学位論文要旨



No 121688
著者(漢字) 金児,恵
著者(英字)
著者(カナ) カネコ,メグミ
標題(和) ソーシャル・サポート・ネットワーク成員としてのコンパニオン・アニマル : 人の精神的健康および対人ネットワークに果たす役割
標題(洋)
報告番号 121688
報告番号 甲21688
学位授与日 2006.04.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会心理学)
学位記番号 博人社第540号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,弘子
 東京大学 教授 山口,勧
 東京大学 教授 池田,謙一
 東京大学 教授 林,良博
 名古屋大学 助教授 唐沢,かおり
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、日本におけるコンパニオン・アニマル(家庭で人間の伴侶として飼われるペット;以下「CA」)が持つ、人々の社会的相互作用と精神的健康に与える影響を実証的に検討したものである。その際特に、CAを飼い主のソーシャル・サポート・ネットワークを構成する一成員として位置づけるとともに、さらに両者に対する非飼い主からの反応も含めたマクロな視点からの分析を試みた。

 第1章では、CAと人間の関係についての研究史を概観し、日本における研究を行う意義を論じた。まず、人が動物との共同生活の歴史、そして人と動物の関係研究(ヒューマン・アニマル・ボンド研究)の研究史を概観した。そして日本における動物観や社会環境といった社会・文化的背景について議論し、さらに最近のCAを巡る動向――例えば急増する飼育率や市場経済へのインパクトなどについて論じた。さらに日本においてはCAの高級化や家族化が顕著であり、日本人とCAとの関係のあり方についての議論、あるいはCAの増加に伴う社会問題が噴出していることを紹介した。以上をふまえ、日本における人とCAの関係性やCAの機能を科学的に解明し、望ましいCAのあり方を提言していくことは急務であると結論づけた。

 第2章と第3章では、欧米の先行研究で見出されたCAの生理的効果(血圧の低下や医薬品利用の減少など)、心理的効果(独居高齢者の孤独感の低下など)、社会的効果(他者との交流を促進させるなど)に関する知見をレビューしたのち、それらの研究の問題点を指摘した。CA研究は、精神医学、獣医学、社会学、心理学などにまたがる学際的な分野であるが、どちらかといえば臨床的な研究が多い。また近年盛んになってきた一般人への影響を扱った研究においても、CAの効果がそれぞれ現象として個別に記述されるにとどまり、包括的な理論的枠組みが欠けていた。だが筆者は、こうしたCAの存在が人間の心理や社会関係に影響を及ぼす現象は、極めて社会心理学的な現象であることを指摘し、特にソーシャル・サポート研究の枠組みを用いたアプローチが有効であると指摘した。このアプローチによって、これまで個別の効果の記述に止まりがちであったCA研究に対して、統合的な理論枠組みを提供することが可能となる。さらに、CAをソーシャル・サポート・ネットワークの一成員と捉えることにより、これまでのように飼い主自身の認知のみによってCAの効果を検討するのではなく、彼らを取り巻く広い社会に住む他の人々からの認知や、そうした人々との相互作用をもまた分析対象とすることが可能になる。以上をふまえ、本論文の目的を、日本のCAもまた、欧米と同様の効果を持つのか否かを実証的に探ることとした。

 第4章(研究1)ではまず、そもそも日本においてCAの所有とCAへの絆は心理的効果や社会的効果を持つのか否かを探索的に検討した。ランダムサンプリング調査の結果、CAへの絆と主観的幸福感との間に負の関連、すなわち、CAへの絆が強い人ほど主観的幸福感が低いという関連が見られた。この結果は、これまで欧米で当然視されてきた「飼い主は、CAとの深く密接な関係を結んでいるほど心身の健康が向上する」との結論が日本では必ずしも通用しない可能性を示唆するものであり、日本におけるCAと飼い主との関係、そしてその精神的健康への影響について再考を迫ることとなった。また同時に、高齢者についてはCA飼育と親しい友人の数との間に負の関連が示された。このように、CAと飼い主との関係性や対人的相互作用への影響の背後には、何らかの日本独自の要素やプロセスが潜んでいる可能性が示唆されたため、その後の一連の研究を通じて解明を試みることとした。

 第5章(研究2)では、日本人飼い主とCAとの関係性や社会関係への影響を詳細に検討するため、飼い主と非飼い主計27名にインタビュー調査を行った。その結果、1) 飼い主のソーシャル・サポート・ネットワークにCAが深く組み込まれていること、2) だが一方で、CAは、通常子どもが持つような深い社会関係の促進剤としては働いていないこと、3) 中には逆にCAにとらわれ、他の社会関係が閉ざされる傾向にある飼い主がいること、4) CAの存在を肯定的に捉える飼い主の所懐をよそに、非飼い主は一様に飼い主に対して否定的な印象を抱いていること(特にマナーや躾に対する言及が多い)、など多くの示唆的な結果が得られた。これらの知見は、研究1で得られたCAへの絆から主観的幸福感への負の影響のプロセスを説明するためのいくつかの手がかりを提供していると思われた。まず、欧米の「人とCAとの深く密接な関係」イコール「幸せな関係」という前提をおいた研究では、日本における人とCAとの関係を完全に捉えられず、むしろある種の関係性は否定的な帰結をもたらす可能性があるという重要な視点がその一つである。また、これまで言われてきたCAの社会的効果が、どちらかといえば短期的で表面的な現象としては存在したとしても、飼い主の精神的健康を増進させるほどには影響力が無く、むしろ他者(主に非飼い主)との否定的な相互作用を生む可能性も示唆された。そのため、以降の研究では、日本のCA飼育の歴史や住宅事情などを背景とすると思われるCAをめぐるトラブルや躾やマナーに関する問題が、飼い主に葛藤やストレスを生じさせ、それが精神的健康に及ぼす可能性について検討することとした。

 第6章(研究3)では、動物の存在が人の印象に及ぼす影響を検討した。欧米の先行研究では「動物はそばにいる人物の印象をポジティブなものにする」との知見が得られているが、こうした現象は、CAを連れていることで他者から接触を持たれやすくなるという点で、CAの社会的効果に対して重要な意味を持つ。しかし研究2でも示されたように、日本では飼主は非飼い主から往々にしてネガティブなイメージを抱かれがちである。そこで研究3では、日本において、CAの存在が対人イメージを向上させるか否かを実験的に検証した。その結果、欧米の知見とは逆に、動物がそばにいない人と比べて、そばにいる人の方が、むしろよりネガティブな印象を持たれることが示された。

 第7章(研究4)では、CAに対する絆の概念の再検討と、CAを介した対人ネットワークに関する基礎的データの収集を行った。研究1および研究2から、これまで欧米で用いられてきたCAとの関係性尺度では、日本におけるCAと飼い主との関係性を捉えきれないことが示唆された。そこで研究4では、新たにCAを可愛がっていれば誰しもが普通に抱くCAへの基本的な絆と、より依存的で心理的拘泥をもたらす関係、すなわち依存的な絆を幅広く測る項目を用いて、CAとの関係性の下位次元を抽出することを試みた。そしてさらに、それらが対人的交流の拡大、縮小とどのように関わっているかを検討した。ランダムサンプリング調査の結果、予測どおりCAへの絆には基本的な絆と依存的な絆の2つの次元があることが明らかになった。さらに、CAへの依存的な絆が強い飼い主はそれが低い飼い主よりもCAを介した対人ネットワークを多く持っているものの、そうした飼い主ほどCAに対するしつけが甘く、非飼い主からのネガティブな反応をもたらすことが示された。

 第8章(研究5)と第9章(研究6)では、ランダムサンプリング調査と既存データの2次分析を行い、CAからのサポートと人間からのサポートの質的同質性と異質性、およびCAを介した対人ネットワークからのサポートについて検討した。その結果得られた知見は以下の通りである。1)飼い主はCAから、家族からと同じ程度の量のサポートを得ており、それは特に基本的絆が高いほど多い、2)家族や友人からの情緒的サポートは主観的幸福感に対してポジティブな効果が持つのに対し、CAからの情緒的サポートは主観的幸福感とは関連しない、3)飼い主にとって生きがいとなり、対人関係を促進してくれるようなCAからのサポートは主観的幸福感にポジティブな効果がある、4)一人暮らしの飼い主は同居家族のいる飼い主に比べて、CAからのサポートをより多く認知している、5) 依存的絆が高いほど「ペットは社会に受け入れられていない」との認知が高く、主観的幸福感が低くなる。

 第10章では、以上の一連の研究からの知見をまとめるとともに、その解釈と意義を論じ、今後の検討課題を示した。本論文の一連の研究における最も重要な発見の一つは、これまで"強い"〜"弱い"の一次元でしか語られてこなかった人とCAとの関係を、「基本的絆」と「依存的絆」の2次元に分解し、それら2種類の絆が飼い主の精神的健康や社会的相互作用に対して異なる影響を及ぼすことを見出した点である。すなわち、「基本的絆」は、その強さを増すほど 1)CAからのサポートが増加し、また2)対人サポートが増える、との二つのパスを通じて結果的に飼主の精神的健康を高める。また、基本的絆は高くても、CAに対する躾が甘くなることはないため、他者からの否定的な反応にはつながらない。一方、「依存的絆」の場合は、それが強まるとCAに対する躾が甘くなり、周囲の他者からの否定的な反応を引き起こす結果、対人ネットワークが狭まることにつながる。さらに、依存的絆が強いほどCAを介したネットワークは広がるものの、そのネットワークからのサポートは他のネットワークからのサポートに比べて小さく、精神的健康の増進にはつながらないことや、依存的絆が「ペットが社会的に受け入れられていない」という認知に繋がり、それが主観的幸福感を低下させることもまた明らかになった。換言すると、日本のCAの飼い主たちは、欧米とは異なり、CAとの関係が強く深くなれば必ずしも単純に幸福になれるわけではないこと、その原因の一つがCAに対する依存的絆にあることが示唆されたのである。

 最後に、今後の検討課題として、縦断的研究を行いCAに対する絆と精神的健康の因果関係を特定することや、依存的絆の汎文化性と文化特殊性(規定因を含む)の検討を挙げた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、日本におけるコンパニオン・アニマル(家庭で人間の伴侶として飼われるペット;以下「CA」)が人々の精神的健康と対人関係に与える影響を、社会心理学の観点から体系的、かつ実証的に検討したものである。その際特に、CAが飼主に与える効果を検討するにあたり、その二者関係のみならず、彼らを取り巻く社会的ネットワークの中に位置づけるというユニークな分析枠組みを採用して、新たな知見をもたらした意欲的な論文である。

 従来のCA研究の限界の一つは、それらの多くが、CAと飼主の閉じた二者関係に分析対象を限定したことである。それに対し本論文は、CA飼育が飼主を取り囲む他者に及ぶす影響、並びに、周囲の他者、広くは社会、の飼主に対する反応などマクロレベルの視点を新たに導入した。また、従来のCA研究の多くは欧米において行われてきたが、そこでは、一貫して、CAとの絆の強さは飼主の心身の健康や社会的適応に望ましい影響を与えることが見出されてきた。しかし日本においても果たして同様の効果が見られるか否かは未解明の問題であった。本論では、CAを、飼い主に様々な情緒的・道具的サポートを与えることによって精神的健康を促進する、また、対人関係を媒介する「他者」、すなわち飼主の社会的ネットワークの一成員と捉えた上で、CAが日本人飼主の精神的健康に影響を与える過程を6つの実証研究によって体系的に解明している。さらに、これらの研究は、近年注目を集めているマルチメソッド・アプローチを採用し、郵送調査、質問紙実験、公開データの二次分析といった定量的研究と、インタビュー調査という定性的研究を必要に応じて効果的に組み合わせているという点で、研究方法論の観点からも高く評価される。

 実証研究の結果、(1)これまで"強い"〜"弱い"絆の一次元でしか語られてこなかった人とCAとの関係性には、「基本的絆」と「依存的絆」という質的に異なる2つの次元が存在し、この2種類の絆は、飼い主の精神的健康や対人関係に異なる効果を及ぼすこと、(2)基本的絆は強いほど、CAからのサポートや対人ネットワークが増加する結果、飼主の精神的健康に正の効果をもたらすこと、(3)一方、依存的絆が強まると、CAの躾が甘くなることで周囲の他者からの否定的な反応を引き起こすために対人ネットワークが縮小したり、「ペットが社会的に受け入れられていない」との認知を引き起こしたりする結果、飼主の精神的健康に負の効果があること、が見出された。

 近年の少子高齢化、生涯未婚者や子どものいない夫婦の増加に見られる家族規模や構造の変化、ならびに、都市部に著しい地域社会の崩壊は、従来家族を中心として構成されてきた人々の社会的ネットワークの基盤を弱体化させてきた。それに伴いCAのサポート源としての重要性が注目されている。そうした中、人とCAとの関係性やその影響過程を解明することは今後の社会心理学の重要な課題であると共に、社会的重要性も高い。

 本論文は、縦断的研究を行いCAに対する絆と精神的健康の因果関係を特定することや、依存的絆とそれを生み出す過程の汎文化性と文化特殊性を検討し、論拠の強化を図る必要があることなど、今後の課題をいくつか残している。しかし、本論は日本において社会心理学的観点から行われた、人と動物の関係に関する初めての体系的な博士論文であり、極めて重要な貢献と認めることができる。以上のことから、本審査委員会は本論文が博士(社会心理学)の学位にふさわしいものであるという結論に達した。

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