学位論文要旨



No 121608
著者(漢字) 朽名,夏麿
著者(英字)
著者(カナ) クツナ,ナツマロ
標題(和) 顕微鏡画像処理を用いた高等植物細胞における液胞構造の動態解析
標題(洋) Structural Analysis of Vacuolar Dynamics in Higher Plant Cells Using Microscopic Image Processing
報告番号 121608
報告番号 甲21608
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第190号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 内宮,博文
 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 助教授 園池,公毅
内容要旨 要旨を表示する

序論

高等植物の多くの細胞は,発達した液胞により体積の大半が占められ,周囲は堅い細胞壁によって覆われている.このような植物細胞を力学的な構造体としてとらえると,(a)細胞を覆って細胞の外形を直接的に規定している細胞壁,(b)細胞体積の大半を占める液胞,そして(c)他のオルガネラや細胞骨格系を含む細胞質,という3つのコンポーネントに大分できる.各コンポーネントのバランスは,細胞分裂,形態形成,形態制御といった細胞の形の変化をともなう現象に深く関与する.また,細胞の種類や周囲の環境によってこれらのコンポーネントが性質や構造を変えることで,組織レベルでの物理的特徴や形態が決定されると考えられる.例えば細胞質と細胞壁が形態形成に関与するケースとして,表層微小管によるセルロース微繊維の配向の決定と,それによる細胞の伸長方向の制御が挙げられる.

一方,液胞は吸水によって細胞質の増加に比べて少ないコストで体積を増すことができるため,液胞の吸水・膨張による巨大化は細胞の伸長や肥大における主要な手段となっている.また気孔の開閉における孔辺細胞の形態制御なども,液胞の膨張と収縮を介して行なわれている.しかし,これまで適切な観察方法がなかったことなどから,液胞自体の形態と,細胞の構造変化との関わりについてはよくわかっていない.そこで,細胞分裂や伸長生長といった細胞に大きな形態変化がみられる現象における液胞構造の動態と役割を明らかにすることを目的として,タバコ培養細胞BY-2を材料として用いて,生細胞における液胞の形状や動態についての立体的および定量的な解析を行なった.

液胞の可視化系の確立と画像解析ソフトウェアの開発

生細胞の液胞を可視化するために,蛍光試薬を用いた液胞膜や液胞内腔の生体染色法を確立した.また,シロイヌナズナのsyntaxinのひとつであるAtVam3pにGFPを融合したタンパク質を恒常的に発現するBY-2の形質転換細胞を作出し,GFP蛍光が液胞膜に局在することを確認し,BY-GV(transgenic BY-2 cells stably expressing a GFP-AtVam3p fusion protein)と名付けた.これらの可視化系の確立により,液胞構造について連続光学切片や動画像などの多様な顕微鏡画像を得ることができるようになった(図1光学切片,図4液胞膜,図5液胞膜).

一方,連続光学切片からの立体再構築・解析システムREANT(reconstructor and analyzer of three-dimensional structure)(図1)や,顕微鏡画像からの自動領域抽出システム(図2)など,顕微鏡画像から液胞や細胞全体について形態計測や運動解析を行なうための一連のソフトウェアを独自に開発した.REANTでは格子形成のアルゴリズムを新たに考案し,光学切片間の距離が大きな場合にも正しい立体構造を再構築することができるように工夫した.また,自動領域抽出システムについては,ユーザーが示す領域抽出結果を学習させることによって,さまざまな顕微鏡像から目的により異なる領域を自動的に抽出することに成功した.なお,これらのプログラムはBY-2細胞の液胞に限らず,他種の組織,細胞やオルガネラなど,さまざまな顕微鏡画像に通用する汎用性も備えることができた.

細胞分裂時における液胞構造の動態

高等植物の細胞分裂においてはフラグモプラストによる細胞板形成をはじめとして,特徴的な過程や構造の出現が知られている.しかし,細胞分裂と液胞の関係は構造,機能ともに解析が進んでいなかった.細胞周期の進行にともなう液胞構造の動態を経時観察したところ,M期において分裂装置周囲の細胞質中に,チューブ状の液胞膜の構造が現れることを新たに発見し,これをTVM(tubular structure of vacuolar membrane)と名付けた(図3).TVMは,G2期終わりからM期にかけて核周辺の細胞質中に出現して分裂装置を取り囲むようになること,M期後期から終期にかけて分裂面近傍にも侵入して娘核の周囲を取り囲むこと,細胞板形成にともなって切断され娘細胞へ分配されること,G1期初めに娘核と細胞板の間にあるTVMが巨大液胞へ発達することがわかった.

とくに細胞質分裂前後のTVMの分布については,フラグモプラスト微小管による遠心的な細胞板形成に続いてTVMが細胞板近傍に集積し,G1期初めに速やかに膨張・融合し巨大液胞へ発達することが,微小管との同時観察や一細胞の経時的な立体構造解析から明らかになった(図4).G1期における核の移動はTVMの膨張・融合による巨大液胞への発達と同時期に起こっていることから,細胞板近傍へのTVMの集積は核の位置制御にとって重要と考えられる.

