学位論文要旨



No 121576
著者(漢字) 岡本,佳比古
著者(英字)
著者(カナ) オカモト,ヨシヒコ
標題(和) 9族遷移金属酸化物における強相関電子物性・機能の開拓
標題(洋) Development for Novel Correlated Phenomena and Functions in Group 9 Transition Metal Oxides
報告番号 121576
報告番号 甲21576
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第158号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木,英典
 東京大学 助教授 高木,紀明
 東京大学 助教授 野原,実
 東京大学 助教授 Mikk Lippmaa
 東京大学 助教授 森,初果
内容要旨 要旨を表示する

緒言

遷移金属酸化物は、d電子の多自由度と多彩な結晶構造により、電子相関の効果が最も劇的に現れる物質群である。スピン・軌道・電荷の自由度を内在したd電子が、様々な次元性・対称性をもった格子に配置されることで、これらの自由度が特徴的な形であらわになり、特異な物性が発現する。これまでに、Cu酸化物における高温超伝導など、数多くの強相関電子物性が発見されている。しかし、遷移金属酸化物は、d電子配置と結晶構造の組み合わせが無数にある。そのため、未知の強相関電子物性・機能が数多く眠っていると予想される。しかし、各々の遷移金属酸化物において、どのような機能が発現するかは、単純な問題ではない。そこで、本研究では、遷移金属酸化物の物性・機能開拓の一つの指針を得るため、9族遷移金属酸化物に着目した。

目的

本研究の目的は、9族元素(Co・Rh・Ir)の酸化物において物質開発を行い、新奇な強相関電子物性・機能を開拓することである。9族遷移金属酸化物の遷移金属イオンは、ほとんどの場合でd5からd6の低スピン状態の電子配置をとる。このd電子配置は、スピン・軌道・電荷の自由度に関して、t2g軌道に対してホールドープできること、スピン量子数が量子性の最も強いS=1/2となること、常にスピン・軌道・電荷の3つの自由度全てが重要な役割を果たすことという、スピン・軌道・電荷の自由度に関する3つの特徴を併せもち、これらの自由度を最も効果的な形で内在する。そのため、9族遷移金属酸化物において様々な結晶構造をもつ新物質を開発することで、多彩な強相関電子物性・機能の発現が期待される。このような特徴を生かして、具体的に以下の3点について研究を行った。

ドープされたキャリアの示す機能の開拓

d6の低スピン状態の電子配置をもつ9族遷移金属酸化物の基底状態は、t2g軌道が完全に占有された非磁性のバンド絶縁体であり、強相関効果は現れない。しかし、このようなバンド絶縁体にキャリアドープすると、t2g軌道にドープされたキャリアのスピン・軌道の自由度により強相関電子機能が発現する可能性がある。本研究では、t2g軌道に広い範囲でホールドープできる候補として、Rh酸化物SrRh2O4に着目した。

化学修飾による電子相制御

Co酸化物γ-NaxCoO2とその水和物は、全組成で金属的な物性を示すことが知られている。特に、超伝導体Na0.3CoO2・1.3H2Oは非常に注目され、超伝導発現におけるH2O分子やNa+の役割が議論されている。本研究では、Na0.3CoO2・1.3H2Oが、ソフト化学により、H2OやNa+を出し入れできる層状の結晶構造をもつことに注目し、結晶水の制御による電子相制御を行った。

新しい幾何学的フラストレーション物質の開発

強い量子揺らぎをもつスピンS=1/2が幾何学的にフラストレートした物質において、量子液体相が発現するといわれている。しかし、そのような物質は知られておらず、量子液体相は実現していない。本研究では、スピンS=1/2が幾何学的にフラストレートした新しい舞台として、ハイパーカゴメ格子にスピンが配列したIr酸化物Na4Ir3O8を提案する。

結果と考察

キャリアドープされたバンド絶縁体Sr1-xRh2O4における強相関電子相の発現

d6低スピン状態のバンド絶縁体であるSrRh2O4に着目し、Sr欠損の導入によりホールドープしたSr1-xRh2O4(0.11≦x≦0.22)多結晶試料を合成した。Sr1-xPh2O4の電気抵抗率は、Sr欠損量x の増加に従って減少し、x=0.22では金属的な電気伝導を示した(図1.a)。

