学位論文要旨



No 121617
著者(漢字) 村松,大
著者(英字)
著者(カナ) ムラマツ,ダイ
標題(和) 成体マウス大脳皮質へのGABA作動性ニューロンの移植
標題(洋)
報告番号 121617
報告番号 甲21617
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第199 番
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 久恒,辰博
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 助教授 青木,不学
 東京大学 助教授 松本,直樹
 東京大学 講師 尾田,正二
内容要旨 要旨を表示する

序論

ここに19世紀の偉大なる神経解剖学者Santiago Ramon y Cajalから、我々に送られた一つのメッセージがある。「成体哺乳類の中枢神経は一度損傷すれば、二やと再生させる事は出来ないだろう。この考えを変えることが可能であるとするなら、それは将来の科学である。」

大脳皮質は脳各部位より得られた情報を基に、思考・推理・決断を行う部位である。端的に言えば、「個体のキャラクター」を司る部位で、人間で言うところの人格を司る部位と言える。大脳皮質はグルタミン酸作動性ニューロンとGABA作動性ニューロンで構成されている。グルタミン酸作動性ニューロンは投射型ニューロンとも言われ、脳の各領域へ投射し回路網を形成している。GABA作動性ニューロンはグルタミン酸作動性ニューロンの活性制御を行うニューロンであり、この活性制御を介し脳の活動を制御している。このGABA作動性ニューロンが脱落すると脳内での情報処理に障害が生じ、統合失調症などの病状を引き起こすことになる。その結果、幻覚症や認知症、人格障害に陥り、その後の生活に多大な影響を及ぼすことになる。その為、移植療法など、再生医療による大脳皮質でのGABA作動性ニューロンの再生に期待が集まっている。

しかし、これまで神経幹細胞やES細胞等の移植実験がなされているが、大脳皮質において明確にニューロンが再生したという報告はごく僅かである。また、その報告も非常に特殊な環境下で行われたものであり、再生医療への応用は非常に困難であると考えられる。ではなぜ、大脳皮質でのニューロン再生は困難であるのか。その理由は非常に簡単である。大脳皮質は脳内において最もニューロン分化に抑制的な環境だからである。

そこで、我々はこの抑制環境を打破すべく遺伝子の利用を考えた。ニューロン分化に重要な役割を果たすニューラルbHLH転写因子を神経幹細胞に遺伝子導入し、強力にGABA作動性ニューロンへの分化誘導を促進、これを移植する事で、成体大脳皮質におけるGABA作動性ニューロンの再生を試みた。

最も困難とされる成体大脳皮質でのニューロンの再生、それはCajalのメッセージを借りるとすれば、まさに将来の科学への挑戦とも言えるだろう。

結果

ニューラルbHLH転写因子によるニューロン分化誘導能の解析

ニューラルbHLH転写因子Neurogenin1(Ngn1)、 Mash1は、発生期マウス脳内において神経発生期に発現の見られる遺伝子であり、神経幹細胞がニューロンへ分化する際の運命決定に関与すると言われている。そこでまず我々は、Ngn1とMash1のどちらがニューロン分化誘導能において優れているのかをin vitroにおいて解析した。P53ノックアウトマウスより樹立された神経幹細胞株Mouse Striatal Precursor-1(MSP-1)細胞へ、レトロウィルスベクターを用いNgn1-IRES-EGFP,Mash1-IRES-EGFP、 Control-EGFPをそれぞれ遺伝子導入した10ng/mlbFGFを添加したN2-S培地において4日間培養後、成熟ニューロンマーカーであるNeuNにより免疫抗体染色を行った。その結果、Ngn1がMash1に比べ遥かにニューロン分化誘導能が高い事が示された。よって、我々は移植に用いるには、Ngn1の方がMash1よりも適していると考え、さらにNgn1遺伝子によって誘導されたニューロンに関して、in vitroでの解析を行った。電気生理学的解析から、Ngn1によって誘導されたニューロンには、ニューロン特異的な電位依存性Na+チャネルの発現が確認された。また、免疫抗体染色による解析から、誘導されたニューロンはGlutamic acid decarboxylase(Gad67)やγ-aminobutyric acid(GABA)を発現することから、GABA作動性ニューロンである事が示された.

