学位論文要旨



No 121607
著者(漢字) 桐野,陽平
著者(英字)
著者(カナ) キリノ,ヨウヘイ
標題(和) 変異 tRNA のタウリン修飾欠損に起因するミトコンドリア病の分子機構
標題(洋)
報告番号 121607
報告番号 甲21607
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第189号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 教授 山本,一夫
 東京大学 助教授 園池,公毅
内容要旨 要旨を表示する

ミトコンドリア病とはミトコンドリアの機能異常を原因とする疾患の総称であり、主に脳、骨格筋などのエネルギー需要の高い器官を中心に機能不全がもたらされる重篤な遺伝病である。そのうちの多くはミトコンドリアDNA(mtDNA)上にコードされるミトコンドリアtRNA(mt tRNA)遺伝子内の変異が原因であり、現在までに100箇所以上ものmt tRNA遺伝子変異が様々なミトコンドリア病と関連があることが報告されている。しかし、変異と疾患との関連性が明らかになる一方で、変異が分子レベルでどのようにmt tRNAの機能を障害しミトコンドリア機能異常を引き起こすのか、その詳細な分子機構は未解明であった。tRNA分子は転写後に様々な修飾を受けることによって成熟し、初めてその機能が発現することが知られている。したがって、ミトコンドリア病発症の分子機構を探るためにはmt tRNA遺伝子変異をただの塩基配列の変化としてのみとらえるのではなく、tRNAの成熟過程を踏まえた詳細な解析を行う必要がある。本研究ではミトコンドリア病由来の変異mt tRNAの構造と機能に関する生化学的な解析を行い、アンチコドン修飾の欠損が疾患発症の中心的な役割を果たしていることを突き止めた。

MELAS (Mitochondrial myopathy, encephalopathy, lactic acidosis and stroke-like episodes)は脳卒中様症状と高乳酸血症を特徴とするミトコンドリア病の代表病型で、ほとんどの患者がmt tRNALeu(UUR)遺伝子内に変異を持つ。当研究室のこれまでの研究において、正常mt tRNALeu(UUR)ではアンチコドン1字目に、転写後修飾ウリジンである5-タウリノメチルウリジン(τm5U、以下タウリン修飾)が存在するのに対し、代表的なMELAS変異であるA3243GおよびT3271Cそれぞれを有する変異mt tRNALeu(UUR)は共通してタウリン修飾を欠損し、アンチコドン1字目は未修飾ウリジンであることが見出された。本研究ではこのタウリン修飾欠損とミトコンドリア病との関連性を明らかにする目的で、プライマー伸長法を応用することにより、超微量な全RNA画分を用いてmt tRNALeu(UUR)のタウリン修飾の有無を判別する方法を確立した。これにより0.5〜1mgの実際の患者生検組織を用いたタウリン修飾の解析に成功した。その結果、MELAS患者由来の5種類の変異(A3243G、G3244A、T3258C、T3271C、T3291C)を有するmt tRNA Leu(UUR)は全てタウリン修飾を欠損しており、他の病型であるMM(Mitochondrial myopathy)、MMC(Maternal myopathy and cardiomyopathy)およびCPEO (Chronic Progressive External Ophthalmoplegia)患者由来の4種類の変異(G3242A、T3250C、C3254T、A3280G)を持つmt tRNA Leu(UUR)はタウリン修飾を欠損してないことが判明した(Fig. 1a)。この結果は、MELASというミトコンドリア病の一臨床病型と変異mt tRNA Leu(UUR)のタウリン修飾欠損が明確に関連付けられることを示しており、MELASは原因点変異の影響で生じるのではなく、点変異によってもたらされたmt tRNA Leu(UUR)のタウリン修飾欠損によって引き起こされることが明らかになった。

アンチコドン1字目に存在する修飾塩基は、一般に正確で効率のよいコドンの読みわけに重要な役割を果たしており、MELAS変異tRNAに見られたタウリン修飾欠損はコドン認識の異常をもたらすと予想された。その実験的検証のために、MELASの変異mt tRNA Leu(UUR)において、点変異の効果を排除しアンチコドン1字目のタウリン修飾欠損のみの影響を明確にする目的で、ヒト胎盤27kgから大量精製した野生型mt tRNA Leu(UUR)のタウリン修飾ウリジン(τm5U)を、分子整形術により未修飾なものに置換した改変体mt tRNA Leu(UUR)を作製した。この改変体はタウリン修飾以外のRNA修飾は野生型と同一であり、更に変異tRNAと異なり点変異を持たない。この改変体のコドン認識をリボソームのA部位におけるmRNAとtRNAの結合実験により解析した結果、タウリン修飾をもたない改変体tRNA(OP)は野生型tRNA(WT)に比べ、対応する2つのコドン(UUA,UUG)のうちUUGコドンのみに特異的に結合できないことが明らかになった(Fig.1b)。mtDNAにコードされる13種類のタンパク質遺伝子のうち、呼吸鎖酵素複合体IのサブユニットであるND6はUUGコドンの使用頻度が圧倒的に高い。したがって、タウリン修飾を欠損したMELAS変異mt tRNA Leu(UUR)によるUUGコドン特異的な翻訳阻害はND6のようにUUGコドンが高頻度に使用されるタンパク質の発現を特異的に抑えると考えられ、これは長年分子レベルでの理由が不明であった呼吸鎖酵素複合体Iの活性低下というMELAS患者の生化学的症状をうまく説明することができる。

