学位論文要旨



No 121679
著者(漢字) 長谷川,恵理
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,エリ
標題(和) 線虫のRNA結合タンパク質CPB-3が制御する配偶子形成機構の分子遺伝学的解析
標題(洋) Molecular genetic analysis of the germline development regulated by RNA-binding protein CPB-3 in C.elegans
報告番号 121679
報告番号 甲21679
学位授与日 2006.04.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4894号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 講師 田仲,加代子
 東京大学 教授 山本,正幸
内容要旨 要旨を表示する

 すべての動物種は次世代の個体を作るための細胞、生殖細胞を持つ。先ず胚発生初期に生殖細胞の前駆細胞である始原生殖細胞が生じる。始原生殖細胞は体細胞から別れて発生中の生殖腺内へ移動し、その後生殖幹細胞となり、体細胞分裂により増殖する。生殖幹細胞は発生後期になると非対称分裂を行い、片方の娘細胞は減数分裂と形態変化とを経て精子または卵子になる。雄の精子と雌の卵子とが受精して行われる有性生殖は、親とは異なる新しい遺伝子のセットを持った個体をつくることができるという利点を持つ一方で、体細胞分裂から減数分裂への切り替えや、生殖細胞の性(精子になるか卵子になるかの運命決定)などの複雑な制御を必要とする。現在までに、この制御の中核をなすのは種々のRNA結合タンパク質によるmRNAの翻訳制御であることが、モデル生物における研究から示唆されている。ただし、それらの制御機構の全体像はほとんど不明である。本研究では、分子生物学・遺伝学の代表的なモデル生物である線虫C.elegansを用いて、保存されたmRNA結合タンパク質であるCPEB(Cytoplasmic Polyadenylation Element-Binding)ファミリータンパク質による配偶子形成の制御メカニズムを解析した。

 C.elegansの生殖細胞は幼虫期の初期には体細胞分裂のみを行って増殖し、幼虫期の後期に減数分裂を開始する。さらに4齢幼虫期には一部の生殖細胞は減数分裂を完了して精子を形成する。4齢幼虫期から成虫になると、精子形成から卵形成への切り替えが起こり、成虫は卵形成のみを行う。成虫の生殖腺には配偶子形成を行う生殖細胞が発生の順に規則正しく並んでいる(図1B)。例えば成虫雌雄同体の生殖腺の最も遠位側では、生殖細胞は体細胞分裂を行って増殖し、近位側に移動するにつれて減数分裂を開始し、卵子を形成する。各々の生殖細胞の発生段階は、その染色体の形態によって容易に判別できる。現在までに、C.elegansの配偶子形成過程の制御に重要なRNA結合タンパク質が複数同定されている。特に、生殖細胞の性決定と、体細胞分裂から減数分裂への切り替えに関しては具体的な遺伝学的経路が明らかになりつつある。

 本研究者の所属する研究室では、ヒト無精子症の原因遺伝子Deleted in Azoospermina(DAZ)のC.elegansにおける相同遺伝子、daz-1が単離され、解析されてきた。daz-1遺伝子がコードするDAZ-1タンパク質は体細胞分裂期と減数分裂初期の生殖細胞の細胞質に多く発現し、卵形成時の減数第一分裂の進行に必須である。DAZ-1タンパク質は特定のmRNAの翻訳を促進することにより卵形成を実現させることが示唆されているが、その際にDAZ-1がどのようなタンパク質と結合して機能しているのかは謎であった。本研究ではtwo-hybridスクリーニングにより、DAZ-1と相互作用するタンパク質としてCPB-3を得た。CPB-3は線虫に4つ存在するCPEBの一つである。CPEBは多細胞動物において保存されたRNA結合タンパク質で、特定のmRNAの3'非翻訳領域(3'UTR)中に存在するCPE配列(UUUUUAU)に結合して、主にpoly(A)の長さを正に調節することでmRNAの翻訳を制御する。CPB-3以外のC.elegansの3つのCPEBは精子の運命決定または精子形成時に重要であることが示唆されていた。cpb-3 mRNAは卵形成を行う生殖細胞で発現が多いことが知られていたが、それ以上の詳しい解析は行われていなかった。

 先ず抗CPB-3抗体を作製して抗体染色を行い、CPB-3の局在を観察した。CPB-3は胚発生期から成虫期にかけての生殖腺の細胞質で発現しており、特に雌雄同体の生殖腺では、減数分裂初期の生殖細胞の細胞質で強い発現が観察された。また、免疫沈降実験では、線虫の細胞抽出液からCPB-3タンパク質とDAZ-1タンパク質とが共沈降することが確認された。