integrin α5を指標にした細胞移植に適した時期の選定

一般に、脳組織への細胞移植の際、神経幹細胞の状態では生着率は高いがニューロンへの分化率は低く、一方、ニューロンに分化した状態では生着率が低いとされている。そこで我々は、移植に用いるにはニューロンへ分化する直前の細胞が良いと考え、細胞接着分子であるintegrin α5の発現解析を行ったIntegrin α5は発生期マウス大脳皮質における研究から、神経幹細胞がニューロンへ分化する際に、その発現が減少することが、当研究室の吉田真子により報告されている。FACSを用いた解析から、Ngn1遺伝子導入後2日目より、integrin α5の発現低下した細胞が増加してくることが確認された。よって我々は、ニューロンへ分化する直前の細胞が増加し始めるこの時期が、最も移植に適していると判断し、成体マウス大脳皮質への移植実験を行った。

成体マウス大脳皮質へのGABA作動性ニューロンの移植

Ngn1遺伝子導入2日後のMSP-1細胞を、4週齢のICRマウス大脳皮質へ移植した。細胞移植5日後に固定し免疫抗体染色による解析を行った。その結果、移植された細胞の中に成熟ニューロンマーカーNeuNを発現しているものが見られた。また、移植され、NeuNを発現する成熟ニューロンはGABAを発現しており、形態的に見てもGABA作動性ニューロン様の放射状樹状突起を持つことから、GABA作動性ニューロンへ分化したことが示された。さらに、その樹状突起には、他のニューロンとシナプス形成をする際に見られるとされる、スパイン構造が見られた。この事から、移植されたGABA作動性ニューロンはドナーのニューロン回路網に組み込まれたことが予測される。以上の結果から、成体マウス大脳皮質へ移植された細胞は、わずか5日という短期間でGABA作動性ニューロンへ分化したことが明確に示された。

次に、細胞移植を行った切片をカウントした結果、NeuNを発現するものは全体の約1割であり、他の多くの移植細胞も未成熟ニューロンマーカーであるdouble-cortin(Dcx)を発現していた。また、観察の結果NeuNを発現する移植細胞は、その分布に局在性を持つ事が伺えた。移植はニードルによるインジェクションで行われるが、この際、ニードルによる損傷でドナーのニューロンは脱落する。NeuNを発現する移植細胞は常に、ニードル損傷領域外側に見られた。この局在性を反映してカウントを行った結果、ニードル損傷領域外側に存在する多くの移植細胞がNeuNを発現し、成熟ニューロンへと分化しているという事が見出された。一方、ニードル損傷領域内側に存在する移植細胞はDcxを発現するものがほとんどで、NeuNを発現するものは見られなかった。この結果は、ニードル損傷領域外側、つまり、ニードル損傷が無くドナーのニューロンが生存する領域においてのみ、移植細胞は成熟ニューロンへ分化するということを示唆していると考えられる。

結論

ニューラルbHLH転写因子の導入により、神経幹細胞のニューロン分化率は飛躍的に上昇した。また、このニューロン分化誘導能はMash1と比べNgn1の方がより効果的であった。

Integrin α5の発現低下を指標にし、効率的に神経幹細胞がニューロンへ分化する直前の時期を選定し、移植を行う事が可能となった。

移植された細胞は5日という短期間でニューロンへ分化した。また、成熟ニューロンへ分化したものはGABA作動性ニューロンであった。また、移植された細胞はドナーのニューロンが存在する領域において、成熟したニューロンへ分化した。

図1 Ngn1,Mash1のニューロン分化誘導能の比較Ngn1-IRES-EGFP,Mash1-IRES-EGFP,Control-EGFPをレトロウィルスベクターにより、MSP-1細胞に遺伝子導入しN2-s+10 ng/ml bFGFで培養。4日後固定し、免疫抗体染色により、NeuNを発現した細胞をカウントした。

図2 Ngn1遺伝子導入によるiotegrin α5発現の減少 Ngn1-IRES-EGFPをレトロウィルスベクターにより、MSP-1細胞に遺伝子導入しN2-s+10 ng/ml bFGFで培養。FACSを用い1-4日でのinegrin α5の発現を解析した。Ngn1導入2日後よりintegrin α5の発現低下が見られた。

図3 移植された成熟ニューロン左図:移植5日後における免疫抗体染色による写真。NeuNを発現する成熟ニューロンはGABAを発現する事から、GABA作動性ニューロンである事が示された。Scale bar=40μm 右図:移植された成熟ニューロンの樹状突起には、他のニューロンとのシナプス形成の際に見られる、スパイン構造といわれるコブ状の構造が多数見られた。Scale bar=4μm

