学位論文要旨



No 121604
著者(漢字) 影山,俊一郎
著者(英字)
著者(カナ) カゲヤマ,シュンイチロウ
標題(和) マウス卵形成及び初期発生期における遺伝子発現制御機構の解明
標題(洋) Mechanism of the transcriptional regulation during oogenesis and preimplantation development in mice.
報告番号 121604
報告番号 甲21604
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第186号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 青木,不学
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 講師 尾田,正二
内容要旨 要旨を表示する

序論

同一個体において、全ての細胞は同じゲノムを有しながら様々な形態、機能を呈する。この細胞の多様性はそれぞれの細胞が異なるパターンで遺伝子発現を行うことに起因しており、体細胞では細胞分裂後も同じ遺伝子発現パターンが維持されることによって、同じ性質を保った細胞が生み出される。一方、卵形成・受精・初期発生の過程では、高度に分化した細胞である卵(生殖細胞)から全能性を持った細胞(受精卵)へと切り替わる。さらに発生の進行に従い多様な細胞が生み出され、新しい個体を形成していく。この過程では、それまでの遺伝子発現パターンは打ち消され、新たな遺伝子発現パターンを獲得していくことが必要とされる(図1)。

受精卵は生命の出発点といえ、その切り替わりを制御する遺伝子発現制御機構は大変興味深い現象であり、クローン動物作成や再生・生殖医療といった応用面からも注目を集めている。しかしながら、これまでの受精卵での遺伝子発現制御の研究は、導入された外来遺伝子の発現解析を元にしたものがほとんどであり、受精卵で実際に発現する遺伝子やそれを制御する機構についてはほとんど知見が得られていない。以上のことを踏まえ、まず私は新生RNA単離法により受精卵で発現する遺伝子を同定した。さらに生殖細胞から受精卵にかけて遺伝子発現を制御することのできるエビジェネティック因子の変化について明らかにし、これらの情報を用いて受精卵での遺伝発現制御機構の解明を行った。

結果と考察

マウス受精卵で発現する遺伝子発現プロファイルの決定

受精卵での遺伝子発現制御機構を解明するためには、まず実際に受精卵で発現している遺伝子やその制御領域を明らかにすることが必須である。しかし、受精卵には大量の生殖細胞由来mRNAが蓄積されており、これが受精卵で新しく転写される遺伝子の解析を困難なものとしていた。本研究では受精卵で新生されるmRNAのみを単離、同定し、受精卵での遺伝子発現制御について考察した。

新生されるRNAのみを単離するため、以下のような手法を考案した。(1)受精後の初期胚にBrUTPを導入し、(2)合成途中のmRNAに取り込ませることにより新生mRNAをBrUで標識する。(3)初期胚から全RNAを回収後、(4)抗BrU抗体を用いた免疫沈降法によって新生されたmRNAのみを単離し、(5)それを解析することにより受精後の遺伝子発現プロファイルを決定する(図2)。以上の手法を用いて受精卵で新生される遺伝子を単離し、マイクロアレイを用いて同定したところ、これまでの報告に加え、新たに54の遺伝子の発現が確認できた。

マウス受精卵における転写因子の網羅的解析

転写因子は、筋細胞におけるMyoDや神経細胞におけるHESのように転写因子が各細胞の性質を決定付けるのに重要な役割を担っていることが知られており、生殖細胞から受精卵への変化という過程で発現する転写因子を正確に把握することは重要な意味を持つ。そこで私はマウス転写因子を網羅したDNAchipを用いたマイクロアレイを行い、生殖細胞としての転写が行われている成長期卵、受精卵として転写が開始される1細胞期胚、転写活性が大きく上昇することが報告されている2細胞期胚、分化が開始される胚盤胞胚を対象とし、解析を行った。

その結果、各時期において特異的に発現する転写因子が明らかとなり、さらに転写因子群の変化を比較した結果、生殖細胞から1細胞期にかけてよりむしろ1細胞期から2細胞期にかけての変化が顕著であった(図4a)。また各転写因子の持つ機能・構造に着目した解析およびingenuity pathways analysis(IPA)によるシグナル経路の解析を行った。その結果、癌化に関与する遺伝子が受精後に大きく増加していた(図4b)、なかでもEtsファミリーに属する転写因子群の大幅な増加が引き起こされるという興味深い知見が得られた。特にEtsファミリー転写因子は先の実験により受精卵で発現する遺伝子の発現制御領域に多く見られた転写因子でありこの時期の遺伝子発現に重要な役割を果たしていることが強く示唆された。

