学位論文要旨



No 121582
著者(漢字) 丹治,亮
著者(英字)
著者(カナ) タンジ,トオル
標題(和) 極低温における Mn-Cu 合金の内部摩擦と磁性に関する研究
標題(洋) Magnetism and internal friction of Mn-Cu alloys at cryogenic temperatures
報告番号 121582
報告番号 甲21582
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第164号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 三尾,典克
 東京大学 教授 和田,仁
 東京大学 教授 高橋,敏男
 東京大学 助教授 山本,剛久
 東京理科大学 学長 竹内,伸
内容要旨 要旨を表示する

構造体の損傷,騒音,雑音の回避に振動抑制は重要な技術である.その中で,構造体自体に機械振動の散逸機能(内部摩擦)を持たせる制振材料技術は,システムの簡素化・省スペース化などの視点から期待できる.現在,行われている研究の多くが室温以上の温度領域での応用を想定しており,これに対して極低温を対象とした研究は数少ない.真空・低温環境では高分子材料の機能が厳しく制限されるため,非高分子制振材料に期待が持てる.例えば,学術分野では次世代型重力波検出器(LCGT),低温STMを用いた表面科学,超伝導工学,そして産業分野では水素エネルギーシステム,液体燃料ロケットなどへの応用が考えられる.ただ,対象温度が他と異なる分,メカニズムやそれに関わるエネルギースケールも他と異なったものが必要であると予想される.

その点において,Mn-CuをベースにしたMn-20Cu-5Ni-2Fe合金の内部摩擦と磁性に関する過去の我々の研究結果[1]には期待ができるものがある.そこでは70Kを中心にした内部摩擦の温度ピークの存在を明らかにし,これがスピングラスと呼ばれる磁性と関連していることを提案した.これを発展させる形で本研究ではMn-Cuの内部摩擦と磁性の関連を系統的に調べるとともに,実用性を検討することを目的とした.

結晶組織と磁性

80at.%程度のMnを含むγ相Mn-Cuは常温近くで大きな内部摩擦を有することが良く知られている.γ-Mn-Cuは面心立方(FCC)構造の高温相から面心正方(FCT)構造の低温相へ相変態する際,変態ひずみを解消させるために双晶を導入する.双晶境界は応力により容易に移動するため,振動応力に対して応答ひずみに遅れを生じさせることにより前述の内部摩擦が生じると理解されている.FCC-FCT相変態は,反強磁性相転移と密接に関連しているのが特徴的ある.いずれもMn濃度>70at.%で起き,その温度は隣接している.また,FCTのc軸はMn磁気モーメントの容易軸になっている.したがって双晶境界は反強磁性ドメインとみなすことができる.

γ-Mn-Cuは磁気的な乱れによって低温でスピングラスとなる.特に,Mn>70at.%では,反強磁性相からの冷却によってスピングラスとの共存が起こる.これをリエントラントスピングラス(RSG)と呼ぶ.RSGは凍結の過程が未だ明らかにされていないことなどから現在も研究の対象になっている.ただし,強磁性RSGの場合と比べて反強磁性RSGの研究は少ない.その原因として,磁気応答が小さいことが考えられる.したがって力学的手法を用いた本研究は反強磁性RSGに関する貴重な情報を提供できる可能性がある.

実験

試料

試料には,(独)物質・材料研究機構から提供されたγ-Mn1-xCux (x=0.15, 0.20, 0.25, 0.30, 0.40.名目値)の鋳造材を用いた.最終熱処理は,溶体化処理(1173K,1h保持)後,水冷である.

内部摩擦測定システム

内部摩擦測定は自作のシステムで行った.試験片と,無酸素銅製のクランプでカンチレバーを構成し,これをGM型パルスチューブ冷凍機(ナガセ電子機器サービス)の4Kコールドステージにマウントして冷却した.カンチレバーのたわみ計測には,市販のレーザー変位センサー(KEYENCE,LB-080)ないしは当研究室の川浪氏が製作したシャドウセンサーを用いた.感度はそれぞれ1μm/rHz, 10nm/rHz @ 100Hzであったが,実際は稼働中の冷凍機の振動によって300Hzの帯域で1μm程度の振動が励起されており,これが測定をリミットした.シグナルジェネレータで生成した正弦波形電圧を電流信号に変換し,それによって電磁アクチュエータを駆動してカンチレバーの振動を励起した.汎用アプリケーションで作成した自動測定用プログラムを用いて計測器のGPIB制御,信号取得,データ解析,ファイルI/Oなどを行った.

