学位論文要旨



No 121615
著者(漢字) 二橋,亮
著者(英字)
著者(カナ) フタハシ,リョウ
標題(和) アゲハ幼虫の擬態紋様形成を制御する分子機構
標題(洋) Molecular mechanisms of mimicry in larval body marking of the swallowtail butterfly, Papilio xuthus
報告番号 121615
報告番号 甲21615
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第197 番
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 助教授 河村,正二
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

昆虫は、外敵から身を守ったり、獲物を捕えたりするために、さまざまな方法で自らを他に似せる「擬態」を行なっている。擬態に関する研究は、生態学・行動学的な面から進められてきているが、擬態紋様を作り出す分子機構ついては、これまでほとんど明らかにされていない。

アゲハの幼虫(図1)は、4齢までは全身の大部分を黒色部が占め、鳥のフンに擬態している。しかし、5齢になると全身が緑色になって周囲の草木に擬態する。また、胸部には目玉模様が生じ、自分と同程度の相手を威嚇する効果があると考えられている。私は、幼虫体表の紋様が脱皮直前に形成される点に着目し、アゲハの3回目の脱皮と4回目の脱皮を比較することで、擬態紋様形成に関わる具体的な遺伝子の同定を試みた。また、紋様の切り替えが脱皮を介して行われることから、脱皮・変態に関わる2種の昆虫ホルモン(エクジソン、幼若ホルモン)が紋様形成に与える影響も検討した。

第1章cDNAサブトラクション法を用いた紋様形成に関わる新規遺伝子の探索

紋様形成に関わる新規遺伝子を得るため、cDNAサブトラクション法により、4回目の脱皮(4眠)時に発現の変化する遺伝子を探索した。終齢候補遺伝子、若齢候補遺伝子のスクリーニングをそれぞれ1,044および1,028クローンから行い、終齢特異的遺伝子、若齢特異的遺伝子の候補として、それぞれ31種、64種の遺伝子が得られた。得られた候補遺伝子については、RT-PCRによって、4眠時に特異的に発現が増加もしくは減少しているかを判定した。実際に4眠時に特異的に発現が増加すると判断された遺伝子の中には、青色色素の結合に関わるinsecticyanin相同遺伝子が見られたが、その発現領域をin situ hybridizationで解析したところ、4眠時で緑色の部分特異的に強く発現していた(図2A)。また、若齢特異的に発現する遺伝子の中には、若齢幼虫のイボ状突起特異的に発現するクチクラ蛋白質が複数得られた(図2B)。以上の結果から、実際に齢特異的に、アゲハ幼虫の体色や形態の変化に関わる遺伝子を複数同定することに成功した。

第2章 クチクラの黒色紋様領域はmelanin合成遺伝子の共局在によって制御されている

アゲハの若齢幼虫は、体の大部分が黒色部で占められるのに対して、終齢幼虫の黒色部は胸部の目玉模様や腹部の帯状紋の部分に限定される。黒色色素は、体表のクチクラ表面に沈着するが、黒色紋様は、クチクラを産生する真皮細胞内のmelanin前駆体の分布の局在が変化するためと考えられる。クチクラは体液中のphenylalanineもしくはtyrosineを基質に作られるが、melaninもtyrosineが基質になっている。黒色領域を制御する機構としては、melanin前駆体の合成が真皮細胞で領域特異的に行われるという可能性と、melanin前駆体の真皮細胞への取り込みが領域特異的に行われるという2つの可能性が想定された。そこで、黒色紋様の領域決定に関わる分子機構を解明するため、アゲハにおいてmelanin合成に関わる酵素(phenylalanine hydroxylase (PAH), tyrosine hydroxylase(TH), dopa decarboxylase (DDC), ebony)のクローニングを行った(図3A)。これらの酵素の発現部位をinsituhybridizationで解析したところ、PAHは一様に発現が見られたのに対して、THとDDCは目玉模様(図3B1)などの黒色領域でのみ強く発現することが確認された(図3B2-3)。さらにその発現領域は、3眠時と4眠時で大きく異なっており、どちらも将来の黒色部に対応して発現することが確認された。また、ebony遺伝子はアゲハの幼虫では目玉模様の赤色部の領域でのみ発現が確認された(図3B4)。

次にmelanin前駆体の真皮細胞への取り込みが領域ごとに制御されているかどうかを検証した。まず、着色前の皮膚を培養条件下で正常な着色を生じさせる系を確立した(図3C1)。培養液にTHもしくはDDCの阻害剤を加えると、黒の着色は完全に阻害されたことから、黒色形成にTHとDDCが必須であることが確認された(図3C2)。培養液にTH阻害剤を加えた状態でさらにdopaを投与すると、着色が再現されただけではなく、皮膚全体が黒色化することが確認された(図3C3)。さらに、TH阻害剤を加えた状態でdopamineを投与した場合は、皮膚全体が黒色化して、通常見られる黒色紋様は不明瞭になることが確認された(図3C4)。培養液中への前駆体の投与によって紋様が不明瞭になることは、melanin前駆体の取り込みに領域特異性が少ないことを意味する。以上の結果から、黒色紋様の領域は、基本的には真皮細胞中の酵素の局在によって制御されており、THとDDCが発現する細胞は黒いクチクラを、THとDDCに加えてebonyも発現する細胞は赤いクチクラを産生することが明らかになった(図4)。

