学位論文要旨



No 121599
著者(漢字) 尾崎,隆
著者(英字)
著者(カナ) オザキ,タカシ
標題(和) 脳機能画像を用いた視覚的注意に関する研究
標題(洋) Study on visual attention using functional neuroimaging techniques
報告番号 121599
報告番号 甲21599
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第181号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,常広
 東京大学 教授 山本,博
 東京大学 助教授 高橋,成雄
 小川脳機能研究所 所長 小川,誠二
 千葉大学 教授 外池,光雄
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背景

「注意とは何であるかは誰でも知っている」とは19世紀の著名な哲学者・心理学者であったW.Jamesの言葉であるが(James,1890)、科学的方法論に基づく注意の研究が進んできたのはここ30年ほどのことである。

認知心理学の分野では視覚における注意(以下「視覚的注意」と呼ぶ)の効果を測定する実験法としてNeisserの「視覚探索法」が長年に渡って広く用いられてきたが(Neisser,1964)、近年はPosnerの「空間的手掛かり法」がその簡便さから広く用いられるようになってきた(Posner,1980)。空間的手掛かり法はサルを用いた神経生理学的研究や90年代末から発展の著しいヒト脳機能画像を用いた認知神経科学的研究でも盛んに利用され、大きな成果を挙げ続けている。

視覚的注意とは「ヒトの視覚情報処理を興味あるものとないものとに選別し、興味あるものの処理を促進して興味ないものの処理を抑制する」ものに他ならない。注意は例えば興味ある視覚刺激に対する反応時間を短縮させ、正答率を向上させる。また、注意は能動的な要素と受動的な要素とに分けられ、サル神経生理学的研究やヒト脳機能画像を用いた研究により能動的注意によって視覚情報処理を司る視覚野(大脳後頭葉)の特定の脳活動が増強し、また背側の後部頭頂葉・前頭葉に能動的注意に関連する脳活動が見出されている。また、受動的注意を誘発される条件下では腹側の後部頭頂葉・前頭葉に脳活動が見られると報告されている(Corbetta & Shulman,2002)。

これらの知見をはじめとして、現在も様々な角度から視覚的注意という高次脳機能の特性とその神経基盤に関する研究が続けられているが、これまでの研究では関与する脳部位が多岐に渡る事実を明らかにしただけであり、いわゆる機能局在論的研究に留まっている。

本研究では、時間分解能に優れ脳活動の時系列推移を捉えやすいMEG(脳磁図)と空間分解能に優れ脳活動の空間的分布を捉えやすいfMRI(機能的MRI)という2種類の脳機能画像手法を用いて広範囲にまたがって分布する視覚的注意に関与する脳部位が相互にどのようなネットワークを形成しているかを同定し、さらにはその活動の時系列を定量的に同定することで、視覚的注意の発現に関わる脳内ネットワークの実態を解明することを目的とした。本研究は大きく3つの部分より成り立っている。以下それぞれの内容について説明する。

研究(1):MEGとfMRIを用いた能動的視覚的注意に関連する脳活動の時系列に関する統合的な研究

この研究においては、典型的な空間的手掛かり課題遂行時において、特に能動的注意を発現している際のヒトの脳活動の空間的分布と時系列推移の双方を、被験者ごとに分析することで解明することを目的とした。

被験者は健常成人6名、脳機能画像実験には440チャネル全頭型MEG装置(横河電機PQ244OR、MEG実験)と3.0テスラ頭部専用型MRIスキャナ(独Siemens Magnetom Allegra、fMRI実験)を用いた。実験課題は典型的なPosnerの空間的手掛かり課題とし、能動的注意を促す手掛かり(cue)提示に喚起される脳活動を計測した。

fMRI実験の結果は、能動的注意の発現に関連して視覚野底部・背側後部頭頂葉・背側前頭葉に脳活動が生じることを示した。一方、fMRI実験の結果を踏まえてMEG実験のデータ解析を行ったところ、cue提示後100-130msに視覚野で、200-270msに背側前頭葉で、また130-400msの潜時帯に反復して背側後部頭頂葉で活動が生じていることが推定された。

本結果は、能動的注意の発現に関与する脳内ネットワークが実際に存在する可能性を示した。頭頂葉の活動が反復して見られるという実験事実は、この領野が情報の分配を行う「ハブ」の役目を担っている可能性を示唆している。

研究(2):能動的注意の視空間情報に依存する背側前頭葉のトポグラフィー的な脳活動

研究(1)では能動的注意の発現に背側頭頂・前頭ネットワークが強く関与していることと、その活動の詳細な時系列推移を明らかにした。その一方で、高次脳機能領野とされる頭頂葉や前頭葉が実際にどの程度視空間情報に依存した処理を行っているかは未だはっきりとしていない。研究(2)においては、背側前頭葉が実際に視空間情報に依存して活動するかどうかを調べた。