金属的なx=0.22は、通常の金属よりも一桁大きい電子比熱係数γ=10 mJ/K2mol Rh、低温におけるSeebeck係数の温度に対する傾きS/T=0.23 μV/K2を示し、準粒子状態密度が増大していることがわかった。また、γとPauli磁化率XPによりWilson比RWがRW=(π2kB2/3μB2)(χP/γ)〜1.8(kBはBoltzmann定数、μBはBohr磁子)と評価され、準粒子密度の増大が強い電子相関に起因していることが示唆された。

この強相関金属相は、室温でS=75μV/K、1000KでS=150μV/Kの、金属としては非常に大きなSeebeck係数を示した(図1.b)。これは、強相関金属であるSr1-xRh2O4において、スピンと軌道の自由度が大きなエントロピーを輸送するためだと考えられる。結果として、熱電変換材料としての性能指数がZT=S2T/pk〜0.1 (1000K)と評価され、高温用途の熱電材料として高いポテンシャルを有することが明らかになった。

このように、d6低スピン状態のバンド絶縁体へのホールドープにより、スピン・軌道の自由度に起因する高い熱電特性を有する強相関金属相が現れた。これは、熱電材料開発において、ドープされたキャリアの多自由度を利用する方法が有効であることを示している。

無水物Na0.3CoO2におけるNaイオンの整列と電荷分離

本研究では、化学修飾によるNaxCoO2・yH2Oの電子相制御を目指し、結晶水を完全に脱水した無水物Na0.3CoO2を合成した。また、参照物質として2層の水和物である超伝導体Na0.3CoO2・1.3H2O、1層の水和物であるK0.3CoO2・yH2Oを合成した。

無水物Na0.3CoO2の磁化率はCurie-Weiss磁性を示し、Co3d電子は局在していた(図2)。有効磁気モーメントはμeff=2.0μB/Coと、低スピン状態から期待される値1.5μB/Coよりもかなり大きく、何らかの高スピンや中間スピン状態の寄与が予想される。局在したスピン間には、Weiss温度θW=-110Kの反強磁性相関が働いており、TN=32Kで小さな自発磁化をもつ反強磁性相に転移した。このような振る舞いは、遍歴的なPauli常磁性を示す1層・2層の水和物とは大きく異なり、脱水により電子状態が大きく変化していることがわかる。

無水物Na0.3CoO2は、[001]の電子線回折像に強い(1/2,0,0)超周期スポットが現れることから、斜方晶(√3a,a)の超格子をもっていることが明らかになった(図3.a)。この超格子は、図3.bのようなNa+の整列によると考えられる。その結果、周期的に配列したNa+のCoulombポテンシャルの影響で、Coが中間スピン状態のCo3+と低スピン状態のCo4+に電荷分離している可能性がある。このように、この系においてCoO2層の電子状態が、H2OやNa+の構造により、局在状態から超伝導まで大きく左右されることを明らかにできた。

ハイパーカゴメ格子をもつNa4Ir3O8における幾何学的フラストレーション

本研究によって、初めて単相のNa4Ir3O8多結晶試料の合成に成功した。構造解析により、磁性を担うIr4+が、正三角形が頂点共有して3次元的に連なったハイパーカゴメ格子を組むことがわかった(図4.a,inset)。従って、Ir4+に局在したスピンには強いフラストレーションが働くと期待される。

Na4Ir3O8の磁化率は、高温ではCurie-Weiss則に従う温度依存性を示し(図4. a)、μeff=1.96μB/Irが得られた。これは、S=1/2から期待される値1.73μB/Irと近い値であることから、Ir4+が5d5低スピン状態のMott絶縁体であり、スピンS =1/2が局在していることがわかる。スピン間には、θW=-650Kで示される強い反強磁性相互作用が働いている。それにもかかわらず、|θW|より著しく低い温度Tg=6K でスピングラス転移を示す。その結果、|θW|とTgの比は|θW|/Tg〜110と、これまでに知られているS=1/2の系では最大となり、Na4Ir3O8において非常に強いスピンフラストレーションが生じていることがわかる。

