学位論文要旨



No 121579
著者(漢字) 高橋,和
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ヤスシ
標題(和) 顕微透過分光による量子細線の吸収及び利得の研究
標題(洋) Absorption and gain in quantum wires studied by microscopic transmission spectroscopy
報告番号 121579
報告番号 甲21579
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第161号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 秋山,英文
 東京大学 教授 岡本,博
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 助教授 高木,紀明
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はじめに

半導体量子細線は結合状態密度のバンド端での増大から優れた光学特性が期待され[1,2]、多くの研究がされてきた。特に量子細線の励起子吸収には特異性が現れることが1959年の理論研究から知られていた[3]。これは1次元的な狭い領域に電子・正孔が閉じ込められる為、クーロン相互作用がバルク、量子井戸に比べて増大するからである。量子井戸における励起子吸収の光非線型効果は、多くのデバイスに応用されていることもあり、量子細線における励起子効果の増強は広く興味が持たれ研究されてきた[4,5,6]。しかし量子細線の光物性研究は、そのほとんど全てが発光測定により行われており、光吸収測定が行われていない。量子細線の吸収スペクトルを測定し、励起子吸収の絶対値を特定することは非常に重要である。

光吸収という光物性において重要なパラメータが量子細線で測られていないのは、波長程度の拡がりを持つ光に対して、対象があまりに小さすぎる量子細線では、光吸収の大きさを定量的に測定することが困難だからである。そこで私は量子細線レーザの光導波路を用いた顕微透過測定を行った。この方法なら細線と光が相互作用する距離を増やせるからである[7]。しかしこの測定には導波路の長さ程度に渡って均一な量子細線が必要となる。量子細線レーザは、1989年の初めての発振以来[8]、精力的に研究されてきたが[9]、そこまで高品質なものは作製できていなかった。本研究で用いたT-型量子細線(T-細線)は、これまでの量子細線に比べ飛躍的に優れた均一性を有することが確かめられており[10]、1次元基底励起子、励起励起子、連続状態による吸収構造を発光励起(PLE)スペクトルで明瞭に分離できている[11]。

図1は20周期T-細線レーザの断面の層構造を示している。T-細線は従来のMBE結晶成長にへき開再成長法と成長中断アニーリング法という2つの特異な手法を加味して作製される[10,12]。図1(a)に示すようにT-細線は2つの量子井戸、(001)stem井戸と(110)arm井戸が交差した部分に量子力学的に形成される。その断面サイズは14×6 nm2と非常に小さい。等高線はT-細線中の電子の存在確率|ψ|=0.2〜1.0を表している。導波光モードとT-細線の重なりの割合、光閉じ込め率Γを増やす為に20本のT-細線が周期的に形成され、光クラッド層Al0.5Ga0.5As(図中白斜線)に囲まれたT-導波路の中心に埋め込まれている。レーザの導波路長は500μmで反射面は裸のへき開面を用いている。

有限要素法によるT-導波路の基底モード計算によると、そのΓは4.3×10-3と非常に小さい。これは量子細線の体積が小さい為で、デバイス応用において不利になる可能性も危倶される。量子細線の典型的な応用例である量子細線レーザ構造で得られる吸収の絶対値を特定することは、その利得の大きさを予想する上でも重要である。

顕微空間分解イメージ測定による発振起源の特定と近視野像の同定

T-細線レーザは光励起により、低温5KでT-細線中の基底状態から発振することが報告されていたが[9]、T-細線からの発振を空間イメージで直接観測したわけではなかった。また複合量子井戸構造の為に、複数の発振ピークが見られるが、それらの起源となる量子構造は不明であった[13]。以上の理由から、20T-細線レーザの発光・発振の顕微空間分解イメージを測定し、発光・発振の起源とその近視野像を調べた。これはT-導波路を用いた透過測定を行う上でも、導波路モードに関する情報が得られるので非常に重要である。

試料の励起には、cw-Titanium-Sapphire-laser (TiSレーザ)を用いた。作動距離10mm,N.A.:0.4の対物レンズとシリンドリカルレンズを用いて、ストライプ形に励起光を絞り、試料の[110]方向からT-導波路部分を均一に励起した。励起レーザはT-細線,stem井戸,arm井戸の3つの量子構造だけで吸収され、T-細線近くで励起されたキャリアは、エネルギーの最も低いT-細線に流れ込む。T-型導波路から[110]方向に放出される光を作動距離10 mm,N.A.: 0.5の対物レンズで集光してイメージ測定、スペクトル測定を行った。N.A.の大きなレンズを複数方向で使用する為にヘッド部分を改良したクライオスタットジャケットを用いている。

