直下から急激に緩和率が減少し、低温での温度依存性はべき乗則(1/T1=T3.6)であった。一方、RbOs2O6ではTc以下で小さなコヒーレンスピークが観測される。低温では熱活性型よりも若干ではあるが、べき的振る舞い(1/T1=T4.3)になっている。一般的にNMR/NQRの緩和率の温度依存性から超伝導ギャップの対称性に関する情報を得ることができる。87Rb核の緩和率を超伝導状態がBCS、BW state、Point nodes、Line nodesであると仮定し計算した場合と比較すると、RbOs2O6の超伝導ギャップはLine nodesではないことが明らかとなった。

(圧力下)まず、87Rb-NMRについて述べる。2GPaでの常伝導相におけるシフトは常圧下と比べると絶対値は5%程度しか増大せず、温度依存性もほとんど圧力により変化しなかった。スペクトルもほとんど圧力変化を示さない。圧力によりTcは上昇するが超伝導相での緩和率の挙動は常圧下とほぼ同様であった。常伝導相における100K以下での87Rb核の緩和率は圧力によって単調に増加する。87Rbと85Rb核の測定から、これはスピン揺らぎによる緩和の増大が原因となっていることが分かった。また、格子的な揺らぎによる緩和も圧力により増大する。3GPaでの結果を常圧下と比べるとスピン揺らぎは約1.2倍、格子に起因する揺らぎは約2.3倍程度大きくなる。この結果は磁気的緩和よりも格子的緩和が圧力により増大されやすいことを示している。しかし、2GPa,3GPaでの実験結果から、圧力印加によりRb核における緩和率の温度変化が39K核ほど明確になるとは考えにくい。

次に3GPaでの39K-NMRについて記す。39Kスペクトルは非常に顕著な圧力依存性を示した。100Kでの圧力下におけるスペクトルは常圧下と比べ線幅が約2倍に広がった。さらに50K以下の低温では常圧下で見られた温度変化以上に線幅が増大し、線形が非対称になる振る舞いが観測された。Kイオンが立方対称位置からずれることにより生じる核四重極相互作用ではこの結果を説明できていない。

常圧下で87Rbの緩和率に比べれば非常にはっきりとした温度変化を示した。39Kの緩和率は圧力を印加することでさらに顕著に温度変化する。圧力下のT=20Kにおける1/(T1T)は常圧下の40倍程度まで増大する。このような異常な温度変化がスピン、格子振動、超微細結合定数の変化等、何に起因するものであるのかは今のところ明確ではない。

スペクトルや緩和率の挙動は磁気秩序の形成や構造相転移の可能性を有しているが今のところ何に起因しているか明確ではない。

総括

87Rb核における緩和率の測定からRbOs2O6の超伝導状態はLine nodesではないと考えられる結果が得られた。計算結果ではPoint nodesであるABM状態が最もよく緩和率の挙動を再現した。また、Tc直下で非弾性散乱などにより準粒子の寿命が短くなっているならば、BCS状態で実験結果を説明できると考えられる。圧力下での測定からRbOs2O6のスピン相関が圧力によって変化しないことが分かった。これはスピン相関とTcの値に結びつきがないことを示している。

KOs2O6とRbOs2O6のアルカリサイトにおける緩和率の振る舞いには温度依存性・圧力依存性ともに明確な差異が存在することが本研究により明らかになった。このアルカリサイトにおける緩和率の顕著な違いの原因はAOs2O6のAイオン周りの空間にあると結論づけられる。つまり、NMR/NQRの測定で見られているKOs2O6の異常は大きく振動しているK+イオンに由来している可能性が高い。

図1. Tcの圧力依存性

図2. 1/(T1T)の温度依存性(常圧下)

図3. 緩和率の温度依存性(常圧下)

図4. Rb核における1/(T1T)