このようなNa4Ir3O8の磁気比熱は、|θW|よりはるかに低い25 Kにおいて、ブロードなピークを示し(図4.b)、大きなスピンエントロピーが開放されていた。この磁気比熱は12 Tまでの磁場下では全く磁場依存性を示さなかった。これは、Na4Ir3O8において強い反強磁性相関をもつスピン液体相が実現していることを示している。

以上より、Na4Ir3O8は、初めてのS=1/2ハイパーカゴメスピン系であり、ハイパーカゴメ格子の強いフラストレーションにより、低温で非常に強い反強磁性相関をもつスピン液体として振舞うことが明らかになった。

総括

9族遷移金属酸化物が有する、スピン・軌道・電荷の自由度に関する3つの特徴を、様々な結晶構造をもつ物質で生かすことにより、新奇な強相関電子物性や機能の開拓を行った。その結果、第一の特徴である、t2g軌道に対してホールドープできる点を利用し、(1)Sr1-xRh2O4において高い熱電特性を得ることができた。これより、熱電材料開発において、ドープされたキャリアの多自由度を利用する方法が有効であることがわかった。第二の特徴である、S=1/2スピンの量子性については、(3)Na4Ir3O8が、スピンS=1/2のフラストレートしたスピン液体であることを発見した。この結果は、量子液体相の探索において、この物質群が非常に有望であることを示している。第三の特徴である、スピン・軌道・電荷全ての自由度をもつ点については、(1)Sr1-xRh2O4における熱電材料開発において、スピン・軌道の自由度により高い熱電特性が得られた。(2)Na0.3CoO2において、結晶水の制御により電荷秩序を起こし、局在磁性を発現させた。これより、この物質群が、多自由度が複合した強相関電子物性・機能が発現する舞台となりうることがわかった。以上より、9族遷移金属酸化物に注目し、スピン・軌道・電荷の自由度を駆使することにより、スピン液体のように基礎学理の究明にインパクトを与えられる電子物性から、熱電材料のように広い実用が期待される機能性電子材料まで、幅広い強相関電子物性・機能を開拓し、さらに化学修飾により強相関電子相を制御することに成功した。

図1.Sr1-xRh2O4多結晶試料の電気抵抗率(a)・Seebeck係数(b)の温度依存性.

図2.無水物Na0.3CoO2と水和物A0.3CoO2・yH2O(A:Na,K)の磁化率の温度依存性.

図3.無水物Na0.3CoO2の[001]の電子線回折像(a)と結晶構造のモデル(b).

図4.Na4Ir3O8の逆帯磁率(a)・磁気比熱(b)の温度依存性. inset:Na4Ir3O8のIr副格子.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、9族遷移金属(Co・Rh・Ir)酸化物の新物質開発による、新奇な強相関電子物性・機能の開拓について述べられたものである。論文は、全6章からなる。

第1章「遷移金属酸化物における電子相関の効果」では、本論文の着想に至った背景が述べられた。これまで遷移金属酸化物において、d電子のもつスピン・軌道・電荷の自由度を利用することにより、多種多様な強相関電子物性・機能が開拓されてきた。しかし、遷移金属酸化物は非常に多彩な結晶構造・d電子配置をとるため、未知の強相関電子物性・機能が数多く眠っていると予想される。本論文では、9族遷移金属酸化物のとる低スピンのd5からd6のd電子配置が、d軌道からなる価電子帯にホールドープできること、スピン量子数が最も量子性の強いS=1/2となること、スピン・軌道・電荷の3つの自由度全てを有していることという、スピン・軌道・電荷の自由度に関するユニークな3つの特徴を併せもっていることに着目した。