図3 移植細胞の局在に対するカウント移植されたNeuNを発現するニューロンは、ニードル損傷領域の外側に局在していた。この局在を元にカウントを行った結果、移値細胞はニードル損傷領域外側において成熟ニューロンへと分化することが示唆された。Scale bar=40μm

Muramatsu D, Sato Y, Hishiyama S, Miyamoto Y, Hisatsune H Transplantation of GABAergic neurons into adult mouse neocortexExperimental Neurology., 2005; 194: 1-11
審査要旨 要旨を表示する

本論文の内容は3部構成になっており、第1部については、ニューラルbHLH転写因子による神経幹細胞のニューロン分化誘導、第2部については、細胞の移植に適した時期の選定、第3部については、成体大脳皮質へのGABA作動性ニューロンの移植について述べられている。

成体大脳皮質は思考・推理・決断といった高次機能を司る部位である。GABA作動性ニューロンは脳波を生み出し、脳機能の正常化に関わるニューロンであり、GABA作動性ニューロンの脱落は統合失調症などの病状を引き起こす事が知られている。その為、移植療法による成体大脳皮質のGABA作動性ニューロン再生に期待が持たれている。しかし、現在、成体大脳皮質において明確にニューロンを再生させたという報告はされていない。この理由は成体大脳皮質がニューロン分化に対し、非常に抑制的環境下である為、神経幹細胞を移植してもニューロンへ分化する事が出来ないからである。そこで、本研究ではニューロン分化に重要な役割を果たすニューラルbHLH転写因子を神経幹細胞へ遺伝子導入し、強力にGABA作動性ニューロンへの分化誘導を促進、これを移植する事で、成体大脳皮質におけるGABA作動性ニューロンの再生を試みた。

第一章では、ニューラルbHLH転写因子Ngnl,Mashlを株化神経幹細胞株MSP-1へ遺伝子導入し、両遺伝子のニューロン分化誘導能についての解析をin vitroにおいて行った。その結果、NgnlがMashlよりもニューロン分化誘導能が高い事、また、誘導されるニューロンはGABA作動性ニューロンである事が示された。これまで、NgnlとMashlのニューロン分化誘導能の比較を行った研究は無く、このデータは貴重なものであると考えられる。

第二章では、脳組織への細胞移植の際、神経幹細胞の状態では生着率は高いがニューロンへの分化率は低く、一方、ニューロンに分化した状態では生着率が低いとされている。そこで、移植に用いるにはニューロンへ分化する直前の細胞が良いと考え、細胞接着分子であるintegrin α5を指標にし、細胞の移植に適した時期の選定を行った。integrin α5は神経幹細胞がニューロンへ分化する際に、発現が減少するという報告がなされている。FACSを用いた解析から、Ngnl遺伝子導入後2日目より、integrin α5の発現低下した細胞が確認された。よって、この時期の細胞が移植に適していると判断した。

第三章では、第一章、二章の結果をうけ、成体マウス大脳皮質への細胞移植を行った。Ngnl遺伝子導入後2日目の細胞を、4週齢の成体マウス大脳皮質へと移植し5日後、固定した切片を免疫抗体染色により解析を行った。その結果、成熟ニューロンマーカーNeuNを発現した移植細胞が見られた。また、このNeuN(+)となった移植細胞はGABAを発現し、形態的にもGABA作動性ニューロン様の放射状樹状突起を持つ事から、GABA作動性ニューロンへ分化した事が確認された。さらに、その樹状突起には、他のニューロンとシナプス形成をする際に見られるスパイン構造が見られた事から、GABA作動性ニューロンとなった移植細胞はレシピエントの神経回路網に組み込まれたと予測される。以上の結果から、成体マウス大脳皮質へ移植された細胞は、わずか5日という短期間でGABA作動性ニューロンへ分化したことが明確に示された。本研究により、これまで困難とされてきた成体大脳皮質への移植によりニューロンの再生が可能となった事は、今後、様々な脳障害への治療に大きく寄与し、脳の再生医療に対する新たな可能性を見出すものと考えられる。

本論文は成体マウス大脳皮質へのGABA作動性ニューロンの移植についての基礎的なデータを示し、脳の再生医療の手段として期待できることを示した有意義な内容であると判断できる。したがって、論文提出者は、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク