学位論文要旨



No 121581
著者(漢字) 竹野,耕平
著者(英字)
著者(カナ) タケノ,コウヘイ
標題(和) 重力波検出器用注入同期型 100W Nd:YAG レーザーの開発
標題(洋) Development of a 100‐W Nd:YAG laser using the injection locking technique for gravitational wave detectors
報告番号 121581
報告番号 甲21581
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第163号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 三尾,典克
 東京大学 教授 石本,英彦
 東京大学 教授 末元,徹
 東京大学 教授 渡部,俊太郎
 東京大学 教授 黒田,和明
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緒言

日本の次世代重力波干渉計Large-scale cryogenic gravitational wave telescope(LCGT)計画に必要とされる高出力・単一周波数発振レーザーの開発をd行っている.重力波とは時空のひずみが伝播していく波動現象であり,その効果を捉えるために高性能の干渉計を建設する計画が提案されている.

LCGT計画では,干渉計の重力波に対する感度が理論上の感度限界である散射雑音によって制限される.散射雑音は光が光子の集合であることに起因したものであり,この効果を低減させるには,高出力の光源を使用すればよいことが知られている.最終的には150Wの単一周波数レーザーが必要になると見積もられており,強度雑音や周波数雑音を低く抑えた高出力のレーザーを実現することが求められる.

高出力・高安定ICGT用光源を実現するための第一段階として,100W・単一周波数発振でかつ回折限界・直線偏光のビーム品質を持つレーザーを実現するのが本研究の目的である.励起効率や熱伝導・機械的強度など特性の優れた半導体レーザー励起のNd:YAG(発振波長1064nm)をレーザー媒質として選択し,注入同期法を用いて単一周波数特性を保ったまま出力の向上を試みた.

注入同期実験

注入同期法とは,単一周波数レーザー (マスターレーザー)を多周波数発振の高出力レーザー(スレーブレーザー)に注入することで周波数を安定化する技術である.本研究では2Wの市販Nd:YAGレーザー(InnoLight社製NPRO)をマスターレーザーとして用いた.

スレーブレーザーは三菱電機製の半導体レーザー側面励起式Nd:YAGロッドのモジュールを使用して作成した.ひとつのモジュールにつき二つのNd:YAGロッドとその間に設置された石英旋光子から構成され,偏光の回転によってお互いのロッドに生じる熱複屈折を補償するようになっている.

直線共振器によるモジュールのテストでは,単一モジュールで60W・回折限界・直線偏光の出力が得られることを確認した.

このモジュールを二つ使用することで,最適化された直線共振器のパラメータを変えることなくリングレーザーに展開し,双方向発振で121W出力を達成した(図1).

双方向発振では出力が不安定であるため,共振器内にファラデーローテータ,波長板,ブリュースター窓を挿入することで単一方向化を試みた.二種類のファラデーローテータで実験を行い,どちらの場合にも単一方向発振に成功した.

単一方向化の結果,リングレーザーの空間モードはほぼ回折限界であることが確認された.また,逆周りの波とのゲイン競合が抑圧された結果,強度雑音が直線共振器での結果と一致した.これは,強度雑音がレーザーモジュールに内在する雑音レベルにまで低減されたことを示す.

単一方向発振で出力が安定化されたため,ビームのプロファイルを測定することが可能となった.この測定結果に基づいてマスターレーザーとのモードマッチングを行った.

単一方向発振では,共振器内に光学素子を挿入するため,出力が双方向発振時の121Wから半分程度にまで低下した.逆周りの波はマスターレーザーによっても抑圧することが出来るため,注入同期実験においてはファラデーローテータなどの光学素子を取り外した.

注入同期では,二段のファラデーアイソレータを通し,15MHzの位相変調をかけたマスターレーザーの光をスレーブ共振器に注入した(図2).位相変調は,Pound-Drever-Hall(PDH)法により誤差信号を得るためである.

スレーブ共振器にはピエゾアクチュエータ(PZT)に取り付けた鏡が組み込まれており,共振器の長さを制御することが出来るようになっている.PDH法により取得した誤差信号をフィルタにより増幅し,PZTに負帰還することでスレーブレーザーの周波数をマスターレーザーの周波数に追随させた.

