学位論文要旨



No 121629
著者(漢字) 大竹,貴光
著者(英字)
著者(カナ) オオタケ,タカミツ
標題(和) 臍帯を用いた胎児期PCBs曝露と発達障害及び新生児甲状腺機能の関連調査
標題(洋)
報告番号 121629
報告番号 甲21629
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第211号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 吉永,淳
 東京大学 教授 大島,義人
 東京大学 助教授 佐々木,司
 東京大学 教授 遠山,千春
 東京大学 教授 柳沢,幸雄
内容要旨 要旨を表示する

第1章 研究背景と目的

近年、ADHDや自閉症などの発達障害に対する社会的な関心が高まっている。原因には、遺伝的、身体的要因等が複雑に関連しているとされるが、はっきりとした病因は不明である。従って、その解明が急務となっているが、最近原因の1つとして化学物質による関与が挙げられるようになった。そこで化学物質曝露と、発達障害発症の関連を調査することを目的として、研究を行なうこととした。本研究は2つのテーマから構成される。

(1)保存臍帯を用いた後ろ向き調査法の確立の検討と発達障害への適用

疫学調査や動物実験により、PCBsなどへの胎児期化学物質曝露が小児の知的発達に及ぼす悪影響が示されている(1)。発達影響は胎児期に曝露し、一見正常に出生した後ある程度の期間が経ってから見出されると言われている。従って、こうした発達障害が化学物質の胎児期曝露によるものかどうかを検討するためには、健康影響が現れた時点で時間をさかのぼり、胎児期の曝露量を推定、評価することが必要である。そこで本研究では、日本で一般的に習慣として保存されている臍帯(保存臍帯)を、胎児期の曝露量を表す指標媒体として使用することの妥当性と、それを使った後ろ向き調査法の確立の検討を行なうことを目的とする。また、この方法を発達障害の調査に適用することも目的とする。

(2)新鮮臍帯を用いた胎児期PCBs・水酸化体PCBs曝露による新生児甲状腺機能の関連調査

発生段階に起きる甲状腺ホルモンの欠乏や過剰と発達障害が関係している可能性があり、またPCBs、水酸化体PCBs (OH-PCBs)曝露による甲状腺ホルモンへの影響が動物実験などによって示されている(2)。そこで、曝露指標媒体に新鮮臍帯を用いて、胎児期PCBs、OH-PCBs曝露レベルと新生児期の甲状腺ホルモンレベルとの関連を、ヒトを対象に調べ、PCBs、OH-PCBsによる発達障害の影響メカニズム解明のための情報を得ることを目的とする。

第2章 保存臍帯を用いた後ろ向き調査法の確立の検討

2.1 目的

胎児期の曝露量を表す指標媒体として保存臍帯を使用することの妥当性と、それを使った後ろ向き調査法の確立の検討を行なうことを目的とする。

2.2 方法

(1)PCBs検出確認、(2)保存臍帯中PCBs濃度傾向、(3)保存臍帯と母乳・脂肪組織サンプル中PCBs濃度データ比較、(4)汚染確認、により、PCBs曝露指標媒体としての保存臍帯を評価した。

2.2.1 対象とサンプル

1920,1930,1960-80年代生まれの大人18人、1998,2001年生まれの子供2人、合計20人(健常者)の保存臍帯を用いた。

2.2.2 保存臍帯中PCBsの分析

PCBs全異性体(209種)を対象とした。分析法のフローをFig.1に示す。

2.3 結果と考察

2.3.1 保存臍帯からのPCBs検出(3)

Fig. 1の分析法により、約0.1gの保存臍帯サンプルから、PCBsが検出できることを確認した。

2.3.2 保存臍帯中PCBsの濃度傾向(3)

出生年ごとの保存臍帯中total PCBs濃度の傾向をFig. 2に示す。PCBsが国内で多く使用されていた時に生まれた1960,1970年代の対象者の保存臍帯中PCBs濃度が高く、出生年が最近になるにつれ減少傾向が見られた。これは一般環境中PCBs濃度の減少傾向と一致し、保存臍帯中PCBsが、環境からのPCBs曝露を反映している可能性があることを示唆している。

2.3.3 保存臍帯と母乳・脂肪組織サンプル中PCBs濃度データの比較

PCBsの曝露指標媒体としてすでに確立されている母乳、脂肪組織と、保存臍帯中PCBsの各年代での濃度の時系列傾向を比較したところ、ほぼ一致し、保存臍帯がPCBs曝露指標媒体として有用である可能性が示された。

2.3.4 汚染確認

Fig.2より、国内でPCBsが生産・使用される前の1920,1930年代の保存臍帯サンプルからPCBsが検出された。これは、臍帯を一般家庭で保存している間に、主に大気中のPCBsが吸着したためと推測され、保存臍帯を曝露指標として使用する場合には制限が必要となる。

多くの場合、同胞では保存臍帯の保存状態や環境はほぼ同じであり、大気から吸着するPCBs量もほぼ同じとみなせるため、同胞間で保存臍帯中PCBs濃度を比較することで保存中の汚染による影響を最小限にとどめることができると考えられる。従って、保存臍帯を用いた後ろ向き調査を行なうための条件としては、症例の健常兄弟を対照とする方法が適切であると考えられる。

2.4 まとめ

保存臍帯がPCBs曝露指標媒体として使用できる可能性を示した。また、保存臍帯をPCBsの胎児期曝露評価指標に用いて後ろ向き調査を行なうには、同胞間比較が適していると考えられる。

第3章 発達障害に対する保存臍帯を用いた後ろ向き調査法の適用

3.1 目的

発達障害の有無と、保存臍帯中PCBs濃度の関連を調査するために、第2章の「保存臍帯を用いた後ろ向き調査法」を発達障害(自閉症)の調査に適用すること。

3.2方法

3.2.1 対象と分析方法

1967-2000年生まれの、自閉症患者17人とその対照者 (健常者)7人の保存臍帯を用いた(5組の同胞を含む)。保存臍帯中のPCBs分析はFig. 1により行なった。

3.2.2 データ解析

Wilcoxonの符号付き順位検定、重回帰分析(ステップワイズ法)により解析した。

3.3 結果と考察

Fig. 3に同胞を含む自閉症患者と対照者のtotal PCBs濃度の関係を示した。

3.3.1 全対象者での後ろ向き調査

同胞の有無に関係なく、全自閉症患者: 12人、対照者(1965年以降に出生):14人に対し、保存臍帯中total PCBs濃度に、自閉症の有無が影響しているか否かを解析した。解析には重回帰分析を用いた。その結果、保存臍帯中total PCBs濃度には自閉症の有無ではなく、年齢(出生年)が影響していることが分かった(R2=0.486, p<0.001)。

3.3.2 同胞間での後ろ向き調査

同胞間比較の結果、自閉症患者(5人)と対照者(7人)の保存臍帯中total PCBs濃度に、有意差はなかった(Wilcoxonの符号付き順位検定:p>0.05)。自閉症の有無と保存臍帯中PCBs濃度に、同胞間比較では関連が見られなかった。

3.4 まとめ

発達障害の一例としての自閉症に、保存臍帯を用いた後ろ向き調査法を適用した。解析の結果、自閉症の有無と保存臍帯中PCBs濃度には関連が見られなかった。

第4章 新鮮臍帯を用いた胎児期PCBs・水酸化体PCBs曝露と新生児甲状腺機能の関連調査

4.1 目的

胎児期PCBs、OH-PCBs曝露レベルと新生児期の甲状腺ホルモンレベルの関連を、ヒトを対象に調べ、PCBs, OH-PCBsによる発達障害への影響メカニズム解明の情報を得ること。

4.2 方法

4.2.1 対象

東京都内の産婦人科を受診した妊産婦を対象とし、(1)臍帯の提供、(2)新生児からの採血、(3)アンケートの記入を依頼した。(1)〜(3)が揃っている対象者は17名であった。

