学位論文要旨



No 121596
著者(漢字) 篠﨑,隆志
著者(英字)
著者(カナ) シノザキ,タカシ
標題(和) 脳磁図を用いた視野闘争誘発反応の研究
標題(洋) A study on brain response of binocular rivalry using magnetoencephalography
報告番号 121596
報告番号 甲21596
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第178号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,常広
 東京大学 教授 岡田,真人
 東京大学 教授 西田,友是
 東京大学 助教授 村重,淳
 千葉大学 教授 外池,光雄
内容要旨 要旨を表示する

2つの異なる画像を左右眼に独立して提示すると,一方の刺激のみが優位に知覚され,他方の刺激は知覚されない.そして優位な知覚が数秒おきに自発的に交代し続ける,このような知覚現象を視野闘争と呼ぶ[i].本論文は視野闘争について心理物理手法による計測と,MEGによる計測という2つの側面からの計測を同時に行い,視野闘争の神経機構について検討した.本論文は六章からなり,第一章ではこれまで行われてきた視野闘争研究の概要を述べ,本論文の中心的な事項である視野闘争の過渡的な反応の位置づけを行った.次に第二章において,視野闘争の過渡的な特性を心理物理的な手法によって計測し,得られた結果から視野闘争による反応をMEGで計測する為の手法について考察した.第三章では,第二章で得られた結果に基づいたMEG計測を行い,視野闘争によって生じる脳反応について検討した.第四章では,複数の種類の視野闘争刺激を用いてMEG計測を行い,刺激の種類と脳反応との関係を明らかにした.第五章では,視野闘争反応を脳計測におけるツールとして用い,色運動と輝度運動との差について検討した.第六章では,以上の結果のまとめを行った.以下,各章について詳しく説明する.

第一章では,視野闘争の心理物理的な手法による先行研究の概要を述べるとともに,近年の非侵襲計測による実験結果についてまとめた.多くの先行研究の結果から,視野闘争の神経機構は徐々に明らかになりつつあるが,これらの先行研究の殆どが視野闘争の定常的な反応のみについて調べている.一方で過渡的な反応,すなわち視野闘争中に知覚が交代する過程で生じる脳活動の変化はいまだ明らかになっていない.本研究では,この視野闘争の過渡的な反応に注目し, 心理物理実験ならびにMEG計測を行った.本章ではこれらの計測の先行研究に対する位置づけについても考察した.

第二章では,視野闘争の過渡的な特性を調べる研究の基盤として心理物理実験を行った.本研究では視野闘争を引き起こす視覚刺激として運動方向の視野闘争刺激を主に用いた(図1).運動方向の視野闘争刺激は,視野闘争が知覚される場合と,2つの運動が融合し相当が知覚されない場合との2つの解釈が確率的に生じ,それぞれの生じる確率は提示される2つの運動方向の角度の差に依存することが報告されている[2].この確率的な知覚の変化は単眼の刺激においても発生し,2つの運動を重ね合わせたplaidと呼ばれる視覚刺激を用いた研究から,ある種の闘争反応であるとされている[3].本章では,運動方向の視野闘争刺激に対する闘争と融合との知覚特性を,心理物理実験によって時間特性の観点から明らかにするとともに,その階層的な処理構造について考察した.実験は始めに運動方向の角度差を変化させた場合に闘争を知覚する確率の変化を計測し,闘争を知覚する確率が50%となる角度差を被験者ごとに求めた(図2).そして求めた角度差の視野闘争刺激を用いて,単一方向の運動を知覚するために要するReaction Time(RT)の計測を行い,闘争を知覚する場合と,融合を知覚する場合との時間特性の違いを検証した(図3).その結果闘争を知覚する場合は融合を知覚する場合に比べてRTが統計的に有意に遅くなることが示され,この差は闘争の過渡的な処理過程によって生じたと考えられた.このことから刺激をオンセットで提示し,闘争を知覚する場合と融合を知覚する場合との脳反応を比較することによって,視野闘争の過渡的な反応が計測しうることが示唆された.

