No | 121613 | |
著者(漢字) | 平松,千尋 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ヒラマツ,チヒロ | |
標題(和) | 新世界ザル自然集団における色覚多様性の適応的意義 | |
標題(洋) | Adaptive significance of color vision polymorphism in natural populations of New World monkeys | |
報告番号 | 121613 | |
報告番号 | 甲21613 | |
学位授与日 | 2006.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(生命科学) | |
学位記番号 | 博創域第195号 | |
研究科 | 新領域創成科学研究科 | |
専攻 | 先端生命科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 序論 視覚の進化が霊長類の進化に大きな役割を果たしてきたことは議論に新しいことではない。樹上生活への適応、夜行性から昼行性生活への移行、さらに象徴概念の進化との関連性まで指摘されている。しかし動物の行動において視覚の役割を直接的に検証することは難しい。なぜなら視覚の異なる動物群で行動の違いを比較しても他の要素による違いと区別できないからだ。その点で色覚に大きな種内多型が存在する新世界ザルは同一種内で色覚の違いと行動の違いを比較できるため、色覚、広くは視覚の役割を検証するのに優れたモデル動物となりうる。 色覚進化の指標となるのが網膜の錐体細胞に発現する錐体オプシン遺伝子レパートリーの種類である。脊椎動物の錐体オプシンは吸収波長領域の違いと進化系統関係から4種類に分類される。それらは短波長側に最大吸収波長(λmax)を持つものから順にSWS1(紫外線型)、SWS2(青型)、RH2(緑型)、M/LWS(赤型)である。一般に魚類や鳥類はこれら全てを有しているが、多くの哺乳類はSWS2、RH2を消失しSWS1とM/LWSからなる2色型色覚である。これは夜行性生活を営んでいた祖先哺乳類が複雑な色覚を必要としなかったためと考えられる。霊長類が出現するとM/LWSサブタイプの獲得により3色型色覚を有するようになった。ヒトを含む旧世界霊長類はX染色体上にM/LWSの2つのサブタイプを遺伝子重複により有しており普遍的な3色型色覚である。しかし新世界ザルではX染色体1座位に異なるλmaxを示すM/LWSオプシン遺伝子が複対立遺伝子として存在することで3色型色覚個体が生まれ、また同一種内に高い色覚の多様性がみられる。メスはヘテロ接合となれば常染色体上のSWS1オプシンと合わせて3色型色覚となり、ホモ接合となれば2色型色覚となる。X染色体を1本しか持たないオスは全て2色型色覚である。3つの対立遺伝子を有する場合、同一種内に6タイプの色覚型が存在することになる。色覚の多様性が多くの属間で普遍的に見られることよりこの多型は新世界ザルの共通祖先で生じたと考えられ、M/LWS遺伝子に多型を維持する強い平衡選択が働いていることが示唆されている。平衡選択説のなかでも3色型が有利だとされるヘテロ超優性選択、少数派が有利とされる頻度依存性選択、各色覚型に有利点があるとするニッチの多様化などの仮説が挙げられているが明確な証拠は得られていない。3色型色覚が熟した果実や赤い若葉を見つけるのに適応的であるという見方が一般的である一方、2色型色覚にもカモフラージュを見破るなど有利点があることが実験的に示されている。しかし自然環境下で各色覚型の有利性を検証した例はない。また、自然集団における色覚多型の遺伝的様相も研究例が乏しい。本研究では野外霊長類研究者との共同研究により個体識別された自然集団に対して色覚型判定が可能となった。また色覚型が判定された個体を対象とし、採食行動、社会的行動において色覚型の違いによる行動の差異が存在するかを野外で検証した始めての報告である。 結果 糞サンプルを用いた色覚型判定 コスタリカ共和国、サンタロサ国立公園に生息している野生のノドジロオマキザル(Cebus capucinus) 2グループおよびチュウベイクモザル(Ateles geoffroyi)1グループから個体ごとに糞を採取した。霊長類のM/LWSオプシン遺伝子の吸収波長特性は3つのアミノ酸サイトにより決定されることが知られている。それらはexon3にコードされる180、exon5にコードされる277および285番目である(表1)。