ミニプロトプラストの伸長誘導時における液胞構造の動態

植物細胞が伸長生長する際には,巨大液胞の形成と膨張が重要な役割を果たす.しかし,巨大液胞の形成過程における液胞形態については不明の点が多い.巨大液胞が形づくられる過程を詳細に観察するため,酵素処理によりBY-GV細胞の細胞壁を除いてプロトプラストとした後,さらに遠心処理を行なうことで巨大液胞を除去してミニプロトプラストを調製し,伸長生長を誘導した.その結果,細胞伸長に先行して特徴的な液胞の構造変化が観察された(図5A).立体構造解析により,巨大液胞の再生前に細胞全体に細かな網状の液胞構造が展開することがわかった(図5B).これらの液胞再生過程を分類し,培養開始直後でミニプロトプラスト内に残った液胞が偏在した段階(phase 0),細胞内全体に網状液胞が展開した段階(phase 1),網状液胞の太さが均一のままで全体が膨張した段階(phase 2),巨大液胞が一部再生した段階(phase 3)と定義した.この一連の液胞構造変化は細胞伸長に先行して,培養から24時間で順次同調的に起こった(図6A,B).

一連の液胞構造変化を定量的に把握するため,明視野像と液胞膜の共焦点像を対象にした形態計測を行なった.それにより,細胞の伸長の7割以上が液胞の膨張による貢献であることがわかった(図6B).また,液胞の膨張に先行してみられる網状液胞の発達は液胞の周長(液胞の膜面積に相当)の増加をもたらした(図60).つまり巨大液胞の再生過程では単に液胞が吸水膨張するだけでなく,膜面積の増加が起こっていた.膨張と膜面積増加の液胞構造に対する影響をあわせて考えるため,「細胞内を液胞が占める割合(液胞占有率)」と「液胞膜の余剰の度合い(液胞複雑度)」を液胞形態の指標として定義し,各培養時間についてプロットした(図7A).その結果,網状液胞の発達によって液胞複雑度は一過的に上昇することがわかった.これは,液胞の膜合成と膨張は平行的に進行するのではなく,まず膜合成が優先して網状液胞を展開し(phase 1〜2),次いで吸水膨張が起こって巨大液胞にまで発達する(phase 3)ことを示す.さらに細胞内での液胞分布の解析にも同じ指標を用いたところ,phase 3において細胞中央の核周辺では網状液胞が残り,細胞辺縁部では巨大液胞が再生するといった,液胞の発達の空間的な勾配がみられた(図7B).すなわち,網状液胞の膨張はphase 2以降に不均一化し,局所的な膨張・融合によって巨大液胞を形成するものと考えられる.

網状液胞や巨大液胞の液胞膜が秒単位で活発な動きを示していることに注目し,細胞内での液胞膜の動きの空間分布について解析した.その結果,液胞の形態が均質で偏りがないphase 1においても,液胞膜の動きには核周辺から細胞辺縁部にかけて速度の勾配が存在することが判明した(図7B).このことは網状液胞の不均一な膨張(phase 3)に先行して,すでにphase 1において細胞内で液胞構造の空間的な制御が行なわれていることを示唆する.

結論

顕微鏡画像をもとにした立体構造解析,領域抽出の自動化,形態や動きの定量化などを可能にする画像解析ソフトウェアの開発を行ない,液胞構造についての総合的な解析を実現した.この解析で,細胞分裂やミニプロトプラストの伸長生長にともなって,チューブ状・網状の液胞構造が時期特異的に展開することを明らかにした.チューブ状・網状の液胞構造は細胞分裂と細胞伸長における液胞の膨張過程の先駆けとして位置づけられる.また,一細胞中で巨大液胞とチューブ状・網状液胞が互いにつながりつつ共存することや,網状液胞の動く速度が細胞内での位置によって異なることから,一つの細胞中で一つの液胞が空間的に分化していると考えられる.これらの結果は,植物細胞の形の変化を実現するために不可欠な因子としての,液胞構造とその分布の重要性を具体的に示すものである.

図1. 立体再構築・解析システムREANTによる液胞の立体再構築の流れ. Bar:10μm

図2. 自動領域抽出システムによる細胞領域の抽出過程.

図3. TVMの立体構造.Bar:10μm

図4. TVMの細胞板近傍への集積と膨張・融合.N:核Bar:10μm

図5. ミニプロトプラストの伸長生長と巨大液胞の再生.遠心処理による脱液胞処理後,細胞伸長や巨大液胞の再生に先駆けて網状の液胞が細胞全体に展開した.N:核LV:巨大液胞Bar:10μm

図6. ミニプロトプラストの伸長生長誘導時における細胞および液胞の形態の時間変化.液胞の膨張が細胞の伸長生長の主要な原動力であった.網状液胞は液胞の膨張に先行して発達し(phase 1〜2),液胞の周長を増加させた.Bar:SD

