学位論文要旨



No 121609
著者(漢字) 櫻井,雅之
著者(英字)
著者(カナ) サクライ,マサユキ
標題(和) ヒトmRNAにおける新規RNAエディティング部位の網羅的探索
標題(洋)
報告番号 121609
報告番号 甲21609
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第191号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 助教授 松本,直樹
 東京大学 助教授 小嶋,徹也
内容要旨 要旨を表示する

序論

ヒトゲノム配列の精密化が完了し、タンパク質遺伝子の総数が約22000個と見積もられた。これは従来予測されていた約35000個を大幅に下回り、ショウジョウバエ(20000個)や線虫(19000個)の遺伝子数と大きな差がないという衝撃の事実であった。また、マウスとはタンパク質遺伝子配列の99%が相同性を持つと言われている。このことからゲノム情報単独やmRNAの転写制御による量的な変化だけでヒトの脳機能に代表される高次生命現象を説明することはもはや不可能である。遺伝情報発現機構の理解には転写後プロセシングによるmRNAの質的な変動や機能性RNAによる調節機構の解明が不可欠である。

A-to-I RNAエディティングはRNAの転写後プロセシングの一種であり、二本鎖RNA特異的アデノシンデアミナーゼ(ADAR; adenosine deaminase acting on RNA)により、RNAの二本鎖領域におけるアデノシン(A)が脱アミノ化してイノシン(I)へと修飾される機構である(図1)。Iはその構造上シチジン(C)と塩基対を組み、塩基情報としてはグアノシン(G)のように振舞うため、AからGへとRNAの遺伝情報が変化することになる。哺乳動物には、ADAR1〜3の3種類のファミリーが存在し、脳をはじめとして広く組織全体で発現している。

mRNAにおけるA-to-I RNAエディティングは、遺伝暗号の変化(アミノ酸変化)、選択的スプライシングの制御、二次構造の変化、mRNAの分解や局在制御などに関与している(図2)。哺乳動物におけるA-to-I RNAエディティングの例としてはグルタミン酸受容体のサブユニットB(GluR-B)、セロトニンレセプター(5-HT2c)、アデノシンデアミナーゼ2 (ADAR2)自身のmRNAなどが知られている。GluR-B mRNAではADAR2によりエキソン11番中のAがIへとエディティングされ、アミノ酸配列がグルタミンからアルギニンへと変化する。この変化が受容体のカルシウム透過性を調節して正常な神経機能を維持している。近年では高頻度でI化された二本鎖RNAが様々なタンパク質と複合体を形成し、このRNAの分解、核外輸送阻害、I-RNA依存的タンパク質リン酸化活性が報告されている。また、マイクロRNA前駆体におけるエディティングも発見され、さらにはRNAエディティングとRNA干渉が拮抗すると言う興味深い概念が提唱されている。

これまでに知られているA-to-I RNAエディティング部位はわずか数種類のmRNA中に偶発的に見つかったものに過ぎない。一方、ADARは脳で高発現しており、ヒト脳のmRNAには17000塩基に1塩基の割合でIが存在すると見積もられている。これらのことからA to I RNAエディティングはより普遍的な機構として存在し、トランスクリプトームの複雑性を増加させ、脳機能に代表される高次生命現象と関連している可能性がある。

以上のことから私はA-to-I RNAエディティングによる遺伝情報発現制御機構が、転写後から翻訳の段階におけるmRNA転写後プロセシング機構や機能性RNAによる調節機構の制御に深く関わっていると考えた。そこで本研究ではこの概念に基づき、ヒトmRNAの新規RNAエディティング部位を網羅的に同定することを目指した。

結果と考察

簡便・高感度なRNA中のI検出技術の開発

これまでmRNA中のI部位を判別にはmatched-tissue法が用いられてきた。これは同一個体の同一組織から得られたRNA(cDNAとして増幅)とゲノムで相当する領域の配列を比較する方法である。IはCと塩基対を形成するため、mRNAから逆転写・PCR増幅を経るとcDNA中のI相当部位にはGが取り込まれている。ゆえにエディティング部位ではゲノム上の塩基がAであるにも関わらず、cDNA上ではGまたはA/Gの混在となっている。この手法の問題点として、Iに由来するGの混在と、反応時のエラーや対立遺伝子由来の一塩基多型(SNP), 多重遺伝子,偽遺伝子を原因とするIに由来しないGの混在との判別が不可能な点が挙げられる。また、同一組織由来のRNAとゲノムが必要であるため、貴重・微量なサンプルを解析するのは難しい。