糖尿病と難聴が特徴のミトコンドリア病であるMIDD(maternally inherited diabetes and deafness)の患者において、mt tRNAGlu遺伝子中の14709位がTからC(mt tRNA上ではAからG)へと変異する症例が報告されている。この疾患の発症機構に迫るため、外来細胞由来の核と患者由来のmtDNAを融合させた人工融合細胞(サイプリド)を用いてmtDNA変異単独のミトコンドリア機能におよぼす影響を解析した。mtDNAにT14709C変異が100%存在する変異型細胞は、野生型細胞に比べ、ミトコンドリアタンパク質の合成速度および定常状態量に変化は見られなかった。一方で変異型細胞は酸素消費速度が低下しており、ミトコンドリアの機能低下が観測された。また、マイクロアレイによるmRNA発現プロファイル解析の結果、変異型細胞では抗酸化酵素であるベルオキシレドキシン2のmRNA量が上昇しており、酸化ストレスに暴露されていることも明らかになった。これらの結果により、T14709C変異はミトコンドリアタンパク質の量的低下ではなく何らかの質的異常によって、ミトコンドリアの機能異常を引き起こすことが示唆された。

そこでtRNAの異常を解析するため、T14709C変異mt tRNAGluを大量培養した変異型細胞から単離・精製し、LC/MSやその他の生化学的手法を用いて、修飾塩基を含めた詳細な配列解析を行った。その結果、正常mt tRNAGluではアンチコドン1字目に、5-タウリノメチル2-チオウリジン(τm5S2U)が存在するのに対し、T14709C変異mt tRNAGluはその約70%がタウリン修飾を欠損し、未修飾ウリジンであることが明らかになった(Fig.2a)。また、変異の位置であるtRNAの37位は全ての変異mt tRNAGluで1-メチルグアノシン(m1G)に修飾されていた。次にこの変異mt tRNAGluのコドン認識能をリボソームのA部位におけるmRNAとtRNAの結合実験により解析した(Fig.2b)。野生型mt tRNAGlu(WT)は対応する2つのグルタミン酸のコドン(GAA,GAG)を認識し隣のアスパラギン酸のコドンは認識しない。ところが、タウリン修飾を欠いたT14709C変異mt tRNAGlu(14709)においては対応する2つのコドンには効率よく結合し、更に対応しないアスパラギン酸のGACコドンにも誤って結合するという現象が観測された。また、放射性アミノ酸を用い、ミトコンドリアタンパク質合成系へのアミノ酸の取り込みをパルスラベル実験によって解析したところ、変異型細胞は野生型細胞に比べアスパラギン酸の取り込みは低く、グルタミン酸の取り込みが高いという結果が得られた。これらの結果はタウリン修飾を欠損した変異mt tRNAGluが細胞内においてアスパラギン酸コドンを誤翻訳し、アスパラギン酸が入るはずの箇所にグルタミン酸が取り込まれた異常なミトコンドリアタンパク質が合成され、前述したT14709C変異型細胞におけるミトコンドリア機能異常が引き起こされることを示している。

以上の実験結果よりMELAS,MIDDにおいていずれも点変異はタウリン修飾の欠損を引き起こすという共通性が観測され、RNA修飾の異常がミトコンドリア病変異mt tRNAで広くおこる一般的な現象であることが示唆された。更にタウリン修飾が欠損したMELASおよびMIDD変異mt tRNAは、それぞれ異なったパターンで異常なコドン認識様式を示し(Fig.3)、これがミトコンドリアタンパク質合成ひいてはミトコンドリア機能の異常を引き起こし、最終的にそれぞれの疾患で特異な臨床症状を発現すると考えられる。

ミトコンドリア病における変異tRNAのタウリン修飾欠損は、RNA修飾の異常がヒトの疾患の直接的な原因になっていることを示した初めての例であるが、これはヒト疾患発症の原因究明において、タンパク質やmRNAの量的変化のみならず、機能性RNAの質的な変化を解析する必要性を示している。

