学位論文要旨



No 121580
著者(漢字) 高山,知弘
著者(英字)
著者(カナ) タカヤマ,トモヒロ
標題(和) 鉄カルコゲナイドにおける相制御による機能開拓
標題(洋) Functional Development by Phase-Control in Iron Chalcogenides
報告番号 121580
報告番号 甲21580
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第162号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木,英典
 東京大学 教授 廣井,善二
 東京大学 助教授 久保田,実
 東京大学 助教授 山本,剛
 東京大学 助教授 ハロルド・ファン
内容要旨 要旨を表示する

強相関系物質と呼ばれる物質群は多彩な相転移現象を示す。ここで強相関系物質群とは、遷移金属化合物をはじめとした、電子間の相互作用が大きく物性にその効果があらわに現れる物質群を指す。これらの物質群では、その電子間の相互作用に起因して、物質毎に特有な相転移を示す。さらにこの物質群においては、種々の相互作用の競合によって複数の相が拮抗するような状態が実現される。そのような状態においては、磁場や電場、圧力などの外場に敏感となり、相転移を誘起・制御することが可能となり、巨大な物質応答が得られることが期待されている。

本論文においては、このような強相関系物質群における相制御について、鉄カルコゲナイドの示す2つ相転移に着目をし、2つの視点からその発展を目指した。ひとつは多彩な物性変化を示す新たな相制御の舞台を探索することである。これに関しては、電子の軌道状態の変化を利用した物性制御を試みた。強相関系においては電子軌道が電荷・スピンなどと同様に電子に内在する自由度として取り扱うべき状況が実現される。そこで、軌道の自由度を利用した新たな物性開拓が期待されている。このような観点から、鉄カルコゲナイドのスピン方向の転移について調べ、その転移に伴う軌道状態の変化やそれに伴う物性変化を明らかにするべく研究を行った。また、もう一方の指針として、新たな相制御手法の開発を行った。ここでは、物質中に内在する欠陥を利用する物性制御を考案した。従来物性研究においては欠陥の存在は物質本来の姿を隠すものとして排除されるべきものであったが、ここでは、これを逆に積極的に利用することを考える。この点については、鉄カルコゲナイドにおける鉄欠損の秩序・無秩序転移に着目し、この転移を利用することによって新奇な磁気メモリ効果の開発に成功した。これらの2つの指針について以下に順に述べる。

はじめにスピンの方向の転移について述べる。本論文で扱った鉄カルコゲナイドは、NiAs構造を基調として構造をとるが、ここで鉄のスピンはc面内においては強磁性的に結合し、c軸方向にはその強磁性面が反強磁性的に積層するという磁気構造を形成する。このような反強磁性的秩序を持った鉄のスピンはある温度Tsを境にしてその方向を変化させる。すなわち、低温側においてはc軸と平行方向を向いていたスピンが、Tsを境に回転し、磁気構造を同一に保ったままc面内に寝るという磁気転移を示す。このようなスピンの方向の転移は、鉄イオンのd電子の軌道状態を変化を伴うことが予測されるため、このスピン方向の転移により生じる軌道状態の変化やそれに伴う物性変化の探求およびその転移の磁場による制御を試みた。この転移に関しては2つの物質、FeSおよびFe7Se8を対象とした。まず、FeSについて述べる。この物質は上記のような磁気構造がTN=600Kで生じる反強磁性物質である。FeSでは、400K付近において一次転移で、スピンの方向が変化する。X線による回折実験から、この温度において格子が大きく歪む様子、すなわちc軸長が大きく縮み、a軸長が伸びる様子が観察された。このような格子の変形から、鉄イオンのd電子の軌道状態が変化していることが推察される。これは、低温側においては鉄イオンの最外殻電子軌道はc面内に広がったegπ軌道であったのに対し、転移温度より高温側においてはc軸方向の伸びたalg軌道に変化していると考えられるものである。そして、このような軌道状態の変化は種々の物性、例えば伝導性や光学的性質に影響を与えるものであると期待でき、実際に、この物質において軌道状態の変化に伴い、電気伝導性の次元性が変化する様子が観察された。これは、転移温度より低温側においてはc面内の電気伝導が支配的な2次元的伝導であったものが、高温側においては、面内方向と面間方向の伝導度がほぼ等しい3次元的伝導に移行するものである。このような伝導の次元性の変化は軌道状態の変化に起因したものであると考えられ、軌道状態の影響がマクロな物性にあらわに現れた、興味深い例であると考えられる。

ここで、この物質群における軌道状態の変化はスピンの方向の変化に伴って生じることから磁場によってスピンの方向を変化させることによって、軌道状態およびそれに伴う物性変化を制御できることが期待される。しかし、上記の物質FeSにおいては、反強磁性磁化率の異方性が小さいために磁場による制御はあまり有効ではなかった。このため、より磁場に敏感となり、磁場による軌道状態の制御が可能となる物質として、フェリ磁性物質Fe7Se8に着目した。この物質では化学量論組成より鉄が1/8だけ欠損しているが、その欠損により生じた空孔が秩序配列を形成する。その秩序状態においては、空孔は反強磁性副格子の片一方のみに存在するため、2つの磁気副格子間のバランスが崩れ、フェリ磁性を示す。ここでは、このような空孔秩序を持つFe7Se8のうち、一次のスピン方向の転移を示す3c構造と呼ばれる構造を持つものを対象とした。まず、この物質において磁場によるスピン方向の転移を制御を試みた。この物質ではスピン方向の一次転移は134Kで生じる。ここで、高温側の相を安定化するような方向に磁場を印加していくと、この転移温度が大きく低下していく(ΔT/H〜15K/T)様子が観察された。このことは、この物質において、磁場により容易にスピンの方向を制御できる、すなわち磁場により軌道状態を制御することができることを意味するものである。また、このスピン方向の転移の振舞いにおいて、印加磁場強度を増していき転移温度が低下していくにつれ、転移がブロードになっていく振舞いが観察され、5 T以上の磁場下ではスピン方向の変化は連続的となる様子が見られた。このことは、このスピン方向の一次転移がある温度で消失するような臨界点の存在を示唆するものである。この臨界現象は、スピンだけではなく、軌道状態の変化を含む転移であることから、従来研究されてきた種々のモデルによるスピンの臨界現象やモット転移で考慮される電荷の臨界現象などとは異なる、電子軌道の臨界現象として興味深いものである。なお、軌道状態の変化を介した電気伝導の制御という観点においては、この物質では軌道状態の変化が伝導には直接的な影響を与えていないように見られ、磁場による電気伝導の制御という点については、この物質は適当ではないと思われる。

次にもう一方の相転移、空孔の秩序・無秩序転移について述べる。鉄カルコゲナイドは鉄が欠損しやすいという性質を有する。ここで、欠損量が少なく定比に近い組成では、空孔はランダムに配置しているが、欠損量が多くなるとある組成を境にし空孔が秩序配列を形成するようになる。この空孔の秩序・無秩序状態は磁性と強く結合しており、空孔の無秩序の状態では2つの磁気副格子が等価となり反強磁性に、秩序状態ではFe7Se8で述べたようにフェリ磁性となる。また、空孔の秩序状態は高温では不安定となり、よりエントロピーの大きい無秩序相になる。ここで、化学組成を一定のまま、空孔の配置を変化させることができれば、一つの試料において磁性を反強磁性またはフェリ磁性に作り分けることができることになる。このような空孔の配置制御による磁性の制御を鉄欠損硫化鉄Fe1-xSにおいて試みた。空孔の配置制御法としては、熱処理による制御を採用した。すなわち、通常空孔が整列し、フェリ磁性を示すような試料においても、高温から急冷することによって、無秩序状態がクエンチされ反強磁性相が得ることができないかと考えた。このような磁気相変化は、空孔の秩序・無秩序転移が生じる臨界組成近傍の組成を持つ試料において最も起こり易いと予測されることから、臨界組成近傍のフェリ磁性相、Fe0.92Sという組成を持つ試料に着目した。この組成の試料において、徐冷試料と急冷試料の磁気特性を評価したところ、徐冷試料が磁化曲線にヒステリシスを有するフェリ磁性を示したのに対し、急冷試料はヒステリシスを持たない超常磁性的振舞いを示した。このような磁気的性質の違いは、空孔の秩序状態が部分的に壊れたために生じたものであると考えられる。また、この超常磁性相を再度加熱・徐冷する、またはアニールすることによって、フェリ磁性相へ復元することも確認した。このことから、この臨界組成を有する試料において、熱処理によって磁性を制御できることがわかった。この現象は、DVDなどで利用されている相変化光材料の磁性材料版とみなすことができ、応用面での発展が期待できる。

以上のように本論文では、鉄カルコゲナイドにおけるスピン方向の転移および空孔の秩序・無秩序転移に着目をした機能開拓に努めた。前者においては、軌道状態を利用した伝導性制御および軌道状態転移の臨界性といった現象が観察された。これらの現象は軌道による物性制御という点において新たな知見をもたらすものとして重要な成果であると考えられる。また、後者では空孔の配置を利用した新規磁気メモリ効果の開発を行った。これは、従来考慮されていなかった物質中の欠陥を利用した物性制御法を提案するものである。これらのことから本論文で得られた成果は、強相関系研究において基礎的および応用面の両視点において、新たな展開を示したものであると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、題目「鉄カルコゲナイドにおける相制御による機能開拓」に表現されるように、強相関系物質の一種である鉄カルコゲナイドを対象として、その多彩な相転移現象を利用することで新たな物質機能の開発を目指した研究である。論文は全五章からなる。

第一章では、研究の背景と目的が述べられている。物質の機能開拓について物質の示す相転移、特に強相関系と呼ばれる物質群の多彩な相転移現象を利用することで巨大な応答や新奇現象の発現が期待できることが述べられている。このような物質の示す相転移現象を利用した機能開拓という観点において、本論文では2つのアプローチ、新たな相制御の舞台の探索、および新規相制御手法の開発を行うことが述べられている。ここで、前者については電子の軌道状態を利用した機能開発、後者では物質に内在する欠陥を介した相制御を行うという本論文の方針が示されており、それらの研究背景についても言及されている。第一章の最後には、上の2つのアプローチを考える上で鉄カルコがナイドの恰好の舞台となることが示されている。従来の強相関系物質における相転移現象の研究や相制御手法が基礎的な観点に重きを置いていること、また応用研究が既存の有名物質に集中しているなかで、本論文で主張されている方針は、強相関系物質の多彩な現象を生かした機能開発の有用な切り口であると評価できる。

第二章では、研究で用いた試料の作製方法および評価法について述べられている。試料の作製方法については単結晶を化学気相輸送法で育成したこと、試料の評価については結晶構造、磁気特性、輸送特性について、各々の測定手法が述べられている。

第三章では、鉄カルコゲナイドの示す相転移現象のひとつ、スピン方向の変化について述べられている。まず、このスピン方向の転移が反強磁性秩序を持った鉄のスピンが低温ではc軸方向を向いており、高温においてはab面内にあることが紹介されている。この転移は鉄イオンのd電子の軌道状態の変化を伴うとされ、軌道状態変化と物性相関およびその外場制御を行うという点で適したものであることが強調されている。第三章の前半部分では硫化鉄FeSに関する研究について述べられている。この物質の約400Kにおいてスピン方向転移に伴う構造変化から、軌道状態の変化が議論されている。次にFeSの電気伝導の次元性が相転移の前後で2次元的な伝導から3次元的な伝導へと変化することを示し、これを軌道状態変化による次元スイッチングであると結論した。次元イスッチング現象は軌道効果がマクロな物性に顕に現れた貴重な例である。第三章の後半では、このスピン転移の磁場制御という観点からFe7Se8についての研究が述べられている。この物質では鉄原子の欠損により生じた空孔の規則配列に起因したフェリ磁性を示す。磁場によってスピン方向転移すなわち軌道転移の磁場制御が可能である。これを実証するとともに、ある磁場強度以上で消失する臨界点の存在を発見した。この臨界点は軌道自由度を含んでいることから、臨界挙動の詳細の解明は軌道状態転移のユニバーサリティクラスを明らかにする鍵となり得る。

第四章では、新たな相制御手法の開発という観点から鉄カルコゲナイドの欠陥制御についての研究が述べられている。鉄カルコゲナイドは鉄が欠損しやすく、それによって生じた空孔が秩序一無秩序転移を示す。これを利用した物性制御を行うとのアイディアが述べられている。前半部分では、鉄欠損型硫化鉄Fe1-xSにおいて、この秩序一無秩序転移を示す臨界組成の探索および転移の電気伝導への影響が述べられている。この転移が硫化鉄の金属-絶縁体転移の起源のひとつであると推論している。第四章後半では、この転移を利用した磁気メモリ効果の開発が示されている。この磁気メモリ効果は、熱処理条件を適切に選択することによって、空孔の秩序状態を制御し、その磁性を変化させることを原理とする。原理の提案に続き、メモリ動作が実験的に検証された。新規アイディアに基づく磁気メモリ効果は、メモリ・記録材料の高機能化・高安定性を実現する可能性を有したものであるということが主張されている。

第五章では、結論として本論文で行われた研究についてまとめられ、その展望および研究の意義について述べられている。

以上、本論文は、鉄カルコゲナイドの示す2種類の相転移に着目し、それを新規物性・機能へと展開させたことに最大の特徴がある。軌道状態変化に伴う次元スイッチングの発見および軌道臨界点の発見などの新規物性開拓、磁気メモリ効果の提案と実証、いずれも強相関電子の科学と技術の新しい方向性を示すメッセージを含んでおり、物質科学研究の発展に寄与するところ大である。よって、本論文は博士(科学)の学位請求論文として合格と認められる。

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