学位論文要旨



No 121620
著者(漢字) 村田,亜沙子
著者(英字)
著者(カナ) ムラタ,アサコ
標題(和) セリン骨格を有する新規核酸類縁ポリエステルの固相合成
標題(洋)
報告番号 121620
報告番号 甲21620
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第202号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 和田,猛
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 助教授 田口,英樹
 東京大学 助教授 津本,浩平
内容要旨 要旨を表示する

序論

自然界で見られる分子認識で最も重要なもののひとつに,核酸塩基同士の相互作用がある。核酸塩基は,水素結合によりアデニンとチミン(ウラシル)あるいはグアニンとシトシンといった相補的な塩基対を形成し,それらが規則的に配列することで,遺伝情報の貯蔵や伝達という生物の最も重要な生命活動を可能にしている。また,塩基配列間の特異的な相互作用を利用することで,標識プローブなどの生物学的ツールとして,またアンチセンス分子やsiRNAなどの医薬としての応用が期待されている。一方,核酸やタンパク質をはじめとする生体分子は光学活性体であり,そのキラリティーは生体機能の発現に重要な役割を果たしている。このような分子の不斉認識能は,不斉触媒による不斉合成などの反応開発の分野,あるいはクロマトグラフィーカラムによる光学活性体の分離などの分離精製技術への応用など,他の分子に対する認識機構のひとつとして広く研究されている分野である。

そこで本研究では,新しいタイプの核酸類縁体として,アミノ酸である光学活性セリンを基本骨格とし,そこに核酸塩基を規則的に導入した核酸類縁ポリエステル(serine-based nucleobase-linked polyester: SNE)(Figure 1)をデザインし,それを合成することを目的とした。

SNEには次のような特徴がある。まずひとつは,ポリエステルであるということである。エステル結合を有することにより,オリゴマーは,比較的高い水溶性を有することが期待される。もうひとつは,基本骨格に不斉炭素を有することである。立体化学的に純粋なモノマーが縮合したオリゴマーには,主鎖のキラリティーに基づいた規則正しいらせん構造が誘起されることが期待される。核酸塩基同士の相互作用に加え,骨格のキラリティーにより誘起される不斉な環境により,他の分子に対する不斉認識能が発現し,アンチセンス分子や不斉重合のテンプレートとしても応用可能な,新たな機能性高分子の創成が可能であると考えられる。また,塩基性条件下で加水分解されやすいエステル結合を有するこのような核酸類縁体の合成はこれまでにほとんど報告例がなく,その化学合成法を開発することで,有機合成上極めて有用な知見が得られるものと考えられる。

本研究では,SNEオリゴマーの合成を目指し,4種類の核酸塩基を含むオリゴマーの合成に適用可能な固相法の開発を行った。

結果

モノマーユニットの合成

まず,L-セリンを基本骨格とし,核酸塩基部位に保護基を必要としないチミン誘導体の合成を目指し,そのモノマーユニットの合成を行った(Scheme 1)。

セリンとチミニル酢酸をジシクロヘキシルカルボジイミド(DCC)存在下で縮合し,次いで水酸基のモノメトキシトリチル(MMTr)基による保護,最後にエチルエステルの加水分解を経て,目的とするモノマーユニットを良好な収率で得ることができた。また,ウラシル,シトシン,アデニンを含むモノマーユニットも,同様の方法で合成した。

次に,このようにして合成したモノマーユニットの光学純度を検定した。逆相キラルカラムを用いた高速液体クロマトグラフィー(キラルRP-HPLC)により,チミンを含むモノマーユニットの両対掌体を分析したところ,20%程度のラセミ化が起こっていることがわかった。そこで,新たなモノマーユニットの合成経路を検討した。

前述のモノマーユニットの合成経路で最もラセミ化が起こる可能性が高いのは,第4級アンモニウムヒドロキシドによるエチルエステルの加水分解の過程である。そこで,この過程を経ない新しい合成経路を考えた(Scheme 2)。

チミニル酢酸ペンタフルオロフェニルエステルによるセリンのアミノ基のアシル化,水酸基のMMTr基による保護,カルボキシル基の塩交換を経て,目的とするモノマーユニットを良好な収率で得ることができた。先程と同様にキラルカラムを用いたRP-HPLCによる分析を行った結果,L体は98%e.e.,D体は97%e.e.と高い光学純度でモノマーユニットを合成できた。

縮合反応の検討

得られたモノマーユニットを用いて,アルコールとのエステル結合生成反応を検討した(Scheme 3)。

種々の縮合剤を用いて反応条件を検討した結果,当研究室で開発した新規縮合剤(3-ニトロ-1,2,4-トリアゾリルトリスピロリジニルホスホニウムヘキサフルオロホスフェート:PyNTP)を用い,ピリジン存在下,ジクロロメタン中で反応を行なった場合に,短時間かつ高収率で目的とする生成物が得られることがわかった。