図5.39Kでの1/(T1T)の温度依存性

審査要旨 要旨を表示する

本研究「核磁気共鳴/核四重極共鳴によるベータ・パイロクロア型酸化物超伝導体の物性研究」は、最近発見された最大10Kの超伝導転移温度を示すオスミウム酸化物超伝導体AOs2O6(AはK、Rb、Csなどのアルカリ元素)の中で、KOs2O6とRbOs2O6における電子状態や格子振動の特徴、また超伝導状態の特性などの物性を、核磁気共鳴・核四重極共鳴によって微視的に解明することを目指したものである。この物質群は当初、オスミウム原子がパイロクロア格子という強い磁気的フラストレーションを持つ格子を形成するという点で興味が持たれていたが、その後、アルカリ原子が寵状の酸素原子に囲まれた広い空間内に孤立することから、ラットリングと呼ばれる極めて非調和性の強い格子振動が現れる可能性が注目されている。

本論文は5章よりなる。第1章でAOs2O6に関するこれまでの研究を概観し本研究の目的が述べられ、第2章では核磁気共鳴・核四重極共鳴の原理と方法が説明されている。続く第3章、第4章が本論文の主要な部分で、第5章では単結晶を用いた研究結果の一部が紹介されている。最後の第6章では本研究の総括と意義および今後の課題が述べられている。

第3章では通常の大気圧下における実験結果と考察が述べられている。まず常伝道状態において、アルカリ元素、オスミウム、酸素の全ての原子核サイトにおける核磁気緩和率を測定・比較することにより、RbOs2O6とKOs2O6の性質の著しい違いが明らかになった。KOs2O6においては、酸素サイトやオスミウム・サイトに比べて、カリウム・サイトの核磁気緩和率と温度の比が著しく増大しており、16K付近にピークを伴う異常な温度依存性を示す。伝導電子の磁気的な揺らぎはオスミウムウム原子核や酸素原子核と強く結合しているので、カリウム原子核の緩和率は電子系ではなく格子振動の振る舞いに起因していると結論できる。金属中の核磁気緩和率が殆んど格子振動に起因するという観測は、おそらくこれまで例がなく、KOs2O6におけるラットリング・フォノンの特異性を示している。RbOs2O6では、このような異常は観測されなかった。

次いで超伝導状態における測定結果が示された。RbOs2O6の87Rb原子核においては伝導電子スピンによる磁気的緩和が支配的であるが、緩和率が超伝導転移温度(Tc)直下で非常に小さなコヒーレンス・ピークを示し、低温で急激に減少することから、転移温度付近で大きな準粒子のダンピングがあり、超伝導ギャップにはライン・ノードのような強い異方性はないことが示された。一方、格子振動に起因するKOs2O6における39K原子核の緩和率は、Tc以下で急激に減少した。このことはラットリング・フォノンと電子系の間に何らかの結合があり、超伝導状態で電子系にエネルギー・ギャップが現れるとラットリング・フォノンのダンピングが抑制されることを示唆している。

続く第4章では、3Gpaまでの高圧力下での測定結果が述べられている。 AOs2O6のTcは顕著な圧力依存性を示す。低圧領域ではTcは圧力とともに増加するが、ピークを経てより高圧では減少に転じる。ピークを示す圧力はアルカリ元素の種類によって異なるが、圧力依存性は類似している。RbOs2O6の87Rb原子核における核磁気緩和率は低温で圧力と共に単調に増加(3GPaの圧力下で30%程度)し、反強磁性的なスピンの揺らぎが僅かに増大していることを示唆している。 一方、KOs2O6においては39K原子核の低温での緩和率が3GPaの加圧により2桁近く増大し、格子のダイナミクスが著しく変化することが見出された。さらに、緩和率に幅広い分布が現れたり、NMRの共鳴線幅が増大するなど、加圧に伴い格子振動に何らかの不均一性が生じていることが示唆された。

以上のように本研究では、異なる原子核サイトにおける核磁気緩和率を比較することにより、物質の磁気的性質のプローブとしてだけではなく、金属においてこれまで注目されなかった格子ダイナミクスのプローブとしての核磁気共鳴の有用性が示され、新規な超伝導体AOs2O6の特異な性質が明らかになった。まだ将来に残された課題は多いが、博士(科学)の学位に相応しい業績であると判断できる。

なお、本論文第3章および第4章は、菊地淳、樹神克明、瀧川仁、米澤茂樹、村岡祐治、廣井善二との共同研究であるが、論文提出者が主体となって、実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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