図2は温度5K、代表的な光励起強度(a)0.3 mW,(b)6.5 mW,(c)210 mWでの発光・発振スペクトルである。弱励起(a)では図中に記したように3つの量子構造からの発光ピークが見られる。(b)では発振L1が低エネルギー側で起こっている。強励起(c)では高エネルギー側でも発振が起こり、同時に3つの発振L1,L2,L3が確認されている。

図3(A)〜(D)にイメージ測定の結果を示す。各イメージの発光エネルギーと励起強度は、イメージに白字で書き込まれている。白斜線は図1(c)の光クラッド層に対応している。イメージ(A)から弱励起での低エネルギーピークはT-型導波路からの発光であり、T-細線が起源と分かる。(B)から中間エネルギーピークはクラッド層上のarm井戸が起源であるが、T-細線に挟まれたarm井戸からは、キャリアが細線に流れ込む為に発光は見られない。イメージ(C)から発振L1がT-細線の基底状態が起源であることが初めて確認され、空間パターンが発振前のパターンから良好な円形パターンに変化することが明らかになった。(D)からは、発振L2がL1と同位置から起こるのでT-細線に挟まれたarm井戸が起源であることが分かった。

イメージ(a)は、有限要素法によるT-導波路の基底モードを示している。イメージ(A)は、非常に良く計算のモードと一致しており、計算で求まったΓに大きな誤差が無いことが分かる。

顕微透過測定による単一量子細線の吸収スペクトル

図4は、単一T-細線レーザを用いた顕微透過測定の模式図を示している。単一T-細線レーザは、図1の20周期T-細線レーザ構造とはT-導波路のサイズが514×127nm2に小さくなっている以外は全て同じ構造であるが、導波路内に量子細線1本しかない為にΓが4.6×10-4と非常に小さい。透過光には波長可変cw-TiSレーザを用いた。入射光をN.A: 0.5の対物レンズでT-導波路に直接結合し、逆側の端面から放出される透過光を検出した。導波路以外からの光をカットするために、直径50μmの単芯光ファイバーを検出に用いている。入射光、透過光の偏光はarm井戸に平行なarm偏光とstem井戸に平行なstem偏光の2つを用いた。入射強度I0(λ)、透過強度I(λ)を波長を変えながら測定することで透過率スペクトルT(λ)=I(λ)/I0(λ)が得られる。

図5(a)は5Kでのarm偏光に対する単一T-細線レーザの透過率スペクトルである。吸収が弱い領域では、平坦なエタロン振動が明瞭に現れ、測定の安定性が伺える。このエタロン振動を解析することで、正確に吸収スペクトルを求めることが出来る。

図5.(b)が透過率スペクトルから求めた単一T-細線の吸収スペクトルである。吸収の形状がPLEスペクトルと同様な為[11]、図中に記したように3つの構造を1次元基底状態励起子、励起状態励起子、連続状態による吸収構造と断定できる。1.6 eVからの吸収の増大は、図2(a)からも分かる通りarm井戸の励起子吸収の裾によるものである。つまり1.6eVより下に1次元の吸収構造が現れている。

基底励起子による吸収ピークの半値幅は1.6 eVと小さい。arm井戸に原子1層の変化があると、T-細線の量子化エネルギーは2.5 mVとそれより大きく変化するので、導波路500μm全体に渡って均一なT-細線が形成されている事が分かる。

この結果で最も大切な基底励起子吸収のピーク値は80cm-1、その積分強度は190 cm-1meVである。α=80cm-1という値は、L=500μmの導波路だと入射光の98%(e-αL=0.018)を吸収する大きさである。14×6nmの量子細線1本(Γ:4.6×10-4)だけでこれだけ大きな吸収が得られることが初めて明らかとなった。吸収係数αをΓで割った値は、単位体積当りの吸収係数として定義されるが、この値は17.4×104cm-1となり、バルクGaAsの15倍程大きくなっている。また理論計算による励起子吸収積分強度は170cm-1meVが報告されており良く一致していた[5]。強い励起子吸収の一方で、バンド端の連続状態に、1次元結合状態密度に見られる吸収ピークは現れず、1次元励起子吸収の特異性が理論で予測された通りに確認されている[4]。

