学位論文要旨



No 121678
著者(漢字) 谷中,一朗
著者(英字)
著者(カナ) タニナカ,イチロウ
標題(和) アクリルエマルション型粘着剤中のロジン系タッキファイヤーの挙動
標題(洋)
報告番号 121678
報告番号 甲21678
学位授与日 2006.04.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3065号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野,拡邦
 東京大学 教授 磯貝,明
 東京大学 教授 飯塚,尭介
 東京大学 助教授 江前,敏晴
 東京大学 助教授 竹村,彰夫
内容要旨 要旨を表示する

 粘着テープの破壊特性は粘着剤の散逸エネルギーと表面間相互作用に大きく影響されることが知られている。従って、破壊にはバルク(粘着剤全体)の粘弾性はもとより、同時に表面間相互作用に関連する表面状態にも大きく依存することになる。このことは、従来行われている粘着剤層の深さ方向の濃度分布を均一なものと見なすバルクの分析だけでは粘着破壊挙動を完全に説明するには限界があることを示しており、粘着剤の表面(界面)の界面化学的検討が必要なことをものがたっている。

 従来の界面化学的分析法としては、接触角測定などが典型的なものであるが、近年、全反射赤外分光法(ATR FT-IR)やX線光電子分光法などの分析技術の急速な発達により、粘着剤の表面(界面)の分析が可能となってきている。それらの研究の一例として、溶剤型粘着剤に対してATR FT-IRを用い、イソシアネート系架橋剤を添加したアクリル粘着テープ層の深さ方向での架橋部位の挙動(架橋剤の局所的な移動)と、テープの粘着力との間に関係性を見いだした報告がある。

 ところで、粘着剤製造においては、溶剤型粘着剤は粘着物性をコントロールしやすい反面、火災の危険性や環境衛生面で問題視されることが多く、次第に水系化、特にエマルション型へと移行しつつある。多くの場合、エマルション型粘着剤は溶剤型粘着剤と比較して、粘着物性で劣ることが知られており、剥離強さ、凝集力および耐応力性を向上させる目的で主剤となるアクリル共重合体ベース樹脂エマルションにエマルション型タッキファイヤーを添加して粘着物性バランスを向上させる手法をとっている。このようにエマルション型粘着剤も多成分系であるにもかかわらず、現状では、溶剤型粘着剤と比較してその表面状態を検討した事例は非常に少ない。本研究は、近年研究開発が盛んに行われるようになったアクリルエマルション型粘着剤について、粘着物性改質のために添加されるロジン系タッキファイヤーの粘着剤層中での挙動に関するものであり、特に、粘着テープを被着体に貼り付けた後に剥離強さが保存時間とともに上昇するという現象に着目し、粘着剤表面層の経時的な組成変化をタッキファイヤー濃度の変化という観点から検討した結果およびタッキファイヤーの表面層濃度と臨界表面張力の変化について考察したものである。以下に論文の構成に従い概要を述べる。

 第1章では、接着と粘着の概念、粘着剤の歴史、粘着製品の市場規模、アクリル系粘着剤の技術動向および本研究の目的について述べた。

 第2章では、実験に使用するエマルション型アクリル系粘着剤について、市販の製品および特許等を参考にし、可能な限り系を単純化させて粘着剤を合成した結果について述べた。アクリル酸2-エチルヘキシルの重合体を主成分とするエマルション型アクリルベースポリマーとロジンとペンタエリスリトールとのエステル化反応で得られたロジンエステル樹脂を主成分とするエマルション型ロジン系タッキファイヤーを合成し、これらを任意に配合することにより種々の粘着剤を調製する方法について述べた。した。また、これらの材料を用いた粘着テープの作成方法を述べた。

 第3章では、エマルション型アクリル系粘着剤を使用して作成した粘着テープを被着体に貼り付けて長期保存した場合に経時的に剥離強さが上昇する現象に着目し、この現象の原因の解明を行った。