 次に、cpb-3遺伝子の欠失変異体を単離した。cpb-3(bt17)変異体はRNAへの結合に必須であるRNA認識モチーフの大部分とzinc fingerドメインを欠いているため、機能欠失型の変異体であると考えられる(図1A)。cpb-3変異体は20℃で産卵数の減少を示したが、この表現型は高温(25℃)でより顕著であった。cpb-3変異体のホモ接合体は、野生型N2株が25℃で約170個の受精卵を産むのに比べて約30個の受精卵しかうまず、さらにcpb-3変異体の自家受精卵の半数が胚性致死性を示した。cpb-3変異体の生殖腺のDAPI染色を行って観察したところ、cpb-3変異体は、幼虫期や成虫の初期には野生型N2株とほぼ同様の生殖腺を持っていたが、時間経過とともに生殖細胞数が減少し、パキテン期からディアキネシス期への移行に欠損を示した(図2B)。すなわち、cpb-3遺伝子は生殖細胞の増殖と減数分裂の進行に重要である。

 以上の結果から、CPB-3がDAZ-1と相互作用し、卵形成において類似の機能を果たすことが示唆された。cpb-3遺伝子とdaz-1遺伝子が協調的に機能するのか、それとも拮抗的に機能するのかを確かめるために、cpb-3;daz-1二重変異体を作製した。daz-1変異体は、卵形成の減数分裂前期パキテン期の進行が不能であり、また精子形成から卵形成への切り替えにも異常を示す。cpb-3;daz-1二重変異体の生殖腺は、N2株およびcpb-3変異体よりも少数の生殖細胞しか含んでいなかった。さらに、成虫期でも卵形成の代わりに引き続き精子形成が行われていた。これらの表現型はcpb-3変異体とdaz-1変異体での表現型が強まったものであることから、cpb-3とdaz-1は生殖細胞の性決定と増殖に関して一部重複した機能を持つと考えられる。

 daz-1は精子形成から卵形成への切り替えに関与することが知られている。精子形成から卵形成への切り替え時には、Puf(Pumilio and FBF)ファミリーのRNA結合タンパク質であるFBF-1とFBF-2がfem-3 mRNAの翻訳を抑制することが知られている。daz-1は、fbf-1およびfbf-2 mRNAに結合してその翻訳を活性化することが示唆されていたため、cpb-3とfbf-1との遺伝学的相互作用を検討した。fbf-1変異体はほとんど野生型と同様の生殖腺を持つが、daz-1;fbf-1変異体の生殖腺は完全に雄化しており、成虫期でも精子形成しか行われていない。cpb-3;fbf-1二重変異体を作製したところ、cpb-3;fbf-1変異体も成虫期に精子形成のみを行っていた。このことから、cpb-3はfbf-1と重複して精子形成から卵形成への切り替えに機能を持つと考えられる。

 最後に、減数分裂の開始と進行を制御する既知の遺伝子経路とcpb-3との関係を検討した。減数分裂の開始と進行には、gld-1/nos-3とgld-2/gld-3の二つの遺伝学的経路が平行して機能している。GLD-1は翻訳抑制因子として機能するSTAR/GSG/quaking型のRNA結合タンパク質であり、NOS-3はショウジョウバエNanosのホモログである。Atypical poly(A)polymeraseの触媒サブユニットであるGLD-2はRNA結合ドメインを持つGLD-3(ショウジョウバエのBicaudal-Cホモログ)と複合体を形成して、poly(A)伸長を触媒するpoly(A)polymeraseとして機能すると考えられている。これらの遺伝子の変異とcpb-3変異との二重変異体を作製したところ、cpb-3;gld-3変異体で顕著な表現型が見られた。gld-3変異体の生殖細胞は減数分裂を行うことができるが(図2C)、cpb-3;gld-3変異体の生殖細胞は体細胞分裂を繰り返し行っており、生殖腺が腫瘍化していた(図2D)。生殖腺の腫瘍化は、生殖細胞が体細胞分裂から減数分裂への切り替えを行えない変異体で見られる表現型であり、減数分裂開始の欠損を意味している。他の変異とcpb-3変異との二重変異体では腫瘍化した生殖腺は見られなかったことから、cpb-3遺伝子は主にgld-3遺伝子と重複した経路で、体細胞分裂から減数分裂への進入を促進していると考えられる。

 以上のことから、C.elegansのCPEB相同タンパク質CPB-3が生殖細胞において配偶子形成の複数の段階を制御しており、特に減数分裂に関してはBicaudal-C相同タンパク質GLD-3と平行した経路で減数分裂への進入・進行を促進することが明らかになった。また、CPB-3は生殖細胞の性決定と増殖に関して、C.elegansのDAZ相同タンパク質DAZ-1と重複した機能を持つと考えられる。今後、CPB-3がどのようなmRNAに結合して機能するかの知見を得ることは、これらのタンパク質が制御する動物の配偶子形成の分子機構の理解をさらに深めるために重要である。

図1. cpb-3遺伝子の構造とCAB-3タンパク質の発現

(A)cpb-3欠失変異体の欠失部位を遺伝子構造の下に示す。エキソンをボックスで示し、ふたつのRNA認識モチーフは黒いボックスで、C2/H2, C4 zinc fingerは灰色のボックスで示す。(B)切り出した野生型成虫の生殖腺(N2 adult gonad)を固定し、抗CPB-3抗体で染色した(左パネル)。生殖細胞の染色体をDAPI染色することにより、生殖細胞の発生段階を示す(右パネル)。mitotic;体細胞分裂領域、trans;減数分裂への移行期、pachytene;減数分裂第一分裂前期のパキテン期、oocytes;卵子、sperm;精子。矢頭;distal tip、スケールバー;20um。

