学位論文要旨



No 121676
著者(漢字) 勢〆,康代
著者(英字)
著者(カナ) セシメ,ヤスヨ
標題(和) 麹菌Aspergillus oryzaeの二次代謝産物生合成遺伝子に関する研究
標題(洋)
報告番号 121676
報告番号 甲21676
学位授与日 2006.04.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3063号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 葛山,智久
 東京大学 助教授 有岡,学
内容要旨 要旨を表示する

 麹菌Aspergillus oryzaeは清酒、味噌、醤油など、我が国の伝統的な発酵食品に広く用いられ、アミラーゼやプロテアーゼなどの酵素剤生産にも利用される産業上重要な微生物である。麹菌の代謝産物の研究においては、有機酸やビタミン類などの有用代謝産物の生産に関する研究が古くからなされており、麹菌は酵素生産のみならず、多岐にわたる二次代謝産物を生産することが報告されている。しかし、A. oryzaeの二次代謝産物生合成遺伝子に関する研究としては、清酒の着色原因物質であるシデロフォア(デフェリフェリクリシン)やマイコトキシンの生合成に関連する遺伝子についての報告など数少ない。最近、A. oryzaeの全ゲノム配列が決定され、8本の染色体からなり、その全ゲノムサイズは37 Mb、12,074個の推定遺伝子を含むことが報告された。

 本研究は、ゲノム情報を利用してA. oryzaeが保有する二次代謝産物生合成遺伝子の全容を明らかにすることを目的とした。

A. oryzaeにおける二次代謝産物生合成遺伝子クラスターの探索

 二次代謝産物生合成遺伝子は、特定の代謝に関連した酵素遺伝子が染色体上に連続して存在し、遺伝子クラスターを形成している場合が多い。

 始めに、A. oryzaeの全ゲノム配列情報からコンピュータ予測により二次代謝関連遺伝子群に分類されたおよそ700遺伝子の配列について、コーディング領域の予測、ホモロジー検索、およびタンパク質ドメイン構造の検索によりアノテーションを行った。これらを推定機能ごとに分類し、ORF予測が大幅に外れていたポリケタイド合成酵素(polyketide synthase;PKS)遺伝子、非リボソーム型ペプチド合成酵素遺伝子について推定ORFの決定を行った。

 次に、遺伝子クラスターを形成していると予想された領域の配列データを取り出し、同様のアノテーション作業を行った。その結果、テルペノイド系インドールアルカロイドaflatremの遺伝子クラスター、β−ラクタム抗生物質のペニシリン、カロテノイド、トリコテセン類に特異的な前駆体を合成するトリコジエン合成酵素を含む遺伝子クラスターなどを見出した。これらの遺伝子クラスターについて、Aspergillus属でゲノム情報が利用できるAspergillus nidulans、Aspergillus fumigatusと比較したところ、A. nidulansにおいては、A. oryzaeの保有する主要なクラスターのうち、カロテノイド遺伝子クラスターを保有しておらず、日和見感染菌であるA. fumigatusでは、これらのすべての遺伝子クラスターが認められなかった。

A. oryzaeにおけるI型PKS遺伝子の分類と解析

 I型PKSは、β-ketoacyl synthase、acyltransferase、acyl carrier proteinを基本ドメインとし、dehydratase、β-keto reductase、enoyl reductase、methyltransferase、Claisen cyclaseのドメインからなる多機能酵素である。よく知られている糸状菌のポリケタイドとして、発癌性を示すアフラトキシン、抗高脂血症作用を示すコンパクチンやロバスタチン、また、メラニンなどの色素化合物がある。しかしながら、A. oryzaeではこれまで、PKS遺伝子としてpksL1がクローニングされているのみである。

