学位論文要旨



No 121583
著者(漢字) 前田,充史
著者(英字)
著者(カナ) マエダ,アツシ
標題(和) 一次元電子系における超高速非線形光学応答の研究
標題(洋)
報告番号 121583
報告番号 甲21583
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第165号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡本,博
 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 教授 末元,徹
 東京大学 教授 吉澤,英樹
 東京大学 助教授 秋山,英文
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

近年、光通信の発達に伴い、光で光を高速に制御することが求められている。これを実現するためには、微弱な光の照射によって吸収係数や屈折率が大きく変化し、また光学応答の速い物質が不可欠である。すなわち、三次非線形感受率X(3)が大きく、なおかつ光励起状態の寿命T1が短い物質が必要とされる。

一般に一次元電子系では、強い励起子効果のため、光学遷移の振動子強度が狭いエネルギー領域に集中し、増強される。これを利用すれば、大きな非線形光学応答が得られる。その利用方法として、以下の二つの方法が考えられている。一つは、光学ギャップに共鳴する光を入射し、図1(a)のように、線形吸収で観測される奇の対称性を持つ励起状態|odd>を介した光学過程を用いる方法である。もう一つは、光学ギャップの半分のエネルギーを持つ光を入射し、図1(b)のように、線形吸収では観測されない偶の対称性を持つ励起状態|even>を介した過程を用いる方法である。後者は一重共鳴のため、三重共鳴である前者に比べて得られるX(3)は小さいものの、入射光エネルギーが透明領域にあたり、光路長を稼ぐことで光と物質の相互作用を大きく出来る。

これまで共役系ポリマーが全光型スイッチング材料として期待され、上述のような非線形光学応答が盛んに研究された。その結果、従来の半導体に比べて大きな応答を示すことが明らかとなった。しかし、X(3)の大きさがまだ充分でないことなどから、実用化には至っていない。全光型スイッチングを実用化するためには、新たな一次元系物質の探索が求められる。

本研究では、従来とは異なる、以下の二種類の一次元系物質における非線形光学応答に注目した。

単層カーボンナノチューブ

近年新しい機能性材料として、単層カーボンナノチューブ(SWNT:single-walled carbonnanotubes、例えば図2(a))が注目されている。SWNTには、半導体としての性質を持つ半導体チューブと、金属としての性質を持つ金属チューブが存在する。これらは通常試料中に混在しており、さらには、強いファンデルワールス力によりバンドルを形成している。

最近、このような試料において、半導体チューブのバンドギャップ近傍でのImX(3)が巨大であり、なおかつT1が約1psであることが明らかとなった。このバンドギャップが通信波長帯(0.8eV)に近いこともあり、図1(a)の光学過程を利用した非線形光学材料として、期待が高まっている。

ところが今のところ、そのX(3)やT1の起源は明らかではない。そこで本研究では、平均直径が1.4nmのSWNTの薄膜試料について、パルス幅130fsのレーザーを用い、透過型ポンププローブ測定を行った。これにより、光照射による吸収変化Δα(∝ImX(3))の大きさと緩和ダイナミクスについて、プローブ光波長依存性を調べた。その結果から、SWNTの非線形光学応答の起源、および、光励起状態の緩和機構を明らかにすることを目指した。

一次元モット絶縁体

最近、図2(b)(c)のような塩素架橋ニッケル錯体([Ni(chxn)2Cl](NO3)2、[Ni(chxn)2Cl]Cl2、以下それぞれNCN、NCCと略す)や一次元銅酸化物(Sr2CuO3、Ca2CuO3、以下それぞれSCO、CCOと略す)について、電場変調反射分光測定が行われた。その結果、これら全てにおいて|odd>と|even>がほぼ縮退し、それゆえ両励起状態間の双極子モーメントが非常に大きいことが明らかとなった。図1(b)の過程によるX(3)は、この||の2乗に比例するため、この系で増強されていることが予想される。さらに、SCOのT1が1ps程度であることが、ポンププローブ測定の結果から示唆されている。これらの物質は、電子相関に由来するギャップを持つ、典型的な一次元モット絶縁体である。以上の背景から、一次元モット絶縁体が、非線形光学材料として期待されている。

これらの物質系では、鎖間のイオンの置換により一次元鎖方向の原子間隔を変化させることで、励起子効果の大きさを制御出来る。NCN、NCC、SCOには有限の励起子効果が存在するのに対して、CCOの励起子効果は無視できる程度に小さいことが、光伝導の励起スペクトルから明らかとなっている。このような励起子効果の違いはεスペクトルには現れておらず、X(3)に与える影響について興味が持たれる。

そこで本研究では、パルス幅130fsのレーザーを用い、SCOとCCOについてZスキャン測定を、NCNとNCCについて透過型ポンププローブ測定を行い、二光子吸収領域でのImX(3)スペクトル(二光子吸収スペクトル)を求めた。これらを比較することで、この系での励起子効果と二光子吸収との関係を調べた。

