学位論文要旨



No 121677
著者(漢字) 國分,圭介
著者(英字)
著者(カナ) コクブン,ケイスケ
標題(和) マレーシアの産業立地と地域格差
標題(洋)
報告番号 121677
報告番号 甲21677
学位授与日 2006.04.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3064号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 原,洋之介
 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 教授 池本,幸生
 東京大学 助教授 斎藤,勝宏
 明治大学 助教授 鳥居,高
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の目的

 本稿は以下の二つの仮説を検証するべく作成されている。

 1. 製造業企業の大都市への集積の結果、30年以上にも渡って行われた地域開発政策・産業分散化政策にも拘らず、マレーシアの地域間格差は改善されなかった。

 2. マレーシアにおける産業立地は、企業間関係や労働力の集積地を求める企業の利益追求行動、すなわち「市場メカニズム」により決定されており、政府の政策は、この力を十分制御できなかった。

 仮説1は、産業立地の「実態把握」と「影響」に相当し、また、仮説2は、産業立地の「要因」に相当するものである。仮説1が設けられるのは、インフラの開発や後進地域への優遇税制など、産業の分散化を目指した政府の諸々の政策にも拘らず、産業が十分には分散化しなかったことが多くの先行研究によって指摘されているためである。また、仮説2が設けられるのは、産業が分散化しなかったことの理由として、個々の企業が、産業の発展段階に応じて、企業間関係や労働力の所在といった要因、本稿の言葉でいう「高次立地環境」に左右されて最適な立地選択を行っていたことが考えられるためである。

2.研究の意義

 なぜ、マレーシアで産業立地研究が必要なのか。簡潔に言えば、「マレーシアが『複合社会』(後述)の国であり、この『複合社会』性を乗り越えるために、1971年から始まる本格的な経済開発の開始以降、常に産業立地のあり方を議論の対象としてきた国であるため」ということになる。マレーシア政府は、1969年の民族間流血暴動事件以降、「貧困の撲滅」と「民族間格差の是正」を二大目標に掲げ、政府主導型の本格的な経済開発を開始したが、後者の民族間格差是正については、農村に多く居住する貧しいマレー人と、都市に多く居住する豊かな華人との格差是正が謳われ、そのための手段として、産業の分散化が目指されてきたのである。

 ところが、これまでの産業立地研究は、以下のような問題点を含んでいたという点で、決して十分ではなかった。

1. 【実態把握】産業立地そのものについての分析があまり詳細でない。

2. 【影響】産業立地のあり方と地域間経済格差との関わりに関する分析が欠如。

3. 【要因】産業立地を規定する要因についての分析があまり詳細でない。

 「1」は、統計データの利用可能性の低さに求められるものである。そのため、産業立地のあり方とその変化について限定的にしか把握されてこなかった。

 「2」は、主に分析手法が欠如していたことに起因する。産業立地が実際に州や地域の間の格差にどの程度影響を及ぼしているのか、といった問題を解くための手法はこれまで開発されてこなかった。

 「3」は、仮説の立て方の問題に起因するものである。マレーシアを舞台にした先行研究では、インフラなどの、本稿で定義する「物理的立地環境」と、関連産業や人的資源の蓄積度といった、本稿で定義する「高次立地環境」との区別が不十分で、そのため、仮説らしい仮説も皆無に等しく、強いて表現すれば「遅れている地域は全てにおいて遅れ、進んでいる地域は全てにおいて進んでいる」というものであった。

 そのため、本稿では、「1」については、産業の立地構造、およびその変化について、長期データに基づいて明示的に示し、実態把握を試みている。「2」については、「総合タイル係数」を導入し、産業立地のあり方が経済格差にどのような影響を及ぼしてきたか、産業の生産性と構造に着目して分析を試みている。「3」については、「物理的立地環境」と「高次立地環境」を明示的に仕分けし、特に、マレーシア経済の牽引役を担ってきた日系企業について、どのような力が産業立地を決定する上で最も影響力を持っていたのかを分析している。また、このうちの企業間関係については、1947年以降の長期データを用いた分析を行うことで、日系企業に限らず、素材産業、加工組立業が、それぞれ、経済の発展段階に応じて必要となる技術の質・水準の変化に伴って、当該産業、関連産業の立地に影響を受けながら産業立地のあり方を変化させてきたことを証明するべく分析が試みられている。