 I型PKS遺伝子についてアノテーション作業を行い、A. oryzaeは30遺伝子を保有すことを明らかにした。既知のPKSと高い相同性を示す遺伝子は、Aspergillus flavusのアフラトキシン合成酵素遺伝子pksL2、及びA. nidulansの分生子色素合成遺伝子wAのオーソログ遺伝子であった。見出したI型PKS遺伝子を分類するため、既知の糸状菌PKSのβ-ketoacyl synthase配列を用いて系統解析を行った。その結果、12遺伝子がWAと類似したドメイン構造をもつPKSをコードしていると予想され、このうち、3遺伝子が色素生合成に関与すると推定された。実際に、これらのPKS遺伝子が色素化合物の生産に関与しているのか調べるため、各遺伝子について破壊株の作製を試みた。A. nidulansのwA遺伝子とアミノ酸レベルで約70%の相同性を示すAowAの破壊株は、白い分生子を形成し、分生子色素生合成性能を完全に失っていた。これによりAowAはA. nidulansと同様、分生子色素生産に関与する遺伝子であることが確認された。A. oryzaeの分生子色素は白色、黄色、緑色と変化する。これまでの研究において、緑色色素は分生子中の銅含有量と密接な関係にあること、緑色色素の前駆体が黄色色素であることなどが示唆されている。AowAは銅酸化酵素遺伝子と隣接していることから、これら一連の色素の生成は、1つの遺伝子クラスターによって制御されていることが推定された。

A. oryzae からIII型PKSスーパーファミリー遺伝子の発見

 III型PKSとして、植物においてフラボノイドの骨格を形成するカルコン合成酵素(chalcone synthase;CHS)などが知られている。近年、放線菌などの一部原核微生物からもIII型PKSが見出され、機能解析が進められている。

 A. oryzaeのゲノム情報より、CHSと相同性を示すIII型PKS遺伝子を4つ見出し、csyA, csyB, csyCおよびcsyDと命名した。これまでに真核微生物においてIII型PKS遺伝子に関する報告はなかった。興味深いことに、同じAspergillus属であるA. nidulans、A. fumigatusには存在していなかった。そこで利用可能な真核微生物のゲノムデータベースを調べたところ、Neurospora crassa、Fusarium graminearumに各1遺伝子、Magnaporthe grisea、Podospora anserinaに各2遺伝子、Phenarocheate chrysosporiumに3遺伝子を見出した。これにより、糸状菌の一部に新規III型PKSスーパーファミリーが存在することを明らかにした。A. oryzaeがIII型PKS遺伝子をもつことから、フラボノイドを生合成する可能性が示唆された。そこで、フラボノイドの前駆体合成に関与するフェニルプロパノイド経路の遺伝子をもつかどうか調べた。A. oryzaeは、モデル植物であるArabidopsis thalianaの関連遺伝子と比較を行うことにより、III型PKS遺伝子とその上流遺伝子がほぼ同数ずつ保存されていることを見出した。

A. oryzaeにおけるIII型PKS遺伝子の機能解析

 III型PKS遺伝子と予想したcsyA, csyB, csyCおよびcsyDについて、これらの遺伝子が実際に機能しているか解析を行った。RT-PCR法により各遺伝子の発現を調べたところ、完全培地においてcsyA、csyBおよびcsyDの発現が認められた。RACE法により、csyAとcsyBのORFを決定し、cDNAを取得した。csyCはこの配列情報を基に開始コドンを推定し、A. oryzaeで遺伝子を高発現させてcDNAを取得した。タンパク質の活性を調べるため、大腸菌を宿主としてリコンビナントタンパク質を発現し、(14)Cラベルしたmalonyl-CoA とacetyl-CoA、または4-coumaroyl-CoAを用い、in vitroでの酵素活性の検出を試みた。しかし、いずれの場合においても期待した活性は認められなかった。次に、A. oryzaeでcsyA、csyBおよびcsyC遺伝子をそれぞれ高発現させたところ、いずれも培地の褐色化が観察された。HPLCおよびLC-TOF/MSにより、C6H6O4化合物([M+H]+ 143.0347)が蓄積しており、標品との比較から麹酸であると同定した。また、各遺伝子の破壊株作製を試み、csyAおよびcsyC遺伝子破壊株の取得に成功したが、両遺伝子の破壊株において褐色物質および麹酸の生成にコントロールとの差は認められなかった。麹酸は糖より生合成されることから、csy遺伝子は、副次的に麹酸の生成に関与しているものと考えられる。

参考文献1) Seshime, Y., Juvvadi, P. R., Fujii, I., Kitamoto, K. Discovery of a novel superfamily of type III polyketide synthases in Aspergillus oryzae. Biochem. Biophys. Res. Commun. 331, 253-260 (2005)2) Seshime, Y., Juvvadi, P. R., Fujii, I., Kitamoto, K. Genomic evidences for the existence of a phenylpropanoid metabolic pathway in Aspergillus oryzae. Biochem. Biophys. Res. Commun.337, 747-751 (2005)
審査要旨 要旨を表示する