4.2.2 新鮮臍帯中のPCBs, OH-PCBs分析方法

PCBs全異性体(209種)、OH-PCBsの6種を対象とし、分析を行なった。分析法のフローをFig.4に示す

4.2.3 新生児甲状腺ホルモンレベルの測定

新生児スクリーニング検査時に、別途本研究用に採血したものをサンプルとした。測定はfT4,TSHを対象とし、ELISA法により行なった。

4.2.4 データ解析

スピアマンの順位相関分析、ピアソンの積率相関分析、重回帰分析(ステップワイズ法)により解析した。

4.3 結果と考察

4.3.1 新鮮臍帯中PCBs,OH-PCBsとfT4,TSHレベルの関係

新鮮臍帯中PCBs, OH-PCBs濃度とfT4, TSHレベルの関連の解析結果を、Table 1に示した。

(1)total PCBsとfT4,TSHレベルの関係

Table 1より、有意ではなかったもののfatベースのtotal PCBs濃度が高い対象者で、TSHレベルが高い傾向が見られた(Fig.5,p= 0.09)。これは胎児期total PCBs曝露によって、TSHレベルが影響される可能性を示している。fT4レベルとの関連は見られなかった。

(2)total OH-PCBsとfT4,TSHレベルの関係

Table 1より、相関分析ではOH-PCBs濃度とfT4レベルに有意な関連が見られたが(p<0.05;Fig. 6)、重回帰分析では有意な結果ではなくなった(p=0.18)。TSHレベルとの関連は見られなかった。

(3)各異性体とfT4,TSHレベルの関係

PCBs,OH-PCBsの異性体濃度とfT4,TSHレベルの関連を解析した結果、OH-CB187濃度が高い対象者でfT4レベルが高い傾向にある可能性を示した(p<0.05)。

4.4. まとめ

新鮮臍帯中total PCBs濃度とTSHレベル、OH-CB187濃度とfT4レベルに関連がある可能性を示した。PCBs,OH-PCBsは、fT4,TSHに対し、複雑な影響の与え方をする可能性がある。

第5章 結言

臍帯を曝露指標媒体に用いて、胎児期PCBs曝露と発達障害の関連について研究を行ない、PCBs,OH-PCBsによる甲状腺機能への影響を通じた発達障害発症のメカニズムを考察するための、有用な情報を得ることができた。今後、第2章の方法などにより、様々な胎児期化学物質曝露と症状発症の関連についても調査されることが望まれる。

Fig.1 保存臍帯中PCBs分析フローチャート

Fig.2 出生年による保存臍帯中total PCBs濃度の傾向(n=20;1954〜1972年の間、国内でPCBsが生産・使用)

Fig.3 自閉症患者と対照者の保存臍帯中totalPCBs濃度(同胞間比較:自閉症患者(□; n=5)-対照者(■; n=7)、同胞なし:自閉症患者(+;n=12)、健常者(直線; Fig. 2と同じ,n=20))

Fig.4 新鮮臍帯中PCBs, OH-PCBs分析フロー

Fig.5 新鮮臍帯中total PCBs濃度(fat base)と新生児血中TSHの相関図(n=17)

Fig.6 新鮮臍帯中total OH-PCBs濃度と新生児血中fT4の相関図(n=17)

Table 1 PCBs,OH-PCBs濃度とfT4,TSHレベルの関連(相関係数と標準回帰係数)

Jacobson et al.,J Pediatr,1990 Meerts et al., Toxicol Sci,2002 Otake et al.,J Environ Monit,2004
審査要旨 要旨を表示する