被験者は健常成人11名、fMRI実験には3.0テスラ頭部専用型MRI装置(独Siemens Magnetom Allegra)を用いた。実験課題には、視野中心からの距離が左右それぞれ2通りに分かれた4つの視覚刺激を用いた空間的手掛かり課題の発展型を用い、能動的注意を4ケ所それぞれに向けた時の脳活動を計測した。

その結果、能動的注意を向ける空間的位置を変化させるにつれて連続的に対応する部位が変化していく、「トポグラフィー」様の脳活動が両側の中心前溝と上前頭溝の前部に見られた。トポグラフィー様の脳活動は、過去の研究では単純な視覚刺激に関して後頭葉・頭頂葉で見出されていたが、このような高次の視覚認知に関連する課題において前頭葉で示された例はない。この結果は背側前頭葉が能動的注意の発現に当たって、視覚入力で得られた空間的情報を直接利用している可能性を示していると考えられる。

研究(3):注意と反応の切り換えにおける共通する脳活動と、独立な脳活動が形成するネットワークに関する研究

研究(1,2)では能動的注意の発現に関わる脳内ネットワークの特性を詳細に明らかにした。一方で、受動的注意に関連する「注意の切り換え」に関わる脳内ネットワークも存在するとされるが、一般に注意の対象が切り換わる際には行動も切り換わる(眼球の向き、手足の反応する対象、体の進む向きなど)ことから、注意そのものの切り換えと反応行動の切り換えの両者を区別することが困難である。研究(3)においては、この注意と反応の切り換えとで共通する脳活動と互いに独立する脳活動のそれぞれを同定し、それぞれがどのようなネットワークを形成するかを調べた。

被験者は健常成人10名(反応の切り換え実験)及び6名(注意の切り換え実験)、fMRI実験には3.0テスラ頭部専用型MRI装置(独Siemens Magnetom Allegra)を用いた。実験課題には典型的な空間的手掛かり法を用いた。ただし、反応の切り換え実験では両手ボタン押し課題とし、注意の切り換え実験では右手ボタン押し課題とした。また研究(1,2)とは異なり、能動的注意を左右視野に向けた後で反対側に現れた刺激に対して反射的に反応する際の脳活動を抽出して解析した。

その結果、2つの条件で両側の腹側頭頂葉・背側前部頭頂葉および右半側の腹側前頭葉に共通して脳活動が見られた一方で、反応の切り換え時の場合にのみ左半側の腹側前頭葉にも脳活動が見られた。この事実は注意・反応双方の切り換えには能動的注意の場合(背側)とは異なり腹側の頭頂葉・前頭葉とで形成されるネットワークが共通して関与している可能性を示す一方で、腹側前頭葉に関しては右半球のみが注意の切り換えに重要で、左半球は反応の切り換えにしか関連した活動を生じなかったことから運動の実行にのみ関与する可能性が考えられる。

考察とまとめ

研究(1)では能動的注意のコントロールに関わる脳活動が視覚野→背側後部頭頂葉→背側前頭葉と伝わる様子を定量的に明らかにし、また頭頂葉が情報を分配するハブの役割を果たしている可能性を示した。このことから、この背側頭頂・前頭ネットワークが非常に短時間の間に次々と情報を交換し、共有することで能動的注意を発現させていることが推測される。研究(2)では実際に背側前頭葉が視覚野から上がってきた視空間情報を能動的注意のコントロールに利用している可能性が示されており、この仮説を支持している。

一方、研究(3)では注意の切り換えに関わる腹側頭頂・前頭ネットワークの存在が示され、反応行動の制御にも寄与している可能性も示された。

本研究により、視覚的注意の主要な要素である能動的注意・受動的注意の両者それぞれに固有の広範囲に渡る脳内ネットワークが割り当てられ、各々のコントロールに関与していることが示唆された。従来の研究では視覚的注意の発現にはある特定の脳内部位が関与する・しないという議論がなされてきたが、本研究は広範囲に分布するネットワークの空間的・時系列的特性という観点からこれらの脳活動を解析し、注意の研究にこの研究手法が有益であることを示した。

Corbetta M.& Shulman G.Control of goal-directed and stimulus-driven attention in the brain. Nat.Rev.Neurosci.3:201-213(2002).James W.The principles of psychology.(1890)in GreatBooks of the Western World(eds Hutchins, R.M.)Encyclopedia Britannica,Chicago(1952).Neisser U.Visual search. Sci.Am.210:94-102(1964).Posner M.I. Orienting of attention. Quarter:J.Exp.Psychol.32:3-25(1980).
審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり,MEG計測(脳磁計側)とfMRI計測(機能的磁気共鳴脳断層計測)を並行して行うことにより,人間の注意の神経機構を検討している。