3.研究の結論

 まず、仮説1についてその検証を試みた第1章の結論は、以下のように要約できる。マレーシアの歴史上最も平等化色の強かったNEP期間、すなわち1970年から90年までを通じて、州間の経済格差が拡大する傾向にあったこと、また、工業化の進展と空間的拡大によって産業構造上の格差が縮小するなかで、生産性の格差は拡大する傾向にあったこと、さらに、構造格差の縮小もまた、「先進グループ」内で起こっていたものに過ぎなかったことが明らかになった。産業の分散化による州間格差の縮小は、せいぜい「先進グループ」という限られた空間の中で達成されたものに過ぎず、また生産性の高い活動に至ってはますます一部の所得の高い州に集中する傾向にあったことが明らかとなった。

 第1章の議論から、政府が産業の分散化に向けて最も熱心に取り組んだ時期である、1970年代から80年代においても、東部などの発展の遅れた州には産業は分散化せず、特に、日系などの外資が大挙して進出する1980年代においては、スランゴール、ペナンなどのごく限られた州と、それ以外の州の生産性格差が拡大し、そのことが地域格差の拡大の主要因となっていたことが明らかとなった。

 次に、仮説2について検証を行った、第2章、第3章についてみる。

 第2章では、2002年9月から2003年2月に実施した、マレーシアに立地する日系製造業企業95社に対するアンケート調査により得られたデータをもとに、判別分析法を用い、日系企業の立地選択、ひいては地域間の経済格差をもたらしている、立地環境に対する満足度の地域間格差と、その格差の要因を明らかにした。すなわち、スランゴール、ペナン、ジョホールの主要3州とそれ以外の州で、生産環境の充足度が大きく異なること、また、主要3州の優位性を決定している立地環境が、道路、電気などの「物理的立地環境」ではなく、カスタマー、労働力などの「高次立地環境」であることが明らかとなった。また、税制などの政府の施策については、地域間で目立った差が無く、日系企業の分散化にとってはさほど大きな貢献をしてこなかったことを示唆する結果となった。

 第3章では、第2章で重要性が明らかとなった企業間関係に着目し、1947年から2000年までの産業の集積と分散のサイクルのメカニズムに関する発展段階的な仮説を「素材産業」と「加工組立業」について別々に提示し、マレーシアの人口センサス・データを用いてこれを検証した。すなわち、素材産業については、当初は製品の主要な供給先である関連産業の近隣に立地する(第1段階)。後に技術の標準化によって、また輸出向け生産の拡大によって関連産業の相対的な重要度が低下するに及んで、より遠隔地への分散化を伴う持続的な発展が起こる(第2段階)。やがて製品が低迷期を迎えると、企業の関心は新しい生産方法へと向かい、再び技術は非標準化され、当該産業の企業同士で地理的に近接して立地することが重要になる(第3段階)。また加工組立業については、産業発展の初期には、海外から導入された技術を求めて互いに近接して立地する(第1段階)。後に技術の標準化に伴って生産が拡大すると、しだいに企業の関心は品質の向上へと向かい、関連産業の近隣に立地することが重要になる(第2段階)。やがて製品が低迷期を迎えると、企業の関心は新しい生産方法へと向かい、再び技術は非標準化され、当該産業の企業同士で地理的に近接して立地することが重要になる(第3段階)。

 このように、長期データに基づく分析においても、企業間関係に基づいて産業立地が規定されていたことが示される結果を得ることができた。

 以上、第2章、第3章から、日系などの外資系企業が多くを占めるマレーシアでは、企業間関係や労働力といった「高次立地環境」が、産業の発展段階に応じてその大きさを変化させつつ立地決定の上で大きな力を及ぼしており、インフラ整備や後進地域への優遇税制などの政府の政策は、民間企業の立地選択上の意思決定を十分にコントロールするほど大きなものではなかった。

 本稿の分析を通じて、仮説1、2は証明された。産業の分散化は政府の思い通りには進まず、その結果、今日のような偏った産業立地と、地域間格差を現出させてしまったのである。また、分散化が進展しなかったのは、立地選択上の最大の誘引である、企業間関係や労働力の蓄積を求めた、企業の合理的な行動の結果によるものである。

 先述の通り、マレーシア政府は「貧困の撲滅」と「民族間格差の是正」という二大目標の達成に向けて様々な施策を講じてきた。なかでも、産業立地政策は、東海岸などの貧しい州に多く居住するマレー人に雇用機会を与え、経済人として自立させることを目指して行われてきたという側面がある。そのため、政府にとって、産業の分散化は、経済発展と同等か、時にそれ以上の重要性を持って取り組まれてきたのである。しかし、本稿の分析結果が示すように、日系など外資系企業を中心とする民間企業は、経済発展に多大な貢献をしたことは間違いないものの、産業の分散化に対しては、貢献をしなかったばかりか、むしろ、集積化とそれによる地域格差の拡大を強める方向に作用していたのである。そして、本稿の分析結果が示すように、産業集積と地域格差拡大の要因は、良質な企業間関係や労働力を求める民間企業の自由な意思決定にあったのである。