よって糞から抽出したゲノムDNAを用いてexon 3とexon 5をPCR 法で増幅し、ダイレクトシークエンスにより上記の3サイトに基づき各個体の色覚型を判定した。各個体につき、異なる機会に採取した2つの糞からの判定結果が同じ場合、それをその個体の色覚型とした。さらにメスにおいてホモ接合であった場合、リアルタイムPCR法により糞から抽出したサンプル中に含まれるゲノムDNA量を定量し、色覚型判定に用いたDNA量が対立遺伝子を見落とさないほど十分である200pgの基準を満たしているかを確認した。その結果、オマキザルからは3つの対立遺伝子が、クモザルからは2つの対立遺伝子が確認された(表1)。これらの対立遺伝子は3サイトの組み合わせから予測されるλmaxの値から、オマキザルではP530、P554、P560、クモザルではP552とP560と命名した。続いて、各対立遺伝子の全塩基配列約1.1kbを決定し系統樹を作成したところ、既知の系統関係と矛盾しない場所に位置したことから糞から抽出したDNAがヒトDNAなどのコンタミネーションではなく、目的の種から得られたものであることがわかった(図1)。 各グループのほぼ全個体に対して色覚型判定を行ったところ、オマキザルのLVグループとクモザルではヘテロ接合個体が観察されたが、オマキザルCPグループではP560の頻度が極めて高かった(表2)。共同研究者の長期行動観察によりCPグループでは一頭のオスが11年間交配を独占していることがわかっており、それによって色覚が均質化していることが考えられた。しかし、全てのグループにおいて観察された遺伝子型の頻度にハーディワインベルグの平衡からの有意なずれはなく、これらのグループが色覚選択的な交配はしていないことが示唆された。しかしながら、どのグループにおいても長波長側に吸収波長領域を持つ対立遺伝子、すなわちP560の頻度が有意に高かった。さらに各対立遺伝子から産生されると考えられるオプシンと同配列のオプシンをin vitroで再構成し、λmaxの測定を行った。オマキザルの3つのM/LWS視物質サブタイプのλmaxは3つのアミノ酸サイトからの予測値とほぼ一致したが、意外なことにクモザルの2つのM/LWSサブタイプのλmaxは予測値から大きくずれていた(図2)。2サブタイプ間の吸収波長領域の違いは予測されていたものより大きく、3色型個体は予測されたよりも広い波長域で色の識別ができていると考えられる。 行動観察 M/LWSオプシン遺伝子の解析により自然集団において色覚の多型が実際に観察されたことから、2004年から2005年の雨季と乾季合計8か月間サンタロサ国立公園において色覚型が判定されたクモザル(3色型色覚:9個体、2色型色覚:13個体)に対して行動観察を行った。1個体の行動を1-5分間追跡した連続記録を解析に用いた。連続記録は主に対象個体が採食行動をしている間に行い、採食品目とその色、バックグラウンドの有無、樹冠における位置や光条件、嗅覚など他の感覚の使用頻度について記録した。 クモザルは採食の90%を果実食に費やすことで知られている。果実にアプローチしてから食べなかった回数を全アプローチ回数から引いた割合を採食成功率と定義した。採食目撃回数の多かった13品目について採食成功率を光条件ごとにもとめた。その結果、2色型と3色型では有意な違いは見られなかった。このことから、色相だけでなく、明度の違いからも果実の熟し具合を判断できることが推定された。そこで、熟した果実、熟していない果実、バックグラウンドとなる葉の反射スペクトル(reflectance)、また光条件ごとの環境光(irradiance)を測定し(図3、4)、クモザルにとっての果実のバックグラウンドからの見えやすさをモデル化した(図5)。 また、モデルから求めた色相による見えやすさと明度による見えやすさと実際に観察した採食行動との相関を調べた図6(一部の結果)。その結果、2色型、3色型ともに明度による見えやすさでのみ行動との正の相関がみられた。よってクモザルの主な採食物はバックグラウンドとの明度の違いによりある程度予測でき、実際にクモザルも明度の違いを手がかりとして採食をしている可能性が強いと考えられた。図7は隠蔽色(cryptic)またはカラフル(colorful)な果実の採食成功率を2色型、3色型色覚それぞれにおいて光条件open、shaded間で比較したものである。2色型は光条件に影響を受けないが、3色型は隠蔽色の果実に対し、shadedではopenよりも採食成功率が下がる傾向にあった。 結論 野生の新世界ザルにおいて色覚の多型が実在することが確かめられた。また多型の頻度は集団の社会構造に大きく影響を受けること、M/LWSオプシン遺伝子サブタイプ(対立遺伝子)の種類はオマキザルとクモザルでは異なることが明らかとなった。長波長側に吸収波長域を持つサブタイプの方が調べた全グループにおいて頻度が高かった。このことは先行研究の結果とも一致しており何らかの選択を受けている可能性が考えられる。 採食行動の観察、また採食対象物の見つけやすさのモデル化により2色型、3色型色覚ともに明度の違いを主な手がかりとして採食行動を行っている可能性が示唆された。 果実採食によって3色型の際立った有利点はみられなかった。また3色型は光条件の影響を2色型よりも受けやすいことが明らかとなった。これらのことから3色型色覚は緑の背景から熟した果実を見つけるのに適しているために進化したという古くからの説、また超優性選択のみによる色覚多型の維持は考えにくいと結論した。 図1. 近隣接合法による塩基系統樹 表1. オマキザルとクモザルからみつかった対立遺伝子 表2. 各グループにおける各遺伝子型の個体数および遺伝子頻度 図2. 再構成されたオマキザル(左)およびクモザル(右)の各M/LWS視物質サブタイプの吸収波長スペクトル 図3. 対象物の反射スペクトル 図4. 環境光スペクトル 図5. 見え方のモデル化 図6. 行動とモデルとの相関 図7. 様々な果実の採食成功率(%) | |
審査要旨 | 本論文は4章から構成されるが、第1章と第4章はそれぞれ本博士論文全体の序章及び総括であるため、実質的内容は第2章と第3章から構成される。第2章はコスタリカ共和国サンタロサ国立公園に生息するノドジロオマキザル(Cebus capucinus)と中米クモザル(Ateles geoffroyi)を研究対象として、それらの野生群に色覚の多様性があることをDNA分析から明らかにした研究である。第3章はそれらのサルのうち中米クモザルに関して、さらに行動観察と採食物の反射光スペクトル測定を行い、色覚の多様性と採食行動の関連性を明らかにした研究である。 第2章の目的は新世界ザル類の野生群に実際に色覚多型が存在することを示し、さらにその多型の状態を赤-緑オプシン遺伝子の対立遺伝子頻度と遺伝子型頻度によって定量的に分析することであり、世界的にみても画期的な試みである。分析方法は糞からのDNA抽出という、動物を全く傷つけず行動にも干渉しない非侵襲方法であり、今日の動物福祉の観点からも研究目的からも理想的な方法が取られている。糞からの抽出という微量DNAの分析に必要な、コンタミネーション回避や個体同定ミス回避のための入念な注意も払われている。結果は、わずか20数頭という小集団に実際に色覚多型が存在するという、中立変異の集団遺伝学的常識から考えれば、驚くべきものである。さらに種間及び集団間で遺伝子頻度構成が大きく異なることを示したことは画期的である。また、脊椎動物の赤-緑オプシンの吸収波長は5箇所のアミノ酸置換により決定されるとする5サイトルールと呼ばれる経験則がこれまでに知られていたが、クモザルはこのルールが適用されない始めての例外であることを示した点も特筆すべき業績である。オマキザルにおいては2群を調べ、1群が3対立遺伝子をそれぞれ高頻度で持つのに対し、もう1群は2対立遺伝子しかなく、しかもそのうち一方が大多数を占めるという非常に偏った頻度構成をしていることを示した。この偏りの原因は第1位のオスザルが11年間も交尾をほぼ独占し、近親交配が進んでいるためであることを示し、色覚多型を解釈する上で集団史あるいは人口学的要因を考慮することの重要性を示したことは画期的である。 第3章の目的はクモザルの色覚多型に行動学上の意義があるかどうかを野生下で検証することであり、世界的にも始めての試みである。方法は野外霊長類学では定法として確立されている個体識別・個体追跡法を採用して、第2章で色覚型判定した個体の採食品目、採食頻度、採食時の近接個体、採食時の視覚・喚覚・触覚・味覚の使用頻度を根気よく記録する堅実なものである。さらに主な採食物である果実及びその背景となる葉の反射光を測定し、様々な天候、樹冠状態、時刻での環境光スペクトルにおけるそれらの見えやすさを、各色覚型に対してモデル化した。これもまた画期的な試みである。結果は、従来の通説と異なり、果実食において3色型色覚が2色型色覚に比べ、必ずしも有利とはいえないというものであり、色覚進化を考える上で極めて重要な知見をもたらしたといえる。 なお、本論文第3章は筒井登子、松本圭史、Filippo Aureli、Linda M. Fedigan、河村正二との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。 | |
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