No | 121575 | |
著者(漢字) | 安東,頼子 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | アンドウ,ヨリコ | |
標題(和) | 発光量絶対値測定法の開発とホタルの発光量子収率 | |
標題(洋) | Absolute photon-yield measurement and quantum yields of firefly bioluminescence | |
報告番号 | 121575 | |
報告番号 | 甲21575 | |
学位授与日 | 2006.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(科学) | |
学位記番号 | 博創域第157号 | |
研究科 | 新領域創成科学研究科 | |
専攻 | 物質系専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | はじめに 生物・化学発光は現在バイオ、医療、環境研究の分野で利用されており、研究で用いたり、また新しく開発された発光試薬等の発光量子収率を測定する事は必要不可欠である。生物発光および化学発光の発光量子収率とは1個の基質分子が1個のフォトンを放出する確率の事である。 現在行なわれている量子収率測定は、発光量の相対値測定により求められている場合が多い。過去に量子収率が報告されている2次発光標準溶液の発光量と試料の発光量を比較することによって量子収率を求めるという方法である。しかし、2次発光標準の多くは1960〜1970年代に報告されてものであり、その後の追試が十分だったとは言えない。この様な事から、検出器や光学系の校正が正確に行なわれ、その校正値が長期に渡って有効であり、その様な測定装置が一般的に入手可能になれば、発光量絶対値測定はより正確かつ簡便に、広く行なわれるようになるだろうと考え、測定法および校正法の開発に取り組んできた。 生物発光の中でも最も有名なのがホタルの発光であろう。発光効率の高さから様々な分野で関心を持たれ研究されている。ホタルの発光量子収率は1959年に初めてSeliger、McElroyによって88 ± 25%(pH7.6)と報告された[1]。しかしその後、同じグループが、当時使用していたサンプルがラセミ化によって劣化していた可能性があり、再測定が必要であると報告している[2, 3]。ところがその後追試した報告は無く、現在に至るまでこの値が参照されてきたという経緯がある。 また、ホタルの発光スペクトルはpHや酵素の種類を変えるとスペクトル形状が変わる事が知られており[4, 5]、この発光色変化は応用の観点からも興味を持たれている。しかし、発光色決定メカニズムに関して諸説発表された[6, 7, 8]ものの未だ解明には至っていない。この様な背景から、本測定系を用いてホタルの発光量子収率を測定し、また発光スペクトルの定量解析を行なった。 発光量絶対値測定法 測定系 発光量絶対値測定系を図1に示す。まず発光基質と酵素やその他の補因子をセルの中に入れておく。セルを測定系にセットした後、発光トリガー溶液を加え反応を開始させる。 溶液からの発光はセルの底面から出た後、そこから87mmのところに置かれた焦点距離50mmのレンズで集光され、焦点距離300mm(F値:4)の分光器の入り口に結像する。レンズの直前にはアイリスが置かれ、分光器へのFマッチングが取れる範囲でNA値が最大になるよう設定されている。 検出器として量子効率の高い背面照射タイプの冷却CCDカメラを使用した。CCD検出器のシャッターはある設定時間毎(5-30sec)に開閉を行い、露光中にCCD素子に入った光は電荷に変換され読み出される。読み出された電荷はプリアンプで増幅されAD変換された後、カウント値としてデータ処理される。 校正法 上記の測定系で絶対値発光量測定を行なう為には次の3つの校正が必要である。セルの集光効率、光学系の透過率、検出器の絶対波長感度校正である。セルの集光効率セルに入った溶液からの発光は、液面やセル表面での透過、反射、散乱によって光学系に達する事から、その集光効率を見積もるのは容易ではない。そこで我々は、集光効率が幾何学的計算により求められる校正用プレートセルを開発し、この校正用セルと実際に量子収率測定に使用する実験用セルの発光量比較測定を行なう事により、実験用セルの集光効率を間接的に導く方法を用いた。 校正用プレートセルは3枚の薄いガラスで構成されており、四角く穴の開いた中央のガラスを上下から挟み、このガラスの間に薄いギャップが出来るような構造になっている。このギャップの中に発光溶液を入れる。セルの端から十分に離れたセルの中央部分では溶液からの発光が均しく放射されている状態になっている。校正用プレートセルの下面に4.5φの穴の空いた黒いマスクを付け、穴の空いたの中央部分からのみ光が出て行くようにする。 校正用プレートセルの集光効率は、幾何学的計算により容易に求める事ができる。本測定系を用いた場合、集光効率はηplate=0.260%と計算される。続いて発光溶液を校正用プレートセルに入れ、溶液の単位体積、単位時間あたりの発光量Iplateを求める。同じ溶液を今度は実験用セルに入れ同様に発光量Icellを求める。αcell=Icell/Iplateという式で校正用セルに対する実験用セルの集光効率の割合を求める。校正用プレートセルの集光効率は求まっているので、ηcell=ηplate×αcellという式より実験用セルの集光効率が得られる。 光学系の透過率 溶液からの発光はCCD検出器で検出されるまでに多くの光学系を通るので、これらの全透過率を見積もる必要がある。レーザーは指向性が良くパワーも大きいので、ある波長に対する光学素子の透過率、または反射率を正確に測定する事ができ、可視領域において波長依存性があまり無い光学素子の透過率の測定に適している。 検出器の絶対波長感度 CCD検出システムの絶対波長感度校正には、ある波長に対する絶対感度校正と、相対感度波長依存性校正の2段階に分けて行なった。 ある波長に対する絶対感度校正には光源としてレーザーを用いた。予めパワーメーターでレーザー光強度(W)を測っておき、透過率を校正してあるNDフィルターでCCD検出器で測定出来る強度までパワーを落とす。この既知のパワー(フォトン数)のレーザー光を照射した時のCCD検出システムのカウント数を求める事により、あるレーザー波長におけるCCD素子の絶対感度が得られる。 相対感度波長依存性測定には光源として白色ランプを使用した。この白色ランプを光スペクトルアナライザーで校正し、同ランプのスペクトルをCCD検出器で測定する事によって、CCD検出器の波長感度と分光器の回折効率を合わせた、相対波長感度が得られる。あるレーザー波長における絶対感度と、相対波長感度を合わせる事により、CCD検出器システムの絶対波長感度が得られる。 セルの集光効率、光学系の透過率、検出器の絶対波長感度全てを考慮する事によって、測定して得られた全カウント数から、反応により放出された全フォトン数求められる。各校正の不確かさをそれぞれ、セルの集光効率±12%、光学系の透過率±8%、検出器の絶対波長感度±11%と見積もっているので、測定値の不確かさは±18%となる。 ホタルルシフェリンの発光量子収率 発光反応と測定条件 ホタルの発光反応の発光基質分子はホタルルシフェリンである。ホタルルシフェリンがホタルルシフェラーゼ(酵素)、ATP、Mgイオンの存在下で酸化され、励起一重項状態のオキシルシフェリンになり、このオキシリシフェリンが基底状態に戻る時に光が放出される。本測定では、全てのルシフェリン分子が十分に反応に与れる環境にする為に、ルシフェリン溶液濃度よりも他の試薬濃度を濃くしている。測定は室温23.5-26.5℃で行なわれた。3.2 測定結果 ホタルルシフェリンの発光量子収率pH依存性を図2に示す。pH 8.0-8.5付近で最も高い値を示し、Tris pH 8.5での量子収率の平均値と値のバラツキは41.0±1.1%であった。量子収率はpHが低くなるにつれ徐々に下がり、pH 5.4では全く発光しなくなった。測定値のバラツキは量子収率の3%程度と小さい値であり、量子収率の値に寄与するのは測定のバラツキよりも測定値の不確かさである。現段階では、その値を±18%と見積もっているので、これを考慮するとTris pH 8.5での量子収率は41.0±7.4%となる。pH 8.6-8.9付近では値が大きくばらついているが、このpH領域では分子や反応の状態が不安定になっている可能性がある。 図3.2(a)に発光スペクトルを示す。ルシフェリン2.98×1011分子数に対する測定結果であり、グラフの縦軸はフォトン数/eVで表されている。従って、スペクトルを積分し、その値を分子数で割れば量子収率が求まる。pH 7.6-8.5では2.2eV付近にピークを持つ発光成分が優勢であるが、pH 7.2では2.2eVピークの成分が減少し、2.0eV付近に肩が見え始める。pH 7.0以下では、2.2eVピークの成分が更に減少する一方で2.0eVピークの成分が残り続け、徐々に優勢になっていく様子が分かる。 この発光スペクトル変化を定量的に解析する為、明らかにピークが存在するだろうと確認できる2.2eV、2.0eV付近にピークを持つ成分と、低エネルギー側に存在する裾の部分を再現する為の1.85eV付近にピークを持つ成分の、3成分のガウス分布を用いてフィッティングを行なった。得られたガウスフィッティングスペクトルを図3.2(b)に示す。図3.2(a)の発光スペクトルを上手く再現する事が出来ているのが分かる。図3.2(c)は3成分それぞれのガウス分布を示している。エネルギーの高い成分から順にpeak a、peak b、peak cと呼ぶ事にする。 図3.2には3成分それぞれの(a)ピークエネルギー、(b)半値全幅、(c)量子収率(各成分の積分強度をルシフェリン分子数で割ったもの)のpH依存性を示している。図3.2(a)、(b)よりピークエネルギー、半値全幅のpH依存性は小さい事が分かる。図3.2(c)より、peak b、peak cの量子収率はpH変化に対し値は殆ど変化せず、それぞれ7.6-10.6%、2.2-3.1%である。一方で、peak aはpHの変化に対し値が大きく変化している様子が分かる。pH 8.0-8.5で最も高い値になり、23.4%であるが、pHが低くなるにつれ徐々に値が小さくなり、pH 6.0付近では発光が観測されなくなる。全量子収率のpH依存性と比較すると、その傾向がよく似ているのが分かる。