マウス受精卵におけるDNAメチル化、ヒストン修飾の変化

次に生殖細胞から受精卵にかけてDNAメチル化、ヒストン修飾の変化について調べた。DNAメチル化やヒストン修飾は特定の制御領域に付加されることにより遺伝子発現の活性化や抑制に関わることが知られている。この修飾は世代を越えて維持されており、これにより細胞分裂後も同様の遺伝子発現パターンを維持することができると考えられている。

しかし、受精前後のように分裂に従い新たな性質を持つ細胞が生み出されていく過程ではこれらの修飾が大きく書き換えられていることが予想される。そこで免疫染色法を用い、卵形成から初期発生にかけてゲノム全体に対するヒストン修飾、DNAメチル化について修飾量の変化を免疫染色法により調べた。その結果、2細胞期におけるDNAメチル化の低下など、受精卵由来の転写の活性化に従っていくつかの修飾がゲノムレベルで大きく変化すること等が確認できた。そしてこれらの修飾の変化はそれぞれ異なった時期に起こることが明らかとなった(図4)。この結果より、卵形成、初期発生にかけての遺伝子発現制御機構の切り替えはそれぞれ異なったエビジェネティック因子の変化によって引き起こされていることが示唆された。

Etsファミリー転写因子の受精卵での機能解析

これまでの実験結果により受精卵でEtsファミリー転写因子群が増加し、さらに実際に受精卵で発現する遺伝子がEtsファミリーにより制御されていることが示唆された。そこで、受精卵で働いていることが示唆されたEtsファミリー転写因子のうち1細胞期胚から2細胞期胚にかけて強く発現していた、Etsrp71、Spic、Elf3をRNAiにより抑制しその働きを検証した。その結果それぞれの遺伝子の抑制により2細胞期以降の発生が阻害され、受精卵での遺伝子発現への関与が確認された(図5a,b)。また、これら3つの遺伝子を同時に抑制した結果さらに顕著な阻害効果が確認されこれらの遺伝子が相補的に、あるいは別経路で働いていることが示唆された。

結論

本研究では受精卵での遺伝子発現制御機構の解明を目的とし、研究を行った。まず実際に受精卵で発現する遺伝子を同定するために新生RNA単離法を開発した。そして、これを用いて受精卵で発現する遺伝子のプロファイルを得、その制御領域について考察した(1)。次に生殖細胞から受精卵にかけて発現する転写因子を明らかにし、その結果、転写因子は1細胞期から2細胞期にかけて大きく切り替わること、受精後にEtsファミリー転写因子を含む癌化に関与するシグナルが活性化されていることなどを見出した(2)。また、卵形成から初期発生にかけてヒストン修飾、DNAメチル化がゲノムワイドに変化していることも確認された(3)。このような解析結果から受精卵でのEtsファミリー転写因子の働きが強く示唆され、RNAiによる抑制を行い、受精卵での働きを検証した。その結果、Etsファミリーに属する転写因子群が受精卵での遺伝子発現やその後の発生に重要な役割を担っていることが明らかになった(4)。

受精卵での遺伝子発現制御機構はその重要性や生物学的意義にも関わらず、これまでほとんど明らかにされていなかった。本研究では新たに確立した手法をもとに受精卵で発現する遺伝子を決定し、その制御機構を明らかにした。受精卵での遺伝子発現制御機構の解明は生命最初の転写、あるいは分化した細胞から全能性を持った細胞への切り替え機構の解明という基礎研究に寄与し、今後の応用研究に役立つことが期待される。

図1.生殖細胞である卵はその成長過程で生殖細胞型の遺伝子発現を行い未受精卵で一旦転写を停止し、受精後、受精卵型の遺伝子発現を開始する

図2.新生RNA単離法の説明

図3 受精卵で発現する遺伝子の発現制御領域に対する解析結果図4.a転写因子マイクロアレイの散布図による比較(GO:成長卵、1C:1細胞期胚、2C:2細胞期胚、BL:胚盤胞期胚)