第3章 GTPCHIはisoform特異的に紋様形成を制御する

真皮細胞で一様に発現するPAHと黒色紋様特異的に発現するTHは、その酵素活性を得るためには、補因子としてBH4を必要とするが、BH4の合成にはGuanosine triphosphate-cyclohydrolase I(GTPCHI)の酵素活性が必須である。他の生物ではGTPCHIと黒色紋様との関連が示唆されていたが、その領域特異性については報告例がなかった。培養系において、GTPCHIの阻害剤を加えると着色は阻害され、dopaを加えることで着色および皮膚全体の黒化が引き起こされた。この結果はTHと非常に類似していたため、紋様との関連について解析した。興味深いことに、GTPCHIはアゲハ幼虫皮膚から2つのisoformが単離されたので、それぞれについて発現部位の解析を行ったところ、一方のisoformは一様に、もう一方は黒色紋様特異的に発現することが明らかになった。この結果は、isoformごとの発現パターンを変化させることで、全体的に発現するPAHと紋様特異的に発現するTHの両方に十分量のBH4を供給することを意味しており、黒色紋様制御がメラニン合成に直接関わる酵素以外のステップでも多段階で制御されていることが示唆された。

第4章 エクジソンのパルスが色素合成遺伝子の転写を制御する

アゲハ幼虫紋様の色素合成は脱皮直前に行われるが、この時期はエクジソンのパルスの直後に相当するため、エクジソンのパルスが色素合成に関わる遺伝子の転写を誘導することが予想された。エクジソンと色素合成遺伝子の関連を確かめるため、脱皮前にエクジソンを局所的に投与したときの幼虫紋様の変化、および色素合成遺伝子の発現の変化を解析した。エクジソンの下降する時期に投与を行い、その濃度を高め続けると、投与した部分の黒色部や緑色部の形成が顕著に阻害された。これらの個体で、メラニン合成に関わるTH,DDC,ebonyや緑色形成に関わると予想されるFsg02, Fsg20の発現の変化をin situ hybridizationで解析したところ、いずれの遺伝子も紋様部分での発現が抑制されており、エクジソンによって色素合成遺伝子の転写が制御されていることが実際に確認された。

第5章幼若ホルモンが紋様パターンの決定を制御する

アゲハ幼虫は3眠時と4眠時で紋様パターンを大きく変化させるが、このパターンの変更が、どの時点で決定されるのかを調べる目的で、アゲハの脱皮時期を人為的に変化させたときの影響を解析した。アゲハ4齢幼虫は通常約4日後に5齢へと脱皮するが、エクジソン投与により、4齢脱皮後すぐに強制脱皮させると若齢型の5齢になり、脱皮時期が通常の5齢脱皮に近づくにつれ、紋様が終齢型へ連続的に変化することが確認された。この結果は、4齢になってから、紋様パターンの決定に関わる因子が連続的に変化することを意味する。次に、4齢幼虫初期に幼若ホルモンを投与したところ、高い確率で若齢型の5齢が現れたことから(図5)、幼若ホルモンが紋様パターンの決定に関わっていることが示唆された。幼若ホルモンは、昆虫一般的に濃度の高いときに幼虫脱皮を引き起こし、濃度の低いときに蛹への変態を引き起こすが、今回の結果から、アゲハでは4齢になってから幼若ホルモン濃度が徐々に減少し、その濃度に応じて5齢の斑紋パターンが決定される可能性が考えられた(図5)。幼若ホルモン処理を行った個体で色素合成遺伝子の発現パターンを調べたところ、実際に4眠時での発現パターンが通常の3眠型に変化することも確認された。以上の結果から、幼若ホルモンがアゲハ幼虫のパターンの決定を制御していることが確認された。

まとめ

本研究から、従来ほとんど不明であった擬態紋様形成に関わる具体的な遺伝子が複数見出された。また、紋様形成にはパターン形成と色素合成の二面性があるが、幼若ホルモンとエクジソンが、それぞれのステップに関わる遺伝子を制御していることが確認された。本研究の結果が、昆虫の擬態紋様に関わる分子機構の解明につながることが期待される。

図1.アゲハ幼虫の齢による紋様変化

図2.齢特異的遺伝子の発現解析の例. A:終齢特異的遺伝子(Fsg02)の発現解析.左は5齢幼虫. insecticyanin相同遺伝子であるFsg02は5齢時に緑色になる領域で特異的に発現する(右).B:若齢特異的遺伝子(Jsg12)の発現解析.左上は若齢幼虫の皮膚(矢頭はイボ状突起).Jsg12はイボ状突起の部分で特異的に発現する(右上,下は皮膚切片).

