学位論文要旨



No 121597
著者(漢字) 朝倉,大輔
著者(英字)
著者(カナ) アサクラ,ダイスケ
標題(和) 高エネルギー分解能逆光電子分光法の開発およびレーザー付加光電子分光による銅酸化物高温超伝導体の研究
標題(洋) Development of high-energy-resolution inverse-photoemission spectroscopy and laser accompanied photoemission spectroscopy of high-Tccuprates
報告番号 121597
報告番号 甲21597
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第179号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 溝川,貴司
 東京大学 助教授 江尻,晶
 東京大学 教授 柿崎,明人
 東京大学 教授 武田,常廣
 東京大学 教授 藤森,淳
内容要旨 要旨を表示する

銅酸化物高温超伝導体は、従来の超伝導体と比べ非常に高い超伝導転移温度を持ち、基礎科学と応用の両面において世界中で数多くの研究がなされてきた。銅酸化物高温超伝導体の母物質は、単位格子内に超伝導の舞台となる1枚以上のCuO2面を持つ反強磁性Mott絶縁体である。Mott絶縁体とは、遷移金属酸化物における遷移金属元素のd電子が各サイト間で非常に強い電子相関を持ち、互いに反発し合い局在することにより電気伝導性を失っている物質群である。この母物質に対し、化学置換などによりホールあるいは電子をドーピングすることにより高温超伝導が発現する。これまでの様々な理論的、実験的研究により銅酸化物系ではCuO2面内において、従来の超伝導体と大きく異なるd波(dx2-y2)の対称性を持つ異方的超伝導が起きていることがわかっている。

近年、固体の占有電子状態を直接観測できる光電子分光、特に、運動量空間各点ごとに占有電子状態を調べることができる角度分解光電子分光の発達により、銅酸化物高温超伝導体のフェルミ準位近傍でのバンド分散やフェルミ面形状が明らかになってきている。また、光電子分光のエネルギー分解能は数meV程度まで到達し、数十〜百meV程度の大きさを持つ占有状態側の超伝導ギャップの直接観測も可能になってきている。その一方で、固体の非占有電子状態を調べる逆光電子分光のエネルギー分解能は200meV程度であるため、フェルミ準位近傍の非占有状態は明 らかになっていない。高温超伝導の起源を解明するには、占有状態に加えて非占有状態の電子構造がどのようになっているか調べることが鍵となっている。また、銅酸化物以外の様々な物質においても、その物性を議論する上でフェルミ準位近傍の非占有状態を観測することは非常に重要である。

逆光電子分光は、固体に電子線を入射しその電子が非占有状態に落ち込むときに放出する真空紫外線を分光することにより、非占有状態を観測する実験手法である。しかし、入射電子線やバンドパス型紫外光検出器などのエネルギー幅が大きいため、また、光電子分光に比べ逆光電子分光の測定効率が5桁程度低いため、現在、逆光電子分光のエネルギー分解能は200meV程度に留まっている。我々はこの状況を解決すべく、新しいアイデアに基づいた高エネルギー分解能逆光電子分光装置の開発を行った。エネルギー分解能の目標値は既存のものより約一桁高い0meVである。

この逆光電子分光装置は主に位置分解型検出器、分光器、エネルギー分析器付きの電子銃から成る。エネルギー分析器によって入射電子線に生じたエネルギー分散をそのまま利用することにより、放出された光の強度を下げることなく高い分解能を得ることができる。検出器上のある1点に到達する光は、試料表面上において150meV/mmのエネルギー分散を持つ。もし、入射電子線のエネルギー分散が150meV/mmにマッチングしていれば、試料のあらゆるところから放出された光は、検出器上のある1点において1つの終状態に落ち込む。つまり、電子線にエネルギー分散を持たせ、分光器による光のエネルギー分散とマッチングさせることにより、お互いの分散を補償させる。この「エネルギー分散のマッチング(dispersion matching:図1)」という原理が本装置の最大の特色である。エネルギー分解能は、マッチングしたエネルギー分散150meV/mmに、検出器の位置分解能0.2mmを掛けた30meVとなる。

分光器である凹面型回折格子、試料、検出器はOff-plane Eagle型(図2)に配置した。この光学配置により試料表面上に生じる光のエネルギー分散は150meV/mmである。一方、電子線に150meV/mmのエネルギー幅を持たせるために、我々は平行平板型分析器付きの電子源を自作した。まず、BaOカソードから放出された熱電子を電子レンズで平行ビームに整形し、45°の角度、幅0.2mmの入口スリットを通過させてから平行平板間に入射させる。45°で入射した電子線は、平行平板間に掛かっている電圧により放物軌道を描き、12eVの運動エネルギーを持つもののみ45゜の角度で出口スリットを通り試料に照射される。このとき、出口スリットに近づけた試料表面上に生じるエネルギー分散は150meV/mmとなる。般に、真空紫外領域での逆光電子分光においては試料に1〜5μAの電流が必要とされているが、本装置では1μA程度の試料電流を達成している。

検出器はエネルギー分散の方向に沿って一次元的な位置分解を行う。検出器のある点に到達した紫外光はマルチチャンネルプレートによって電気信号に変換され、その直後にあるチェーンアノードの両端から2つのパルス信号が生ずる。この2つのパルスの波高比が位置、即ち光のエネルギーの情報を与える。パルスは増幅器を経由してLabVIEWで開発された測定プログラムによって計測される。

これまでAu、Nb、銅酸化物高温超伝導体Bi2Sr2CaCu2O8(Bi2212)に対し、入射電子の運動エネルギーを占有状態に向かって掃引しながら200meVステップで検出器上の信号を位置積分した(検出器からのパルス信号に乗るノイズが大きく、位置分解ができていないため)測定を行ったところ、いずれの試料もフェルミ準位と思われる付近から強度が減少した(図3)。現段階で30meVのエネルギー分解能には到達していないが、検出器からのノイズを適切に除去できれば分解能の向上が期待される。

近年、銅酸化物高温超伝導体の属する:遷移金属酸化物においても、半導体デバイスなどと同様に様々な薄膜が作成され研究が進められている。なぜなら、遷移金属酸化物は半導体とは異なり高温超伝導や、巨大磁気抵抗、金属絶縁体転移などの多様な物性の宝庫となっているからである。薄膜はバルク試料と異なり界面で基板との格子不整合が生じるため、新たな物性を示すことが多々ある。また、超薄膜や超格子では、数原子層で結晶が構成されるため3次元性が弱まる。これらの特性を利用し、人工的に物性を制御し新たなデバイスを創出することが試みられているが、遷移金属酸化物はもとより半導体接合においても、界面の電子状態は不明な点が多い。一般的に用いられる紫外から軟X線領域の光電子・逆光電子分光が、表面から数層の電子しかプローブできない表面敏感な手法であるために、界面付近での電子状態を調べられないことがその一因である。

我々は、光キャリア注入現象が生じるYBa2Cu3Oy/SrTiO3:Nb (YBCO/STO:Nb)薄膜に対し、パルスレーザー紫外光を組み合わせたX線光電子分光(レーザー付加光電子分光)を行い、その界面の情報を得ることに成功した。光キャリア注入とは、Nbが少量ドープされたTi酸化物基板内において光励起により価電子帯に生じたホール(フォトホール)が、銅酸化物高温超伝導体のYBCO、金属絶縁体転移が起きるVO2、巨大磁気抵抗を示すLa1-xSrxMnO3(LSMO)などの薄膜側に注入される現象である。通常、YBCOでは試料を合成する時点で酸素の量を調節し、LSMOにおいてはLaからSrへ化学置換することによりホール濃度を制御している。これに対し、光キャリア注入では紫外光照射によって可逆的にホールを出し入れすることが可能で、光強度を変えることによりある範囲内でホール量を制御することもできる。いずれの薄膜においても、フォトホールの注入により抵抗率が減少する。YBCO薄膜においては、アンダードープ領域において光キャリア注入により超伝導転移温度が5K上昇することが報告されている。

この試料に対し、STO:Nbのバンドギャップより大きいエネルギーである3.5eVの紫外パルスレーザー光を照射しながらX線光電子分光(XPS)を行った。その結果、30Hzのレーザー照射によってYBCOの内殻光電子スペクトルが0.8eV程度、高結合エネルギー側にシフトした。このシフトは、光照射によりSTO:Nb基板からYBCO薄膜にホールが注入されて生じる光起電力に相当するものと考えられる。また、パルスレーザーの強度と周波数に対するシフト量の変化も調べた。我々の用いたレーザーの強度の範囲では、シフト量の変化は見られなかった。これは、すでに報告されている光起電力の光強度依存性の結果と比較しても矛盾しない。光強度が十分強いため、光起電力が飽和しているものと考えられる。レーザーの周波数を1〜30Hzまで変化させた場合、明らかにシフト量が周波数に依存していることがわかった(図4)。これはYBCO薄膜に注入されたホールの寿命を示唆するものと考えられる。現象論的なモデル解析を行った結果、パルスが当たった直後の光起電力の緩和時間は30msであった。この緩和時間はフォトホールの寿命に対応すると考えられる。また、連続光を用いた場合の光起電力は1.2Vと見積もることが出来た。