第三章では,第二章の心理物理実験で得られた結果に基づいた実験手法によって,視野闘争の過渡的な反応のMEG計測を行った.視野闘争中に知覚が交代する過程は,知覚の選択に関わる神経機構のもっとも基本的な形態であり,その神経活動の計測は意義深いものと考えられる.本実験は第二章の結果に基づいて,運動方向の視野闘争を引き起こすオンセット刺激を用いた.そして刺激が提示されたことによって生じる脳反応をMEGで計測するとともに,その闘争の知覚状態を心理物理的な手法で計測した.得られたMEGの計測結果を心理物理実験の結果によって,闘争が知覚された場合と融合が知覚された場合とに分類,比較し,視野闘争の過渡的な反応について検討した.従来の脳波やMEGを用いた研究の多くは,ある潜時の測定チャネル間のRoot Mean Square(RMS)値を反応の強さの指標とし,200ms前後の早い潜時に現れる反応のピークについて,その強度や潜時を解析している.しかしながら本実験の結果にこれらの解析を適用した所,視野闘争の発生の有無による変化が認められなかった.一方で遅い潜時においては,明確なピーク活動を示さないものの条件間で闘争の知覚状態による反応強度の差が認められた(図4).しかしその潜時は被験者間で数百ms程度のばらつきを示した.そこで闘争を知覚した場合と融合を知覚した場合とで100msごとのRMS値の時間平均を求め,その差を計算した.その結果,400ms以降の遅い潜時のRMS値の時間平均が視野闘争の知覚交代によって統計的に有意に強まることが確認された(図5).以上の結果から,視野闘争を知覚する過渡的な状態において脳活動が活性化れることが示された.

第四章では,第三章で得られた結果をふまえ,実験に用いる視覚刺激を縞模様の方位,色,運動方向の3つに拡張し,MEG計測を行った.fMRIによる視野闘争の定常状態についての先行研究から,闘争中の知覚の交代に同期して,刺激の属性に対応した大脳皮質の活動が変化することが示されている[4].同様に電気生理的な計測からも視野闘争による神経活動の変化が刺激の視覚特性に関連した大脳皮質において起こることが報告されている.本研究では縞模様の方位,色,運動方向の3つ視野闘争刺激によって生じる過渡的な反応を計測し,さらにそれぞれの活動源の推定を行った.その結果,縞模様の方位の視野闘争刺激に対する活動源は頭頂付近に,色についてはIT野付近に,そして運動方向についてはMT野付近に推定された.以上より,視野闘争の過渡的な反応は定常的な反応と同様に,闘争を生じさせた視覚属性の処理を行っているとされている皮質部位において強まることが確認された.非侵襲計測による先行研究では,顔と家のような複数の視覚属性間での闘争においてのみ高次の視覚反応が計測されているが,本研究では単一の視覚属性についての闘争を生じさせることによって,非侵襲的な計測が困難とされる色についての反応を計測することに成功した.以上の結果から,ある視覚属性の闘争を意図的に引き起こすことによって関連する脳部位を特定できる可能性が示唆された.

第五章では,ここまでの結果をもとに視野闘争の過渡的な反応を脳計測におけるツールとして用い,色運動によって生じる脳反応についての検討を行った.運動の知覚に関する多くの先行研究が,運動方向の知覚はその大部分を輝度情報に依存していることを報告しているが,一方で,色のみが変化し輝度の変化を持たない視覚刺激においても運動の知覚が可能であることが知られている.電気生理による先行研究は,輝度に関する情報と色に関する情報とは網膜の光受容細胞のレベルで分離しており,大脳皮質上でも特に低次においては別々の経路で処理されることを報告している.しかしながら,輝度運動と色運動のいずれも同様の運動として知覚できることから,脳内のいずれかの段階でこれらの運動の統合が行われていると考えられる.これらの神経機構を明らかにする為には知覚と対応させた非侵襲計測が必要不可欠であるが,従来の手法では色運動に対する脳反応の計測が困難であった.第三章では視野闘争によって遅い潜時のMEG反応が強まることを示したが,本章ではこの反応を用いて色運動と輝度運動との関係を調べた.実験は,白と黒のパターンによって構成された輝度運動刺激と,輝度情報を含まない等輝度の赤と緑のパターンによって構成された色運動刺激とを用いた.心理物理実験の結果,輝度運動と色運動とで運動方向の角度差に対する闘争の知覚が明確に異なり,これらの運動は運動方向が融合されるよりも低次での処理が異なることが示された(図6).これらの刺激を用いて,視野闘争の過渡的な反応をMEG計測した結果を図7に示す.図より低次の反応が現れやすい早い潜時において,輝度運動と色運動との間に反応強度の差が見られた.一方で300ms以降の潜時では色運動は輝度運動と同様のRMS値の増幅を示しており,その活動源推定の結果からこれら2つの反応が同一であることが示唆された.以上より,色運動と輝度運動は運動方向の融合が起こるレベルまでは別々の経路で処理されているが,より高次においては共通の部位で処理されている可能性が考えられる.

第六章では,以上の実験をまとめた上での総合的な考察を述べた.第二章,第三章の結果から,運動方向の視野闘争処理過程が400ms以降の遅い潜時に存在することを心理物理実験とMEG計測との2つの側面から示した.これらの結果から運動方向の視野闘争知覚過程の階層的な処理構造が明らかとなった.第三章,第四章のMEG計測からは,視野闘争の過渡的な反応が,闘争する属性に関連する大脳の皮質部位における脳活動の強まりという形で現れることを示した.これと先行研究による定常状態の結果から,視野闘争の神経反応はまず神経細胞群の集団的な発火が生じた後に,細胞単位での優位か抑制かによる活動の変調が起きる事が示唆された.さらに第五章の色運動に関する結果から,視野闘争による反応を用いて,新しい切り口で脳計測が行いうることが示された.

図1: 実験に用いた運動方向の視野闘争刺激.闘争を知覚する場合と,融合し闘争を知覚しない場合とが確率的に変化する.

図2: 角度差に対する闘争を知覚する確率の変化の典型例.角度の増加に応じて闘争が知覚される確率が増加する.

図3: 典型的な被験者の闘争を知覚した場合と融合を知覚した場合とのRT計測の結果.白が闘争を知覚した場合,黒が融合を知覚した場合のそれぞれの潜時における頻度を現す.

図4: 典型的な一被験者におけるRMS値の時間変化.実線が闘争を知覚した場合,破線が融合を知覚した場合.300ms以降で闘争を知覚した場合の反応が強まっている.

図5: 闘争を知覚した場合と融合を知覚した場合とのRMS値の100msごとの時間平均の差.値は被験者間平均でエラーバーは標準誤差を現す.特に400ms以降の潜時において統計的に有意な差が認められる.(*p<0.05,**p<0.01)

図6: 左右眼に提示される運動方向の角度差に対する闘争を知覚する確率の変化.実線が輝度運動,破線が色運動を表す.輝度運動と色運動の闘争を知覚する特性は類似しているものの,その角度に対する特性は明確に異なっている.

図7: 視野闘争によって生じた反応の時間変化.実線が輝度運動,破線が色運動を現す.値は全被験者間の平均.早い潜時の反応において差が見られるが,300ms以降の潜時においては色運動は輝度運動と同様の反応の強まりを示した.

R Blake and N K Logothetis. Visual competition. Nat Rev Neurosci., 3(1):13-23, Jan2002.T J Andrews and C Blakemore.Integration of motion information during binocular rivalry. Vision Res., 42(3):301-309, Feb 2002.Jean-Michel Hupe and Nava Rubin. The dynaimcs of bi-stable alternation in ambiguous motion displays: a fresh look at plaids. Vision Res, 43(5):531-548, Mar 2003.F Tong, K Nakayama,J T Vaughan, and N Kanwisher. Binocular rivalry and visual awareness in human extrastriate cortex. Neuron, 21(4):753-759, Oct. 1998.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり,視野闘争について、心理物理計測とMEG(脳磁計)計測を同時に行い,その神経機構について検討している.