本研究では以上の問題を解決し、簡便・高感度でサンプルに制限されずI部位を検出・証明が可能な新規I部位同定技術:ICE (Inosine Chemical Erasing)法の開発に取り組んだ。この手法の原理は次の3段階から成る(図3)。(1)化学試薬(現段階ではアクリロニトリル)によるRNA中のIに対して特異的な修飾を施す通常IはCと塩基対を形成するが、アクリロニトリルを反応させるとIの1位が特異的にシアノエチル(CE)化され、Cとの塩基対形成が阻害される。(2)逆転写によるcDNAの伸長反応を行う。CE化未処理のRNA(CE-)ではIに対してCを取り込んでcDNA伸長が進むが、CE化したRNA(CE+)ではCE化されたI(ce-I)に対してCが取り込まれずに伸長が手前で停止する。(3) cDNAのI部位特異的な伸長停止を検出する。検出法としては(i)cDNAの長さを比較する。(ii) cDNAの塩基配列を読みCが取り込まれていないことを確認する。(iii)I部位上流側に設計したプローブを用いてI部位を越えて伸長したcDNAを定量して比較する方法が挙げられる。

まずCE化の条件検討を酵母及びマウスのtotal RNAを用いて行い、液体クロマトグラフィー/質量分析(LC/MS)法により解析した結果、ほぼI特異的なCE化に成功した(図4)。

次にマウスtotal RNAを用いてGluR-B mRNAに対してプライマー伸長法を行ったところ、CE-ではI部位を越えてcDNA伸長が進んだが、CE+ではI部位の一塩基手前でのcDNA伸長停止が確認できた(図5)

さらに検出感度を向上させるため、エディティング候補部位をはさんで上流・下流にプライマーを設計し、下流より逆転写したcDNAをPCRにより増幅した。ce-Iにより伸長停止したcDNAには、上流プライマーの相補領域が存在せず、PCRの鋳型にはならないため、PCR増幅後のcDNA配列をCE±で比較すると、CE-では候補部位がA/G混在(もしくはG)であるのに対し、CE+ではAのみ(もしくは増幅無し)となる(図6)。この場合はCE- cDNAにおけるGはIを反映したものであり、候補部位におけるIの存在が証明される。一方、混在比率に変化が無い場合、候補部位にIは存在しないと確実な判断を下すことができる。実際にこのような挙動を示すことをマウス5-HT2cR mRNAで確認した(図7)。この解析に必要なtotal RNAの量は一領域当たり100ng以下であり、十分実用に耐えうる。

遺伝子情報データベースを利用した新規RNAエディティング候補部位の網羅的抽出及びICE法によるスクリーニング

EST/ゲノムデータベース上では、A-to-I RNAエディティング部位ではゲノム上の塩基がAであるにも関わらず、cDNA上ではGまたはAとGの混在となっていると考えられる(図8)。そこで私はヒトESTデータベース約440万配列とゲノムの比較からA/G置換部位を抽出して既知のSNP部位を除去し、マウスとの共通項をとることで約7万箇所を抽出した。この中からさらにノイズの除去と絞込みを行い、エディティン優先的に約200箇所抽出した。これら候補部位のスクリーニングをICE法により試みたところ、新規エディティング部位を31遺伝子(226箇所)程度同定することに成功した。

これら新規エディティング部位は各mRNAの3'UTR領域に位置していた。そのうち7種類の遺伝子(ZBTB24, RAB11FIP4, F11R, PSMB2, ENDOGL1,PAICS)についてmfoldプログラムによる二次構造予測を行った結果、全ての部位が長い二本鎖領域に存在していた。エディティング部位の分布は200塩基内に2〜7箇所存在する場合が多いが、中にはACSL6のようにほぼ100% I置換部位が1箇所存在するという場合や、FLJ23322のように200塩基内に30箇所ものエディティング部位が存在する場合も発見された。また分子間二本鎖領域を形成しうるAPAF1, EB-1 mRNAのセンス・アンチセンス対領域におけるRNAエディティングがみつかった(図9)。さらに脳特異的なエディティングがENDOGL1 mRNAで見つかった。

結論

本研究では微量RNA中のIを同定する手法(ICE法)の開発を行った。これまでは非常に困難であったIの存在の証明を、ICE法ではRNA試料のみで行うことが可能である。I同定法としてICE法と代替可能なものは今のところ知られていない。続いてRNAエディティング候補部位のデータベースを構築し、ICE法を用いてスクリーニングを進めた結果、これまでに226箇所のエディティング部位の同定に成功した。同定された部位では近傍で高頻度のエディティングが起きているものやセンス・アンチセンスペア領域に存在するもの、また組織特異的なエディティングが起きているものも見つかり、遺伝子制御機構との関わりが示唆された。

展望として、ICE法をマイクロアレイへ応用することによりゲノムワイドなエディティング部位の同定が可能であると考えられる。また新規エディティング部位の機能解析から、RNAエディティングが支配する新しい遺伝子発現制御機構の全貌解明が期待される。