顕微透過測定による量子細線の室温励起子吸収

量子細線の吸収係数で応用上最も重要なのは、室温励起子吸収の絶対値である。その値は、量子細線デバイスを設計する時の基礎パラメーターとなり得るからである。そこでΓが単一細線レーザよりも9.3倍大きい図1の20 T-細線レーザを用いて、室温で吸収スペクトルを測定した。測定はarm偏光の他に、stem偏光も用いて、吸収の偏光異方性も同時に調べた。

図6(a)が297Kにおける20T-細線の吸収スペクトルである。arm偏光における1.4884 eVの吸収ピークは、量子細線中の基底励起子による吸収ピークである。高エネルギー側は、連続状態とarm井戸の吸収が重なっている為に単調増加な吸収となっている。励起子吸収の絶対値は160 cm-1であり、500μmの導波路で透過率3.4×10-4である。このことは、量子細線レーザの光閉じ込め率は、多重量子井戸レーザに比べ1桁以上小さいが、十分デバイス応用可能な光との相互作用が室温でも得られることを表している。また励起子吸収の半値幅は7.2 meVと見積もられ、量子井戸と同等かそれ以下である。更に、吸収の偏光異方性が大きいことがstem偏光の吸収スペクトルから分かる。励起子吸収ピークでは145 cm-1の差がある。この偏光異方性は、T-細線が[110]方向に強く量子閉じ込めを受けていることに起因している。

図6(b)は5Kにおける20T-細線の吸収スペクトルである。arm偏光では、励起子吸収が強すぎてピーク値が測れていないが、形状は図5(b)の単一T-細線と同じである。連続状態の吸収の値は、単一T-細線の9.4倍になっており、光閉じ込め率の比と良く一致している。これは量子細線の単位体積あたりの吸収の強さが2つの試料で同じであるという自明の物理を表している。stem偏光には室温では見られなかった構造が見られ、基底励起子と連続状態で偏光異方性が大きいことが分かる。一方で励起状態では偏光異方性が見られない。これは前者とは吸収に寄与する正孔サブバンドが異なっていることを示唆している。5K〜297 Kの間の温度でも吸収スペクトルも測定し、5Kの励起子吸収ピークが連続的に室温励起子ピークに変化していく様子を確認している

まとめ

高品質T-型量子細線レーザの光物性を、吸収・利得の理解に重点を置いて研究した。T-細線レーザの発光・発振スペクトル、及び空間分解イメージ測定を5Kで行い、発光・発振の起源、その空間パターンを調べた。その結果、T-細線の基底状態からの発振を初めて確認し、隣接する量子井戸からの発振も特定した。次に顕微透過測定系を構築し、単一T-細線レーザの透過スペクトルを5KでS/N比良く測定した。エタロン振動を解析することで正確に吸収スペクトルを求めた。T-細線1本による励起子吸収のピーク値は80 cm-1であり、500μmの導波路で98 %の光が吸収される程強いことが分かった。最後に20周期T-細線レーザの吸収スペクトルの温度依存性を室温まで測定した。初めて量子細線の室温励起子吸収を観測し、強い励起子吸収、狭い半値幅、強い偏光異方性といった応用上有利な事実を特定した。

図1:共振器端面から見た20周期T-細線レーザ構造。断面サイズ1162×183nm2のT-導波路に14×6nmのT-細線が20本埋め込まれている。%はAlxGa1-xAsのAl含有量である。

