学位論文要旨



No 121611
著者(漢字) 並木,俊樹
著者(英字)
著者(カナ) ナミキ,トシキ
標題(和) カイコ前胸腺に発現する遺伝子 Cyp307a1 と HLH54F のクローニングと機能解析
標題(洋)
報告番号 121611
報告番号 甲21611
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第193号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 小嶋,徹也
 東京大学 助教授 東原,和成
内容要旨 要旨を表示する

序論

昆虫が幼虫、蛹を経て成虫へと姿を変化させて成長することの不思議さは、古くから多くの研究者たちの興味をひきつけてきた。昆虫の脱皮変態は科学者の知的好奇心を刺激しただけでなく、遺伝性疾患、組織分化、アポトーシス、老化、概日性、第二次性徴、害虫防除など、多様な研究に応用が可能であるため、脱皮変態を起こす機構の内分泌学、生化学、および分子生物学に関する基礎的な知見を深めようと多大な努力が払われてきた。これまでの研究から、昆虫の脱皮変態には前胸腺が中心的な役割を果たしていることが示されている。前胸腺は昆虫の内分泌器官であり、脱皮変態を促進するステロイドホルモンであるエクジソンの合成と分泌という重要な機能を担っている。エクジソンは前胸腺中でコレステロールが修飾されることで合成、分泌されるが、どのような遺伝子がその過程にかかわるかについては長い間不明であった。

近年、エクジソン合成量減少と胚期致死の表現型を示すショウジョウバエ変異系統(Halloween mutant family)から、エクジソン合成にかかわる酵素が相次いでクローニングされた。それらの酵素はCyp306a1/phantom 、 Cyp302a1/disembodied、Cyp315a1/shadow、Cyp314a1/shadeの各チトクロームP450モノオキシゲナーゼであった。これらの4つの酵素はそれぞれステロイドを水酸化することでエクジソン合成に必須の働きを担っていることが証明され、脱皮変態を調節する機構の解明に大きく貢献した。

本研究では、脱皮変態にかかわる新規遺伝子を解析するため、大型で解剖しやすいカイコ前胸腺から遺伝子をクローニングし、遺伝学的操作が可能なショウジョウバエの相同遺伝子を用いて機能を解析するという戦略をとった。カイコからの遺伝子のスクリーニング手段として、Differential Display法とカイコESTデータベース検索による解析を行い、前胸腺で特異的に発現する遺伝子のスクリーニングを試みた。その結果、カイコ前胸腺で強い発現が見られる二つの遺伝子、チトクロームP450モノオキシゲナーゼに属するCyp307a1と、basic-Helix-Loop-Helix (以下bHLHと略)型転写因子と考えられているHLH54Fに注目し解析を進めた。

結果と考察

チトクロームP450モノオキシゲナーゼCyp307a1

カイコの成長に応じて前胸腺中で発現量の変化する遺伝子のスクリーニングを行うため、異なる成長段階のカイコ前胸腺に対して蛍光Differential Displayを行った。その後、発現量に変化が見られるバンドをPCRで増幅して、cDNAマイクロアレイを作成した。そして、1)5齢初期カイコ前胸腺と5齢初期カイコ唾液腺、2) 5齢初期カイコ前胸腺と5齢Wandering期カイコ前胸腺、3) 5齢Wandering期カイコ前胸腺と5齢Wandering期カイコ唾液腺、の三通りの組み合わせについて、各組織由来のRNAをDNAアレイとハイブリダイゼーションさせ、Wandering期の前胸腺特異的に発現量が上昇する遺伝子のスクリーニングを行った。その結果、チトクロームP450モノオキシゲナーゼのCyp307a1 をクローニングすることができた。

カイコCyp307a1(以下Cyp307a1-Bmと略)の発現パターンを解析すると、組織別では5齢幼虫の前胸腺特異的に発現すること(図2)、また、時期別ではエクジソンを大量に合成する脱皮直前とWandering期の前胸腺において発現量が上昇することが示され図3)、エクジソン合成にかかわることが予想された。

次に、Cyp307a1 の機能解析を行うためにショウジョウバエを用い、その相同遺伝子(以下Cyp307a1-Dmと略)の解析を行った。まず、Cyp307a1 の染色体上の位置の近くに変異を持ち、エクジソン合成に異常をきたす変異系統を探した。その結果、エクジソン合成量減少の表現型を示すHalloween mutant familyに属するspookという遺伝子座はCyp307a1-Dmに近いことがわかった。この結果から、Cyp307a1とspookは同一の遺伝子であるという予想を立てた。この予想を検証するため、spook変異系統が持つCyp307a1の塩基配列を読み、変異の存在を調べたところ、spook変異系統のCyp307a1は、P450の酵素反応に必須のドメインであるヘム結合モチーフ中にアミノ酸置換を起こす変異が入っていることが明らかになった。