図1 A-to-I RNA エディティング反応機構

図2 A-to-I RNA エディティングの機能

図3 ICE (Inosine Chemical Erasing)法の概要

図4 I特異的シアノエチル化修飾のLC/MS解析

図5 cDNAのI部位特異的な伸長停止の検出

図6 Iに由来する由来Gシグナル消失原理

図7 ICE法によるI部位の検出

図8 ESTデータベースに見られるRNAエディティング候補部位

図9 センス・アンチセンスペア領域におけるRNAエディティング部位

審査要旨 要旨を表示する

A-to-I RNAエディティングとは、mRNA前駆体等の二本鎖領域におけるアデノシン(A)が二本鎖RNA特異的アデノシンデアミナーゼ(ADAR)によりイノシン(I)へと塩基修飾される機構であり、線虫からヒトまでの後生動物にみられるRNAプロセシング機構の一つである。その機能としてはmRNAのアミノ酸変化・選択的スプライシング・細胞内局在・分解や、タンパク質リン酸化・miRNA/siRNA機構抑制等の遺伝子発現制御機構が知られており、高次生命現象を担う要因の一つとして考えられている。しかしこれまでに同定されたエディティング部位は偶然発見されたごく少数のものに限られていた。

本研究では、最も多様な遺伝子発現制御機構を有するヒトのmRNAにおける新規A-to-IRNAエディティング部位の網羅的同定を目的とし、これを可能とする技術の開発及び候補部位データベースの構築を行い、新規部位を探索した。本論文は3章から構成されている。

第1章では、新規I部位同定技術について述べている。従来のI部位検出法としては、RNA(cDNAとして増幅)とゲノムで相当する領域の配列を比較する方法が用いられていた。IはcDNA増幅過程でグアノシン(G)へと反映されるため、エディティング部位ではゲノム上の相当塩基がAであるにも関わらず、cDNA上ではGまたはA/Gの混在として検出される。しかしこの手法では、Iに由来するGの混在と、反応時のエラー・ノイズや一塩基多型(SNP)などI以外に由来するGの混在との判別が不可能である。また、同一組織由来のRNAとゲノムが必要であるため、微量な試料の解析は難しい。本章ではこれらの問題を解決する新規I部位同定技術:ICE(Inosine Chemical Erasing)法を開発した。この手法では、RNA鎖中のI特異的に化学修飾を施すことで、逆転写によるcDNAの伸長をこのI特異的に停止させる。最終的にこの伸長停止に起因するシグナルの消失を検出することで、Iの存在を証明する。この手法により、従来は不可能であったIの存在証明及びノイズとの判別が可能となり、さらに試料としてはごく微量のRNAのみで検証可能となった。現在までにICE法と代替可能な手法は存在せず、最も簡便で高感度な手法である。

第2章では、ゲノム・ESTデータベースを利用したRNAエディティング候補部位データベースの構築について述べている。 ESTをアライメントした際、塩基が混在する部位はこれまでcSNP(cDNA間の一塩基多型)として処理されていた。本章ではこの中にRNAエディティング部位が含まれていると考えた。ゲノム配列がAのみであり、EST配列ではA/G混在もしくはGである部位を抽出し、RNAエディティング候補部位として7万箇所程抽出した。この第一次候補部位群からさらにノイズの除去及び優先項目による絞込みを行った後、186候補部位(186遺伝子)を選出した。RNAエディティング候補部位の絞込みに関しては、株式会社メイズとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったものである。

第3章ではRNAエディティング候補部位のICE法によるスクリーニングと、同定された新規RNAエディティング部位について述べている。ICE法により候補部位を検証した結果、ヒト男性の脳において31遺伝子、候補部位周辺も含めて226箇所の新規RNAエディティング部位が同定された。そのほとんどが3'非翻訳領域に位置しており、多くの場合、部分的なエディティングが200塩基程度の領域内に複数箇所存在する。同領域がmRNA前駆体中で二本鎖を形成する際の相補鎖はイントロンの場合が多く、同様にエディティングが起きている可能性が高い。以上の知見から、これらのエディティング部位が選択的スプライシング・核外輸送阻害・選択的分解機構との関わりを持つ可能性が考えられる。また、組織特異的なエディティングを示す部位の存在が確認され、遺伝子発現制御機構の組織特異性への寄与が考えられた。

以上のように本論文では、新規イノシン部位同定技術の開発とRNAエディティング候補部位データベースの構築により、新規RNAエディティング部位を同定することに成功している。本論文で開発された新規イノシン検出技術は、RNAエディティング研究の発展に大きく貢献するものである。また、本手法と提示された候補部位の解析から、ヒトmRNAにおけるRNAエディティング部位の網羅的な同定が十分に可能である。さらに新規に同定されたエディティング部位に関する知見から、新たな遺伝子発現制御機構の存在が示唆されており、RNAが関与する遺伝情報制御機構を理解する上で意義のある研究成果である。

なお、以上の研究成果は、論文提出者が主体となって行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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