第2章「目的」では、本論文の達成しようとする目的が述べられた。本論文では、9族遷移金属(Co・Rh・Ir)酸化物において物質開発を行うことで、新奇な強相関電子物性・機能の開拓を目指した。9族遷移金属酸化物はスピン・軌道・電荷の自由度を最も効果的な形で内蔵しているため、様々な結晶構造をもつ新物質を開発することにより、多彩な強相関電子物性・機能の発現が期待される。このような指針に従い、「ドープされたキャリアの示す強相関電子機能の開拓(第3章)」、「化学修飾による強相関電子相制御(第4章)」、「新しい幾何学的フラストレーション物質の開発(第5章)」について研究を行った。

第3章「キャリアドープされたバンド絶縁体Sr1-xRh2O4における強相関電子相の発現」では、d6低スピンの電子状態をもつバンド絶縁体にドープされたホールの示す、新奇な強相関電子機能の開拓について述べられた。論文提出者は、d6バンド絶縁体であるSrRh2O4に、Sr欠損を導入することにより、広範囲でホールドープすることに初めて成功した。その結果、ホールドープにより強相関金属相が現れること、その強相関金属相において高い熱電特性が得られることを発見した。この熱電特性には、ドープされたホールのもたらすスピン・軌道の自由度が大きな役割を果たしていた。これより、新しい熱電材料開発において、ドープされたd電子の多自由度を利用する方法が有効であることが明らかになった。

第4章「無水物Na0.3CoO2におけるNaイオンの整列と電荷分離」では、化学修飾による遷移金属酸化物の電子相制御について述べられた。本論文では、強相関金属としてよく知られているNaxCoO2とその水和物を取り上げ、ソフト化学の手法で結晶水を制御することにより、遍歴状態から局在状態まで電子物性を大きく変化させることに成功した。特に、無水物Na0.3CoO2において、新しいタイプのNaイオン超周期構造と、それに誘起されるCo3d電子の局在状態を発見し、CoD2面の伝導にNaイオン・水分子が大きな影響をもつことを実証した。これより、ソフト化学による化学修飾が、強相関電子相を制御する強力な手法であることを明らかにできた。

第5章「ハイパーカゴメ格子をもつNa4Ir3O8における幾何学的フラストレーション」では、新しい幾何学的フラストレート物質Na4Ir3O8の開発について述べられた。本論文では、Na4Ir3O8単相試料の合成に初めて成功し、Na4Ir3O8が、d電子系では初のハイパーカゴメ磁性体であること、強い幾何学的フラストレーションによりスピンS=1/2が最低温まで秩序化せず、スピン液体として振舞う初めての系であることを発見した。この結果は、9族遷移金属酸化物が量子スピン液体の有力な候補であることを強く示唆するものである。また、Ti置換により非磁性不純物の導入にも成功し、スピン液体状態において2種類のスピンが共存した振る舞いと、その起源を明らかにすることができた。

第6章「総括」では総括的討論が行われ、本論文の意義と展望について述べられた。まず、9族遷移金属酸化物のd電子配置のもつ3つの特徴が、本論文第3章から第5章において見出された強相関電子物性・機能において重要な役割を果たしていることが検証された。さらに、第3章から第5章をまとめ、本論文によって、スピン液体のように基礎学理の究明にインパクトを与えられる電子物性から、熱電材料のように広い実用が期待される機能性電子材料まで、幅広い強相関電子物性・機能が開拓され、さらに化学修飾による強相関電子相の制御が可能であることが実証された。これにより、9族遷移金属酸化物が、新奇な強相関電子物性・機能の開拓において非常に有効な物質群であることが明らかにされた。

なお、本論文第3章から第5章は、坂井富美子、内田正哉、三田村裕幸、野原実、高木英典各氏との共同研究だが、論文提出者が主体となって物質開発の計画立案、合成、評価および考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する

以上より、本論文では、9族遷移金属酸化物において、幅広い強相関電子物性・機能を開拓した。9族遷移金属酸化物は、電子物性という観点では他の族と比較してマイナーな物質群であったが、本論文によって、量子スピン液体、高性能熱電材料や非従来型超伝導などのエキゾチックな強相関電子物性・機能発現の舞台として非常にプロミシングであることが実証された。その意味で、本論文は物質科学研究の発展に寄与するところ大であり、博士(科学)の学位請求論文として合格であると認められる。

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