Fig. 1a 変異mt tRNALeu(UUR)におけるタウリン修飾の有無

Fig. 1b タウリン修飾をもたない改変体mt tRNALeu(UUR)のコドン結合活性

Fig. 2a MIDD由来のT14709C変異mt tRNAGluにおける修飾変動

Fig. 2bタウリン修飾を欠損したT14709C変異mt tRNAGluのコドン結合活性

Ftg. 3 タウリン修飾が欠損したミトコンドリア病変異tRNAの翻訳異常

審査要旨 要旨を表示する

本論文はミトコンドリア(mt)tRNAの変異が原因で発症するミトコンドリア病において、ミトコンドリア機能低下の分子メカニズムを明らかにしたものである。

脳卒中が主症状であるMELASはmt tRNALeu(UUR)遺伝子内の点変異が原因であることが報告されており、またmt tRNALeu(UUR)にはそのアンチコドンl字目に、転写後修飾ウリジンである5-タウリノメチルウリジン(τm5U)が存在することがわかっている。本論文ではプライマー伸長法を用いて、微量な全RNA画分から簡便にmt tRNALeu(UUR)のアンチコドン1字目のタウリン修飾の有無を解析する方法を確立した。更にこの解析法を用いて実際の患者生検組織を用いたタウリン修飾の解析に成功し、MELAS患者由来の5種類の変異を有するmt tRNALeu(UUR)は全てタウリン修飾を欠損しており、ミオパチーなど他のミトコンドリア病患者由来の4種類の変異を持つmt tRNALeu(UUR)はタウリン修飾を欠損してないことを明らかにした。したがって本論文により、MELASというミトコンドリア病の一臨床病型と変異mt tRNALeu(UUR)のタウリン修飾欠損が明確に関連付けられることが示された。また、タウリン修飾を欠損したmt tRNALeu(UUR)は、対応する2つのコドン(UUA,UUG)のうちUUGコドンのみを特異的に翻訳できないことも本論文で明らかになり、タウリン修飾を欠損した変異mt tRNALeu(UUR)によるUUGコドン特異的な翻訳阻害がMELASの根本原因であることが示された。糖尿病と難聴が特徴のMIDDにおいては、mt tRNAGlu遺伝子中のT14709C変異が原因である症例が報告されているが、本論文ではこのT14709C変異mt tRNAGluにおいても本来存在するアンチコドン1字目のタウリン修飾(Tm5s2U)が欠損していることを明らかにした。また、この変異tRNAは対応しないアスパラギン酸のコドンを誤翻訳し、この異常な翻訳活性がMIDDのケースにおいてもミトコンドリア病機能低下の根本原因であることが示された。更に様々な変異tRNAの構造および機能の解析により、最終的に本論文では5種のmt tRNAにおける計12種類のミトコンドリア病原因変異が、アンチコドン1字目のタウリン修飾をはじめとする様々な塩基修飾を欠損させることでmt tRNAの機能を阻害し、ミトコンドリア機能低下に中心的な役割を果たしていることを証明した。

ミトコンドリア病変異mt tRNAにおける修飾欠損は、tRNA修飾酵素が変異tRNAの異常構造を認識できないことに起因すると考えられるが、本論文ではヒトmt tRNAのアンチコドン1字目の2-チオ化を触媒する酵素であるhMTU1の組み換えタンパク質を作製し、mt tRNAのin vitro 2-チオ化の系を確立した。この系を用いて、hMTU1のmt tRNA認識機構の一端を明らかにし、ミトコンドリア病における修飾欠損は修飾酵素が異常構造を有する変異mt tRNAを認識できないことに起因することが、実験的に検証された。

本論文における以上の解析はRNA修飾の欠損がヒト疾患発症の直接的原因となる初めての例であるが、このことはヒト疾患発症の原因究明においてタンパク質やmRNAの量的変化のみならず、機能性RNAの質的変化を解析する必要性を強く示している。

なお、本論文は多くの研究グループとの共同研究によりなりたっている。国立精神・神経センターの後藤雄一博士、日本医科大学の太田成男博士、明楽重夫博士、石原楷輔博士、国立療養所犀潟病院の巻淵隆夫博士と福原信義博士、スペイン国立病院のJoaquin Arenas博士とYolanda Campos博士からはミトコンドリア病患者組織およびモデル細胞の恵与を受けている。タンペレー大学のHoward T.Jacobs博士、ニューカッスル大学のRobWTaylor博士、イタリア国立神経病院のMassimo Zeviani博士、コロンビア大学のMichio Hirano博士にはミトコンドリア病モデル細胞の恵与を受けている。しかしながら、本論文の一連の解析は共同研究者の材料の恵与を受けながら、論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク