学位論文要旨



No 121640
著者(漢字) 市原,純
著者(英字)
著者(カナ) イチハラ,ジュン
標題(和) 地方自治体の環境政策過程 : 知事の政策決定における要因分析
標題(洋)
報告番号 121640
報告番号 甲21640
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際協力学)
学位記番号 博創域第222号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学(国際環境協力コース)専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田端,博邦
 東京大学 教授 山路,永司
 東京大学 教授 吉田,恒昭
 東京大学 教授 中山,幹康
 東京大学 教授 大澤,真理
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、日本の地方自治体における環境政策過程を知事の政治行動の観点から明確化することである。政策過程とは、自治体が政策課題を認識し、政策案を検討、政策を決定する過程である。

研究の対象 自治体環境政策を取り上げる意味

本研究の対象は1964年から2003年の地方自治体の環境政策である。具体的には、本研究では自治体環境政策の形式として条例・要綱・協定等および環境関係予算額・人員数について扱う。1960年代の横浜市や東京都の公害規制は広く知られているように、日本の環境政策過程を先導してきたのは地方自治体の政策である。これは環境政策創成期にとどまるものではなく、近年のダイオキシン類の規制等においても同様の傾向も見られる。したがって、国レベルの環境政策のみに注目するのでは、日本の環境政策のイノベーションなどを十分に把握することにはならず、地方レベルの環境政策を本研究の対象とする意義がここにある。

環境政策研究と政策過程研究

これまでの環境政策研究は主として、制度設計等に関する法学的研究や各政策手段の効率性等を扱う経済学的研究に注目が集まったが、日本の環境分野における政策過程の研究は盛んではない(長谷川2001)。

環境政策過程を規定する要因に関する先行研究

日本の地方自治体の環境政策過程(とりわけ大気汚染などの規制の政策過程)に影響を与える要因について扱う先行研究としては以下のようなものがある。まず、日本の公害対策が積極的に導入された理由の一つに当時の汚染の度合いが深刻であったことを挙げるものがある(Reed 1981)。次に、地方公共団体の環境政策過程における住民運動の影響を挙げるものがある。住民運動の影響およびその機能と役割を検討したものとして、宇井(1976)やMcKean(1981)等の研究が行われている。さらに、革新知事や市長が公害対策の導入に果たした役割が大きいことが指摘されている(Reed 1986等)。

政治要因分析の必要性

このように、汚染度の違いや住民運動の程度等が政策過程に影響することが先行研究にて指摘されているが,その影響の仕方は一様ではなく政策決定者の政策選好や政治的状況などが政策過程を規定しうる。地域内の汚染度等の要因が直接的に政策に反映されるのではなく、知事や地方議会を通じて政策は決定されるのであり、メカニズムの検討が環境政策過程の明確化のためには必要である。例えば、知事をとりまく政治状況が決定に影響するものであり、知事が地域の産業界と強い結びつきをもって安定した政権基盤を有している場合、汚染度が高い地域においても環境政策は導入されにくい。このような政治要因が環境政策に与える影響については、日本の環境政策を扱った既往研究で十分に扱われていなかったが、実証研究を通じてその解明を行うことを主目的とするものである。

分析の視角・枠組み

本論では自治体環境政策過程における知事の政治行動に焦点を当てる。知事に着目する理由として、有する権限が大きいこと及び公害防止協定や行政内で定めるルールとしての要綱や指針などは都道府県議会の承認が必要とならない点などが挙げられる。

第一に、知事の選挙における競争力と環境政策の争点度(政策課題としての重要度)である。政策過程は選挙の競争度を反映した政治家の行動により影響を受けるものであるという見解が存在する(Barrilleaux,Holbrook,and Langer,2002)。知事の政治的状況、とりわけ選挙面での状況は知事の政治行動に影響を及ぼすのか検討する。また、環境政策が率先して取り組まれるかについては環境問題が争点となっているかが重要となる。争点度に着目した研究においては政策過程における選挙の役割について、選挙が政治家と投票者を結びつけるとはいうものの、どのような関係でどの程度緊密に関連しているのか、従来から十分に議論されていない。一方、選挙の競争力と政策出力との関係を扱った研究では、争点度の影響は従来扱われていない。したがって、本研究では知事選挙の競争力と争点度を共に可変として扱い、これらがもたらす知事の政治行動および政策帰結への影響について検討する。

第二に、知事に関する党派性の違いについても検討する。先行研究においても論じられている保守と革新の違いが影響を及ぼすのか確認する。保守革新の対立の状況は70年代後半以降、知事選挙における相乗りや無党派知事の増加などにより変化しており、80年代以降も同様の傾向が確認されるものか検討が行われる。

第三に、知事の政治行動に対する地方議会の構成の影響も考慮する。知事は一般に条例や予算の政策案を提出する立場にあるが、地方議会の承認が必要となる。地方議会の対応は議会の状況・構成などに依存することになり、環境政策に影響を及ぼすと考えられる。

加えて経済要因や環境汚染度等について考慮しつつ、以上の観点から環境政策過程を明確化するものである。

分析の方法

本研究では、分析枠組みを明確化するため計量分析および事例分析を行う実証的研究である。これまでの日本の環境政策の研究では事例研究が盛んであったが、多くのケースに当てはまる一貫した傾向を計量分析により抽出することはケーススタディと比して非常に少ない。具体的な計量分析としては、条例・協定等の政策導入までの時間に着目して分析するため、時間の変数を扱うのに適している手法である生存時間分析を用いる。環境関連予算などを従属変数とする分析では重回帰分析を用いる。さらに、埼玉県と東京都の事例分析においても計量分析と同様の傾向が存在するか確認する。

論文の構成と分析結果

本論文の構成は以下のようである。まず、2章で本論文の分析枠組みとして環境政策過程における政治要因等について論じる。3章以降は実証分析を行う。3章では、具体的には公害防止協定(1960年代-70年代)を分析対象として、知事選挙の競争力および知事の党派性と環境政策過程の関係について分析を行う。4章では、環境アセスメント政策(1970年代-90年代)を題材としながら、争点度と知事選挙の接戦度の相互作用、知事の党派性および議会構成等が政策導入に及ぼす影響の分析を行う。5章では、.ダイオキシン類規制条例(1990年代以降)を具体的な分析対象として、地域毎の争点度と知事選挙の接戦度の影響を明らかにするものである。6章では、環境予算額・人員数を決定する要因を同様の枠組みで検討する。7章では、事例的実証分析として、埼玉県のダイオキシン類規制と東京都のディーゼル車規制を行政資料や新聞記事などの文献調査と聞き取り調査を通じて政策過程に接近する。8章では全体の論文のまとめをおこない、得られた政策的インプリケーションなどが論じられる。

分析の結果から、以下の政治要因の影響が確認された。

第一に、協定・条例などの新政策の導入過程において、概ね環境問題の争点度と知事選挙の接戦度の相互作用が影響を及ぼしていることが確認された。本論文では、知事と有権者の間は選挙で結びついており、知事の政治行動には知事選挙の競争力と当該環境問題の争点度が影響することを論じたものであるが、このような政策導入メカニズムが確認された。

第二に、知事の党派性の違いが及ぼす制定過程に対する影響も確認されたが、通時的でなく限定的である。保守革新等の知事の党派性が環境政策に及ぼす影響は60年代以降確認されてきたが、80年代後半以降は確認されなかった。これは、環境政策の既往研究で得られたものとは異なる、本研究にて確認された知見である。

第三に、環境政策の実施面にかかわる環境関連予算額や人員数等の政策過程においては、地方議会の構成の違いが影響をおよぼすことが確認された。

以上の政治要因の影響は、環境汚染度の要因や経済要因を分析に含めても確認された。このことは本論文における新たな視点として、環境政策の決定においてすべてを地域内の汚染度や経済の要因などに起因させることはできず、知事の政治行動に関する政治要因の重要であると指摘したが、実証分析により明確にすることができた。

宇井純(1976)「日本の公害反対住民運動-その機能と課題一」『公害研究』5(4):27-31。長谷川公一(2001)「環境運動と環境政策」長谷川公一編『講座環境社会学環境運動と政策のダイナミズム』有斐閣。Barrilleaux, Charles,Thomas Holbrook, and Laura Langer(2002) Electoral Competition, Legislative Balance, and American State Welfare Policy. American Journal of Political Sciences,46(2):415-427.McKean, Margaret A.(1981)Environmental Protest and Citizen Politics in Japan. Berkeley and Los Angels:University of California Press.Reed, Steven R.(1981)Environmental Politics:Some Reflections Based on the Japanese Case. Comparative Politics, 14(2):253-270.Reed, Steven R.(1986)Japanese Prefectures and Policymaking.Pittsburgh: The University of Pittsburgh Press.(森田・新川・西尾・小池訳、1990『日本の政府間関係-都道府県の政策決定-』木鐸社。)
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、地方自治体の環境政策の形成のメカニズム(政策過程)を計量政治学の手法によって明らかにしようとしたものである。先行研究においては、地方自治体の環境政策を推進するファクターとして、住民運動の影響、環境被害の程度(汚染度)、革新自治体などさまざまなファクターが指摘されてきたが、本論文は、直接政策決定に関与する知事の政治行動を規定する政治的要因を計量的に分析するとともに、計量分析の結果を事例研究によって補強することをめざしている。論文は、全8章で構成されている。

以下、論文の概要について要約する。

第1章「はじめに」において、研究の目的、対象、分析方法が述べられている。本研究の目的は、日本の地方自治体の環境政策を対象として、その政策決定における中心的なアクターである知事の政治行動に影響を与える要因を解明することである。「政策過程」とは、「自治体が政策課題を認識し、政策を検討、導入する過程」である。

第2章「分析枠組:環境政策と知事の政治行動」では、要因分析の枠組みと計量分析の方法が論じられる。知事の政治行動に影響を与える要因として、知事の選挙における競争力(接戦度)と環境政策の重要性(争点度)がまず取り上げられる。いずれもアメリカ政治学において開発された理論であるが、本論文は、競争力の理論と争点度の理論とを統合し、双方の要因をともに検証することをめざす。これに加えて、わが国の環境研究やその他の領域における政策過程研究で指摘されてきた知事の党派性と地方議会の党派的構成のファクターを分析対象とする。計量分析の方法として、生存時間分析の手法(3章から5章)と重回帰分析(6章)の手法が採用される。

第3章「公害防止協定の締結過程(1960-70年代)」は、60年代半ばから70年代初めまでの企業と自治体の間で締結された公害防止協定を分析し、接戦度と知事の党派性とがいずれも有意であることが確認されている。第4章「環境アセスメント政策の政策過程(1970-80年代)」は、1976年から1997年までの都道府県における環境アセスメント政策の導入(条例、要綱の制定)が扱われ、76年から86年の前半期には知事の党派性が有意であるが、87年から97年の後半期には有意でないことが確認される。第5章「ダイオキシン類規制条例の政策過程(1990年代以降)」は、1997年から2003年までの期間におけるダイオキシン類を規制する都道府県の条例を対象とし、「接戦度と争点度との交互作用項」が有意であるが、知事の党派性は有意でないことが確認される。第6章「環境関連予算・人員数の決定要因分析」は、1977年から1997年までの全都道府県の環境関連予算・人員数を分析し、地方議会における非自民議員比率が影響を及ぼしていることが確認される。

第7章「事例研究」は、埼玉県の事例(ダイオキシン類規制)と東京都の事例(ディーゼル車規制)を取り上げる。埼玉県の事例は、選挙における競争力が高く、政権基盤が安定している知事のもとで、住民運動による争点化が高まったために環境政策が推進された事例であり、東京都の事例は、接戦度の高い選挙で当選した保守系の知事が積極的に環境政策を推進した事例である。これは、接戦度と争点度が高い場合に政策導入が促進されるという計量分析によって得られた結果と整合的であり、また知事の党派性が90年代以降は有意でないという計量分析の結果と一致している。

第8章「結論」では、以上の分析のまとめと政策的含意が述べられる。分析の結果、以下の点が明らかになった。(1)環境政策の政策過程には選挙における競争力と争点度が影響する。(2)知事の党派性が環境政策の導入に影響するという仮説は、80年代半ばまでは確認することができるが、80年代後半以降または90年代以降は確認されない。(3)地方議会は、新たな政策の導入については強い影響力をもたないが、予算・人員に関しては影響を与えうる。以上の分析の結果は、自治体の環境政策について選挙を通じた民主主義が機能していることを示している。発展途上国の環境政策については、国内における民主主義を確立し、住民運動や環境NGOの活動の自由やメディアの言論の自由を保障することが必要である。最後にデータの制約など今後の研究の課題を挙げて、論文は結ばれている。

以下、論文の評価について述べる。

第1に、本論文は、環境政策の形成における政治過程の果たす役割を計量分析の手法を用いて実証的に明らかにしたものであり、環境研究の分野においては先行研究がほとんどないオリジナルな研究であると評価することができる。

第2に、論文は、アメリカ政治学における最新の研究に依拠して、選挙における接戦度と争点度とを統合するという独自の理論的な枠組みを構築することによって、計量分析の新たな視点を生み出しており、分析方法においても独創性を有するものと認められる。

第3に、環境政策の導入に関する政治学的な分析を行なうことによって、これまでの環境研究におけるいくつかの成果を検証するとともに、革新系知事の役割は80年代後半までは実証しうるが、それ以降は実証されないなどいくつかの新たな発見を行なっている。

他方、論文には、アメリカ政治学の理論の整理についてなお精錬の必要があることなどの問題点が存在しないわけではない。しかしながら、これも論文全体の意義を損なうものではない。

論文は、環境政策の形成過程について、独創的な理論的枠組みに基づいて分析することによって新たな知見をもたらしたものであり、環境研究に新たな学術的貢献をなすとともに、国際協力学にとっても有意義な貢献をなすものと評価することができる。

したがって、本論文は、博士(国際協力学)の学位を授与するに値する論文であると認めることができる。

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