図2.cpb-3遺伝子の変異による配偶子形成異常

各株から切り出した生殖腺のDAPI染色像。受精卵をえさのない状態で孵化させることで1齢幼虫期の途中で発生を停止させた後、25℃で約72時間飼育した。(A)野生型N2株、(B)cab-3(bt17)変異体、(C)gld-3(ok308)変異体、(D)cpb-3(bt17);gld-3(ok308)変異体。矢頭;distal tip、スケールバー;20um。

審査要旨 要旨を表示する

 すべての動物種は次世代の個体を作るための細胞、生殖細胞を持つ。雄の精子と雌の卵子とが受精して行われる有性生殖は、親とは異なる新しい遺伝子のセットを持った個体をつくることができるという利点を持つ一方で、体細胞分裂から減数分裂への切り替えや、生殖細胞の性決定(精子になるか卵子になるかの運命決定)などの複雑な制御を必要とする。現在までに、この制御の中核をなすのは種々のRNA結合タンパク質によるmRNAの翻訳制御であることが、モデル生物における研究から示唆されている。本研究において学位申請者長谷川恵理は、分子生物学・遺伝学の代表的なモデル生物である線虫C.elegansを用いて、保存されたmRNA結合タンパク質であるCPEB(Cytoplasmic Polyadenylation Element-Binding)ファミリータンパク質による配偶子形成の制御メカニズムを解析した。学位論文では、「序」および「材料と方法」に続き、8節からなる「結果」、「考察」、そして「結論」に分けて、得られた成果とその意義が述べられている。

 先行する研究で、ヒト無精子症の原因遺伝子Deleted in Azoospermina(DAZ)のC.elegansにおける相同遺伝子、daz-1が単離され、解析されていた。daz-1遺伝子がコードするDAZ-1タンパク質は体細胞分裂期と減数分裂初期の生殖細胞の細胞質に多く発現し、卵形成時の減数第一分裂の進行に必須である。本研究で申請者はtwo-hybridスクリーニングにより、DAZ-1と相互作用するタンパク質として線虫の4つのCPEBホモログの一つCPB-3を得た。CPEBは多細胞動物において保存されたRNA結合タンパク質であり、主にpoly(A)の長さを正に調節することでmRNAの翻訳を制御する。

 抗CPB-3抗体を作製して抗体染色を行った結果、CPB-3は胚発生期から成虫期にかけての生殖腺で発現しており、特に雌雄同体の生殖腺では、減数分裂初期の生殖細胞の細胞質で強い発現が観察された。また、免疫沈降実験では、線虫の細胞抽出液からCPB-3タンパク質とDAZ-1タンパク質とが共沈降することが確認された。さらにcpb-3遺伝子の欠失変異体では野生型に比べて産卵数が減少しており、生殖細胞の増殖が不十分で減数分裂前期の進行も異常であった。すなわち、cpb-3遺伝子は生殖細胞の増殖と減数分裂の進行に重要であることが示された。

 以上から、CPB-3がDAZ-1と相互作用し、卵形成において類似の機能を果たすことが示唆された。cpb-3遺伝子とdaz-1遺伝子が協調的に機能するのか、それとも拮抗的に機能するのかを確かめるために、申請者はcpb-3;daz-1二重変異体を作製した。cpb-3;daz-1二重変異体はcpb-3変異体またはdaz-1変異体よりも重篤な生殖細胞の異常を示したことから、cpb-3遺伝子はdaz-1遺伝子と協調的に機能していると考えられた。さらに、減数分裂の開始と進行を制御する既知の遺伝子経路とcpb-3との関係を検討したところ、cpb-3;gld-3変異体はそれぞれの変異体では見られない相乗的な減数分裂の進行異常を示した。gld-3はgld-2とともにpoly(A)の伸長因子として機能し、減数分裂を促進する。このことから、cpb-3遺伝子は主にgld-3遺伝子と重複した経路で、減数分裂の進行を促進していると考えられた。

 得られた結果から、C.elegansのCPEB相同タンパク質CPB-3が生殖細胞において配偶子形成の複数の段階を制御しており、特に減数分裂に関してはpoly(A)伸長因子として機能するGLD-3と平行した経路で減数分裂への進入・進行を促進することが明らかになった。また、CPB-3はC.elegansのDAZ相同タンパク質DAZ-1と協調的に機能していると考えられた。今後、CPB-3の標的mRNAを明らかにすることなどを通じて、RNA結合タンパク質が協調して制御している動物の配偶子形成の分子機構の理解がさらに深まると期待される。

 以上,長谷川恵理が明らかにした研究成果は、配偶子形成の分子機構の理解に対する重要な寄与であり、学位申請者の業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいと審査員全員が判定した。なお本論文は辛島健、住吉英輔、山本正幸との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、長谷川恵理に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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