さらに、ショウジョウバエのトランスジェニック系統を作成してGal4/UAS 系によるレスキュー実験を行い、spookとCyp307a1が同一遺伝子であるのかどうかを検討した。その結果、spook変異系統にCyp307a1-Dm、-Bmを全身で発現させると、ともにspookの表現型を回復することが示された(表1)。この結果から、Cyp307a1はspookと同一遺伝子であると結論した。そして、Cyp307a1-Dm、-Bmは同じ生化学反応を触媒することが予想された。

Cyp307a1-Dmをクローニングし、in situハイブリダイゼーションで発現を確認したところ、エクジソンを合成する組織と考えられる初期胚の羊漿膜と成虫の卵巣での発現が見られた。ところが、胚期と3齢幼虫の前胸腺細胞では予想に反して発現が見られなかった。この結果はCyp307a1-Bmの組織別発現パターンと一致しないため、カイコとショウジョウバエでは幼虫期においてエクジソンを合成する経路が一部異なると予想される。

現在、Cyp307a1の触媒する反応を明らかにするため、Cyp307a1をS2培養細胞中で発現させ、エクジソン合成経路の中間代謝物と考えられる物質を添加し、その変換をHPLCで確認するという実験を行っている。これまでにcholesterol など、いくつかの候補物質を培地に添加して変換を調べたが、ポジティブな結果は得られていない。

bHLH型転写因子HLH54F

カイコ組織別ESTデータベースを検索することで、前胸腺特異的に発現していると考えられるESTをスクリーニングした。その結果、prgv0048と呼ばれるESTが前胸腺特異的に発現していることが予想された。既知のESTの塩基配列からカイコ組織別のRT-PCRを行ったところ、prgv0048は前胸腺特異的に発現していることが明らかになった。

まずprgv0048の既知の塩基配列を元に5'RACEを行った結果、prgv0048の上流にはbHLH型の転写因子がコードされていた。カイコ幼虫の組織別RNAを用いてOpen Reading Frame部分の発現量を比較すると、カイコ5齢幼虫Wandering期の幼虫の前胸腺と腸において強い発現が見られ(図4)、また発生ステージごとに集めた前胸腺由来のRNAを用いて発現量変化を確認したところ、カイコのWandering期初期に発現量が上昇することが観察された(図5)。この結果から、prgv0048はエクジソン合成に関与する可能性が示唆された。

この分子のアミノ酸配列をショウジョウバエデータベースで検索すると、ショウジョウバエのbHLH型転写因子であるHLH54Fと相同性が比較的高いことがわかったが、ショウジョウバエHLH54Fの機能はこれまでわかっていない。そこで、ショウジョウバエでHLH54Fの機能解析を行うため、まずin situハイブリダイゼーションで発現部位を調べた。その結果、HLH54Fは3齢幼虫の前胸腺細胞では特異的な発現は見られなかったが、胚期の前胸腺細胞と腸で特異的な発現が見られた。この発現パターンは、HLH54Fがショウジョウバエの胚期でのエクジソン合成に関与している可能性を示唆している。さらに遺伝学的な解析を行うため、Gal4/UAS系を用いて野生型HLH54Fを胚の前胸腺細胞で過剰発現させたところ、孵化後48時間から120時間の間に致死の表現型を示した。

現在、HLH54Fを過剰発現させた系統を用いて、この致死表現型がエクジソン合成不全によるものなのかどうかを調べている。

結論

これまで述べたように、本研究から以下のことが明らかになった。

ショウジョウバエ、およびカイコのCyp307a1が、エクジソン合成不全と胚期致死を示すショウジョウバエ変異系統spookの表現型を回復できた。すなわちCyp307a1 とspookが同一遺伝子であることが証明された。

カイコのCyp307a1は幼虫の前胸腺特異的に発現するが、ショウジョウバエのCyp307a1は初期胚の羊漿膜と、成虫の卵巣での発現しか確認されていないので、両種の幼虫期におけるエクジソン合成系に違いがある可能性を提示した。

脱皮変態にかかわる新たな遺伝子の候補としてHLH54Fを提示した。

本研究で同定した遺伝子の解析によって、昆虫の脱皮変態を制御する機構に関して新たな遺伝学的、分子生物学的な知見を提供することができた。これらの成果から、ステロイドホルモン合成の制御や生物の成長を調節する遺伝子ネットワークについての研究がさらに進展することを期待している。

図1 ショウジョウバエのエクジソン合成経路概略図太字はエクジソン前駆物質、枠内斜体は反応を触媒する酵素を表す。?は反応経路が不明な部分を表す。

図2 カイコ5齢幼虫の組織別Cyp307a1発現解析(RT-PCR)

図3 カイコ幼虫発生段階別Cyp307a1発現解析(ノーザンブロッティング)

表1 Cyp307a1-Dm、-Bmによるspook変異系統レスキュー実験の結果Cyp307a1-Dm 、または Cyp307a1-BmをActin-5Cドライバーを用いて、spook変異系統で発現させた結果、yの成虫が羽化したことによって胚期致死の表現型が回復したことがわかる

図4 カイコ5齢幼虫の組織別HLH54F発現解析(ノーザンブロッティング)

図5 カイコ幼虫発生段階別HLH54F発現解析(ノーザンブロッティング)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章からなり、第1章では本論文の目的、昆虫の脱皮・変態の制御機構に関する研究の現状が述べられている。

第2章では、カイコの成長に応じて前胸腺中で発現量の変化する遺伝子のスクリーニングを行うため、異なる成長段階のカイコ前胸腺に対して蛍光Differential Displayを行い、次に、発現量に変化が見られるバンドをPCRで増幅して、cDNAマイクロアレイを作成した。このアレイを用いて、1)5齢初期カイコ前胸腺と5齢初期カイコ唾液腺、2)5齢初期カイコ前胸腺と5齢Wandering期カイコ前胸腺、3)5齢Wandering期カイコ前胸腺と5齢Wandering期カイコ唾液腺、の三通りの組み合わせについて、各組織由来のRNAをDNAアレイとハイブリダイゼーションさせ、Wandering期の前胸腺特異的に発現量が上昇する遺伝子のスクリーニングを行った。その結果、チトクロームP450モノオキシゲナーゼのCyp307a1をクローニングすることに成功した。

カイコCyp307a1の発現パターンを解析すると、 5齢幼虫の前胸腺特異的に発現すること、また、時期別ではエクジソンを大量に合成する脱皮直前とWandering期において発現量が上昇することを示し、エクジソン合成にかかわると予想した。

次に、Cyp307a1の機能解析を行うためにショウジョウバエを用い、その相同遺伝子の解析を行った。まず、Cyp307a1の染色体上の位置の近くに変異を持ち、エクジソン合成に異常をきたす変異系統を探した。その結果、エクジソン合成量減少の表現型を示すHalloween mutant familyに属するspookという遺伝子座がCyp307a1-Dmに近いことを見いだした。さらに、spook変異系統が持つCyp307a1の塩基配列を解析し、spook変異系統のCyp307a1は、P450の酵素反応に必須のドメインであるheme結合モチーフ中にアミノ酸置換を起こす変異が入っていることが明らかにするとともに、ショウジョウバエのトランスジェニック系統を作成してレスキュー実験を行い、spookとCyp307a1が同一遺伝子であると結論した。

また、ショウジョウバエCyp307a1をクローニングし、in situハイブリダイゼーションで発現を確認したところ、エクジソンを合成する組織と考えられる初期胚の羊漿膜と成虫の卵巣での発現が見られた。ところが、予想に反して、胚期と3齢幼虫の前胸腺細胞では予想に反して発現が見られなかった。この結果からカイコとショウジョウバエでは幼虫期においてエクジソンを合成する経路が一部異なると予想している。

第3章では、カイコ組織別ESTデータベースを検索することで、前胸腺特異的に発現していると考えられるESTをスクリーニングした。その結果、prgvOO48と呼ばれるESTが前胸腺特異的に発現していることを示した。prgvOO48の全長を決定し、bHLH型の転写因子をコードしていることを明らかにした。この分子のアミノ酸配列をショウジョウバエデータベースで検索し、ショウジョウバエのbHLH型転写因子であるHLH54Fと相同性が比較的高いことを明らかにした。そこで、in situハイブリダイゼーションで発現部位を調べ、HLH54Fが3齢幼虫の前胸腺細胞では発現が見られないが、胚期の前胸腺細胞と腸で特異的な発現が見られることを明らかにした。さらに遺伝学的な解析を行うため、Ga14/UAS系を用いて野生型HLH54Fを胚の前胸腺細胞で過剰発現させたところ、孵化後48時間から120時間の間に致死の表現型を示した。またHLH54Fを過剰発現させた系統はコントロールの系統と比べて幼虫期のエクジソン合成量が減少することを示した。

第4章は本研究の総括、第5章は図表、第6章は材料と方法、第7章は参考文献、第8章は謝辞となっている。

以上、本論文は、昆虫の脱皮・変態に関与する新規遺伝子2種類を明らかにしたもので、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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