図3に双方向発振のスレーブレーザーおよび注入同期の周波数スペクトルを示す.注入同期により,単一周波数が実現されているのが確認できる.

また,図4に注入同期出力のパワーを示す.逆周りの波の強度およびスレーブ共振器のPZTにかかる電圧の変化も示してある.100Wの注入同期出力を10時間以上持続することに成功した.また,その間,逆周りの波は完全に抑えられていることが分かる.PZTにかかる電圧は,スレーブレーザーとマスターレーザーの相対周波数差のドリフトを示しており,長時間にわたり緩やかに周波数が変化しているのが読み取れる.

注入同期レーザーのビーム品質は,M2が水平面内で1.11,鉛直面内で1.13であり,偏光比は1:35以上であることが分かった.

注入同期レーザーの強度雑音および周波数雑音の測定結果をそれぞれ図5,図6に示す.比較のため,強度雑音は直線共振器での測定結果とマスターレーザーのみでの測定結果を併せて示してある.グラフより,注入同期出力は直線共振器と同等の強度雑音であることが分かる.これは,双方向発振時の逆周りの波とのゲイン競合が消滅したため,励起用半導体レーザー固有の雑音や循環冷却水,光学素子の振動などの揺動に起因する強度雑音のレベルで一致したものと考えられる.したがって,さらに強度雑音を低減するには,揺動の原因を取り除くか,外部モジュールによる強度安定化が必要である.

周波数雑音は,スレーブレーザーのアクチュエータにかかるフィードバック信号を周波数雑音に換算したものである.したがって,このグラフは,フィードバックの制御帯域(8kHz)内において,スレーブ共振器自体が持つ周波数雑音(あるいは共振器長揺らぎ)を反映したものである.グラフより,しきい値以下での周波数雑音と注入同期時でスレーブ共振器のグラフが一致していることが読み取れる.これは,スレーブ共振器の揺らぎが,レーザー発振によって生じうる揺動に依存していないことを示している.したがって,レーザー発振に関わらず存在する揺らぎ,例えば光学素子の揺れによる共振器長揺らぎに関しては,スレーブ共振器の構造を強固なものにする,などの改良を加えていくことで周波数安定度を改善できることを示している.注入同期では,スレーブ共振器の揺動はマスター光を変調し,同期の維持される周波数帯域から外れるように作用するため,極力固有の雑音を低減させておくことが望ましい.

周波数安定化実験

作成した注入同期レーザーの周波数特性を評価するため,リング型の光共振器を作成し,18MHz位相変調のPDH法を用いて位相同期する実験を行った.この方法ではレーザーの周波数を安定な周波数参照に追随させることになるため,同期後の光の周波数は,光共振器の安定度に対して安定化されることになる.PDH法による誤差信号を測定することで,残渣の雑音を評価することが可能である.

光共振器は,熱膨張を抑えるためスペーサーをスーパーインバーで作成し,それに鏡を3枚(2枚は平面鏡,1枚は曲率半径30cmの凹面鏡)貼り付けたものである.フリースペクトルレンジは714MHz,フィネスはS偏光に対して2900,P偏光に対して220である.

レーザーの周波数を光共振器(周波数参照)に追随させ,注入同期系の周波数雑音特性を測定した.その結果を図7に示す.

上のグラフが注入同期レーザーの周波数雑音を示しており,これはマスターレーザーの雑音特性とほぼ一致した.したがって,注入同期の周波数特性はマスターレーザーで決まるという理論上の予測が確かめられた.

また,点線のグラフは安定化後の周波数雑音スペクトルを示している.100Hz帯域で,およそ50dBの抑圧が確認され,7×10-4 Hz Hz-1/2の安定度が達成された.

我々の知る限りにおいて,100Wクラスの単一周波数発振レーザーの周波数安定度が評価されたのは,本研究が世界で初めての例である.

図1. リング型スレーブレーザーの出力特性.

図2. 注入同期の光学系の模式図,

図3.自励発振時の周波数スペクトルおよび注入同期時の周波数スペクトル.

図4.出力パワー,逆周りの波の強度およびPZTにかかる電圧の経時変化.

図5.注入同期出力,直線共振器レーザーおよびNPROの強度雑音.

図6.スレーブレーザーのしきい値以下での場合と注入同期の場合の周波数雑音.

図7.注入同期の周波数雑音(実線)と安定化後の周波数雑音スペクトル(点線).

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、高感度レーザー干渉計を用いた重力波検出器の光源として必要とされるレーザー装置の開発に関するもので、5つの章と2つの補遺から成り立っており、第1章では、重力波検出の意義と検出器の構成、大型計画の概要が述べられ、特に次世代の干渉計検出器の実現に対して非常に重要な技術要素であり、本研究の目的となる100W以上の出力をもつレーザー光源の必要性と位置づけが明確に示されている。

第2章では、高出力で高安定なレーザー装置の構成、設計に関する理論的な考察を行った。従来は、このような高出力のレーザー装置は、通常加工用で、干渉計の光源とはまったく違う思想で設計されている。そこで、干渉計の光源に必要とされる要求を明確にした上で、装置の基本設計を行った。基本となるのは、半導体レーザーを励起源としたNd:YAGレーザーであり、ロッド形状をしたNd:YAGの結晶の側面から励起光を照射する方式を採用している。そして、レーザー共振器の設計パラメータを最適化することで安定な光発振の実現を目指した。特に、レーザーの構成として、進行波型リング共振器を持つ必要があるが、このような設計例はこれまでほとんどなかった。そこで、よく用いられる直線共振器の設計をリングレーザーに展開するという手法を提案し、シミュレーションでその有効性を確かめている。そして、実際にその設計指針に沿ったレーザー装置を試作し、特性の評価結果が報告されている。そこでは、リングレーザー装置により、出力が120Wでほぼ回折限界のレーザー発振を実現した。

そして、第3章では、注入同期と呼ばれる技術を利用してレーザーの発振状態を制御し、干渉計の光源として必要とされる単一周波数発振を実現した結果が報告された。注入同期は、小出力で安定なレーザーの出力光を高出力のレーザーに注入し、高出力レーザーの発振を安定化する方法であるが、2つのレーザーの出力比が大きくなると制御が困難になることが理論的に示されている。本章ではその困難を光学系と制御系の工夫等で克服し、100Wの単一周波数発振を実現している。現在、干渉計の光源として利用されているレーザーは10W程度の出力であり、ここで報告されている出力レベルの実現は世界的に見ても1,2例の報告例があるだけである。また、その状態でのレーザー出力光の特性の評価を行い、直線偏光で、回折限界の光学モードが実現していることが実証された。さらに、雑音特性もこの出力を持つレーザーとして極めて安定なものであることが示されている。長期的な安定度に関しても、10時間以上連続運転しても出力特性はほとんど変化せず、極めて安定であることも報告されている。

第4章では、このレーザー装置の発振周波数をフィードバック制御により安定化する実験の結果が示されている。ここでは、高性能な鏡を用いたリング型の光共振器を周波数基準として利用し、100W出力のレーザー光の一部を取り出し、パウンド・ドレーバーホール法と呼ばれる手法を用いて安定化した。この際、共振器の安定性が問題となるので、真空中に防振装置を介して保持する装置を利用して外乱を避け、レーザー本来の雑音特性の評価や制御性能の評価を行った。100Wを越える出力のレーザーに対して、このような手法で安定化実験や安定度の評価これまでに報告例のないもので、世界最初の試みとしても価値がある。

第5章では本論文で報告されて成果をまとめ、結論とした。補遺では、他の方式との比較、大型干渉計の雑音の評価を論じている。本論文で達成されてレーザーの性能は世界的に見ても極めて高性能なレベルであり、多くの新しい知見をもたらしている。なお、レーザー装置の設計・試作・評価など、論文提出者がほとんど独力で行ったものである。

したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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