さらにNCNについては、パルス幅20fsのレーザーを用いて反射型ポンププローブ測定を行い、反射率変化ΔR/Rの緩和ダイナミクスと励起エネルギーの関係を調べた。その結果から、光励起状態の緩和機構についての知見を得ることを目指した。●

結果と考察

単層カーボンナノチューブ

図3(a)に、ポンププローブ測定で得られた、Δαスペクトルと遅延時間tの関係を示す。励起エネルギーは、0.685eVである。各プローブ波長で得られたΔαの緩和ダイナミクスを解析したところ、全て、瞬時応答を示す成分A、時定数0.37psで指数関数的に緩和する成分B、時定数2.6psで指数関数的に緩和する成分Cの和で再現することが分かった。例として、0.685eVのプローブ光で得られた結果の解析を、図4に示す。これらの解析で得られた各成分の大きさのスペクトルは、図3(b)のようになった。

成分Aのスペクトルは、バンドギャップ付近で+-+と振動する構造を持つ。これは、吸収ピークが光照射により分裂したことを意味する。瞬時応答であることも考慮すると、この応答は光シュタルク効果によるものと考えられる。今、応用上重要な、縮退共鳴配置(図4)で観測される遅延時間0でのΔαのうち、64%をこの成分が占めている。よって、光シュタルク効果こそが非線形光学応答の主な起源であると結論付けられる。

成分Cには、低エネルギー領域でドルーデ様の構造が見られる。よって、この成分は自由キャリアの緩和を表すものと考えられる。これに対し、成分Bでは、低エネルギー領域に構造が見られない。光シュタルク効果の存在も考慮すると、この成分は励起子の緩和を表すものと考えられる。

また、最近他のグループによって、孤立したSWNTのT1が10ps以上であることが報告された。このことから、本研究で観測した0.37ps及び2.6psという緩和の時定数は、それぞれ半導体チューブ中の励起子と自由キャリアが、同じバンドル内に存在する金属チューブに移動する時定数を表しているものと考えられる。すなわち、この系のT1は、電荷あるいはエネルギーの移動の時定数に支配されていると解釈できる。

一次元モット絶縁体

図5に、一次元モット絶縁体の二光子吸収スペクトルを、ε2のスペクトルと共に示す。ε2ピークは|odd>を、二光子吸収ピークは|even>を反映しているものと考えられる。

NCN、NCC、SCOの二光子吸収ピークはε2と同様に鋭く、その線幅は350meV以下である。これに対し、CCOの二光子吸収ピークでは線幅が非常に大きく、1.2eV以上にも亘る。また、CCOのInX(3)の最大値は、SCOの約1/10である。上述のように、CCOの励起子効果は極端に小さい。そのために、二光子吸収のピークの線幅が広くなったと考えられ、このことがImX(3)を抑制したものと解釈できる。このように、二光子吸収を増強するためには、有限の励起子効果が必要であることが分かった。

図6に、NCNについてのポンププローブ測定で得られた、ΔR/Rの緩和ダイナミクス(1.85eV励起(b)と2.38eV励起(c))を示す。プローブ光は、1.97eVである。1.85eV励起の結果を解析したところ、指数関数的に緩和する成分2つ(成分A、B)と一定値成分を仮定した関数〓で再現されることが分かった(τA=33fs、τB=1.3ps)。これに対して、2.38eV励起の場合は、緩和に数10psかかっており、この関数で再現できない。過去に測定された光伝導(図6(a))からは、2.38eVで励起した際には多くの自由キャリアが生成されることが示唆される。そこで、これについては、〓という関数を用いた。ここで第二項(成分C)は、一次元鎖上で電子と正孔がランダムウォークを経て対消滅することを仮定した関数である。その結果、図6(c)のように再現することが出来た(τA=26fs、、τc=180fs)。このことから、成分Cは自由キャリアによる吸収飽和に起因しており、自由キャリアが対消滅する過程を反映しているものと考えられる。これに対し成分Bは、光伝導が現れない波長領域で励起しているにも関わらず観測されている。よって、これは励起子による吸収飽和に起因しており、励起子が時定数1.3ps緩和する過程を反映しているものと考えられる。なお、成分Aについては、その緩和時間が約30fsと非常に短いため、光シュタルク効果のようなコヒーレント応答である可能性が考えられる。

以上より、この系において、励起子が1.3psで緩和するのに対して、自由キャリアは数10psかけて緩和することが明らかとなった。よって、この系の高速緩和において、励起子効果は重要な役割を果たしていると言える。

図1三次の非線形光学過程

図2分子構造の模式図((a)SWNT(b)塩素架橋ニッケル錯体(c)一次元銅酸化物)。

図3(a)ポンププローブ測定で得られた、Δαスペクトルの遅延時間依存性(励起強度は約1μJ/cm2)。(b)成分A〜Cの大きさのスペクトル。

図4ポンププローブ測定によるΔαの緩和ダイナミクスと、その解析。ポンプ光とプローブ光は、共に0.685eV。

図5 (a)塩素架橋ニッケル錯体の、εスペクトル(破線)と、ポンププローブ測定によるImX(3)スペクトル(●)。(b)一次元銅酸化物の、ε2スペクトルと、Zスキャン測定によるImX(3)スペクトル。ImX(3)は下軸に対してプロットし、ε2は上軸に対してプロットした。またグラフの右側には、それぞれの測定法で観測される二光子吸収の光学過程を示した。