本研究では、高エネルギー分解能逆光電子分光装置を開発し、高温超伝導の起源を探る鍵となっている銅酸化物の非占有状態の観測を試みた。目標の分解能には到達していないが、占有状態に向かって強度が減少していることが確認できた。また、光キャリア注入現象を起こすYBCO銅酸化物薄膜に対してレーザー付加光電子分光を行った結果、表面敏感なXPSが本来プローブできない界面電子状態の情報を得ることができた。光起電力の周波数依存性が観測され、膜に注入されたフォトホールの寿命も見積もることができた。

図1:Dispersion matching概念図

図2:Off-plane Eagle配置

図3:Bi2212の逆光電子スペクトル。横軸がエネルギーに対応しており、占有状態に向かって強度が減少している。

図4:YBCO薄膜のBa3d5/2内殻光電子スペクトル。レーザーの周波数を上げると、光起電力に相当するシフト量も増大する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり、第1章で研究の背景、研究の目的、論文全体の構成を簡単に述べた後、第2章で研究対象の高温超伝導銅酸化物について関連する研究の流れを整理して、論文提出者の研究動機を挙げている。特に、高温超伝導の機構を解明する上で、電子で占められていない状態(非占有状態)を詳細に調べることの重要性が指摘されている。また、価電子帯に導入されたホールの寿命についての情報が重要であることを指摘している。第3章では研究手法である光電子分光および逆光電子分光について、実験装置の原理を解説している。光電子分光では電子の占有状態が観測され、逆光電子分光では電子の非占有状態が観測されることを簡潔に解説している。本論文の中心は、第4章および第5章である。第4章では、銅酸化物高温超伝導体の非占有状態を研究する手法として、分散マッチングを利用した高エネルギー分解能逆光電子分光の開発の結果がまとめられている。従来の逆光電子分光では、試料に照射する電子線のエネルギー幅がエネルギー分解能の改善に対して障壁となっていた。論文提出者は、逆光電子スペクトルは入射する電子線と観測する光子のエネルギー差についてのスペクトルであることに着目し、入射する電子線にエネルギー分散を与え、電子線のエネルギー分散と観測する光子のエネルギー分散をお互いに補償させることによってエネルギー分解能を改善することを試みた。入射する電子線については、平行平板型電子線エネルギー分析器を用いて、試料に入射する電子線にエネルギー分散を与える。試料から放出された光子については、凹面回折格子を用いたoff-plane Eagle配置によって分光を行い、この光学系による光子のエネルギー分散が、入射電子のエネルギー分散を相殺する分散マッチング型の設計になっている。このとき、エネルギー分解能は、光子の検出器の空間分解能によって決定され、当装置のエネルギー分解能は30meVとなるように設計されている。残念ながら、検出器のゲインが低いためにノイズに埋もれかかっている信号を十分な分解能で波高分析を行うことができないという問題が生じた。その結果、検出器において十分な空間分解能が得られず、分散マッチングを利用してエネルギー分解能を向上させることに成功しなかった。論文提出者は、分散マッチングのメリットのない状態で標準試料および高温超伝導体の測定を行い、それらの試料の非占有状態を観測した。非占有状態の詳細を観測するという目標は達成できていないが、新しい仕組みに基づく逆光電子分光装置を試作し、実際にスペクトルを測定したことは評価される。さらに、論文提出者は、電子源の性能と光子の検出について上記の諸問題を詳しく解析し、逆光電子分光の高分解能化へのステップとなる貴重な研究成果を挙げた。

本論文の第5章は、光キャリアー注入によって基板のNbドープSrTiO3から銅酸化物高温超伝導体薄膜に注入されたホールの寿命を、光電子分光による光起電力測定によって計測した研究である。論文提出者は、レーザーを光電子分光装置に付設することにより、レーザー照射で光キャリアー注入された状態の光電子分光測定を行った。その結果、キャリアーの寿命は40msec程度という非常に長いものであることが分かり、高温超伝導体の電子状態の異常性さを際立たせる実験結果となった。光電子分光を用いて非接触で界面の光起電力を測定した初めての研究例であり、高温超伝導体をベースとした薄膜材料の電子状態解明に大きく貢献する研究結果である。このレーザー付加光電子分光の実験は、光電子分光を応用した表面・界面での計測法について、新しい可能性を拓くものである。

第6章では、第4章、第5章で得られた結果をまとめ、今後克服するべき問題点を整理している。

なお、第4章は藤井靖大氏、第5章は、田久保耕氏、 J.W.Quilty氏、村岡祐次氏、廣井善次氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって装置作成、実験、解析を進めたものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上の理由から、論文提出者に博士(科学)の学位を授与できると認める。

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