2つの異なる画像を左右眼に独立して提示すると,一方の刺激のみが優位に知覚され,他方の刺激は知覚されない.そして優位な知覚が数秒おきに自発的に交代し続ける知覚現象が起き、視野闘争と呼ばれている.第一章では,視野闘争の心理物理計測による先行研究の概要を述べるとともに,近年の非侵襲計測による実験結果についてまとめている.先行研究の殆どが視野闘争の定常的な反応のみについて調べおり、視野闘争中に知覚が交代する過程で生じる脳活動はいまだ明らかになっていない.本研究は,この視野闘争の過渡的な反応の解明を目指した.

第二章では,視野闘争の過渡的な特性を調べる基盤として心理物理計測を行った.視覚刺激は運動方向の視野闘争刺激を用いた.この刺激は,2つの運動が融合し闘争が知覚されない場合と、2つの運動方向のいずれかが知覚される場合が生じる.始めに運動方向の角度差を変化させて闘争を知覚する確率の変化を計測し,闘争を知覚する確率が50%となる角度差を被験者ごとに求めた.次に求めた角度差をもつ視野闘争刺激を用いて,単一方向の運動を知覚するために要する反応時間(RT)計測を行い,闘争を知覚する場合と,融合を知覚する場合との時間特性の違いを検証した.その結果,闘争を知覚する場合は融合を知覚する場合に比べてRTが統計的に有意に遅くなることが示され,この差は闘争の過渡的な処理過程によって生じたものと推定した.

第三章では,第二章の心理物理実験で得られた結果に基づいた実験手法によって,視野闘争の過渡的な反応のMEG計測を行った.実験は,運動方向の視野闘争を引き起こすオンセット刺激を用いた.得られたMEGの計測結果と心理物理計測の結果を,闘争が知覚された場合と融合が知覚された場合とに分類し、100msごとのRMS値の時間平均を求めその差を計算した.その結果,400ms以降の遅い潜時のRMS (二乗平均平方根)値の時間平均が,視野闘争の知覚交代によって統計的に有意に強まることが確認され,視野闘争を知覚する過渡的な状態において脳活動が活性化されることが示された.

第四章では,第三章で得られた結果をふまえ,実験に用いる視覚刺激を縞模様の方位,色,運動方向の3つに拡張しMEG計測を行った.その結果,縞模様の方位の視野闘争刺激に対する活動源は頭頂付近に,色についてはIT野付近に,そして運動方向についてはMT野付近に推定された.以上より,視野闘争の過渡的な反応は定常的な反応と同様に,闘争を生じさせた視覚属性の処理を行っているとされている皮質部位において強まることが確認された.非侵襲計測による先行研究では,顔と家のような複数の視覚属性間での闘争においてのみ高次の視覚反応が計測されているが,本研究では単一の視覚属性についての闘争を生じさせることによって,非侵襲的な計測が困難とされる色反応をも計測することに成功した.

第五章では,色運動によって生じる脳反応についての検討を行った.多くの先行研究の大部分が輝度情報に依存した運動方向の知覚を研究しているが,色のみが変化し輝度の変化を持たない視覚刺激においても運動の知覚が可能であるが,ほとんど研究されていない.実験は,白と黒のパターンによって構成された輝度運動刺激と,輝度情報を含まない等輝度の赤と緑のパターンによって構成された色運動刺激とを用いた.低次の反応が現れやすい早い潜時において,MEG反応に,輝度運動と色運動に対する反応強度の差が見られた.他方、300ms以降の潜時では、2つの反応は同様のRMS値の増幅を示しており,その活動源はほぼ同一であることが判明した.よって,色運動と輝度運動は初期過程では別々の経路で処理されているが,より統合などの高次処理においては、共通の部位で処理されている可能性が示唆された.第六章では,総合的な考察を述べている.

本論文は,脳内における運動方向の視野闘争処理過程が、400ms以降の遅い潜時に存在することを心理物理計測とMEG計測との2つの側面から示し、運動方向の視野闘争知覚過程の階層的な処理構造を明らかにした.また、MEG計測から、視野闘争の過渡的な反応が闘争する視覚属性に関連する大脳の皮質部位における脳活動の増強という形で現れることを示した.以上のように、本論文は、心理学分野において長く多くの研究がなされてきた視野闘争に関して、心理物理的計測とMEG計測を組合わせることにより、その神経機構の動的過程に新たな解釈を加えることに成功した。したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/7056