図2: 5Kでの発光・発振スペクトル。拡大図はT-細線からの発振の縦モードを表す。強励起(c)では3つの発振が同時に起こっている。

図3:各発光・発振ピークの空間イメー。(A)T-細線、(B)arm井戸、(C)L1、(D)L2。

図4: 単一T-細線レーザを用いた顕微透過測定の模式図。500μmのT-細線1本の光吸収スペクトルを測ることが出来る。

図5: (a) 5Kにおける単一T-細線の透過率スペクトル。(b)(a)から求めた単一T-細線の吸収スペクトル。

図6: (a)室温での20T-細線の吸収スペクトル。実線はarm偏光、点線はstem偏光に対応している(b)5Kでの20T-細線の吸収スペクトル。

Y. Arakawa and H. Sakaki,Appl. Phys. Lett. 40,939(1982).M. Asada et al. Jpn. J. Appl. Phys. 24,L95(1985).R. Loudon,Am. J. Phys. 27,649(1959).T Ogawa and T. Takagahara,Phys. Rev. B44,8138(1991).D. Wangand S. Das Sarma,Phys. Rev. B64,195313(2001).H. Akiyama et al. Phys. Rev. B53,R16160(1996).J. Weiner,D. Chemla,D. Miller,H. Haus,A. Gossard,W. Wiegmann,and C. Burrus,Appl. Phys.Lett. 47,664(1985).E. Kapon,D. Hwang,and R. Bhat,Phys. Rev. Lett.63,430(1989).W. Wegscheider et al. Phys. Rev. Lett. 71,4071(1993).M. Yoshita et al. Appl. Phys. Lett. 81,49(2002).H. Itoh et al. Appl. Phys. Lett. 83,2043(2003).L. Pfeiffer,K. West,H. Stormer, J. Eisenstein,K.Baldwin,D. Gershoni,and J. Spector,Appl. Phys.Lett. 56,1697(1990).J. Rubio et al. Solid State Commun. 120,423(2001).
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「顕微透過分光による量子細線の吸収及び利得の研究(Absorption and gain in quantum wires studied by microscopic transmission spectroscopy) 」を、10章からなる和文でまとめたものである。顕微分光手法を用いたT型量子細線レーザ試料の透過計測実験を中心に、レーザの発光・発振モード計測、発振特性評価、単一量子細線の吸収スペクトル測定、多重量子細線の吸収スペクトルの温度変化測定、吸収スペクトルの理論計算、利得発生領域での透過実験などについて、実験結果と詳細な解析が述べられている。第1章では、導入として、本研究の目的と構成を述べている。第2章では、本研究の背景として量子細線の概要と、量子細線を用いたレーザおよび一次元励起子吸収などの研究の背景が述べられている。第3章では、へき開再成長法や成長中断アニーリングなど高品質T型量子細線レーザ試料の作製方法と実際の試料構造が述べられている。第4章では、最初の実験として行われた、顕微空間分解イメージ測定によるT型量子細線レーザの発光・発振モードの評価と発光スペクトルピークの起源の同定の結果が述べられている。第5章では、PL測定によりT型量子細線レーザの発振特性を評価した結果、特に低温とより高温での発振の評価結果が述べられている。第6章では、顕微透過測定手法の開発により単一量子細線の吸収スペクトルの取得に成功した実験内容と、測定により得られた吸収係数の絶対値の意義に関する議論が述べられている。第7章では、前章の手法を用いて多重量子細線の吸収スペクトル測定を室温で行い一次元室温励起子吸収を観測した実験と、低温から室温までの温度変化測定を行いピークの起源を確定した実験が述べられている。第8章では、小川・高河原らの理論をもちいて量子細線の吸収スペクトルの数値計算を行って前章までの結果の意義の考察を行った結果が述べられている。第9章では、ポンププローブ測定による利得吸収スペクトル測定と透過配置でのレーザ発振実験など、利得領域での顕微透過実験の結果が述べられている。第10章では、本研究のまとめと今後の展望が述べられている。

本研究で用いた、量子細線の顕微透過実験系は、高橋氏が独自に構築したオリジナルなものであり、アラインメントや安定した測定のための除振・ドリフト除去などのための工夫が織り込まれている。

第4-5章に述べられた発光・発振モードの評価実験により、T型量子細線レーザの3つの発振ラインおよび発光スペクトルピークの起源を直接的に同定したことは、後章の研究の基礎をなす重要な研究と位置付けられる。

第6章に述べられた単一量子細線の顕微透過実験は、世界で初めて単一の量子細線の透過実験に成功し吸収スペクトルを定量的に評価したものである。第7章に述べられた一次元室温励起子吸収の観測とあわせて、ナノサイエンスのマイルストーンと位置付けるべき成果であり、いずれも極めて高く評価できる。第8-9章で行われた理論計算や実験も、第4-7章の成果の物理的意義を深く理解する上で貴重な内容となっている。

総じて本論文で述べられたこれらの成果は、量子細線や一次元励起子の物理と応用に対して著しい貢献を果たすものとして、高く評価できる。

なお、本論文の中核をなす研究内容は、東京大学物性研究所の指導教員らや、試料作製者であるルーセントベル研究所・ファイファー博士らとの共同研究であり、共著論文として学術誌に公表するものであるが、本論文に述べられている測定装置の開発、実験の遂行、結果の解析などは、全て論文提出者が主体となって行ったものと判断される。

よって、論文審査委員会は全員一致で、博士(科学)の学位を授与できると認めた。

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