本論文は「保存臍帯を用いた後ろ向き調査法の確立の検討と発達障害への適用」および「新鮮臍帯を用いた胎児期PCBs,水酸化体PCBs曝露と新生児甲状腺機能の関連調査」をテーマとした五章からなる論文であり、第一章では、対象物質であるPCBsや胎児期化学物質曝露の評価指標についての基本的な情報、発達障害と甲状腺ホルモンの関係、研究全体の概要について示している。第二章では、保存臍帯が胎児期PCBs曝露の評価指標として使用可能かどうかの検討について述べている。具体的には、保存臍帯中PCBsの検出確認、保存臍帯中PCBs濃度の傾向確認、保存臍帯と他の曝露指標媒体とのPCBs濃度時系列トレンド比較、臍帯保管中の汚染確認についての検討を行なっている。これにより、PCBsを対象物質とした場合、保存臍帯が胎児期PCBs曝露の評価指標として使用できる可能性を示唆し、保管中の汚染が起きているものの、同胞間比較の条件であればそのバイアスを小さくできるため、後ろ向き調査に用いることができるという可能性を指摘している。第三章では、第二章で検討した「保存臍帯を用いた後ろ向き調査法」の、発達障害への適用について述べている。発達障害の一例として、行動異常や発達の遅れと関連がある自閉症を取り上げ、保存臍帯中のPCBs濃度が自閉症の有無に関連しているか否かの調査を行なった結果、関連は見出されなかったことを報告している。このように、第二章、第三章においては、「保存臍帯を用いた後ろ向き調査法」の確立に関するテーマについて述べている。第四章では、胎児期化学物質曝露の評価指標に新鮮膳帯を用い、胎児期PCBs,水酸化体PCBs曝露レベルと新生児期の甲状腺ホルモン(fT4)、甲状腺刺激ホルモン(TSH)レベルとの関連調査について述べている。本章での調査は、新鮮臍帯中PCBs,水酸化体PCBsの分析、新生児血中fT4,TSHレベルの測定、妊婦のアンケート調査、データ解析から成っている。これにより、新鮮臍帯中PCBs,水酸化体PCBs濃度と、新生児血中fT4,TSHレベルに関連がある可能性を示唆しており、その関連パターンがPCBs,水酸化体PCBsの異性体ごとに異なっている可能性を指摘している。第二章、第三章のテーマでは、PCBs曝露と発達障害との関連について調査することができるが、なぜその影響が現れるのかについては知ることができない。これを知るためには第四章が必要であり、PCBs,水酸化体PCBs胎児期曝露と新生児甲状腺ホルモンレベルの関係を調査することで、PCBs,水酸化体PCBsによる発達障害の影響メカニズムを解明するための情報を得ることができたと述べている。さらに本章では、新鮮臍帯中のPCBs塩素数分布、PCBs濃度と水酸化体PCBs濃度の相関などの、新たな知見が得られたことも報告している。第五章では、本論文の内容をまとめるとともに、今後の展望について述べている。

なお、本論文第二章は、吉永 淳、今井 秀樹、関 好恵、松村 徹との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。本論文第三章についても、吉永 淳、関 好恵、松村 徹、渡辺 慶一郎、石島 路子、加藤 進昌との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。また、第四章についても、吉永 淳、榎本 剛司、松田 宗明、脇本 忠明、池上 みゆき、鈴木 恵美子、成瀬 浩、山中 智哉、渋谷 紀子、安水 洗彦、加藤 進昌との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上のように、本論文では「保存臍帯を用いた後ろ向き調査法」の確立についての検討を行ない、本方法を胎児期PCBs曝露と発達障害(自閉症)との関連調査に適用した結果、保存臍帯中PCBs濃度が自閉症の有無に関連していなかったことを報告している。また、胎児期PCBs,水酸化体PCBs曝露と新生児甲状腺機能との関連調査では、新鮮臍帯中PCBs,水酸化体PCBs濃度と新生児血中fT4,TSHレベルに関連がある可能性を見出し、甲状腺機能への影響を通じた発達障害発症のメカニズムを考察する上で、非常に重要な情報が得られたことを報告している。全体として新規性のある高い水準の論文であり、環境学への貢献が大きいと判断する。したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/6999