図7.ミニプロトプラストの伸長生長誘導時における液胞構造の時間的推移と細胞内での勾配.A,巨大液胞再生に至る液胞構造の動態は,液胞占有率(液胞断面積/細胞断面積)と液胞複雑度(液胞周長2/4π液胞断面積)の変化としてとらえられた.細胞内においては核周囲から細胞辺縁にかけて,液胞の動きや構造に勾配がみられた.B,網状液胞から巨大液胞への発達は細胞辺縁部から起こった.液胞の動きを時間相関像として可視化したところ,液胞構造が均一に分布するphase 1の細胞で,すでに液胞の動きに偏りがみられた.時間相関像は白いほど動きが激しいことを示す.N:核LV:巨大液胞Bar:10μm

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり,第1章は生きた植物細胞における液胞構造の可視化系の確立,第2章は連続光学切片からの立体再構築法の開発,第3章は細胞周期の進行にともなう液胞構造の動態,第4章はミニプロトプラストの伸長誘導時における液胞構造の動態について述べられている.

高等植物の多くの細胞は,発達した液胞により体積の大半が占められ,周囲は堅い細胞壁によって覆われている.このうち液胞は,細胞質の増加に比べて少ないコストで体積を増すことができることから,液胞の吸水・膨張による巨大化が細胞の伸長や肥大における主要な手段となっている.しかしこれまで適切な観察方法がなかったことなどから,液胞自体の形態と,細胞の構造変化との関係はよくわかっていなかった.そのような状況下で,本論文は細胞分裂や伸長生長といった細胞に大きな形態変化がみられる現象における液胞構造の動態と役割を明らかにすることを目的として,タバコ培養細胞BY-2を用いて生細胞における液胞の形状や動態についての立体的および定量的な解析を行なったものである.

第1章では,生細胞の液胞を可視化するために,蛍光試薬を用いた液胞膜や液胞内腔の生体染色法を確立した.また,シロイヌナズナのAtVam3pにGFPを融合したタンパク質を恒常的に発現するBY-2の形質転換細胞を作出し,GFP蛍光が液胞膜に局在することを確認し,BY-GVと名付けた.これらの可視化系の確立により,液胞構造について連続光学切片や動画像などの多様な顕微鏡画像を得ることができるようになった.

第2章では,顕微鏡画像からの立体再構築や形態計測を行なうために,連続光学切片からの立体再構築・解析システムREANTを独自に開発した.とくに格子形成のアルゴリズムを新たに考案することで,光学切片間の距離が大きな場合に他手法より正確な立体再構築法を提案した.原形質分離を対象にREANTで解析した結果,原形質分離時の急速な細胞体積の減少が液胞の収縮によって起こること,原形質分離時には液胞膜が巨大液胞内腔に陥入して楕円状構造を形成することなどが示された.

第3章では,このようにして整備した一連の手法を駆使した細胞分裂時の液胞構造の解析について示された.M期において分裂装置周囲の細胞質中に,チューブ状の液胞膜の構造が現れることが発見され,TVMと名付けられた.TVMは,G2期終わりからM期にかけて核周辺の細胞質中に出現して分裂装置を取り囲むようになること,M期後期から終期にかけて分裂面近傍にも侵入して娘核の周囲を取り囲むこと,細胞板形成にともなって切断され娘細胞へ分配されること,G1期初めに娘核と細胞板の間にあるTVMが巨大液胞へ発達することがわかった.とくに細胞質分裂前後のTVMの分布については,フラグモブラスト微小管による遠心的な細胞板形成に続いてTVMが細胞板近傍に集積し,G1期初めに速やかに膨張・融合し巨大液胞へ発達することが,微小管との同時観察や一細胞の経時的な立体構造解析から明らかになった.

第4章では,植物細胞の伸長生長の物理的な実体である巨大液胞について,その形成されるようすが解析された.そのためにまず,巨大液胞を除去したミニプロトプラストからの巨大液胞再生と伸長生長の誘導系が確立された.そして巨大液胞再生前に細胞全体に細かな網状の液胞構造が展開することが判明した.本論文は液胞再生過程を,培養開始直後でミニプロトプラスト内に残った液胞が偏在した段階,細胞内全体に網状液胞が展開した段階,網状液胞の太さが均一のままで全体が膨張した段階,そして巨大液胞が一部再生した段階へとそれぞれ分類し,立体構造解析と定量的形態解析を行った.その結果,巨大液胞の再生過程では単に液胞が吸水膨張するだけでなく,膜面積の増加が起こることが明らかになった.とくに液胞形態の定量的指標を新たに定義し量的関係を調べた結果,まず膜合成が優先して網状液胞を展開し,次いで吸水膨張が起こって巨大液胞へと発達することがわかった.

総合すると,細胞分裂やミニプロトプラストの伸長生長にともなって,チューブ状・網状の液胞構造が時期特異的に展開することが明らかとなった.こうしたチューブ状・網状の液胞構造は細胞分裂後や細胞伸長における液胞の膨張過程の先駆けと考えられる.これらの結果は,植物細胞の形の変化を実現するために不可欠な因子としての,液胞構造とその分布の重要性を具体的に示すものである.

なお,本論文は,熊谷史,佐藤雅彦,桧垣匠,大窪恵美子,佐野俊夫,馳澤盛一郎との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行なったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(生命科学)の学位を授与できると認める.

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