図4.b IPAによる受精後のシグナル経路の解析により受精後に細胞の癌化のシグナルに関連する遺伝子の発現が増加していることが明らかとなった

図4.卵形成・初期発生を通してDNAメチル化並びにヒストンメチル化並びにアセチル化はゲノムワイドに大きく変化していく

図5. siRNAによるEtsファミリー遺伝子の発現抑制(図5a)と発生に与える影響(園5b)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、減数分裂期中の成長卵および受精後の着床前初期発生時における遺伝子発現調節機構にについて調べたものである。全体は4章からなり、以下のような内容となっている。

第1章では、受精卵で新生されるmRNAのみを単離、同定し、受精卵での遺伝子発現制御について考察した。受精卵での遺伝子発現制御機構を解明するためには、まず実際に受精卵で発現している遺伝子やその制御領域を明らかにすることが必須である。しかし、受精卵には大量の生殖細胞由来mRNAが蓄積されており、これが受精卵で新しく転写される遺伝子の解析を困難なものとしていた。そこで本論文ではまず、新生されるRNAのみを単離するための方法を開発した。具体的には次のような方法である。(1)受精後の初期胚にBrUTPを導入し、 (2)合成途中のmRNAに取り込ませることにより新生mRNAをBrUで標識する。(3)初期胚から全RNAを回収後、(4)抗BrU抗体を用いた免疫沈降法によって新生されたmRNAのみを単離する。そして次に、この手法を用いて受精卵で転写されている遺伝子のプロファイルを得ることを試みた。すなわち上記で開発された手法を用いて受精卵で新生されるmRNAを単離し、マイクロアレイを用いて同定した。その結果、それまでに報告されていた遺伝子に加え、新たに54の遺伝子の発現が確認できた。さらにここで同定された遺伝子の発現制御領域について解析した結果、Pax,Etsファミリーに属する転写因子の結合配列が多く確認され、これらの転写因子の関与が示唆された。

第2章では、マウス転写因子を網羅したDNAchipを用いたマイクロアレイを行い、成長卵と着床前初期胚を対象として解析を行った。その結果、卵あるいは胚の発生各段階において特異的に発現する転写因子が明らかとなり、さらに転写因子群の変化を比較した結果、生殖細胞から1細胞期にかけてよりむしろ1細胞期から2細胞期にかけての変化が顕著であった。また各転写因子の持つ機能・構造に着目した解析およびingenuity pathways analysis によるシグナル経路の解析を行った。その結果、癌化に関与する遺伝子が受精後に大きく増加していた、なかでもEtsファミリーに属する転写因子群の大幅な増加が引き起こされるという興味深い知見が得られた。特にEtsファミリー転写因子は先の実験により受精卵で発現する遺伝子の発現制御領域に多く見られた転写因子でありこの時期の遺伝子発現に重要な役割を果たしていることが強く示唆された。

第1章および2章の結果より、受精卵でEtsファミリー転写因子群が増加し、さらに実際に受精卵で発現する遺伝子がEtsファミリーにより制御されていることが示唆された。そこで第3章では、Etsファミリー転写因子のうち1細胞期歴から2細胞期胚にかけて強く発現していた、Etsrp71、Spic、Elf3をRNAiにより抑制しその働きを検証した。その結果それぞれの遺伝子の抑制により2細胞期以降の発生が阻害され、受精卵での遺伝子発現への関与が確認された。また、これら3つの遺伝子を同時に抑制した結果さらに顕著な阻害効果が確認されこれらの遺伝子が相補的に、あるいは別経路で働いていることが示唆された。

第4章では、成長卵から初期胚にかけてのDNAメチル化、ヒストン修飾の変化について調べた。その結果、2細胞期におけるDNAメチル化の低下など、受精卵由来の転写の活性化に従っていくつかの修飾がゲノムレベルで大きく変化すること等が確認できた。そしてこれらの修飾の変化はそれぞれ異なった時期に起こることが明らかとなった。この結果より、卵形成、初期発生にかけての遺伝子発現制御機構の切り替えはそれぞれ異なったエピジェネティック因子の変化によって引き起こされていることが示唆された。

以上のように、本論文は、これまでまったく明らかにされていなかった減数分裂中の成長卵から受精を経た後の初期発生時における遺伝子発現調節機構の解明に大きく寄与するものであると考えられる。

なお、本論文第1章は、永田昌男、青木不学との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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