学位論文要旨



No 121654
著者(漢字) 岩本,貴之
著者(英字)
著者(カナ) イワモト,タカユキ
標題(和) 超音波放射圧触覚提示法に関する研究
標題(洋)
報告番号 121654
報告番号 甲21654
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第79号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 システム情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 篠田,裕之
 東京大学 教授 安藤,繁
 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 教授 伊福部,達
 東京大学 講師 川上,直樹
内容要旨 要旨を表示する

近年,触感提示に関して,様々な提示手法が提案されているが,日常的に経験するような「自然な」触感を生成することは,触感提示に携わる者にとっては,未だ困難な課題である.また,触知覚特性に関しても未解明な部分が多く,特に,人間が触覚によってどのような物理量を取得しているかという問題には明確な答えはない.視覚や聴覚に関しては,これまでに,その知覚特性に関して多くのことが解明されてきたが,視覚や聴覚の特性の研究において大きな役割を果たしてきたのが,十分な能力を持った提示装置である.一方で,知覚特性の研究から得られた成果が,より高度な提示能力を有する提示装置の開発に役立ってきた.同様に,高精細な触覚提示装置は人工現実環境下での応用のみにとどまらず,触覚の解明においても,強力なツールとなることが期待される.本研究では,以上のことを踏まえ,従来手法に代わり高精細に触覚を提示する手法として,超音波の音響放射圧を利用する提示手法を提案した.

従来の触覚提示装置の多くが機械式のアクチュエータを用いていたために,・刺激素子の配置密度,・皮膚との接触状態の変化による提示応力の変動,・正確な応力制御が困難,といった問題があったが,この音響放射圧による触覚提示原理はそれらを解決することができる.音響放射圧を触覚提示に用いる利点は,以下のようなものがある.(1) まず,高い空間分解能が得られることが挙げられる.例えば3 MHz の超音波の水中あるいは超音波透過性ゲルにおける波長は0.5 mm 程度であり,これを1 mm 径の点に集束させることは容易である.(2) 超音波の周波数は触覚の帯域よりも十分高く設定することができるため,触覚提示に十分な時間特性を持つことが期待される. (3) 液体やゲルなど,皮膚変形に追随して変形を起こす媒質を用いれば,皮膚表面の応力を正確に制御することができる.ピン配列の上下変位によって皮膚を刺激するデバイスにおいては,ピンと皮膚との接触状態によって発生する圧力が変動するが,そのような問題が生じにくい.

音響放射圧を利用する触覚提示法を実装した触覚ディスプレイは,基本的に以下のような構成がとられた.超音波振動子にはPZT素子が用いられ,複数のPZT素子がアレイ状に配置された.PZT素子は放熱を考慮し,金属上に取り付けられた.PZT素子の放射面は,媒質との音響整合層,および防水フィルムで覆われた.PZT素子から放射された超音波は,媒質(水または超音波透過性ゲル)中を伝播し,触覚提示面上に置かれた柔軟な超音波反射膜で反射され,放射圧を提示面に生成した.触覚ディスプレイの使用者は,提示面の超音波反射膜上に指を置き,音響放射圧による応力を指表面上に与えられた.音響放射圧を用いて皮膚上に提示する力の時間空間パターンを制御するには様々な方法が考えられるが,本研究では,超音波の焦点を人間の触知覚より十分に高速に走査し,各刺激点での焦点の滞在時間を変えることにより,各点で与える力積により皮膚表面上に応力分布を生成する方法を提案した.提示面上における音響放射圧の焦点の位置座標は,アレイ上の各PZT素子の駆動位相を個別に制御することで実現された.

筆者は,まず,提案原理の有効性を検証するための予備実験を行った.具体的には,試作した超音波振動子アレイにより達成される,空間分解能,時間分解能,および提示力に関して調べた.

予備実験では,2種類の超音波振動子アレイを用いた.一方は共振周波数1MHz,幅0.95mm,長さ10mmの振動子10枚が0.5mmのピッチで配列したリニアアレイであり,もう一方は,共振周波数3MHz幅0.445mm,長さ10mm,配列ピッチ0.5mmの30枚の振動子で構成されていた.また,1次元アレイでは,振動子の長手方向の集束を行うことができないため,シリコン製の蒲鉾型音響レンズが用いられた.