図3. melanin合成に関わる遺伝子の解析. A: melanin合成の各ステップに関わる遺伝子. B:各遺伝子の発現解析(in situ hybridization). C:培養条件下における着色の様子.

図4. クチクラの着色領域の決定に関わるメカニズム.真皮細胞は体液中のphenylalanineもしくはtyrosineを基質にクチクラを産生するが, THとDDCの発現する細胞は黒いクチクラを, TH, DDCに加えてebonyも発現する細胞は赤いクチクラを産生すると考えられる.

図5.幼若ホルモンによる5齢幼虫の紋様パターンの変化.幼若ホルモン処理により若齢型の5齢幼虫を誘導できる.予想されるアゲハ幼虫体内におけるホルモン濃度変化を図示した.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、第1章はcDNAサブトラクション法によるアゲハ幼虫皮膚で齢特異的に発現する遺伝子の同定について、第2章はメラニン合成酵素とクチクラ紋様との関係について、第3章はメラニン合成に間接的に関与するGTPCHIのisoform特異的な発現について、第4章はエクジステロイドが色素合成に与える影響について、第5章は幼虫の紋様決定におけるJHの役割について述べられている。

論文提出者は、第1章において、紋様形成に関わる新規遺伝子を得るため、cDNAサブトラクション法により、4回目の脱皮(4眠)時に発現の変化する遺伝子を探索した。終齢候補遺伝子、若齢候補遺伝子のスクリーニングをそれぞれ1,044および1,028クローンから行い、終齢特異的遺伝子、若齢特異的遺伝子の候補として、それぞれ31種、64種の遺伝子を得ている。その中には、RT-PCRおよびin situ hybridizationを用いた発現解析の結果から、終齢幼虫の緑色部になる部分で特異的に発現している遺伝子や、若齢幼虫のイボ状突起の部分で特異的な発現の見られたクチクラ蛋白質が、複数含まれている。このように、実際に齢特異的に、アゲハ幼虫の体色や形態の変化に関わる遺伝子を複数得ることに成功した点は、高く評価できる。

第2章では、クチクラ表面の紋様形成に関与するメカニズムの解明を目的に、クチクラ上の色素を産生すると考えられるメラニン合成酵素の発現と、培養皮膚を用いたメラニン前駆体の皮膚への取り込みについて解析している。メラニン合成酵素のうち、TH,DDCは黒色部に、ebonyは赤色部と一致した発現が確認されている。また、培養実験の結果から、メラニン前駆体の皮膚への取り込みは一様であることが示されている。酵素の発現解析と、前駆体の取り込みの両方の面から、メラニン合成酵素の局在が、幼虫クチクラの色素の分布を制御することを初めて示した点は評価に値する。

第3章では、メラニン合成酵素のうち、紋様特異的に発現するTHと、全体で発現するPAHに必要な補因子BH4を産生するGTPCHIの紋様との関わりについて考察している。GTPCHIの発現が、黒色紋様に関連することを具体的に示した例は本研究が初めてであると同時に、isoform特異的に紋様形成に関連が見られたこと、色素を直接合成する酵素以外のステップでも紋様形成は制御されていることを示した点は、紋様形成の制御機構を考える上で大きな意義がある。

第4章では、エクジステロイドによる色素合成遺伝子の転写制御について解析している。論文提出者は、個体に局所的にエクジステロイドの影響を与える系を構築し、エクジステロイドが実際に色素合成に影響を及ぼすことを調べた上で、1〜3章で得られた色素合成に関わる遺伝子の発現とエクジステロイドとの関連を解析している。エクジステロイドのパルスによって、色素合成に関わる複数の遺伝子の発現が誘導されるという結果は、脱皮直前に色素合成がなされるという現象を矛盾なく説明できるものであり、ホルモンと紋様形成の関連をつなぐ有用な情報が得られたといえよう。

第5章では、幼若ホルモンによる紋様形成を調べるために、幼若ホルモン投与による紋様の変化について解析している。本章の結果は、紋様パターンの決定が幼若ホルモン依存的であることを示唆している。また、幼若ホルモン投与によって色素合成遺伝子の発現パターンが変化するという結果は、紋様のパターン形成を担う遺伝子が、幼若ホルモンによって制御されていることを示す興味深いものである。

紋様形成など後期発生を制御する分子機構は研究が遅れていたが、本論文は幼虫紋様に関わる具体的な遺伝子を多数明らかにした点と、ホルモンによる紋様形成の制御機構に対する新知見を与えた点が高く評価される。本論文の結果から、これまで謎につつまれていたホルモンによる紋様形成の制御機構、さらに紋様のパターン形成と色素合成を結びつけるメカニズムが、今後明らかにされることが期待される。

なお、本論文は藤原晴彦氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であったと判断する。

従って、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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