 粘着剤中のタッキファイヤー配合量と初期剥離強さとの関係を検討したところ、被着体により上昇率の差はあるものの、粘着剤中のタッキファイヤー濃度が高くなるにつれ初期剥離強さは増加し、高い正の相関が認められた。被着体をポリエチレン板、およびステンレス板として、恒温(23℃、70℃)保存した粘着テープの剥離強さの経時的な変化を検討したところ、被着体がステンレス板の場合には、保存温度が70℃の場合に剥離強さが経時的に増大することが認められた。この結果はタッキファイヤーの粘着剤層内移動(マイグレーション)が起きていることで説明できる可能性があると考察し、透過FT-IRスペクトルにより粘着剤バルクのタッキファイヤー平均濃度およびATR FT-IRスペクトルにより被着体との界面近傍での粘着剤の局所濃度を測定することを検討した。

 ポリエチレン製IRカードに粘着剤構成要素であるアクリルベースポリマー、タッキファイヤーおよび調製した粘着剤をキャストして透過赤外吸収スペクトルを測定し、ポリエチレンの吸収帯が妨害しない領域での各構成成分の特徴的な吸収帯を検討した結果、粘着剤配合量の変化に伴い1200 cm(-1)から1300 cm(-1)の領域に顕著な吸収の変化が認められた。この領域では、ロジン系タッキファイヤーに帰属される1241cm(-1)のピークとアクリルベースポリマーに帰属される1260cm(-1)のピークが存在する。これら2つのピーク強度の変化に着目して、アクリルベースポリマーとロジン系タッキファイヤーとの濃度比の算出を行ったところ、吸光度比とタッキファイヤー濃度との間に相関の高い線形性が確認できた。吸光度比はいずれのタッキファイヤー濃度および保存条件においてもほとんど変化しておらず、粘着剤全体として捉えるとタッキファイヤー濃度は全く変化していないことを示した。

 次に、被着体の界面近傍でのタッキファイヤーの濃度の測定をATR FT-IRスペクトルにより検討した。透過FT-IRでの測定と同様に、吸光度比(1241cm(-1)/ 1260cm(-1))と初期タッキファイヤー配合量との間で検量線を作成したところ相関の高い線形性が得られ検量線として使用できることを確認できた。なお、本研究におけるATR FT-IR測定のおおよその分析深さは0.99μmである。被着体をステンレス板とした場合のATR FT-IRスペクトルより求めた吸光度比の経時変化は、23℃での保存では吸光度比はほとんど変化しないが、保存温度が70℃になると、経時的に吸光度比が上昇した。このことは、高温保存中にタッキファイヤーが界面近傍に経時的にマイグレーションして、界面付近のタッキファイヤー濃度が高くなることを示唆している。この現象は、ステンレス被着体で高温保存した場合に観察される剥離強さの経時的上昇と一致するものであった。表面自由エネルギーの高いステンレス板においてタッキファイヤーマイグレーションが顕著であった結果より被着体と粘着剤の界面エネルギーの最小化がタッキファイヤーの表面偏析のドライビングフォースであると推定した。

 第4章では、第3章での赤外吸収分光法を用いて得られた結果を検証するために、長期保存後の粘着剤表面層の臨界表面張力(γc)を調査した。表面張力の異なる蒸留水とジプロピレングリコールを任意に混合し、白金プレートを使用したウィルフェルミー法により混合液体の表面張力を測定した。次いで、表面張力が既知となった種々の混合液体を粘着剤表面に接液させ、その液滴の接触角(θ/2)を観察することによりcosθを算出し、得られた複数の液体の表面張力の値とcosθの値を用いてZisman-Plotにより粘着剤のγcを算出した。タッキファイヤー配合量を種々変化させた粘着テープの作成直後のγcは、タッキファイヤー配合量の増大に伴い増大し、タッキファイヤー濃度が40%程度まではタッキファイヤー濃度とγCとの間に線形性が確認されるが、タッキファイヤー濃度が40%程度を越えるとタッキファイヤー濃度依存性は低下し一定値(約22mN/m)に近づいた。