空間分解能を調べるため,それぞれの振動子アレイを用いた際に形成される焦点付近の放射圧分布を測定した.強度が焦点における強度の-6dBとなる領域で焦点径を定義すると,1MHz,10チャンネルの振動子アレイを用いた場合の焦点径は3mmであり,3MHz,30チャンネルの振動子アレイを用いた際には1mmであった.放射圧の時間波形は,理想的には,超音波強度の変調波で与えられるが,実際に測定された波形は,媒質の特性により歪が生じた.放射圧の時間的な特性を定量的に評価するため,20Hzから1kHzまでの周波数特性が調べられた.振幅周波数特性は完全にフラットにはならず,1kHzにおいて4dBの減衰がみられた.一方で,位相周波数特性はほぼフラットであった.放射圧の総出力は,超音波を金属反射体に照射し,生じた反力を測定することで得られた.前述の3MHz,30チャンネルの振動子の総出力は,投入電力50W付近において飽和をし,最大総出力は0.64g重であった.

以上の予備実験の結果から,(1)指先の触覚提示に必要な空間分解能を得るための超音波の周波数は3MHz以上であること,(2)音響放射圧により,触覚提示に必要と考えられる1kHzまでの振動提示は十分に可能であること,(3)振動子の放射面単位面積あたりの総出力はある投入電力で飽和をしてしまうため,十分な総出力を得るためには,10平方センチほどの放射面面積が必要であること,がわかった.

この予備実験の結果を受け,音響放射圧を利用する触覚ディスプレイの試作システムを製作した.試作システムは,超音波振動子アレイ,駆動回路,PC,水槽からなる.水槽は超音波の媒質用であり,媒質として水が用いられた.放射圧の焦点距離は,焦点を含む平面がちょうど水面上になるようにとられた.触覚を提示する際には,被験者は超音波反射膜上から触るか,もしくは,超音波反射用の指キャップを装着した.反射膜は指キャップ形状で指に装着して使用するものと,フィルム状のものとを用いた.指キャップ形状の反射膜は,ラバー製の指キャップと指との間に柔軟な直径0.03mmの繊維があり,その空隙と媒質との音響インピーダンスの差により超音波を反射する構造になっている.指キャップの厚さは,0.2mmであった.フィルム状の反射膜は,上部と底部をポリウレタンのフィルムで覆われ,内部には,気泡を含んだシリコンゴムの層がある.全体の厚さは0.18mmであった.用いた超音波振動子アレイは,共振周波数3MHzのPZT素子60枚が1次元に配列したリニアアレイであり,一つの素子の長さは20mm,幅は0.445mm,素子の配列のピッチは,0.5mmであった.音響レンズはアクリル製で焦点距離は30[mm]であった.測定の結果,試作システムは,空間分解能1mm,総出力2g重であり,周波数特性は,予備実験の際の結果と同様であることがわかった.

この1次元リニアアレイを用いた試作システムにより,人間の触知覚特性に関する実験が行われた.行われた1つの実験は,知覚可能な振動周波数の上限に関しての実験であった.被験者の示指中央の1点に対して,400-1200Hzの正弦波振動が1次元試作システムによって加えられ,振動を知覚したか否かを回答させた.実験結果から,ほとんどの被験者において知覚可能な振動周波数閾は1000Hz以下にあることが確認された.また,もうひとつの実験として,触仮現運動に関する実験を行った.1次元試作システムにより,指先に対して,3点の継時的な押し込み刺激を行い,刺激に連続性があったかどうかを回答させた.その結果,非振動刺激によって仮現運動が発現していることを確認した.

1次元リニアアレイを用いた場合は,触覚刺激の時間空間パターンは,1軸上においてのみ制御可能である.音響放射圧の強度分布制御を2次元平面上に拡張するためには,振動子を2次元的に配置することで可能となる.しかしながら,振動子を単純な格子状アレイとして配置することは,配線の引き出しなどの問題から,現状の技術では困難である.そのため,本研究では,複数の1次元リニアアレイを組み合わせることで同心多角形状の振動子配置とすることで,2次元平面上に触覚刺激パターンを提示可能な触覚ディスプレイを提案した.

試作システムの設計にあたり,同心多角形状の振動子配置の有効性が音場のシミュレーションによって確認された.シミュレーション結果より,多角形の角数が多く,振動子の分割が細かいほど,集束効率やサイドローブ強度の点で優れていることがわかった.実際に製作した2次元触覚ディスプレイの試作システムは,振動子数が増えることによってシステム全体が複雑化することも考慮し,同心八角形状の振動子配置が採用された.また,2次元触覚刺激パターンを放射圧焦点の走査によって得るためには,振動知覚可能な周波数である1kHz以上のフレームレートでパターンを提示する必要がある.このフレームレートを実現するため,専用の駆動回路ボードを設計,製作した.以上に述べた点を踏まえ,2次元平面上に触覚刺激パターンを提示可能な試作システムを製作し,定量的評価を行った.

以上,本研究において,筆者は従来の触覚提示手法にはない優れた点を持った手法として,音響放射圧を利用する触覚提示手法を提案し,その原理を実装した触覚ディスプレイの製作,評価を行った.本研究により,音響放射圧は触覚提示用の応力生成手段として優れた性質を持つことが確認された.また,音響放射圧によって,皮膚の2次元平面上に様々な時間空間パターンを持つ触覚刺激を提示可能な触覚ディスプレイが実現可能であることを示した.

審査要旨 要旨を表示する

皮膚感覚に基づくインタフェースに関する研究は、近年一段と活発化してきており、多様なシーンにおいて実用化への期待が高まりつつある。人間の触覚に対する科学的な理解も進展し、触覚のセンサやディスプレイの技術も確実な進歩を遂げてきている。しかしそのような現状においても、皮膚と対象物との機械的刺激に関する計測・提示には依然困難な問題が数多く存在し、人間の触覚の機能の大部分はヒューマンインタフェースの中で有効活用されていないのが現状である。本論文は触覚提示のために超音波放射圧を用いるという斬新な提案に基づき、従来にない特性をもつ触覚提示装置を試作・評価したものである。超音波放射圧を用いることで、デバイスと皮膚との接触に伴う従来の問題を回避し、応力の時空間パターンを忠実に再現する装置を実現することを目的としている。本論文は6章から構成されている。

第1章の序論においては従来得られている触覚に関する知見をまとめ、標準的な触覚提示装置に求められる要件を整理している。また従来の触覚提示手法を分類・整理し、特に機械的接触に伴って生じる現象と、それが触覚提示に引き起こす問題点を指摘している。また触覚を解明する上で必要とされる分解能、時間特性、精度等が考察されている。

第2章では、新規な触覚提示法として超音波放射圧の利用を提案し、その特性と実現可能性について理論的な考察をおこなっている。超音波振動子としてPZTを用いた場合の出力限界について、電界および熱による分極消失の観点から解析し、放熱構造を工夫することによって触覚を生じるのに十分な強度の超音波が発生可能であることを述べている。また使用する超音波の周波数および波長から、触覚提示装置として実現される空間解像度と時間的特性について考察が行われている。また所望の特性を得るために必要な駆動位相の精度が論じられている。

第3章では、超音波放射圧を用いる触覚提示装置が実際に試作され、基礎的な実験データを得ている。まず1次元のフェーズドアレイを用い、アレイと直交する方向の波面の収束に関しては、物理的な音響レンズを用いた装置が試作されている。周波数3MHzの超音波を用いた場合に1mm程度の範囲に超音波を収束させることができ、それと同径の放射圧スポットを生成可能であることが示されている。その放射圧強度と、それを人間の指先に適用した場合の閾値との関係が定量的に論じられ、触覚の再現のために十分な応力を発生できることが確認されている。時間応答も良好であることが確認される一方で、一部に超音波伝播媒質の動特性が反映されてしまう現象も見出された。

第4章では、前章で試作された1次元アレイを、2次元走査可能なデバイスに拡張する方法が議論されている。リニアアレイを複数集積することで2次元面内に放射圧のスポットを形成し、走査可能であることが理論的に示されている。各素子の駆動方式が提案され、実際に2次元走査アレイを試作することによって収束超音波を生成可能であることを確認している。

第5章では、試作された提示装置を用いて人間の触覚の特性を検証する実験とその結果が示されている。人間の触覚の閾値は、従来振動する物体の振幅値によって定量化されていたが、本装置によって応力をパラメータとした閾値の評価が可能であることが示されている。また触覚の仮現運動に関して、刺激条件を厳密に制御しながら行った実験が報告されている。特定の条件において仮現運動が安定して生じること、仮現運動の発生には個人差が大きいことなどの知見が得られている。

第6章は結論であり、成果の総括がおこなわれている。

以上、要するに、本論文は触覚提示方法として超音波放射圧を利用することを提案し、その特性を理論的・実験的に評価することで、触覚提示手法における新規な一手法を確立したものである。触覚を解明する科学的研究、工学的な触覚提示装置の開発におけるツールを提供し、VR工学、ヒューマンインタフェース工学、心理物理学に貢献する成果である判断される。よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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