図6(a)NCNの光伝導の励起スペクトル(破線)とε2 (実線)。(b)(c)ΔR/Rの緩和ダイナミクス。

審査要旨 要旨を表示する

三次の光学非線形性を利用すると、光で光の経路を切り替える光スイッチ、光で光の透過率を切り替える光スイッチなどの全光型スイッチングデバイスを実現できる可能性がある。一般に、一次元系では、電子の運動が一方向に閉じ込められるために三次非線形感受率X(3)が増大する。これまで、π共役ポリマーやポリシランなどの一次元半導体において、三次の光学非線形性に関する研究が盛んに行われてきた。しかしながら、これらの物質では、物質の制御が困難であることやX(3)の大きさが十分でないなどの問題点があり実用化にはいたっていない。全光型スイッチングの実用化への展開を図るには、新たな一次元半導体の探索が求められている。本研究は、その候補である単層カーボンナノチューブとモット絶縁体である一次元遷移金属化合物に注目し、三次光学非線形性の評価と機構解明、および、光励起状態の緩和ダイナミクスの評価と機構解明を目的として行われたものである。

本論文は4章からなる。第1章には、序論として、研究全体の背景、三次非線形光学応答の基礎事項、研究目的と論文の概要が述べられている。第2章、第3章は、それぞれ、単層カーボンナノチューブおよび一次元モット絶縁体の非線形光学応答に関するものであり、第4章が総括である。

第2章では、まず、単層カーボンナノチューブの構造と電子状態が解説され、非線形光学応答に関するこれまでの研究がまとめられた後、それを踏まえた本研究の目的が述べられている。次に、試料の説明と本研究において構築された非線形分光測定系(Zスキャン分光系とポンププローブ分光系)の詳細が記されている。その後、実験結果と考察が述べられている。本研究では、最初にX(3)の絶対値および応答速度が評価され、カーボンナノチューブの三次光学非線形性の性能指数が従来材料のそれと比較して極めて大きいことが明らかとなった。次に、半導体チューブを共鳴励起、および、近共鳴励起した場合の吸収変化スペクトルが示され、光励起による半導体チューブの吸収減少が、主として光シュタルク効果によるものであることが明らかにされた。これまでの研究では、この吸収減少は吸収飽和によるものとされてきたが、本研究において、光シュタルク効果が超高速の吸収変化を支配していることが初めて実証された。また、半導体チューブで実励起された励起子やキャリアがいずれも金属チューブに移動することによって緩和すること、および、励起子はキャリアに比べてより高速に緩和することが明らかとなった。

第3章では、最初に、本研究で対象とするモット絶縁体(ハロゲン架橋ニッケル錯体、一次元銅酸化物)の結晶構造と電子構造、非線形光学応答に関するこれまでの研究が述べられ、それを踏まえた本研究の目的が記されている。その後、本研究で開発された20フェムト秒の時間分解能を持つポンププローブ分光系の詳細が述べられている。次に、一次元モット絶縁体の二光子吸収スペクトルの物質依存性が示され、励起子効果が強い場合は、奇の対称性を持つ励起子と縮退した偶の対称性を持つ励起子への先鋭な二光子吸収が観測され、対応するX(3)の値が増大することが明らかにされた。一方、励起子効果が弱い場合は、二光子吸収の線幅は増大しX(3)も減少する。また、二次元モット絶縁体では、スピン電荷結合を通して奇と偶の励起状態の縮退が解け、一次元系に比べX(3)が減少することが示された。最後に、ハロゲン架橋ニッケル錯体の反射スペクトルの時間変化が議論され、励起子は約1ピコ秒の時定数で高速に緩和するのに対し、解離したキャリアは一次元鎖上のランダムウォークを経て10ピコ秒程度の時間スケールで緩和することが示された。これらの結果から、励起子効果が光励起状態の緩和の高速化にも重要であることが結論された。

以上のように、本論文では、単層カーボンナノチューブおよび一次元モット絶縁体においてバンド端領域の非線形光学応答の性質が詳細に調べられ、非線形光学応答の性能指数が評価されるとともに、その起源が明らかにされた。また非線形感受率の増強と緩和の高速化のいずれにおいても、励起子効果を増大させることが重要であることが実証された。

なお、本論文第2章は、松本真二、岸田英夫、岡本博、岩佐義宏、竹延大志、白石誠司、阿多誠文、下田英夫、Otto Zhou各氏との共同研究、第3章は、桑原円佳、岸田英夫、岡本博、真子隆志、川崎雅司、十倉好紀、澤彰仁、宮坂茂樹、小野瀬佳文各氏との共同研究によるが、論文提出者が主体となって実験、解析を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上から、本論文は、一次元電子系の非線形光学応答の解明とその非線形光学材料としての新しい可能性の開拓に大きく貢献するものであると考えられ、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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