つまり、全量子収率や、発光スペクトルのpH依存性はpeaka成分のpH依存性由来であると言える。 まとめ ホタルルシフェリンの発光量子収率はTris pH 8.5の時に最も高い値を示し、41.0 ± 7.4%であった。 また、発光スペクトルの定量解析により、量子収率、発光スペクトルのpH依存性が、2.2eVピークの発光成分のpH依存性に由来することが分かった。2.2eVピークの成分はpH 7.8-8.5で最も量子収率の値が高くなり、pHが低くなるにつれて徐々に値が下がっていき、pH6.0付近で発光しなくなる。一方、2.0eVと1.85eVピークの成分はpH6.4-8.5の領域で量子収率はほぼ同じ値である。現在提案されているいくつかの発光色決定機構の中でも、オキシルシフェリンが2つないし3つの平衡状態で存在し、それぞれの状態からエネルギーの異なる発光が観測される、つまりpHがその平衡状態に寄与しその結果発光色が変化する、という描像だけではこの結果を説明する事が出来ない。今回分かった発光スペクトル変化のpH依存性と、スピン一重項状態の統計確率である25%を超える高い発光量子収率が観測される事を矛盾無く説明出来るような発光反応機構の解明が必要である。 図1: 発光量絶対値測定系 図2: ホタルルシフェリンの発光量子収率pH依存性.左軸は量子収率を示し、右軸はその値の時の校正による誤差を示している。 図3: (a)発光スペクトル、(b)ガウスフィッティングスペクトル、(c)3成分のガウス分布. 図4: (a)ピークエネルギー、(b)半値全幅、(c)発光量子収率pH依存性. | |
審査要旨 | 本論文は、「発光量絶対値測定法の開発とホタルの発光量子収率(Absolute photon yield measurement and quantum yields of firefly bioluminescence)」を、5章からなる和文でまとめたものである。第1章では、序論として、研究の背景と目的、意義、そして構成が述べられている。第2章では、ホタルの発光研究の流れ、ホタルの発光反応過程、ホタルの発光色の可変性など、これまでのホタルの発光研究のまとめと、発光量絶対値測定の歴史的経緯、これまでに報告された代表的な生物化学発光の量子収率の研究のまとめが述べられている。特に、従来88%と言われてきたホタルの発光量子収率測定に関してデータの信憑性が失われる実験事実が明らかになったにもかかわらず、40年以上にわたり追試が行われずにいる状況などが示されている。第3章では、論文提出者が開発した発光量絶対値測定法が述べられている。実際の測定系の構成と、測定系を校正する方法、校正の不確かさ、用いた校正法の利点などが具体的に示されている。第4章では、ホタルの発光量子収率測定実験について、試料の調整、測定方法、測定結果、考察などの内容が述べられている。第5章では、本研究のまとめと今後の展望が述べられている。また、付録として、本研究に関連するオキシルシフェリン、ルシフェリン、およびその誘導体に関する生物化学発光と蛍光の測定のまとめがなされている。 第3章で述べられた発光量絶対値測定系は、ホタルを始めとする生物化学発光の発光量子収率や発光絶対量スペクトルを取得するために、論文提出者が独自に開発し構築したオリジナルなものであり、校正方法、校正の不確かさの低減に工夫が織り込まれている。この研究内容は、学会発表、論文発表のみならず、特許出願もされている。この測定系を用いて初めて第4章に述べられたホタルの発光量子収率測定実験が可能となった。 本研究の中核をなすホタルの発光量子収率測定実験では、発光量子収率のpH依存性や溶液濃度依存性、バッファー依存性などが詳細に調べられ、従来88%と言われてきたホタルの発光量子収率が、実際には最大で約40%程度であることが明らかにされた。また、反応速度は、溶液濃度やバッファー種類に依存するが、発光量子収率はそれらにほどんど依存しないことが示された。また、発光総量の絶対値スペクトルのpH依存性の取得に成功し、さらにそのスペクトル変化が3つのガウス成分に分離されること、そのうち黄緑色域にピークを持つ発光成分の発光量のpH依存性が大きくそれが全体の発光量子収率や発光色の変化を支配していることなどが明らかにされ、興味が持たれる発光色決定機構に新たな視点が加えられた。ホタル・ルシフェリン・ルシフェラーゼ発光反応は、生物発光の中でも最も基礎研究が盛んであり、かつ医学・農学・生物学の様々な現場で応用が進んでいる重要な系となっているが、その様な反応に関して今回のような基礎的な研究結果が明らかになったことはとりわけ重要な貢献と評価できる。また、今回用いた手法の開発も、生物化学発光の定量的研究に新たな道を拓く重要なものと位置付けられる。 なお、本論文の中核をなす研究内容は、東京大学物性研究所の指導教員や、産総研近江谷グループ、アトー株式会社の研究者らとの共同研究であり、共著論文として学術誌に公表するものであるが、本論文に述べられている測定手法装置の開発、実験の遂行、結果の解析などは、全て論文提出者が主体となって行ったものと判断される。 よって、論文審査委員会は全員一致で、博士(科学)の学位を授与できると認めた。 | |
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