第一章では,本研究の背景と目的を明らかにしている。注意は能動的な要素と受動的な要素とに分けられ、サル神経生理学的研究やヒト脳機能画像を用いた研究により、能動的注意は視覚情報処理を司る視覚野の活動を増強し、背側の後部頭頂葉・前頭葉も活動させることが知られている。また、受動的注意は腹側の後部頭頂葉・前頭葉を活動させると報告されている。しかし、これまでの研究では関与する脳部位を明らかにしただけであり、いわゆる機能局在論的研究に留まってきた。本研究では、時間分解能に優れたMEGと空間分解能に優れたfMRIという2種類の脳機能画像手法を用いて、広範囲に分布する視覚的注意に関与する脳部位が、どのようなネットワークを形成し活動するかを定量的に解析して、視覚的注意の発現に関わる脳内活動の実態を解明した。

第二章では,能動的注意を発現している際のヒトの脳活動の空間的分布と時系列推移の双方を、被験者ごとに分析した。被験者は健常成人6名、脳機能画像実験には440チャネル全頭型MEG装置(横河電機PQ244OR)と3.0テスラ頭部専用型MRI(独Siemens Magnetom Allegra)を用いた。実験課題は典型的なPosnerの空間的手掛かり課題とし、能動的注意を促す手掛かり(cue)提示に喚起される脳活動を計測した。

fMRI実験の結果は、能動的注意の発現に関連して視覚野底部・背側後部頭頂葉・背側前頭葉に脳活動が生じることを示した。一方、fMRI実験の結果を踏まえてMEG実験のデータ解析を行ったところ、cue提示後100-130msに視覚野で、250ms前後に背側前頭葉で、また130-340msの潜時帯に反復して背側後部頭頂葉で活動が生じていることが推定された。本結果は、能動的注意の発現に関与する脳内ネットワークが実際に存在することを示した。頭頂葉の活動が反復して見られるという実験事実は、この領野が情報の分配を行う「ハブ」の役目を担っている可能性を示唆している。

第三章では,背側前頭葉が視空間情報に依存して活動する様子を調べた。被験者は健常成人11名、fMRI実験には3.0テスラ頭部専用型MRI装置を用いた。実験課題には、視野中心からの距離が左右それぞれ2通りに分かれた4つの視覚刺激を用いた空間的手掛かり課題の発展型を用い、能動的注意を4ヶ所に向けさせた時の脳活動を計測した。

その結果、能動的注意を向ける空間的位置を変化させるにつれて対応する部位が連続的に変化していく、「トポロジー」様の脳活動が背側前頭葉に見られた。トポロジー様の脳活動は、過去の研究では単純な視覚刺激に関して後頭葉・頭頂葉で見出されていたが、このような高次の視覚認知に関連する課題において前頭葉で示された例はない。

第四章では,受動的注意に関連する注意の切り換えに関わる脳内ネットワークについて調べた。被験者は健常成人10名(反応の切り換え実験)及び6名(注意の切り換え実験)、fMRI実験には3.0テスラ頭部専用型MRI装置、実験課題には典型的な空間的手掛かり法を用いた。

その結果、2つの条件で両側の腹側頭頂葉・背側前部頭頂葉および右半側の腹側前頭葉に共通して脳活動が見られた一方で、反応の切り換え時の場合にのみ左半側の腹側前頭葉にも脳活動が見られた。この事実は注意・反応双方の切り換えには能動的注意の場合(背側)とは異なり腹側の頭頂葉・前頭葉とで形成されるネットワークが共通して関与している可能性を示す反面、腹側前頭葉に関しては右半球のみが注意の切り換えに重要で、運動の実行にのみ関与する可能性が示唆された。

第五章では以上3つの実験結果について考察した。第1の実験から、能動的注意のコントロールに関わる脳活動が視覚野→背側後部頭頂葉→背側前頭葉と伝わる様子を定量的に明らかにし、また頭頂葉が情報を分配するハブの役割を果たしている可能性を示し、この背側頭頂・前頭ネットワークが非常に短時間の間に次々と情報を交換・共有することで能動的注意を発現させていることを推測した。実験2から、背側前頭葉が視覚野から上がってきた視空間情報を能動的注意のコントロールに利用している可能性を推定した。一方、実験3から注意の切り換えに関わる腹側頭頂・前頭ネットワークの存在と、反応行動の制御への寄与の可能性を推定した。第六章では,以上3つの実験のまとめと結論および今後の課題を述べている。以上、本研究はMEGとfMRIという最新の非侵襲脳機能計測法を用いて、人間の注意の脳内ダイナミクスを初めて定量的に計測したという、極めて先進性の高い結果を示したので、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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