 タッキファイヤー配合量を変化させて試作した粘着テープを被着体であるステンレス板に貼り付け 23℃および70℃ で長期保存した後の保存時間に対する粘着剤表面層のγcの変化を調べた。タッキファイヤーを含まない系の粘着剤では長期保存により、γCは経時的に著しく上昇する傾向があり、特に高温保存する場合にその傾向は顕著であった。タッキファイヤーを含む系統の粘着剤では、23℃保存の場合、γCは経時的にほぼ一定値をとった。一方、70℃保存ではγCが経時的に上昇することが観察され、最終的にはタッキファイヤー配合量が異なる粘着剤であってもγCは同値(約22mN/m)に収束する可能性を示唆した。第3章でATR FT-IR測定における吸光度比が表面層タッキファイヤー濃度との間に正の線形性があることを認めたので、ステンレス板に貼り付けて長期保存した場合の吸光度比の変化とγcの変化との関係について検討した。タッキファイヤー配合量を10%および30%とし、粘着シートをステンレス板に貼り付けて70℃で長期保存した場合の一定期間後のピーク強度比の測定結果に対して、同期間保存後のγcをプロットした結果、タッキファイヤー配合量が30%の場合において両者間に高い正の線形性があることが認められた。これらの結果は、粘着剤と被着体との界面エネルギーを最小化させる作用がタッキファイヤーのドライビングフォースとして働き、タッキファイヤーの表面偏析を引き起こす要因となったと結論した第3章の結果を裏付けるものとなった。

 粘着テープの破壊特性は粘着剤の散逸エネルギーと表面間相互作用に影響を受ける。したがって、バルクの粘弾性と表面状態という2つの因子に大きく依存する筈である。本研究の結果は、粘着剤と被着体との間の表面エネルギーを最小化しようとする作用によるタッキファイヤーのマイグレーションに起因する表面状態の変化の方が粘着剤のバルクの粘弾性変化よりも大きな要因として働き、結果として粘着剤の剥離強さが経時的に増大する可能性を示唆するものと考えた。

以上

審査要旨 要旨を表示する

 粘着テープの破壊特性は粘着剤の散逸エネルギーと表面間相互作用に大きく影響されることが知られている。従って、破壊にはバルク(粘着剤全体)の粘弾性はもとより、同時に表面間相互作用に関連する表面状態にも大きく依存することになる。このことは、従来行われている粘着剤層の深さ方向の濃度分布を均一なものと見なすバルクの分析だけでは粘着破壊挙動を完全に説明するには限界があることを示しており、粘着剤の表面(界面)の界面化学的検討が必要なことをものがたっている。

 粘着剤製造においては、溶剤型粘着剤は火災の危険性や環境衛生面の問題から、次第に水系化、特にエマルション型へと移行しつつある。多くの場合、エマルション型粘着剤は溶剤型粘着剤と比較して、粘着物性で劣ることが知られており、剥離強さ、凝集力および耐応力性を向上させる目的で主剤となるアクリル共重合体ベース樹脂エマルションにエマルション型タッキファイヤーを添加して粘着物性バランスを向上させる手法をとっている。このようにエマルション型粘着剤も多成分系であるにもかかわらず、現状では、溶剤型粘着剤と比較してその表面状態を検討した事例は非常に少ない。本研究は、近年研究開発が盛んに行われるようになったアクリルエマルション型粘着剤について、粘着物性改質のために添加されるロジン系タッキファイヤーの粘着剤層中での挙動に関するものであり、特にタッキファイヤーの表面層濃度と臨界表面張力の変化について考察したものである。