新規リンカーの合成と固相法への応用

本研究でデザインしたSNEは,ポリエステルであるため,塩基性条件下で容易に加水分解される。そこで,オリゴマー上のエステル結合を切断することなく固相担体からの切り出しが可能な新しいタイプのリンカーをデザインし,合成することにした。

本研究でデザインしたリンカー(Figure 3)は,アジド基の還元により生じたアミノ基が隣接するカルボニル炭素を求核攻撃することで1,6脱離反応が起こり,穏和な中性条件下,オリゴマーの切り出しが可能であると考えた(Scheme 4)。そこで,このリンカーの合成を試みた。まず,4-ヒドロキシイソフタル酸を出発原料として,全8工程収率52%で目的とするリンカーを合成することに成功した。

次に,高架橋ポリスチレン樹脂(HCP)へのリンカーの導入反応を行い,固相担体からのオリゴマーの切り出し反応について,反応条件の検討を行った。その結果,還元剤としてメチルジフェニルホスフィンを用い,ジオキサン-水中で反応を行った場合に,高効率で切り出し反応が進行することがわかった。さらに,固相担体上でダイマーを合成し,検討した切り出し条件でダイマー上のエステル結合が切断されるかどうかを確認した。RP-HPLCによる分析の結果,エステル結合を切断することなくダイマーを固相担体から切り出すことができた。

固相担体上での縮合反応とラセミ化の検討

本研究で開発した新規リンカーを用いて,固相担体からエステル結合を切断することなくSNEダイマーを切り出すことができたので,次に固相担体上での縮合反応およびラセミ化の検討を行った。固相担体へモノマーを様々な縮合反応条件で縮合し,MMTr 基の除去,固相担体からの切り出しを行った(Scheme 5)。

切り出し後,キラルカラムを用いたRP-HPLC による生成物の分析を行い,その光学純度を検定した。その結果,液相法で最適化した縮合反応条件では,若干のラセミ化が起こっていることがわかった。そこで,種々の縮合剤および塩基,求核触媒を検討した結果,縮合剤としてPyNTP,塩基としてキノリンを用いた場合に,縮合収率およびラセミ化ともに良好な結果が得られた。N-アシルアミノ酸はカルボキシ基の活性化に伴うラセミ化が起こりやすいとされ,本研究で見いだした効率的なエステル結合生成反応の条件は,N-アシルアミノ酸の縮合反応に関する研究にも極めて重要な知見となるものである。

結論

本研究では,セリン骨格を有する新規核酸類縁ポリエステルをデザインし,その合成について検討した。まず,光学活性なモノマーユニットの合成法を確立した。次に,それらを用いた迅速なエステル結合生成反応条件を見いだした。また,オリゴマー合成を目指し,還元反応を用いた穏和且つ中性条件下で切り出しが可能である新規リンカーを合成した。さらに,固相担体上でラセミ化を抑制した縮合反応条件を見いだした。

Figure 1 Structure of SNE

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、セリンを基本骨格とする新規核酸類縁ポリエステルの合成法について述べたものであり、序論および本論の九章より構成されている。