このシステムを用いて内部摩擦測定を行った.共振法を用い,カンチレバーの基本モードの自由減衰振動から,位相と振幅の時間変化を抽出し,これらに回帰を施すことで共振周波数(100Hz程度)と内部摩擦を求めた.共振周波数とカンチレバーの形状からヤング率を計算した.内部摩擦の指標には,対数減衰率(Log. dec.またはδ)を用いた.カンチレバーのたわみは,最も変形の大きい部分の縦ひずみに換算した.以下,振動の振幅はひずみ振幅ε0で表す.

具体的には以下の特性を調べた.

振幅一定条件下の温度依存性

等温条件下の振幅依存性

温度・振幅依存性に対する振動周波数の影響

温度・振幅依存性に対する磁場の影響

磁気測定

磁気凍結温度Tfを求めるため,SQUID磁束計(MPMS, Quantum Design)を用いて磁気測定を行った.各試料の零磁場冷却(ZFC),磁場中冷却(FC)直流帯磁率を比較し,履歴が開始する温度をTfとした.冷却磁場と測定磁場はともに1kOeとした.磁気相図や過去の測定結果と比較し,矛盾がないことを確認した.

結果と考察

x=0.15内部摩擦の温度依存性を図1に示す.ε0=1.5×10-5である.250Kを中心とした比較的鋭いピークP2と,150K以下に広く分布したピークP1が見られた.このうち前者は従来から知られている双晶境界の運動に関連した緩和型ピークである.また,磁化測定結果との強い相関や,x>0.30でのP1の消失などから,スピングラスのリエントランスが重要であることが分かった(図2).さらに,P1は強い振幅依存性(図3)を持つことから,リエントラント相の反強磁性磁壁の運動が内部摩擦の起源になっていると考えられる.

この見解に基づいて,2つの理論モデルを用いて振幅依存性を解析し,比較した.1つは磁歪効果によって力学的振動エネルギーが磁気ヒステリシス損として散逸されるという,現象論的なモデル[2]である.もう1つは,ピニングの影響の下で運動する転位(磁壁)が,粘性を受けることによってエネルギーを散逸させるモデル[3]である.振幅依存性自体はどちらのモデルも良く当てはまったが,その温度変化は後者が良く説明できた.したがって磁壁のダイナミクスの変化が温度変化に影響しているとする後者に基づいて議論を進めた.

強磁性RSGであるNi-Mnのバルクハウゼン効果[4]や,スピン偏極中性子回折[5]の研究結果などと比較することにより,Tf以下のマクロな磁気凍結やそれ以上における前駆的な現象が,反強磁性磁壁としての双晶境界の運動性に影響していると解釈できた.

この描像によって,内部摩擦に対する周波数や磁場の影響もある程度理解することができた.

まとめ

本研究はMn-Cu内部摩擦の低温ピークP1と磁化との強い温度相関を明らかにし,スピングラスに起因した内部摩擦という非常にユニークな,我々の提案[1]を裏付けた.さらに,双晶境界のピニングが関与していることや,ピニングエージェントが磁気凍結によって生じているという新たな見解が得られた.このような内部摩擦のメカニズムは,我々の知る限り報告例がない.

周波数に対する複雑な挙動や,磁場に敏感な性質は,擬弾性型として知られるP2ピークとは明らかに異なり,メカニズムの違いを示唆した.

P1の特性を制振材料としての実用の観点から検討した結果,以下の知見が得られた.

絶対値.対数減衰率で0.05以上が得られ,制振材料としての要件を満たす.

振幅依存性.非常に大きく,システム設計の際に注意が必要である.

温度特性.P2に比べても広い温度分布が得られた.

制御性.組成によって温度特性を制御できる.

周波数特性. P2に比べ複雑だが,相変態ピークのような大きな依存性は無いと思われる

磁場に対する依存性.磁場により低下した.したがってシステム設計の際に注意が必要になる.

図1 Mn-15Cu の内部摩擦とヤング率の温度依存性.ε0=1.5×10-5.

図2 磁化と内部摩擦に対する組成の影響.ε0=7.5×10-5.

図3 15Cu内部摩擦の振幅依存性

T. Tanji, S. Moriwaki, N. Mio, T. Tomaru, T. Suzuki, and T. Shintomi, Jpn. J. Appl. Phys. 43, 3552(2004).G. W. Smith and J. R. Birchak, J. Appl. Phys. 40, 5174(1969).D. H. Rogers, J. Appl. Phys. 33, 781 (1962).R. L. Sommer, J. E. Schmidt and A. A. Gomes, J. Magn. Magn. Mater. 103, 25 (1992).T. Sato, T. Shinohara, T. Ogawa and M. Takeda, Phys. Rev. B 70, 134410 (2004).
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、制振材料と呼ばれる、力学的に特異な性質(機械的なエネルギーを散逸する能力が極めて大きい)を示す材料の物性に関する研究をまとめたもので、6つの章と付録からなる。第1章では、序論として、構造体の損傷、騒音、雑音の回避に振動抑制は重要な技術である点、その中で、構造体自体に機械振動の散逸機能(内部摩擦)を持たせる制振材料技術は、システムの簡素化・省スペース化などの視点から期待できる点が述べられ、従来、行われている研究の多くが室温以上の温度領域での応用を想定しており、これに対して極低温を対象とした研究は数少ないことが指摘されている。その上で、真空・低温環境では高分子材料の機能が厳しく制限されるため、非高分子制振材料の研究が重要である。しかし、内部摩擦の機構に関しては不明な点が多く、物性の観点からの研究が必要である。そこで、その代表的なものであるMn-Cu合金の内部摩擦の極低温での振る舞いと磁性の関連を系統的に調べるとともに、実用性を検討することを目的とすることが述べられている。

第2章では、今回、試料に用いたMn-Cu合金の性質が概観されている。80at.%程度のMnを含むγ相Mn-Cuは常温近くで大きな内部摩擦を有することが良く知られている。しかし、極低温での振舞いに関しては、あまりデータがない。また、γ-Mn-Cuは磁気的な乱れによって低温でスピングラスとなる。特に、Mn>70at.%では、反強磁性相からの冷却によってスピングラスとの共存が起こる。これをリエントラントスピングラス(RSG)と呼ぶ。RSGは凍結の過程が未だ明らかにされていないことなどから現在も研究の対象になっていることが述べられている。ただし、強磁性RSGの場合と比べて反強磁性RSGの研究は磁気応答が小さいことために非常に少ない。したがって力学的手法を用いた本研究は反強磁性RSGに関する貴重な情報を提供できる可能性があることを指摘した。

第3章では、今回行った実験の概要が述べられている。試料には、(独)物質・材料研究機構から提供されたγ-Mn1-xCux(x=15、 0.20、 0.25、 0.30、 0.40)の鋳造材を用いた。内部摩擦測定は今回の研究のために作製した。試験片と、無酸素銅製のクランプでカンチレバーを構成し、これをGM型パルスチューブ冷凍機の4Kコールドステージにマウントして冷却した。カンチレバーのたわみ計測には、光センサーを用いた。すべての測定は、汎用アプリケーションを利用して作成した自動測定用プログラムを用いて行った。

第4章では測定結果を報告している。測定には、共振法を用い、カンチレバーの基本モードの自由減衰振動から、位相と振幅の時間変化を抽出し、これらに回帰を施すことで共振周波数(100Hz程度)と内部摩擦を求めた。具体的には以下の特性を調べている。

振幅一定条件下の温度依存性

等温条件下の振幅依存性

温度・振幅依存性に対する振動周波数の影響

温度・振幅依存性に対する磁場の影響

また、磁気凍結温度Tfを求めるため、SQUID磁束計(MPMS、QuantumDesign)を用いて磁気測定を行い、磁気相図や過去の測定結果と比較して、矛盾がないことを確認している。

第5章では、測定結果に対して考察を行っている。x=0.15の場合、250Kを中心とした比較的鋭いピークP2と、150K以下に広く分布したピークP1が見られた。このうち前者は従来から知られている双晶境界の運動に関連した緩和型ピークである。また、磁化測定結果との強い相関や、x>0.30でのP1の消失などから、スピングラスのリエントランスが重要であることが分かった。さらに、P1は強い振幅依存性を持つことから、リエントラント相の反強磁性磁壁の運動が内部摩擦の起源になっていることを指摘している。そして、この見解に基づいて、2つの理論モデルを用いて振幅依存性を解析し、比較し、磁壁のダイナミクスの変化が温度変化に影響しているとするピニングの影響の下で運動する転位(磁壁)が、粘性を受けることによってエネルギーを散逸させるモデルに基づいて議論を進め、この描像によって、内部摩擦に対する周波数や磁場の影響もある程度理解することを示した。

第6章では、全体をまとめており、Mn-Cu内部摩擦の低温ピークP1と磁化との強い温度相関を明らかにし、スピングラスに起因した内部摩擦という非常にユニークな提案を裏付けた。さらに、双晶境界のピニングが関与していることや、ピニングエージェントが磁気凍結によって生じているという新たな見解が得られたことを述べている。付録では、試料の形状に対する力学モデルを説明した。

本論文においては、試料の準備や磁気測定に関しては、物質・材料研究機構の段福星氏、松下明行氏との共同研究であるが、本人の寄与が極めて大きいことが認められた。

したがって、博士(科学)の学位を授与できるものと認める。

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