以下に論文の構成に従い概要を説明する。

 第1章では、接着と粘着の概念、粘着剤の歴史、粘着製品の市場規模、アクリル系粘着剤の技術動向および本研究の目的について述べている。

 第2章では、実験に使用するエマルション型アクリル系粘着剤について、市販の製品および特許等を参考に、アクリル酸2-エチルヘキシルの重合体を主成分とするエマルション型アクリルベースポリマーとロジンとペンタエリスリトールとのエステル化反応で得られたロジンエステル樹脂を主成分とするエマルション型ロジン系タッキファイヤーを合成し、これらを任意に配合することにより種々の粘着剤を調製する方法について論述している。また、これらの材料を用いた粘着テープの作成方法を述べている。

 第3章では、粘着剤中のタッキファイヤー配合量と初期剥離強さとの関係を検討して、被着体により上昇率の差はあるものの、粘着剤中のタッキファイヤー濃度と初期剥離強さの間に高い正の相関を認めた。一方、タッキファイヤー濃度を固定した粘着剤をポリエチレン板、およびステンレス板に塗布して、異なる温度で保存した時の剥離強さの経時的変化を検討したところ、被着体がステンレス板の場合には、高温保存での剥離強さが経時的に増大することを見いだした。これらの現象を考え合わせると、粘着剤を高温保管することにより粘着剤深さ方法の濃度が系時的に変化し、ステンレス板の界面ではタッキファイヤーの表面偏析が起きることで説明される可能性がある。

 粘着剤構成要素であるアクリルベースポリマーとタッキファイヤーの赤外吸収での特徴的な吸収帯を利用して、タッキファイヤー配合量と各構成要素の強度比との関連を検討したところ、相関の高い線形性を見いだし、検量線として使用できることを確認した。そこで、被着体の界面近傍でのタッキファイヤーの濃度の測定をATR FT-IRスペクトルにより検討した。被着体をステンレス板とした場合のATR FT-IRスペクトルより求めた吸光度比の経時変化は、室温保存では吸光度比はほとんど変化しないが、高温保存(70℃)になると、経時的に吸光度比が上昇することを確認し、高温保存中にタッキファイヤーが界面近傍に経時的にマイグレーションして、界面付近のタッキファイヤー濃度が高くなることを明らかにした。この現象は、ステンレス被着体で高温保存した場合に観察される剥離強さの経時的上昇と一致するものであった。

以上の結果から、表面自由エネルギーの高いステンレス板における顕著なタッキファイヤーのマイグレーションのドライビングフォースは、粘着剤の界面エネルギーの最小化を満たすためのタッキファイヤーの表面偏析にあると推定している。

 第4章では、第3章での赤外吸収分光法を用いて得られた結果を検証するために、長期保存後の粘着剤表面層の臨界表面張力(γc)を検討したものである。タッキファイヤー配合量を変化させた粘着テープの作成直後のγcは、タッキファイヤー配合量の増大に伴い増大し、タッキファイヤー濃度が40%程度まではタッキファイヤー濃度とγcとの間に線形性が確認された。しかし、タッキファイヤー濃度が40%程度を越えるとタッキファイヤーの濃度依存性は低下し一定値に近づいた。

 タッキファイヤー配合量を固定した粘着テープをステンレス板に貼り付け室温および高温(70℃)で長期保存した後、テープを剥離させて保存時間に対する粘着剤表面のγcの変化を調べた。粘着剤をステンレス板に貼り付けて高温長期保存した場合、ピーク強度比とγcの間に高い正の線形性が認められた。これらの結果は、粘着剤と被着体との界面エネルギーを最小化させる作用がタッキファイヤー偏析のドライビングフォースとして働くと結論した第3章の結果を裏付けるものとなった。

 粘着テープの破壊特性は粘着剤の散逸エネルギーと表面間相互作用に影響を受ける。本研究の結果は、粘着剤と被着体との間の表面エネルギーを最小化しようとする作用によるタッキファイヤーのマイグレーションに起因する表面状態の変化の方が粘着剤のバルクの粘弾性変化よりも大きな要因として働き、結果として粘着剤の剥離強さが経時的に増大する可能性を示唆するものであった。

 以上のように本研究は、張り替えの利く木質材料の化粧材や表面保護材として使用される粘着フィルム設計への基礎的知見を提供するものである。

よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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