序論では、現在までに報告されている人工核酸の例を挙げ、分子生物学ツールや医薬としての応用が期待される新しいタイプの人工核酸として、セリンを基本骨格とする新規核酸類縁ポリエステルのデザインおよび本研究の目的と意義を述べている。本論の第一章では、チミン、シトシン、アデニンをそれぞれ含むモノマーユニットの合成法の開発について述べている。まず、核酸塩基部位に保護基を必要としないチミンを含むモノマーユニットの合成を行っている。次に、核酸塩基部位の保護基として、ホスフィンの処理により穏和な中性条件下で脱保護可能である2-アジドメチルベンゾイル基を用いて、シトシンを含むモノマーユニットの合成を行っている。同様の合成反応により、アデニンを含むモノマーユニットの合成を試みているが、水酸基のモノメトキシトリチル基による保護が効率よく行えなかったため、新たな合成経路を検討している。その結果、水酸基をモノメトキシトリチル基により保護したのちに、αアミノ基のアデニル酢酸によるアシル化を行った場合に、効率よくアデニンを含むモノマーユニットを合成することに成功している。第二章では、第一章で合成したモノマーユニットの光学純度の検定およびモノマーユニットの新たな合成法の開発について述べている。キラルカラムを用いた高速液体クロマトグラフィー分析(キラルRP-HPLC)により、セリンエチルエステルを出発原料とする合成経路では、モノマーユニットの光学純度が66%と極めて低いものになっていることを確認している。この光学純度の低下は、エチルエステルのアルカリ加水分解反応に原因があると考え、その過程を経ない新たな合成経路を検討している。その結果、高い光学純度(L 体が98%、D体が96%、かつ高収率で目的とするモノマーユニットを合成することに成功している。第三章では、チミンを含むモノマーユニットとフルオレニルメタノールとのエステル結合生成反応に関して、反応条件を詳細に検討している。その結果、ニトロトリアゾリルトリスピロリジニノホスホニウムヘキサフルオロホスフェート(PyNTP)を縮合剤として、ピリジンを塩基として用い、ジクロロメタン中で反応を行った場合に、迅速かつ定量的にエステル結合を生成できることを見い出している。第四章では、オリゴマー合成のモデルとして、液相法による二量体合成について述べるとともに、穏和な中性条件下オリゴマーの固相担体からの切り出しが可能なリンカーの合成および液相法におけるオリゴマーの切り出しのモデル反応について述べている。まず、フッ化物イオンとケイ素原子との親和性を利用したβ脱離反応により、穏和な中性条件下除去可能な2-フェニルー2-トリメチルシリルエチル(PTMSE)基をカルボキシル末端の保護基として用いてSNE二量体を合成し、二量体のエステル結合を切断することなくPTMSE基を除去できることを明らかにしている。次に、PTMSE基と同様に、フッ化物イオンとケイ素原子との親和性を利用した1,6-脱離反応により固相担体からの切り出しが可能なリンカーを合成し、オリゴマーの切り出し反応について、液相でのモデル反応により検討している。第五章では、第四章で合成したリンカーを固相担体に導入し、SNEオリゴマーの切り出し反応条件を検討している。その結果、テトラブチルアンモニウムフルオリドを切り出しの試薬として用いると、切り出しの効率は良いものの、SNEオリゴマーのエステル結合が断されることを確認している。第六章では、より穏和な反応条件でオリゴマーの固相担体からの切り出しが可能であると考えられる新規リンカーをデザインし、その合成について述べている。また、切り出しのモデル化合物を合成し、メチルジフェニルホスフィンを反応させることにより、迅速に切り出し反応が進行することを確認している。第七章では、新規リンカーを固相担体に導入し、オリゴマーの切り出し反応条件を検討している。その結果、液相でのモデル実験でもっとも切り出し効率の良かった反応条件では、固相担体からの切り出し効率が低いことが明らかになったため、さらなる反応条件の検討を行っている。切り出しの効率が低いのは、反応過程で生じるリンカーのキノンメチドに、切り出された化合物が付加する副反応が起こっているためであると考察し、キノンメチドの捕捉剤として2-メルカプトエタノールを反応系中に添加することで、切り出しの効率を大幅に向上させることに成功している。また、最適化した反応条件でSNE二量体を固相担体から切り出し、エステル結合を切断することなくSNE二量体が得られることを、逆相シリカゲルカラムを用いた高速液体クロマトグラフィー分析により確認している。第八章では、固相担体上における縮合反応の検討とラセミ化の検定について述べている。固相担体上に担持したリンカーの水酸基に対してチミンを含むモノマーユニットを縮合し、各反応条件における縮合収率を算出するとともに、固相担体から切り出したモノマーユニットの光学純度をキラルRP-HPLC分析により検定している。その結果、PyNTPを縮合剤として、塩基としてキノリンを用い、ダブルカップリング法により縮合反応を行うことで、迅速かつ定量的にエステル結合を生成できること、モノマーユニットのラセミ化を最小限に抑制できることを見い出している。第九章では、二量体および四量体の固相合成について述べている。第八章で最適化した縮合反応条件を用いて、光学的に純粋なオリゴマーを得ることに成功している。

以上のように、新しいタイプの人工核酸として、セリンを基本骨格とする新規核酸類縁ポリエステルをデザインし、その固相合成法の開発を行った。まず、光学的に純粋なモノマーユニットの合成法を確立し、SNEオリゴマーの合成に適用可能な、迅速かつ定量的なエステル結合生成反応の反応条件を見出している。次に、穏和な中性条件下でオリゴマーの固相担体からの切り出しが可能な新規リンカーをデザインし、それを合成することに成功している。また、新規リンカーを用いてSNEオリゴマーの固相合成を行い、オリゴマーのエステル結合を切断することなく固相担体から切り出すことに成功している。これらの成果は、有機合成化学、核酸化学、医化学の発展に大きく寄与することが期待できる。

よって本論文は、博士(生命科学)の学位請求論文として合格と認められる。

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