 麹菌Aspergillus oryzaeは清酒、味噌、醤油など、我が国の伝統的な発酵食品に広く用いられ、アミラーゼやプロテアーゼなどの酵素剤生産にも利用される産業上重要な微生物である。麹菌の代謝産物の研究においては、多岐にわたる二次代謝産物を生産することが報告されているが、二次代謝産物生合成遺伝子に関する研究報告は少ない。最近、A. oryzaeの全ゲノム配列が決定され、8本の染色体からなり、その全ゲノムサイズは37 Mb、12,074個の推定遺伝子を含むことが明らかになった。本研究は、ゲノム情報を利用してA. oryzaeが保有する二次代謝産物生合成遺伝子の全容を明らかにすることを目的としたものである。

 第1章では、A. oryzaeの全ゲノム配列情報から、遺伝子クラスターを形成していると予想される領域の配列データを取り出し、アノテーション作業の結果について述べている。テルペノイド系インドールアルカロイであるアフラトレム、β−ラクタム抗生物質のペニシリン、カロテノイドの生合成に関与すると予測される遺伝子クラスターを見出した。また、シクロピアゾン酸の生合成に関与するジメチルアリルトリプトファン合成酵素をコードすると予想される遺伝子など多数の関連遺伝子を見出し、A. oryzaeが近縁のA. nidulansなどに比較して非常に多くの二次代謝産物生合成遺伝子を保有することを明らかにした。

 第2章では、A. oryzaeの二次代謝産物生合成遺伝子のうち、I型PKS(ポリケタイド合成酵素)をコードすると予想される遺伝子に注目し、解析を進めた結果がまとめられている。アノテーションを行った結果、A. oryzaeはI型PKSをコードしていると予想される遺伝子を30保有することを明らかにした。見出した推定I型PKS遺伝子を分類するため、β-ケトアシル合成酵素配列を用いて系統解析を行ったところ、12遺伝子がA. nidulansのWAと類似したドメイン構造をもつPKSをコードしていると予想され、このうち、3遺伝子が色素生合成に関与すると推定された。相同性の高い遺伝子からそれぞれ、AowA、AowA2、AowA3と命名し、各遺伝子破壊株の作製を試みた。AowA遺伝子の破壊株であるNWAD-1株は、白い分生子を形成することから、黄色色素の前駆体ナフトピロンを合成することが予想された。

 第3章では、A. oryzaeの二次代謝産物生合成遺伝子のうち、III型PKSをコードすると予想される遺伝子について解析している。A. oryzaeのゲノム配列情報から、カルコン合成酵素と相同性を示す遺伝子を4つ見出し、csyA、csyB、csyC、csyDと命名した。同じAspergillus属であるA. nidulans、A. fumigatusには存在していなかった。そこで、利用可能な真核微生物のゲノムデータベースを調べた結果、Neurospora crassa、Fusarium graminearumに各1遺伝子、Magnaporthe grisea、Podospora anserinaに各2遺伝子、Phenarocheate chrysosporiumに3遺伝子を見出し、糸状菌の一部に新規III型PKSスーパーファミリーが存在することを明らかにした。

 次に、csyA、csyB、csyC、csyD遺伝子が実際に発現しているかRT-PCRを行った結果、csyA、csyB、csyDの発現が認められた。RACE法により、csyAとcsyBのORFを決定し、cDNAを取得した。また、csyCはA. oryzaeで遺伝子を高発現させてcDNAを取得した。大腸菌を宿主としてリコンビナントタンパク質を生産し、(14)Cラベルしたmalonyl-CoA とacetyl-CoA、または4-coumaroyl-CoAを用い、in vitroでの酵素活性の検出を試みたが、予想した活性は認められなかった。A. oryzaeでcsyA、csyB、csyC遺伝子をそれぞれ高発現させたところ、いずれも培地の褐色化が観察された。HPLCおよびLC-TOF/MSにより、C6H6O4化合物が蓄積しており、標品との比較から麹酸であると同定した。また、各遺伝子の破壊株作製を試み、csyAとcsyC遺伝子破壊株の取得に成功したが、両遺伝子の破壊株において褐色物質および麹酸の生成に親株との顕著な差は認められなかった。

 以上、本論文は、ゲノム情報をもとに、A. oryzaeの二次代謝産物生合成遺伝子の全貌を明らかにし、また、新規に見いだしたPKS遺伝子に関して機能解析をおこなったものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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