審査要旨 要旨を表示する

 1950年代に政治的独立を達成したマレーシアは、マレー人と華僑と印橋とからなる「複合社会」という社会経済構造をひき継いだ。独立後マレーシア政府はこの構造を克服させるため1970年以降、積極的な政策介入を始めた。その重要な柱が、貧しいマレー人が集中的に居住する農村地域と豊かな中国人等が居住する都市部といった地域間の所得格差を、農村部など遅れた地域への産業の地域的分散化を図ることで解消させていこうという産業立地政策であった。本論文は、マレーシアでも半島部マレーシアに限定して、このような産業の地域的立地の動向が地域間の経済格差にどのような影響を与えてきたかを、実態調査と歴史的統計を利用した数量経済分析とを組み合わせて解明したものである。

 第1章では、1970年から90年までを通じて、州間の経済格差が拡大する傾向にあったこと、また、工業化の進展と空間的拡大によって産業構造上の格差が縮小するなかで、生産性の格差は拡大する傾向にあったこと、さらに、構造格差の縮小もまた、「先進グループ」内で起こっていたものに過ぎなかったことが明らかにされた。産業の分散化による州間格差の縮小は、せいぜい「先進グループ」という限られた空間の中で達成されたものに過ぎず、また生産性の高い活動に至ってはますます一部の所得の高い州に集中する傾向にあったことが明らかにされている。

 第2章では、執筆者自らが2002年9月から2003年2月に実施した、マレーシアに立地する日系製造業企業95社に対するアンケート調査により得られたデータをもとに、日系企業の立地選択の決定要因が析出されている。スランゴール、ペナン、ジョホールの主要3州とそれ以外の州で、生産環境の充足度が大きく異なること、また主要3州の優位性を決定している立地環境が、道路、電気などの「物理的立地環境」ではなく、カスタマー、労働力などの「高次立地環境」であることが明らかとなった。また、税制などの政府の施策については、地域間で目立った差が無く、日系企業の分散化にとってはさほど大きな貢献をしてこなかったことを示唆する結果となった。

 続いて第3章では、第2章で重要性が明らかとなった企業間関係に着目し、1947年から2000年までの産業の集積と分散のサイクルのメカニズムに関する発展段階的な仮説を「素材産業」と「加工組立業」について別々に提示し、年次の異なる人口センサス・データを繋いで作り出した統計指標を用いてこれを検証している。すなわち、素材産業については、当初は製品の主要な供給先である関連産業の近隣に立地する。後に技術の標準化によって、また輸出向け生産の拡大によって関連産業の相対的な重要度が低下するに及んで、より遠隔地への分散化を伴う持続的な発展が起こる。やがて製品が低迷期を迎えると、企業の関心は新しい生産方法へと向かい、再び技術は非標準化され、当該産業の企業同士で地理的に近接して立地することが重要になる。また加工組立業については、産業発展の初期には、海外から導入された技術を求めて互いに近接して立地する。後に技術の標準化に伴って生産が拡大すると、しだいに企業の関心は品質の向上へと向かい、関連産業の近隣に立地することが重要になる。やがて製品が低迷期を迎えると、企業の関心は新しい生産方法へと向かい、再び技術は非標準化され、当該産業の企業同士で地理的に近接して立地することが重要になる。このような発展段階的サイクルがマレーシアで存在したことが、長期データに基づく数量経済分析で明らかにされている。

 この論文は、全体として以下2点の重要な結論を導出している。第1に、第1章で製造業企業の大都市への集積の結果、30年以上にも渡って行われた地域開発政策・産業分散化政策にも拘らず、マレーシアの地域間格差は改善されなかった。そして第2に、マレーシアにおける産業立地は、企業間関係や労働力の集積地を求める企業の利益追求行動、すなわち「市場メカニズム」により決定されており、政府の政策は、この力を十分制御できなかった。以上が本論文の主たる結論である。

 同様の主題を取り扱った先行研究を以下のような点で大きく前進・深化させている。まず、長期データの発掘によって産業立地分析を前進させている。ついで、「総合タイル係数」といった新しい統計式を工夫することで、産業立地のあり方の地域経済格差への影響を明確に析出している。最後に、特に、マレーシア経済の牽引役を担ってきた日系企業も含めて、その立地要因を詳細に明らかにすることで、産業立地要因の分析を深化させている。

 以上のように、本論文は経済開発論の領域で学術上貢献するところは大きいだけでなく、政策への応用面でも重要な価値を持っていると判断できる。このような判断から、審査委員全員本論文が博士(農学)に十分値するものと結論した。

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